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21世紀型教育改革

2018.10.22 文部科学教育通信掲載

時代の変化に併せて教育が変わる動きが加速しています。委員を務める未来の教室とEdtech 研究会の所管が文科省ではなく、経産省であることも時代を象徴する変化ではないかと思います。同研究会では、民間の教育関係者とともに未来の教室に向けた実証事業も始めています。

 

経産省がなぜ未来の教室を考えるのかと疑問を持つ方もいるかもしれません。しかし、教育の出口は、経済の入り口であり、人の人生にはその境界線はありません。また、脱工業化社会を実現する上で、求められる人材像に合わせて教育が変わることが大切な今、経済界と教育界の共進化が鍵を握ると感じます。子どもたちの未来のために、省庁も壁を超えて、お互いの強みを生かし、協働していける社会を実現したいです。経済と教育の対話が、経産省と文科省の対話により、大きく進むことを心から期待しています。

 

プログラミングや英語、アクティブラーニングと、教育の中身の議論が進む中、教育改革のあり方も時代の変化を汲み取り、20世紀型から21世紀型に変わる必要があるのではないかと考えます。そのためには、新たな視点が5つ必要です。

 

 

視点1 ビジョンの形成

子ども、保護者、先生、教育委員会、文科省、民間教育サービス事業者、NPO、地域コミュニティ、メディア等、教育には、社会全体の注目が集まります。このため、「日本の教育は、社会の批判が変える」傾向が強いことを知りました。また、教育改革は、トップダウンで推進されるため、改革のメッセージが先生に届く頃には、「何のために」ではなく、「なにを」「どのように」やるのかというメッセージが中心となり、目的なき改革になり易いことも知りました。アクティブラーニングが大事なのではなく、子どもたちが、自ら考える力を磨くこと、仮説を検証する経験を持つこと、お友達の多様な意見を通して、自分の考えを深め、新たな視点を手に入れる協働的な学びができる大人に育つことがアクティブラーニングの目的です。社会人の成功は、テストの成績ではなく、アイディアを具現化した結果により決ります。生まれるアイディアの質と、それを具現化する力を共に高めるために、アクティブラーニングの経験が生かされます。同時に、この力には、ポジティブ志向やストレス耐性など、非認知能力が不可欠です。ところが、学校社会では、目に見える成果、学力に、心の発達が負けてしまい、子どもたちが心を育む機会が、常に軽視されてしまいます。そうならないためには、何のために、新しい教育メソッドが導入されているのか、教育改革が進むのかを社会全体が理解する必要があります。ビジョンの形成にもっと、もっと力を入れていく必要があります。

 

視点2 対話

有無を言わさないトップダウンの改革と異なり、ビジョンの形成には、対話が欠かせません。なぜ、私は賛成なのか、反対なのか。何を心配しているのか。色々な意見を表に出し、議論を積み重ねていくことで、ビジョンは形作られ、揺るがない存在に発展します。そのビジョンが目指す姿が本当に正しければ、最初は反対している人も、その意味を理解する日がやってきます。議論を積み重ねれば、我々が何を選択し、優先しているのかがより明確になります。唯一の道だからと押し付けてしまうと、導入は早いですが、結果的には、誰も納得していない命令なので、長続きしません。経済と教育の対話、社会と教育の対話、色々な立場の方たちが、対話に参加することが大切です。

 

視点3 フラットな関係

ビジョンの形成に、対話が不可欠であると申し上げましたが、そのために必要なのが、フラットな関係です。多様な人々が対話に参加し、相互に学びあうためには、フラットな関係が不可欠だからです。優は劣から学べない。劣は優をこえられない。ヒエラルキーが存在すると、お互いから学ぶことができません。学校の先生、教育委員会、文科省は、夫々役割が違います。その違いを尊重し、優劣の概念を持ち込まない。この姿勢がないと、対話になりません。これが一番難しいことかもしれません。

図 こどもはいつ人生の準備をするのか

こどもが大人になる段階の図

 

 

視点4 システム思考

教育改革を進める上で、大切なことは、現象として見える課題に対処するアプローチを取らないことです。目の前の課題に対処していても、根本原因が残るため、真の課題解決になりません。そこで、課題の分析に生かせるのが氷山モデルのアプローチです。氷山モデルでは、課題を3つの視点で分析します。①過去からの経緯という視点で分析する。②課題の要因となる構造やシステムを把握する。③その現実を創り出している人の価値観やものの見方、社会通念や文化を把握する。そして、原因と結果の関係を理解し、課題の全容を把握した上で、課題解決のためのアクションを考えます。特に、今日のように、教育が大きく変わる時代には、一つひとつのアクションがどのような変化をもたらすのかを理解することも大切です。改革は、何かを壊す原因にもなりますから、教育システム全体に目を向けていないと、教育改革が新たな課題を生み出すという結果になります。

 

視点5 想像力

教育に関わるすべての人々は、子どもたちの段階的な発達・成長に意識を向ける必要があります。幼児を目の前にして、高校生や社会人の姿を想像することは難しいかもしれません。しかし、今、目の前にいる子どもにだけ意識を向けていると、教育を間違えてしまう可能性があります。私は、幼児教育にも関わっていますが、いじめ問題の原因は幼児期から小学校3年生までの教育にあると感じています。保育士さんは、「○○ちゃんが、いたいといっているから、あやまろうね」と、子どもたちのけんかに仲介します。こうして、自分たちで問題解決する経験を持たないまま、小学校4年生になり、先生に助けを求められなくなると、いじめを誰も止められなくなるのです。こんな風にならないためには、保育士さんも、小学校4年生になった子どもたちの様子を想像する必要があります。そうすれば、子どもの幸せを願う保育士さんの幼児への関わり方は変わるはずです。

 

教育改革を推進する上でも、想像力は欠かせません。子どもたちが生きる未来の社会はどんな社会なのだろう。その社会は今とは何が違うのだろう。その社会で、人々が幸せに生きるためにどんな力が必要なのだろう。今とは違う未来の姿を100%予測することは不可能ですが、想像を膨らませることは可能です。想像力を持ち、未来のことを考える姿勢があれば、子どもたちの幸せを願う誰もが、自然に教育を変える必要性を実感できるのではないでしょうか。

 

21世紀型教育改革は、トップダウンでは成功しません。未来を生きる子どもたちが幸せになるための力を習得する教育改革を実現するために、ビジョン形成、対話、フラットな関係、システム思考、想像力の5つの習慣を実践していきましょう!

幸せな人生を支える人一生の育ちプロジェクト

2018.09.24 文部科学教育通信掲載

10月5日教師の日に、未来教育会議 人一生の育ちプロジェクトの発表会を行います。なぜ、人一生の育ちについて考えたのか。その背景をご紹介します。

 

人は学びの塊

人は、学ぶ意欲の塊として生まれる。そう教えてくれたのは、ハーバード教育大学院の先生でした。赤ちゃんは、学びについての知識を教わる前に、自ら学び始める。よちよち歩きから、はいはい、そして、立って歩くという赤ちゃんの成長、その一つひとつに親は感動を覚えます。ミルクしか飲めなかった赤ちゃんが、自分の手で食べ物を口に入れることができるようになり、いつの間にか、口の周りを汚しながらも、スプーンやフォークで食事が取れるようになる。こんな風に、子どもは、自らの意思で学び、成長を遂げます。もし、目の前にいる子どもや人に学ぶ意欲がないとしたら、それは本人の問題ではなく、環境の問題。そう教えてくれたのも、その先生でした。

 

学ぶ意欲を眠らせてしまう理由が、環境にあるという気づきは、とても貴重なものでした。同時に、私たち大人は、自らが作り出している環境に無自覚すぎるという課題も見えてきました。自分の子育てを考えても、色々と反省をする点があります。

 

人一生の育ちについて深く考えたいと思うようになった経験をいくつかご紹介して見たいと思います。

 

15分勉強できれば十分?

2010年から、子どもの貧困と教育格差の是正に取り組んでいます。最初に実施した寺子屋での経験を今でも忘れることができません。ケースワーカーさんの紹介で集まった子どもたちに、優秀な大学生が学習支援を行う寺子屋での体験です。学習を始める前に、ケースワーカーさんから、「この子たちは、15分座っていられれば、それで十分ですから」と言われました。子どもたちが、期待に応えないと学生さんがかわいそうと思ったのかもしれません。しかし、ケースワーカーさんが、子どもたちが、勉強し成績を上げていくという期待を全く持っていないということもわかりました。ところが、子どもたちの可能性を信じ、真剣に向き合う学生たちと出会い、子どもたちは、初回から、3時間集中して勉強に取り組みました。中学生で割り算もできない子どもたちに、学生も、3時間粘り強く指導しました。おそらく、落ちこぼれた子どもたちにとって、この寺子屋が、人生で初めて、自分の可能性を信じてくれる大人との出会いだったのではないかと思います。

 

中学生で割り算や九九ができない子どもたちの多くは、幼児期から発達が遅れ、最初は生活習慣の問題を抱え、小学校4年生になると学力の課題を抱えます。学校に通っていても、授業についていけず、自分はバカなのだと、自分を諦めてしまうというのが一般的です。そんな子どもたちの面倒を見てくれるケースワーカーさんも、この子たちに勉強は期待できないというものの見方が一般的なのでしょう。そんな環境に育った子どもたちは、中学校でも落ちこぼれ、そして、10代の半ばで、自分の将来を諦めることになります。しかし、最初の寺子屋で見た子どもたちは、「本当は勉強ができるようになりたい」という気持ちを内に秘めていたのです。そして、これまで、その気持ちを誰にも出せなかったのだと思います。だから、自分を諦めることになってしまう。

 

2010年にスタートした寺子屋は、ラーニングフォーオールというNPO活動に発展し、今でも、たくさんの子どもたちの学力向上に尽力しています。目の前の子どもたちの学力がどれほど低くても、必ず、成績を上ることができると信じ、遅れのある子どもたちの学力向上のためのナレッジを蓄積し、徹底した教師教育を行い、成果を出し続けています。

 

落ちこぼれという言葉を作り、平気で子どもたちを学校に通わせる私たちの社会には、人の一生の育ちにとって最適な環境ではないです。10代で自分の人生を諦める子どもたちがゼロになる社会を実現して行きたいです。

 

人一生の育ちを大切にする社会は、誰もが、自分の可能性を信じ、尽力できる社会であると思います。

 

いじめの問題

自分で自分の問題を解決する力を育てるオランダのシチズンシップ教育ピースフルスクールを日本の幼稚園や保育園に紹介する活動を行っています。その活動を通して、なぜ、日本の子どもたちがいじめで苦しむのか、その理由の一つがわかりました。

 

日本の保育士さんたちは、とても面倒見が良く、子どもを大切に育ててくださいます。ある日、その様子を見学していると、保育士さんが、子どもたちの代わりに問題解決をしていることに気づきました。「美香ちゃんが痛いと言っているよ」「謝ろうね」と仲直りをガイドしています。一方、ピースフルスクールの子どもたちは、自分で自分の問題を解決する力を磨きます。嫌なときは嫌という。嫌だと言われたら、楽しくてもやめる。幼児の時から、この行動様式を身に付けます。この小さい習慣が、いじめから自分を守る力になります。

 

いじめの大きな課題は、先生が介入しても、問題を解決することができず、むしろ、問題を悪化させてしまうことです。小学校の低学年までは、保育士さん同様、先生が、いじめに介入し問題解決を行うことができますが、小学校4年生になると、先生が介入できなくなります。中学校も同様です。だとすれば、自ら、自分を守れる人、他者がいじめれていたら、その問題を解決するために行動する人を育てておくことが重要だと思います。保育士さんにこのお話をしたところ、中学生になった子どもたちのことなど想像したこともなかったと言われました。

 

子どもや人の育ちに関わる全ての人たちは、人が一生の育ちにもっと意識を向ける必要があるのではないか。保育士さんとの対話からそう考えるようになりました。

 

未来の教室とEduTech研究会

経産省で行われている未来の教室とEduTech研究会に参加をし、チェンジ・メーカーを育てる教育を促進する活動に従事しています。

 

チェンジ・メーカーに不可欠なことは、自らの意思で問題解決に臨むことです。自分にとって大切な課題を見つけて、その解決策のために行動するチェンジ・メーカーに不可欠なのが、自己肯定感や自己効力感です。チェンジ・メーカーを育てるためには、幼児期から、行動の主体である主体性の感覚を育むことが大切というのもこのためです。自分の意思で行動し、自己を形成する経験を持たないまま、先生の期待に応える中で育った人に、「あなたが解決したい課題はなんですか」と着ても、返事は返ってきません。

 

課題を解決するためには、多様なステイクホルダーを巻き込む必要もあります。このため、チェンジ・メーカーには、コミュニケーション力や、協働力などの非認知能力が求められます。2002年にOECDが発表した教育方針は、チェンジ・メーカーを育てる教育へのシフトを狙いとしており、学力などの認知能力に加えて、非認知能力の開発に義務教育が力を入れていくことを強く奨励しています。

 

人が、複雑な問題を解決することが期待されるのは、成人になってからかもしれませんが、その基礎固めは、幼児期から始まっているということを誰もが認識する必要があります。学力をどれだけ身につけていても、非認知能力が欠如していると、チェンジ・メーカーにはなれないことも、知っておく必要があります。勉強を頑張ってたくさんの知識を蓄えた人が、それを課題解決に生かすことができないとしたら、とても残念なことです。

 

幸せな人生を支える人一生の育ちを、みんなが支援し合える社会が実現することを願っています。

 

 

リフレクションの啓発

文部科学教育通信 2018.10.8掲載

最近、優秀なリーダーの皆さんと接する機会が増えました。そこで、勇気を持って、これまで感じていた課題を共有することにしました。日本人のビジネスパーソンは、個人レベルでは、世界で最も優秀だと感じます。しかし、残念なことが2つあります。

 その1、日本人は過去を振り返ることができないこと。これは、日本が NO.1になった時もそうでしたし、現在も同様です。なぜうまくいっているのか、なぜうまくいっていないのかを、組織的に振り返ることができません。

 その2、日本人は自ら作り上げた組織や社会を、自らの意思で変えることができないこと。この二つが弱点となり、今日の状態になっていると感じます。

未来を変えるためには、まず過去を振り返るリフレクションが必要です。リフレクションの質を高めるためには、自分の思考や感情を客観視する力が求められます。そして、感情を生かす力が必要です。物事がうまく行っていない時、自己嫌悪に陥るのではなく、だれかを責めるのではなく、課題を直視する勇気と、課題が深刻でもポジティブにその事実を受け入れ、未来創造に向かう力は、いずれも感情の扱いに関するものです。

なぜ、私たちは、リフレクションができないのでしょうか。なぜ、課題が積み上がっていくのでしょうか。その背景にある私たちの特性を見ていきましょう。

課題を話題にしない日本人

日本人と課題について話していると、途中から、話題が変わるという経験をこれまでもたくさんしてきました。最初は、課題認識の話なのですが、途中から、話題は、善い点に移行します。「でも、私たちには、こんないいところがある」「日本のよさをもっと世界に伝えたいよね」このような感じです。課題についての話題は、そこで終わりです。もちろん、善い点を話すことは素敵なことです。しかし、課題の話が、そこで打ち切りになることが問題です。こうして、課題を放置した結果、積み上がっていきます。そして、いつのまにか、課題の原因は、我々の外になるということになります。

日本の経済成長の鈍化は、今日始まった話しではありません。しかし、私の予想が正しければ、近々、日本の経済成長が行き詰るのは、人口減少だからしかたがないという話になると思います。これほど明解で都合のよい理由はありません。携帯電話の数も、食事の数も、人口により決まります。しかし、人口減少だけが、経済が低迷する理由ではありません。この姿勢を継続していると、自分を省みるチャンスを失い、ますます他責を助長することになり、変化のチャンスを逸します。

ソサイティ5.0の前にある4.0

最近では、AIやIoT時代を先取りしたソサエティ5.0というキーワードを耳にするようになりました。ソサエティ5.0とは、2035年にわが国が目指すサイバー空間と現実社会が高度に融合した超スマート社会。Society1.0狩猟社会、Society2.0農耕社会、Society3.0工業化社会、Society4.0情報化社会、その次に来るのがSociety5.0超スマート社会のようです。

超スマート社会は夢のような世界で、「必要なもの・サービスを、必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供し、社会のさまざまなニーズにきめ細かに対応でき、あらゆる人が質の高いサービスを受けられ、年齢、性別、地域、言語といったさまざまな違いを乗り越え、活き活きと快適に暮らすことのできる社会」とのこと。ソサエティ5.0は素敵なビジョンですが、その前に、ソサエティ4.0が実現しているかのようなストーリーになっていることが気になります。目標を遠くに置いたことで、ますます、ソサエティ4.0に向かうエネルギーが減退してしまうのではないでしょうか。

 

日本は、世界で進むソサエティ4.0から完全に脱落しています。アマゾンが誕生したのは1994年、ヤフーの誕生は1995年、マイクロソフトがインターネットエクスプローラーを開発したのは1996年、グーグルが誕生したのは1998年です。1990年代に始まった情報通信技術の革新と新たな産業の創出に、日本の情報通信産業は参画していません。日本は、製造業に強みがあるからよいと思われるかもしれませんが、IoTや第4次産業革命では、製造と情報通信技術の融合が求められます。しかし、情報通信技術の革新が起きなかった日本では、その融合を進める技術者が圧倒的に不足しています。その課題を直視し、対策を打たなければ、ソサエティ5.0は、4.0同様に世界の企業を中心に進められることになるのでしょう。

変化のスピードが、これまでにないほど早く進むこれからの時代なので、それが残念な結果になるのか、逆によい結果になるのかはわかりません。しかし、「必要なもの・サービスを、必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供し、社会のさまざまなニーズにきめ細かに対応でき、あらゆる人が質の高いサービスを受けられ、年齢、性別、地域、言語といったさまざまな違いを乗り越え、活き活きと快適に暮らすことのできる社会」を誰かが創ってくれるような表現とあわせて、責任の所在のない夢の世界の描写がとても気になります。

ドイツのインダストリー4.0との違い

ドイツでは、現在、インダストリー4.0というAIやIoT時代の産業革命を国家戦略として位置づけ推進しています。ドイツは、日本と同様に、99.6%の企業が中小企業ということもあり、産業革命の主役は中小企業です。

2年前に、ドイツを訪問し、BDI(経団連)や商工会議所の取り組みについて話を伺いました。彼らの取り組みは、日本とは間逆です。課題を議論し、直視するところから始めます。課題が明確になると、その次に決断をします。我々は、課題のある状態を受け入れるのか、それとも、我々は、あるべき姿を実現したいのか。こうして、生まれたのがドイツの国家戦略インダストリー4.0なのです。2年前に、未来教育会議の視察の一環で、ドイツを訪問した際に、この事実を知り衝撃を受けました。

ドイツでは、日本の経団連に相当するBDIを訪問しお話を伺う機会を得ました。その冒頭で映し出されたパワーポイントには、アメリカの国旗が26旗、EUの旗が5旗あり、その横には、企業名が書かれています。そして、これが、私たちがインダストリー4.0という国家戦略を打ち出した背景ですという説明を受けました。ドイツ、そしてEUは、情報通信産業においてアメリカに退廃したことを認めた上で、決断をしています。次の時代は、アメリカの一人勝ちを許さない、その決断が国家戦略インダストリー4.0です。では、この決断は、いったい誰がしたのでしょうか。この議論には、すべての産業団体が参画し、大学も労働組合も参画しています。誰も、政府の決めた方針だから、様子を見ようという態度ではありません。夫々が、自分の立場や役割を明確に持ち、貢献しています。

話さなくても課題は存在する

このようにお話すると、ドイツは、ものすごく進んでいると思われるかもしれませんが、決してそうではありません。2年前のことになりますが、我々が視察で紹介されたのは、「衝動」というタイトルが付いた中小企業の実態を調査したリポートでした。ドイツは日本と似ていて、99.6%が中小企業の国です。このため、インダストリー4.0の中心は、中小企業ということになります。調査の結果、56%の企業が、まったく準備ができていないと答え、セキュリティ、人材育成、資金等、できないと考える理由がたくさん出ています。しかし、BDIの方たちも、商工会議所の方たちも、誰も、その事実をネガティブに受け止めていないことも驚きでした。課題を直視し形成されたビジョンの力の大きさを、改めて実感しました。

課題は直視しなければ、存在しないというものではありません。直視しなくても存在し、その課題が、じわじわとより深刻になる。真綿で首を絞められた状態に、やがて気づいたときは手遅れという感じでしょうか。今なら、まだ、たくさんできることがあるのに、なぜ、私たちは、課題を直視できないのでしょうか。

世界では、マインドフル、グロースマインド、レジリアント等、たくさんの心に関する手法が生まれています。その背景には、誰もが簡単ではないチャレンジに直面する時代の要請があります。私たちの社会も心を強くして、課題解決に臨める日が一日も早く来ることを願い、リフレクションの啓発活動を行って参ります。

 

 

ザンビア・ラーニングジャーニー

2018.09.10 文部科学教育通信 掲載

昨年に引き続き、企業のリーダーシップ開発の一環で、ザンビア・ラーニングジャーニーに同行しました。私の役割は、参加者の皆様が、自分の潜在的な能力に気づき、リーダーシップの開発を行う支援を行うことです。

 

平和な国

アフリカの南部に位置するザンビアは、日本の2倍の国土を持ち、1700万人が暮らしています。経済規模では、2兆7000億円で、日本の佐賀県や、宇都宮市と同じ位です。ザンビアは、1964年の東京オリンピックの閉会式の日に、イギリスから独立をしたことで、日本とも縁の深い国です。ザンビアの国民は、英語を喋り、クリスチャンが多く、また、国民性は、真面目で、ノーが言えない控えめな所が、どこか日本人と似ていると感じます。ザンビアは、周囲を8カ国で囲まれており、陸路が物流の中心ですが、周囲のアフリカ諸国と比べても、民族、宗教、政治等の紛争がなく、平和な国としても知られています。

 

富の格差

人口の半数以上が国際貧困ラインの1日1.9ドル以下で暮しており、貧困の対象は、7割を占める農業・漁業に従事する人々です。その一方で、首都のルサカには、ショッピングモールやカジノ、ゴルフ場もあり、国内の貧富の差がとても大きいことに驚きます。世界の経済活動がつながり、都市部を中心に、新たな経済圏が開発される過程で、国内における貧富の差が拡大するという新たな課題が生まれています。

 

インフラ

インターネットが普及する一方で、道路、水道、下水、電力などの重要インフラの整備は、まだこれからという地域が多く、田舎に行くと、まだ、電気のない生活をしている人々も多くいます。朝日とともに起床し、日没とともに就寝するという生活をしています。食事は、炭を使う手作り料理が中心で、特にシマというトウモロコシを潰して蒸した主食の準備には、かなりの時間をかけています。味付けは塩とトマトというとてもシンプルなものですが、コンビニ食と異なり、自然を贅沢にいただくことができます。

 

5万人のコミュニティ

視察では、下水などの整備がされていない中、5万人の人たちが住む地域、ストリートチルドレンの住む地域やシェルターなど、日本では見ることができない現地の様子を視察しました。

 

5万人の人々が住む地域では、イタリア人の元宣教師がNGOを立ち上げ、地域の女性の力を活かし住民の医療や教育等の支援を行い、地域住民による主体的なコミュニティづくりを促進していました。地域に住む人々は、決して豊かではありませんが、皆幸せそうに生活しており、外国人の我々にも、殺伐としたう空気や争いの様子はまったく見受けられません。5万人の住民それぞれが近隣とつながっている様子は、子どもたちの遊ぶ姿からうかがうことができ、心と心のつながるコミュニティがそこにあることを、視察で訪れた私たちも感じることができました。

 

ストリートチルドレン

ストリートチルドレンは、何かの理由で家族と共に暮らすことができなくなった子どもたちです。お腹をいっぱいにさせるためにシンナーを吸っている子どもたちとの出会いは、とても辛いものでした。そんなストリートチルドレンが自立をすることを支援するために、シェルターを提供しているジャスパーさんとようこさんご夫婦のお話も伺いました。ストリートチルドレンだった子どもたちが、シェルターに移り、自分の才能に気づき、運転免許を取得して自立している若者との出会い等、嬉しくなる出会いもたくさんありました。中には、自らの自立を果たすだけでなく、空いている時間を、ストリートチルドレンの住む地域で過ごし、小さい子どもたちの自立を促すためにリーダーシップを発揮している若者もいました。ここにも、仲間のために貢献するリーダーを中心に、コミュニティが確立されていました。

 

コミュニティ

人々が、心のつながりを持つコミュニティは、田舎の村を訪問した際にも顕著で、ザンビア人の強みであると感じました。日本にも、昔は、このようなコミュニティがあったと聞きますが、今日の日本に比べると、ザンビアの人々は、人と人とのつながりとコミュニケーションを大切にしていて、幸せそうだという感想が、何度も話題に出ました。私は皆さんの発想を聞きながら、オランダのシチズンシップ教育を日本に紹介する中で、教育プログラムを開発したオランダ人のレオさんから、いじめの傍観者がいる時、そこにはコミュニティはないと言われたことを旅の間中思い出していました。心がつながっていれば、いじめられている人の苦しみはあなたの苦しみなるので、放置はできない。もちろん、誰も、本当は助けてあげたいと思いつつ、しかし、自分の身をいじめから守るために、心のつながりを遮断し、傍観者になる。これは、人間本来の生き方としては、不自然なのかもしれません。ザンビアの人々の様子を見ていて、表面的に存在するコミュニティに身を置くことは幸せなことではないということも、改めてよく理解できました。

 

日本企業の存在

ザンビアには、5万人の中国人が住み、ルサカにはチャイナ市場もあります。ザンビアと中国の関係は友好で、ザンビアの債務の半分は中国が負担しているそうです。中国系の建設業者もザンビアに進出し、ODA等による建設工事の多くは、中国系の企業が受注しています。残念ながら、日系企業は、品質が良くてもコストが高いために、建設工事の受注が難しいそうです。幸い、中古車に関しては、7割がトヨタということで、道路では、日本の車ばかりを目にしました。異国の地を訪問し、日本企業の看板や、日本製品を見ると、なんとなくうれしくなるというのは私だけでしょうか。残念ながら、電気製品に関しては、サムソンやLG等韓国製品が中心で、日本のメーカーの姿はありませんでした。

 

ラーニング・ジャーニー

今回の視察の狙いは、現地視察を通して、これから発展を遂げるアフリカという新たな市場を理解することと共に、自己のリーダーシップについてより深く探求することの2つでした。自分の生き方やあり方を見つめ、捕らえ直し、自己変容を起こす手法に、U理論というフレームワークがあります。プログラムは、この理論に基づき企画しました。合わせて、21世紀学び研究所で開発した学び方を活用し、自分の学びをメタ認知する力を高め、自己認識がスピーディに高まる工夫をしました。

 

視察ごとに、もっとも驚いたことや学んだことを振り返る際に、必ずその背景には、どのような経験や価値観が存在するのかを問いかけました。視察は、ザンビアの現状を知る重要な機会であるとともに、自分を知る機会でもあります。人間は瞬時に1100万ビットの情報に触れているのに、40ビットの情報しか拾えないと言います。自分の意識が向いている事柄しか、人間は拾うことができません。事実はひとつではないのです。このため、グループワークが有益な役割を果たします。多様な気づきを共有することで、事実を多面的に捉え直すことが可能になります。同時に、自分の意識がどこに向いているのかを知ることで、自分を知る機会となります。

 

リーダーシップの問い

 

私は、どこからやってきたのか。

私は、今、どこに立っているのか。

私は、何者か。

私は、どこに向かうのか。

 

旅の終わりのゴールは、この問いに対する答えを見出すことでした。一週間の視察ではありましたが、それぞれが感動したり、驚いたこと、その背景にある経験や価値観の違いを共有し、対話を通して自分を見つめる機会を得ることができました。

 

ザンビアという日本とはまったく異なる国、社会、地域やコミュニティに生きる人々の様子に触れ、世界と日本を見る目も変わりました。参加された皆さんのこれからの活躍がとても楽しみです!

消えた育成力を蘇らせよう!

2018.08.27 文部科学教育通信掲載

企業の管理職の皆さんに育成方法を教えるワークショップを行うことがあります。このワークションをスタートさせたのは、今から10年前のことです。多国籍企業のリーダー養成に取り組む米国人アレックス・グリムシャオ氏との出会いから、GEのリーダー養成プログラムを日本化するライセンスを入手し、リーダー養成講座の一環としてスタートさせました。

 

GEのリーダー養成

GEでは、ジャック・ウェルチ氏の時代に、大企業のヒエラルキー的な組織を大改造し、境界線のない学習に最適な組織を創るリーダーを養成する取り組みがスタートしました。その過程で生まれたプログラムを日本で紹介できる機会をもらい、私は幸せの絶頂でした。ところが、日本の管理職の皆さんに、このプログラムを届けたところ、まったく、ピンと来ていただけなかったのです。GEでは、コーポレットユニバーシティであるクロトンビル・リーダーシップ開発センターで、世界中のリーダーたちが受講し、GEを最強の組織に変えて行ったプログラムのどこに問題があるのでしょうか。最初は、何が起きているのかわかりませんでした。しかし、回を重ねるうちに、少しづつ明らかになりました。

 

プログラムの中でも、一番、日本企業の管理職とかみ合わなかったのは、育成でした。育成のプログラムは、フィードバックを最も効果的に行う手法を紹介するものでしたが、そのフレームワークに、だれも感動しないのです。こんなにシンプルで効果的なフレームワークを見て、なぜ、助かったと思わないのだろうか。そう思いながら、プログラムを展開した思い出があります。

 

消えた育成力

その後、私は、この理由がもっと知りたくて、組織に潜伏し、自分自身も人材育成に直接関わり、同時に、研修ではなく、名前と顔の解る人たちに、人材育成の方法を教えることにしました。その結果、すべてのなぞが解けました。日本企業の多くの管理職は、人材育成を止めてしまっていたのです。 私が新入社員だった時代は、まだ、終身雇用が当たり前で、会社は、家族のようなものでした。年功序列でしたから、上司も安心して部下を育てていました。上司に育てられた経験を持つ部下が上司になるので、育成を行うことは当たり前のこととして、組織に継承されていきました。しかし、その姿は、多くの企業から消えてしまったようです。

 

松下電器の人員整理

私が、ハーバードビジネススクールで、日本経営の素晴らしさを徹底的に学び、誇り高く日本に帰国したのは、1989年です。しかし、バブルの崩壊とともに、日本企業は様変わりしていきます。1989年4月には、松下幸之助氏が世を去り、その13年後に、人を大切にする松下電器が、1 万3千人の大人員整理を行いました。今日でも、新卒一括採用や終身雇用が継続しているようにみえますが、日本企業が世界のトップに上り詰めた際に持っていた、人事制度と人材育成力は、多くの企業から消えて行きました。

 

鈍化する成長の中で、管理職の役割も変わっていきます。管理職としてのポジションは与えられるのですが、実質的な部下は数名で、プレイングマネジャーという称号を与えられ、管理職自らが業績を出すために働くという構図が出来上がりました。こうして、育成は、やった方がよいが、やらなくてもよいこととなっていきます。

 

上司も部下も不幸

名門企業の管理職研修で、プレイングマネジャーの皆さんに育成の方法をお伝えしても、活かす場所がないというのが実情だったのです。しかし、彼らに、人材の悩みがないかと行うとそんなことはありません。時間通りに出社するとか、納期を守ることなど、優秀な管理職から見るとあたり前のことをやってくれない部下たちに悩まされている上司がたくさんいらっしゃいました。しかし、上司たちの認識は共通で、育てるより自分がやった方が早いというものでした。

 

 

優秀な管理職の皆さんが、長時間労働になる背景には、部下の能力不足を補う仕事の仕方があたり前になっていることも、大きな要因ではないかと思います。最近では、その部下たちが、自分よりも年齢が上というケースも増えており、益々、育成の機会が減少しているといえます。一方、組織に貢献しないまま、年を重ねて行った社員は、人生100年時代に、自分を活かす場を見つけ難くなるはずです。原点に戻って、若い頃から育ててもらえる環境に身をおく必要があります。

 

育成・成長の時代へ

このような背景を理解すると、なぜ、10年前に、管理職の皆さんが人材育成プログラムを必要としていなかったのかがよくわかります。しかし、これからの時代は、この姿勢は許されません。労働人口が減少し、一人ひとりの社員の生産性を高めることが必要です。これは、企業側の理論ですが、働く側も、一生ひとつの企業で働き続ける時代が終わりを迎えており、自分のキャリア開発に責任を持たなければならない時代です。

GEのように最強の組織を目指す企業では、社員のエンプロイアビリティ(市場価値)を上げることが上司や会社の責任であると考えています。雇用には、劇団型とブロードウェイ型があります。劇団型では、すべての人が、自分の望む役を演じることができません。一方、ブロードウェイ型であれば、自分の望む役を演じることができます。だから、もし、ここにいても、自分の望む役割を担うことができないのなら、社員が外にでてもよいと考えています。同時に、優秀な人材は追跡していて、彼らが望む役割をお願いすることができる時に、ぜひ、戻って欲しいと声をかけるのだそうです。このような関係性が、これからの日本企業にも、求められるのでしょう。優秀な社員は、社会の資産であり、一企業で囲い込むものではないし、囲い込むことにより、能力開発の機会が下がるのであれば、企業にとっても個人にとっても、幸せな働き方ではありません。

 

自律的学習者を育てる組織へ

日本企業は、働き方改革を進めると同時に、企業と個人の関係性、人材育成、自己成長に対する考え方を見直す必要があります。そこで、まず、人材育成のあり方に関して、これまでの経験を踏まえて、新しくプログラムを開発しました。「自分で自分を育てられる個人」を育てる人材育成プログラムです。そのために、上司が、どのように関わればよいのか、どのような環境を創ればよいのかを学ぶプログラムです。

 

最近話題の成人発達理論でも、大人が成長するために、支援が重要な役割を果たすことが明らかになっています。大人になって多くの時間を費やす企業の中で、人々が能力を最大化させることができれば、人も企業も幸せになります。止めてしまうから育てないという論理ではなく、他社で育てた人材がわが社で働く時もあれば、わが社で育てた人材が他社で活躍することもあると考えれば、企業の人材育成力が、社会の人材育成力になります。そんな社会が、人も企業も幸せにするのではないでしょうか。

リーダーのリフレクションが未来を創る

2018.08.06文部科学教育通信掲載

OECDが2003年に打ち出した教育指針キーコンピテンシーは、世界の教育改革に大きなインパクトを与えています。変化・複雑・相互依存の時代に生きる子どもたちが幸せに生きるために、複雑な問題を解決する力や、テクノロジーを活用する力、グローバル化する社会の中で共生を実現する力などが、学校教育の領域に加わりました。その核心として、リフレクションの重要性が掲げられていることを、我が国の教育にも活かして欲しいと願っています。

 

リフレクションの効用は、様々ありますが、本日は、私が目撃したリーダーのリフレクションを中心に紹介してみたいと思います。

 

ハーバードビジネススクールのリフレクション

私は、丁度日本がバブルの絶頂期に、ハーバードビジネススクールに留学しました。クラスメートの大多数はアメリカ人ですが、世界中からの留学生もいました。その中には、私を含めて16名の日本人留学生がいました。ケーススタディを中心に行われる授業は、クラスメートの意見を中心に構成され、教授は、時々、良質な質問を投げかけ、我々の思考をガイドします。そんな日々のディスカッションの中でも、我々日本人がどのように考えるのかは注目の的でした。2年間の留学期間に、マーケティング、財務、事業戦略など様々な学びの機会を得ることができましたが、私にとって一番の学びは、彼らのリフレクションに向かう姿勢です。その当時のハーバードビジネススクールにとって、「なぜ、アメリカが日本に負けたのか」はとても重要な問いでした。我々日本人留学生の思考パターンや行動様式、その前提となる判断基準などは、彼らの研究対象でした。私自身も、留学経験を通して、日本型経営とは何かを学ぶことができました。その後、アメリカでは、メイド・イン・アメリカに力を入れる等、新たな経営のあり方が次々と生まれ、再びその強さを取り戻すことになります。

 

リフレクションしない日本の経済界

日本型経営の強さを理解し、自信満々で帰国した私にとって衝撃だったことは、バブルの末期あたりから、日本が次々と、その強さの源を放棄していったことです。中でも、終身雇用と株の持合いを止めたことは、企業経営の根幹に関わるシフトでした。その結果、日本型経営はその強みを失っていきました。しかし、その後も、日本で、ハーバードビジネススクールが行っていたようなリフレクションには、一度も遭遇したことがありません。よい未来を創るためには、前に進むだけではなく、過去を振り返り、己を知ることが重要であるという留学経験を通しての学びは、今では私の大切な信念となっています。

 

 

ジェフリー・サックス 教授のリフレクション

米国の経済学者ジェフリー・サックスが、SDGsやその前身であるミレニアム目標に力を注ぐ背景に、リフレクションがあることを知りました。彼が、経済学を学ぶためにハーバード大学に入学した1972年に、成長の限界の本が出版されました。成長の限界は、人類初の持続可能性に対する問題提議の本でした。そこで、ジェフリーは、教授に、「このような本が出ているが、問題はないのか」とたずねたところ、教授は、「市場の原理が問題を解決するから、なにも心配する必要はない」と言ったそうです。しかし、市場の原理は、問題を解決しなかったというリフレクションから、ミレニアム目標に取り組みました。ミレニアム目標は、部分的には成果を出したものの、地球規模での取り組みに発展しなかったことから、リフレクションを経て、SDGsにおいては、企画の段階から、NGOやNPOなどアクションを牽引する人々を巻き込む、先進国の目標も設定し、地球規模の取り組みになるような企画を盛り込みました。

クレイトン・クリステンセン教授のリフレクション

ハーバードビジネススクールの同窓会で、クリステンセン先生の話を聞きました。「僕が、ビジネススクールに入学した頃には、スプレッドシートはなく電卓だけだった。その後、スプレッドシートが生まれ、企業経営に活用されるようになった。コーポレットファイナンスは、経営のためのツールだったが、いつのまにか、ウォールストリートのオフィスで毎日眺められるものになり、やがて、ウォールストリートのために数値を作ることが、経営の目的になっていった」 クリステンセン先生は、このシステムが暴走し、経営を支配していることが問題だと話していました。

ビル・ドレイトン氏のリフレクション

インドで、ある女性の社会問題の解決を支援したことが始まりで、今日では3500人のアショカフェローをネットワークするアショカの創立者ビル・ドレイトンが、社会起業家とインタビューをする中で、ある共通項を見出します。それは、どの起業家も、10代で何か身近な問題の解決に挑戦した経験を持つということでした。そこで、アショカでは、ユースベンチャーというプロジェクトで、22歳までの若者のアクションを支援しています。多くの若者が、10代で何か身近な問題に取り組むことで、起業家が増えるという仮説のもと、取り組みを進めています。

アショカでは、社会起業家の取り組みに、システミック・チェンジと命名し、社会変革の新たなアプローチを奨励しています。魚の食べれない人に、魚釣りを教えるのではなく、漁業システムを変えるという発想です。システミック・チェンジの発想は、社会起業家のアプローチに対するリフレクションから生まれています。

 

ウェンディ・コップ

ティーチ・フォー・アメリカは、優秀な大学生を2年間、困難な地域の学校に派遣をし、貧困による教育格差の問題解決に挑戦する非営利団体です。今日では、文系大学生の就職ランキングでトップになり注目を浴びています。

創業者のウエンディ・コップは、優秀な大学生を採用しているにもかかわらず、その成果にはばらつきがあることに気づきました。生徒の学力を飛躍的に伸ばし、大学への道筋を創る支援のできる先生もいれば、チャレンジの大きさに圧倒される先生もいました。そこで、ウェンディは、成果を挙げている教師を観察し、彼らに共通の特性を見つけました。その特性は、Teaching As Leadershipと呼ばれるルーブリックに発展し、今日でも、教師教育に活用されています。 

おわりに

リーダーのリフレクションは、世の中を変える大きな力になります。前進することも大切ですが、経験を振り返ることで、課題を明らかにすることが、課題解決の生産性を上げるのではないかと思います。振り返ることで、成功の法則を見出すことができれば、経験を本当の意味で生かすことが可能になります。ぜひみなさんも、リフレクションを始めてみてください。

メタ認知力の普及活動

2018.07.23  文部科学教育通信掲載

21世紀学び研究所を立ち上げ、メタ認知力の普及活動を行っています。具体的には、自分がなぜそう考えるのかを、認知の枠の4点セットで捕らえる習慣です。意見の背景を、前提となる経験や知識、判断基準、経験や知識に紐づく感情の記憶と合わせて捕らえることで、メタ認知力を高めることが可能になります。前例のない時代に、自らの意思で判断し、その行動に責任を持つために必要な力。そう考え、活動に取り組んでいます。

 

時代の求める教育の核となるリフレクション

変化・複雑・相互依存の時代に合わせて、2003年にOECDが発表した教育指針キーコンピテンシーでは、これまでの学校教育の中心である学力の向上に加え、問題を解決する力、テクノロジーを活用する力、異質な人々と共生する力、自律的に人生を生きる力などの重要性が加わり、教育の新たな時代の幕開けとなりました。日本でも、プログラミング教育や、語学教育など、時代の要請により、新たな動きが始まっています。

 

OECDの発表した教育指針キーコンピテンシーの中で、私が注目したのは、その核心となるリフレクションの重要性です。教育指針の中で、リフレクションは、状況に直面した時に慣習的なやり方や方法を規定通りに適用する能力だけでなく、変化に応じて、経験から学び、批判的なスタンスで考え動く能力と定義されています。

 

ドミニク・S・ライチェン氏の著書キーコンピテンシーでは、以下のような説明があります。

リフレクション(思慮深さ)とは、個人がどうのように考えるかということだけではなく、その思想、感情、社会的関係を含めながら、その経験をどのように一般化するように構成するかということでもある。個人に要求されるのは一定の距離を置くようにし、異なった視点をもち、自主的な判断をし、自分の行ないに責任をとるようになることである。

 

この説明からも、リフレクションを行う上で、メタ認知力が必要であることがわかります。

 

シチズンシップ教育とメタ認知力

オランダに行くと、市民のメタ認知力の高さに圧倒されます。対立を恐れず、異質な人々がともに社会を創り上げることを大切にする市民にとって、多様性を尊重することや、対立を話し合いで解決することは、当たり前のようです。最近では、テクノロジーを積極的に活用し、社会をよくするための協動が進んでおり、市民(シチズン)という名称が、スマートシチズンに発展しています。そのような国オランダで生まれたシチズンシップ教育に学んだのは、メタ認知力の重要性です。

 

シチズンシップ教育の中核は、自立と共生に必要なマインドとスキルを習得することの2つです。オランダでは、幼児期から、自分の経験を振り返るリフレクションを行い、メタ認知力を育む教育がはじまります。自分の考えを述べることや、自分の気持ちに意識を向けること、自分で決めることなどを通して、自分を知り、他人を知り、多様性を知る経験を積み重ねていきます。メタ認知力が、自立と共生の土台であることが解ります。

 

日本でも、円になり対話を通して学ぶピースフルスクールで、子どもたちは、自分の考えや気持ちを語り、聴き合います。その中で、自然に、メタ認知力が育まれていくのが分かります。1年もレッスンを続ければ、子どもたちは、自分の考えを自然に語れるようになります。「お祭りは楽しかったですか」という先生の問いに、10人の子どもたちが、全員違う理由で楽しかったと語った時は、本当に驚きました。子どもは、お友達の意見を真似る傾向がありますが、「私も」ではなく、「私は」と、それぞれが違う理由を語りました。自分の気持ちと考えをしっかりと結びつけることができることが、自分の考えを持つ主体性につながります。

 

感情をメタ認知する子どもたち

ピースフルスクールを通して、メタ認知力を支えるのは感情の力であるという気づきもありました。オランダに視察に行き、ピースフルスクールで、校内のけんかの仲介を行うメディエーターという役割を担う小学5,6年生の子どもたちに、お話を伺った時の衝撃が、今でも忘れられません。「仲介を行う時、私たちは、中立な立場でいなければなりません。私たちが、問題を解決するのではありません。けんかが起きた時の状況についての理解をお互いが述べ、状況に対する認識を一致させることが大切です。その上で、問題を解決するために、何をするかを話し合い決めてもらいます」こんな風に話してくれました。

 

けんかの仲介では、感情的になっている時、怒りが静まっていない時には、話し合いを行わないというルールがあります。このため、子どもたちは、それぞれ、怒りという気持ちをコントロールする手段を持っています。10数えて心を落ち着けるという子どももいれば、楽しいことを思い出し気持ちを切り替える子どももいます。その前提には、自分の感情をメタ認知する力があります。オランダの子どもたちの様子に、感情をメタ認知する重要性を学びました。

 

大人にメタ認知力が必要な理由

メタ認知力は、人生のあらゆる場面で有益なものであると感じます。以下に、その代用例を挙げてみます。

 

  1. リーダーに必要なメタ認知力
  2. リーダーになるということは、自分の意のままにならないことを引き受けること。変革の推進には、反対者は必ずいますし、すべての事柄に、全員が賛成するというハッピーな状態など期待することはできません。そんな中でも、平静でハッピーでいなければ、最良の判断はできません。自分の感情をコントロールする力がなければ、人もついて来ません。優れたリーダーには、自分の思考と感情をメタ認知する習慣があります。
  3. 決断に必要なメタ認知力
  4. 仕事や人生において難しい決断を迫られた時に最良の判断を行う上で、メタ認知力が必要です。自分はなぜそう考えるのか。その考えを支える経験や知識は何か。どのような判断の尺度を用いているのか。自分の感情が、判断にどのような影響を与えているのか。どのような経験や知識、判断の尺度を用いると、考えは変るのか。メタ認知力を高めることで、ひとつの判断に固執するのではなく、多面的に考えることも容易になります。
  5. 複雑な問題解決に必要なメタ認知力
  6. 複雑な問題解決には、ストレスが伴います。失敗や行き詰まりに直面した際に、ストレスに押しつぶされることなく、自分の思考や感情を客観視し、冷静に、経験学習に向かうために、メタ認知力が必要になります。課題を直視する勇気にもつながると感じます。我々が解決しなければならない課題が複雑になる中で、トライ&エラーから学ぶためには、分析力のみならず、課題に直面している自分自身をメタ認知する力が必須です。
  7. 協動に必要なメタ認知力
  8. 協動においても、多様な意見に遭遇しストレスを感じる人は多いのではないかと思います。異なる意見に直面した際にも、困るのではなく、対話を通して合意形成を行うために、お互いが自分の考えの背景にある経験や知識、判断の尺度を共有することが大切です。メタ認知力の高い人々が集まれば、意見の対立が、創造に向かうエネルギーに転換され、化学反応が生まれます。メタ認知力は、イノベーションを生み出す力ともいえます。

 

認知の枠の4点セットを活用すれば、簡単にメタ認知力が高まります。ぜひ、活用してみてください。

 

メタ認知力を高める認知の枠の4点セット

  1. 意見 あなたの意見は何ですか。
  2. 経験 その意見の背景には、どのような経験や知識がありますか。
  3. 価値観 どのような判断基準を用いていますか。(その意見から、あなたが、何を大切にしていることが解りますか)
  4. 感情 その経験や判断基準には、どのような感情の記憶が紐づいていますか。

システミック・チェンジ

文部科学教育通信 2018.07.9掲載

社会起業家、チェンジメーカー、新しい時代の市民セクターなど、時代が求める新たな概念を次々と生み出している米国の非営利団体アショカは、世界の社会起業家3,500人を、アショカフェローに認定し、ネットワークを構築しています。アショカフェローには、ノーベル平和賞を受賞したムハメド・ユヌス氏のような有名な方もいますが、その多くは無名の社会起業家です。しかし、その多くが、政策を変えるインパクトを実現し、社会システムの変化を実現しています。アショカは、これを、システミック・チェンジと名付けました。

 

システミック・チェンジは、1970年以降のトレンドで、それまでは、社会を変えたいと思う市民は、ストライキやデモ、あるいは慈善事業を行うしかありませんでした。そんな中、アショカの創立者ビル・ドレイントン氏は、システミック・チェンジという新しい概念を生み出しました。課題を発見したら、応急措置や状況の緩和ではなく、それを生み出している根本的な原因を探り、新しい仕組みを生み出す個人をシステミック・チェンジメーカーと定義し、アショカ・フェローとして認定する活動を始めました。

 

アショカは、現在、世界40カ国にオフィスを起き、93カ国で、アショカフェローを発掘する活動を行なっています。アショカは、また、大学で社会起業家を育てる活動も進めており、今日では、世界の40大学が、チェンジメーカーキャンパスに認定され、社会イノベーションを促進するエコシステムを実現しています。

 

社会変革の取り組み

アショカは、社会変革の取り組みには、いくつかの種類があると言います。

子どもの貧困と教育格差問題を例に、その種類を説明します。

 

ダイレクト・サービス

助けを必要としている人に直接関わる取り組み。

助けの必要な子どもに直接関わり、学習支援を行う、食事を提供する等。

 

大規模なダイレクト・サービス

ダイレクトサービスの規模が拡大し、広範囲で展開されているもの。

子どもの学習支援事業、子ども食堂などに発展する等。

 

システミック・チェンジ

アメリカで生まれたティーチフォーアメリカは、優秀な大学生を貧困地域の学校に派遣し、貧困による教育格差の問題解決に取り組む仕組みを開発。現在、全米53の地域に活動を広げ、活動に参加した55,000人をネットワークしています。

 

フレームワーク・チェンジ

システミック・チェンジによって仕組みと基準が変わった後、より大きな意識の変革が起こること。

テーチフォーアメリカは、現在、日本をはじめとする世界48カ国に広がり、行政ではなく市民が教育を変える仕組みと基準が各国で生まれています。日本でも、非営利団体が教育改革に貢献する取り組みが拡大しています。

社会課題先進国の日本から、社会課題解決先進国の日本になるためにも、システミック・チェンジの発想は欠かせないと感じています。

 

日本にも普及

このシステミック・チェンジを日本でも広めたいと考え、今年、2名のアショカ・フェローを招聘し、ワークショップを開催します。

アショカフェローのお話を伺い、ビジネスモデル、バリュープロポジション、セオリー・オブ・チェンジ、システム思考や氷山モデル、リーンキャンパスなどの分析ツールを活用し、アショカ・フェローがどのようにシステミック・チェンジを実現しているのかを学びます。参加する皆さんには、その学びを、自ら解決したい社会課題の解決に、生かして欲しいと思います。日本でも、社会問題の解決に貢献したいと思う若者や大人が増えています。しかし、残念ながら、その多くがダイレクト・サービスに集中しています。日本でも、システミック・チェンジにも目を向ける人々が増えることを願ってワークショプに挑戦してみます。

 

シティマート

7月に招聘するのはシティマートの創立者サシャ・ハゼルマイヤー氏です。シティマートは、市町村の新しい調達方法を生み出した団体です。自治体の調達は、世界のGDPの10%に当たります。しかし、その実態は、旧態依然としていて、税金が最も効果的に活用されているとは言えません。

 

自治体の調達は、既存の製品やサービスを前提に細かな仕様が決められており今あるものよりももっと優れた新しいアイディアは排除され、優れた能力を持つ小規模業者を排除する仕組みになっていることに気づいたサシャは、課題解決を対象にした調達というアイディアを生み出しました。細かい仕様に基づく調達ではなく、提示した課題に対する解決策を調達する仕組みです。信号機を調達するのはなく、「道路を人々が安心して歩ける方法」を募集し、その中からベストな製品・サービスを調達するというイメージです。

 

すでに、シティマートは、ニューヨーク(米)、フィラデルフィア(米)、バルセロナ(スペイン)、ストックホルム(デンマーク)、ケープタン(南ア)、ラゴス(ナイジェリア)、シカゴ(米)、メキシコシティ(メキシコ)、ノーフォーク(英国)など100以上の市町村が活用し、26,000の解決策が生み出されています。現在、シティマートのサービスは全てインターネット上で提供されており、日本の自治体も、参画することが可能です。

 

シティマートを活用した成功事例の一つに、フィラデルフィアで使われた市民の交通行動データ分析があります。フィラデルイアは数十年間、交通事故の死亡率を下げるために、都市のインフラに、数千万ドルの資金を投下してきました。しかし、交通事故がなぜ起こるのかという、人々の交通行動に関するデータ収集を行なっていなかったのです。フィラデルフィアから依頼を受けたシティマートは、数日間で、交通事故の原因分析に必要なデータを入手することができました。そのコストは、わずか3,200ドルです。データ分析の結果は、その後の交通事故対策の投資決定の基準となりました。世界中で、このような事例がたくさん生まれています。

 

シティマートのシステミック・チェンジ

「社会起業家は魚を与えたり、魚の釣り方を教えるだけでは満足しない。

漁業全体に革命を起こすまで、手を休めることはない」とビル・ドレイトン氏は言います。

 

社会問題を取り巻くシステムを根本的に変えることが成功の定義です。システムは、「構成する要素」、」「要素の相互関係」、「目的」の3つで構成されます。例えば、フットボールをシステムとして考えると、構成する要素は、選手、コーチ、フィールド、ボールです。相互関係は、ゲームのルールであり、目的は試合に勝つことです。システムの要素を変えることは最もシステムに及ぼす影響が小さいです。しかし、システムの相互関係を変えると、システムに大きな影響を及ぼします。例えば、フットボールのルールを変えれば、バスケットボールの試合にすることも可能です。システムの目的を変えると、システムに深い影響を及ぼします。

 

サシャは、調達というシステムの目的を、課題に対する解決策の調達に再定義し、自治体が、幅広い解決策を世界中から集め、選択することを可能にしました。国境を越えて、同じ課題を持つ自治体が繋がり、相互に学び合う環境も作り出しました。

 

どのようにサシャがこのアイディアに到達したのか、お話を伺うのが今から楽しみです。

教育という社会の宝物

文部科学教育通信 2018.06.25掲載

幸せな人生を生きるために教育が果たす役割はとても大きいと感じます。誰でも学ぶチャンスを得ることができる学校があり、どこに住んでいても、子どもたちの指導に当たる優秀な先生たちがいることは、本当にありがたいことです。それでも、多くの人々が、日本の教育に危機感を覚えるのはなぜなのでしょうか。

教育の使命が、幸せな人生のための準備であるとすれば、今日の教育が人生の準備の役割を果たしていないのではないかとう疑問が残るからです。しかし、それは、学校や先生、行政の責任ではなく、社会の責任であると感じます。

ダブルスクールを認める

日本の教育は、学校と塾に通うダブルスクールを前提に発展してきました。塾の補完があって初めて学力が習得できる教育をいつのまにか当たり前と考えるようになりました。子どもたちの多くは勉強は塾、友達や部活は学校と、塾と学校の使い分けをしています。その中で、塾に通う子どもたちは、自分の学習にとって意義のない授業に、意思を持たずに座り続ける習慣を身に付けていきます。教室の中には、塾に通っていない子どもたちや、先生の授業が難しいと感じている子どもたちもいます。先生は、塾に通っていない子どもたちや、学力が遅れる可能性のある子どもたちの学習に集中する方が、個人にとっても社会にとっても有益ではないかと思います。しかし、一斉授業を前提とする画一的な教育を手放せない学校教育は、平等という建前の元、授業を行います。

21世紀の問題解決思考ではない

今日の学校は、子どもたちに未来を生きる力として複雑な問題を解決する力を育む使命を持ちます。しかし、ダブルスクールを放置する世界観や、多様な子どもたちの発達を同時に実現する教育をあきらめてしまう問題解決思考の中で育つ子どもたちが、21世紀の問題解決思考を磨くことは困難なのではないかと思います。同時に、21世紀の教育は、生徒とともに創るという発想の転換が鍵を握るのではないかと思います。大人は、正直に課題に直面していることを子どもたちに伝え、時代の求める教育を子どもたちと一緒に作り上げていく覚悟が必要ではないかと思います。

総合的な学習

時代の変化に対応し、世界中の教育改革が始まったのは2000年初頭です。同時期、日本でも総合的な学習が導入されました。OECDが21世紀の教育方針を発表する2年前に、すでに、日本は21世紀型教育を始めていました。しかし、残念ながら、総合的な学習は、学力低下につながるという批判を受け、2011年に、大幅に縮小されます。本当に残念なことです。総合的な学習が継続していたら、教育を大きく発展させる可能性がありました。いまさら、アクティブラーニング等という言葉を用いる必要もなったのです。しかし、当時、誰も21世紀型教育の意味を理解しておらず、教育に「学力」のみを求めていたために、教育批判に耐えることができず、総合的な学習の導入は失敗という認識になりました。

塾は大繁盛

総合的な学習がスタートした頃、私は小学生の子どもを持つ母親でした。子どもの教育は親の責任と感じている親たちは、学校に教育を期待できないと考え、その結果、塾は大繁盛。低学年から塾に通う子どもたちも増えたのではないかと思います。私たち親の頭の中には、「学力」しかなかったのです。その後、教育の世界に身を置くようになり、非認知能力や複雑な問題を解決する力を伸ばすことが、豊かな人生につながることや、個人の幸せだけでなく社会の幸せに一人ひとりが貢献する生き方を奨励することも教育の責任であることを知りました。総合的な学習の価値は、学力とは異なる力を育むことにあったのです。

教育現場の変革

総合的な学習の時間が大幅に削減される時期、私は、日本教育大学院大学で教員養成に取り組んでおり、多くの現場の先生方との交流がありました。そんな中で、先生方から、新しい教育が根付くのには10年はかかるという話を聞きました。総合的な学習も紆余曲折を経て、やっと教育現場に根付いてきた所で、大幅な縮小となり、先生方がとても残念がっていらしたのが印象的でした。もし、総合的な学習を継続していたら、プロジェクトベースの学習に発展させることもできたでしょう。2020年からスタートするアクティブラーニングでは、総合的な学習の導入、そして縮小という歴史を繰り返さないように、教育現場を支援する社会でありたいです。

教育批判には価値がない

オランダでは、親が200人集まれば学校を設立できる仕組みになっています。一方で、監督庁が学校を評価し、子どもたちの発達に貢献できない場合には、学校を継続することができない仕組みになっています。このため、学校は、常に、一定の質を担保する使命を持ちます。親は、様々な理念と教育方法を持つ学校の中から、子どもに最も適した学校を選びます。学校は、文科省の示す指針には従いますが、理念、教育内容、教育方法を自由に選択できます。簡単に言えば、日本とほぼ真逆の教育システムです。教育の選択は、自己責任ですが、オランダの親は、日本の親のように不安を抱えている様子はありません。既存の教育に不満を持つ親は、学校を立ち上げる権利をもっているのですから、教育批判を行う必要もありません。日本の教育行政は、社会の教育批判に強い影響を受けます。教育批判を助長するのではなく、教育に本当に必要なことが何かについて理解を深めていく社会を実現できるとよいと思います。

時代が求める教育

日本では退化した21世紀型教育ですが、世界では着実に進展しています。OECDが21世紀の教育方針を打ち出した2002年には、アメリカでも、パートナーシップフォー21世紀スキルという団体が立ち上がりました。時代の変化に併せて教育が変わるという考えは世界中に広まり、次々と新たな教育の可能性が生まれています。「学力」も大切ですが、「学力」がすべてではないという事実を日本も受け入れ、教育を進化させていくことが必要です。それが、これまでの教育を支えてこられた人たちの心情に反していたとしても、教育の使命が、こどもたちの幸せのためにある社会の宝物であるとするならば、教育を変える勇気と信念が必要です。

学習 秘められた宝物

欧州共同体委員長のジャック・ドロール氏を委員長として発足したユネスコの21世紀教育国際委員会は、21世紀の教育および学習に関する報告書「学習:秘められた宝」を1996年に発表しています。生涯学習や人類の発展につながる教  育のあり方等幅広い観点から検討し、教育方針となる4つの学習指針を打ち出しています。

  • 知ることを学ぶ(learning to know)
  • 為すことを学ぶ(learning to do)
  • 共に生きることを学ぶ(learning to live together)
  • 人間として生きることを学ぶ(learning to be)

OECDの提唱する教育方針が力強いのは、教育、学習、人間の本質に対する深い理解が根底にあるからではないかと思います。

教育改革への期待

もし、日本でも、このような対話を経て総合的な学習という授業スタイルが生まれていたら、総合的な学習の時間を守り抜くことができたでしょう。これから始まる教育改革で同じことが繰り返されないように、社会の宝物である教育をみんなで守り育てる必要があります。教育ビジョンに確信を持つ社会の形成が、教育現場を支え、子どもたちを幸せにすることを、すべての大人が認識する必要があります。

 

仲介のレッスンで磨く主体性

文部科学教育通信 2018.06.11掲載

ピースフルスクールプログラムでは、シチズンシップを3分類に分けて考えています。その上で、子どもたちが、社会的正義を守る市民に成長してくれることを願い、プログラムを開発をしています。オランダ生まれたプログラムですが、日本でも、この教育観を大切にしています。

 

シチズンシップ教育の三分類

個人的な責任を持つ市民

法を遵守し、共同体に対しての責任を持っている。

より良い目標に向かって生きており、緊急事態には進んで助け合うことができる。

大半のシチズンシップ教育プログラムは、このタイプの市民の育成を目指す。

しかし、個人の責任だけであれば、独裁体制でも求められる。

 

参加的市民

共同体の活動に対して、積極的に参加し、物事を変革し、改良することができる。

また、政府の制度がどのように機能するかを知っている。

しかし、参加的市民の段階では、システムそのものに対して批判的に考え、アイディアを生み出すことはできない。

社会的正義を守る市民

社会的、政治的、経済的な構造に対して、クリティカル(批判的)に判断し、より良い社会にするために、新たなアイディアを生み出すことができる。また、そのアイディアを実行に移すことができる。

正義を守る市民を育てる教育観

子どもたちが、自分の生きる社会である学校で、社会的正義を守る市民になることを目指します。

この教育理念に共感していただき、佐賀県武雄市にある武内小学校でピースフルスクールをスタートしたのは、今から、5年前のことです。5年目になる今年、初めて5、6年生に喧嘩の仲介の仕方を学ぶ授業を行いました。すでに、上級生たちは、1、2年生の喧嘩の仲直りを助けてくれているのですが、ピースフルスクールの求める仲介の仕方は、いつもの要領とは、少し違います。

喧嘩をしているお友達を助ける時には、助けに入る許可をもらうことから始めます。子どもたちが、自らの意思で喧嘩の問題を解決することが大切だからです。仲介者は、あくまでも支援の役割を担います。仲直りをするのは、喧嘩をしている当事者同士です。このため、仲介する許可を得た上で仲介をスタートさせることが必要になります。「あなたに、その意思はありますか」それを確認しないまま、仲介者の意思だけで進めることはできないのです。とても小さいことのように感じるかもしれませんが、常に、そこに意思があることを確認することが、主体性を守り、育てるために大切なことであることを、ピースフルスクールプログラムは教えてくれます。

冷静に話し合う

忘れてはいけないことは、怒りの温度計を下げること。すでに、怒りの温度計については学んでいるので、怒ると温度計が上がることを、武内小学校の子どもたちは知っています。怒りにもレベルがあります。レベル1は、不満やイライラ。レベル2は、カチンとくる、怒る。レベル3は、激しく怒る、怒り狂う。こんな風に、怒りの温度計は上昇するから、今の自分が温度計のどこに位置しているのかを知ることが大切。そして、怒りの温度計が上がったら下げるために、深呼吸したり、10数えたりと、色々な工夫ができることを学んでいます。感情のコントロールができない時は、話さないというルールもすでに共有されています。仲介でも、同様に心を落ち着けることを求めます。そして、いよいよ仲介が始まります。

出来事と気持ちを振り返る

次に、仲介者が行うことは、それぞれの言い分と気持ちを尋ねることです。喧嘩を振り返り、何が起きたのかについて共通の認識を持つことが目標です。そのために、一人ひとりに、何が起きたのか、どんな気持ちなのかを尋ねます。出来事と自分自身の気持ちの両面から振り返りを行うことが、仲介者の支援によりスムーズに進みます。夫々の意見が出揃ったら、仲介者が何が起きたのかを要約します。事実関係について、お互いの認識が一致することが大事です。

仲直りの方法も自分たちで考える

事実に対するお互いの認識が一致したら、次は、仲直りの方法を模索します。この際にも、仲介者がアイディアを出すことはありません。あくまでも、当事者に考えてもらいます。

仲直りのアイディアを夫々から聞き出し、当事者の出したアイディアを要約するのが、仲介者の役割です。最後に、両者の合意を確認した後は、実際に仲直りをしてもらいます。仲直りができたら、最後に、褒めることも大切なことです。こうして、仲介が完了します。

自分の問題は自分で解決できる

仲介のステップは、自立と共生を学ぶ教育観を反映しています。自分の問題は自分で解決できる人になるための練習でもあります。喧嘩の仲直りだけが目的ではなく、自分で、喧嘩の仲直りができる人に育つことを目的にしたステップです。

授業の最後に、仲介について何を学びましたかと尋ねた際に、ある男の子が、「勇気を作る」と言ってくれました。喧嘩をしても、話し合えば解決できること。介入することで、仲直りを助けることができること。この経験が、次の勇気に繋がるというのです。本当に嬉しいメッセージでした。たくさんの経験を積んで、勇気を作って欲しいと思いました。

学年を超えて約束事をもつ

1、2年生に対して、仲介が実践できるのは、学校全体が、幾つもの約束事をすでに共有しているからです。意見が違うのは当たり前なので、対立は悪いことではないこと。対立をけんかにしてしまうことが悪いことで、話し合いで解決をすることが大事ということ。喧嘩は赤い帽子、話し合いは黄色い帽子と、みんなが覚えていてくれるので、仲介者も、喧嘩をしている当事者に、黄色い帽子をイメージしてもらいやすいです。

青い帽子

子ども達は、もう一つ青い帽子も学んでいます。自分の意見を言わないで、我慢することです。喧嘩ではないのですが、実は、青い帽子も良くないことであることを学びます。赤い帽子も、青い帽子も、見え方は違いますが、Win-Loseであることには、違いがありません。我慢を続けていると、問題は表面には現れませんが、本人は、楽しくありません。人と人が、お互いに思いやりを持つ社会ではなくなってしまいます。ちゃんと自分の考えを述べて、対立があったら、話し合う。これが基本です。また、子どもたちは、感情リテラシーを高めるレッスンもたくさん行います。自分の気持ちを言葉にすることができ、同じ状況でも人の気持ちが違うことを理解できると、他者の気持ちに共感することが自然にできるようになります。

オランダの子どもたち

オランダの小学5年生の仲介者のお話を聞いた時の感動は、今でも忘れることができません。オランダでは、小学5、6年生が、小学校(日本の幼稚園と小学校に当たる)全体の喧嘩の仲介を、当番で毎日行います。当番の一人が、「私たちは、どちらの肩を持ってもいけないのです。私たちは、問題を解決するわけではありません。あくまでも、当事者同士が仲直りをする際の支援を行うのです」と私に仲介の役割を説明してくれました。自立と共生の力を育み、正義を守る市民を育てる教育が、日本でも当たり前になる日が待ち遠しいです。

 

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