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幸せな人生を支える人一生の育ちプロジェクト

2018.09.24 文部科学教育通信掲載

10月5日教師の日に、未来教育会議 人一生の育ちプロジェクトの発表会を行います。なぜ、人一生の育ちについて考えたのか。その背景をご紹介します。

 

人は学びの塊

人は、学ぶ意欲の塊として生まれる。そう教えてくれたのは、ハーバード教育大学院の先生でした。赤ちゃんは、学びについての知識を教わる前に、自ら学び始める。よちよち歩きから、はいはい、そして、立って歩くという赤ちゃんの成長、その一つひとつに親は感動を覚えます。ミルクしか飲めなかった赤ちゃんが、自分の手で食べ物を口に入れることができるようになり、いつの間にか、口の周りを汚しながらも、スプーンやフォークで食事が取れるようになる。こんな風に、子どもは、自らの意思で学び、成長を遂げます。もし、目の前にいる子どもや人に学ぶ意欲がないとしたら、それは本人の問題ではなく、環境の問題。そう教えてくれたのも、その先生でした。

 

学ぶ意欲を眠らせてしまう理由が、環境にあるという気づきは、とても貴重なものでした。同時に、私たち大人は、自らが作り出している環境に無自覚すぎるという課題も見えてきました。自分の子育てを考えても、色々と反省をする点があります。

 

人一生の育ちについて深く考えたいと思うようになった経験をいくつかご紹介して見たいと思います。

 

15分勉強できれば十分?

2010年から、子どもの貧困と教育格差の是正に取り組んでいます。最初に実施した寺子屋での経験を今でも忘れることができません。ケースワーカーさんの紹介で集まった子どもたちに、優秀な大学生が学習支援を行う寺子屋での体験です。学習を始める前に、ケースワーカーさんから、「この子たちは、15分座っていられれば、それで十分ですから」と言われました。子どもたちが、期待に応えないと学生さんがかわいそうと思ったのかもしれません。しかし、ケースワーカーさんが、子どもたちが、勉強し成績を上げていくという期待を全く持っていないということもわかりました。ところが、子どもたちの可能性を信じ、真剣に向き合う学生たちと出会い、子どもたちは、初回から、3時間集中して勉強に取り組みました。中学生で割り算もできない子どもたちに、学生も、3時間粘り強く指導しました。おそらく、落ちこぼれた子どもたちにとって、この寺子屋が、人生で初めて、自分の可能性を信じてくれる大人との出会いだったのではないかと思います。

 

中学生で割り算や九九ができない子どもたちの多くは、幼児期から発達が遅れ、最初は生活習慣の問題を抱え、小学校4年生になると学力の課題を抱えます。学校に通っていても、授業についていけず、自分はバカなのだと、自分を諦めてしまうというのが一般的です。そんな子どもたちの面倒を見てくれるケースワーカーさんも、この子たちに勉強は期待できないというものの見方が一般的なのでしょう。そんな環境に育った子どもたちは、中学校でも落ちこぼれ、そして、10代の半ばで、自分の将来を諦めることになります。しかし、最初の寺子屋で見た子どもたちは、「本当は勉強ができるようになりたい」という気持ちを内に秘めていたのです。そして、これまで、その気持ちを誰にも出せなかったのだと思います。だから、自分を諦めることになってしまう。

 

2010年にスタートした寺子屋は、ラーニングフォーオールというNPO活動に発展し、今でも、たくさんの子どもたちの学力向上に尽力しています。目の前の子どもたちの学力がどれほど低くても、必ず、成績を上ることができると信じ、遅れのある子どもたちの学力向上のためのナレッジを蓄積し、徹底した教師教育を行い、成果を出し続けています。

 

落ちこぼれという言葉を作り、平気で子どもたちを学校に通わせる私たちの社会には、人の一生の育ちにとって最適な環境ではないです。10代で自分の人生を諦める子どもたちがゼロになる社会を実現して行きたいです。

 

人一生の育ちを大切にする社会は、誰もが、自分の可能性を信じ、尽力できる社会であると思います。

 

いじめの問題

自分で自分の問題を解決する力を育てるオランダのシチズンシップ教育ピースフルスクールを日本の幼稚園や保育園に紹介する活動を行っています。その活動を通して、なぜ、日本の子どもたちがいじめで苦しむのか、その理由の一つがわかりました。

 

日本の保育士さんたちは、とても面倒見が良く、子どもを大切に育ててくださいます。ある日、その様子を見学していると、保育士さんが、子どもたちの代わりに問題解決をしていることに気づきました。「美香ちゃんが痛いと言っているよ」「謝ろうね」と仲直りをガイドしています。一方、ピースフルスクールの子どもたちは、自分で自分の問題を解決する力を磨きます。嫌なときは嫌という。嫌だと言われたら、楽しくてもやめる。幼児の時から、この行動様式を身に付けます。この小さい習慣が、いじめから自分を守る力になります。

 

いじめの大きな課題は、先生が介入しても、問題を解決することができず、むしろ、問題を悪化させてしまうことです。小学校の低学年までは、保育士さん同様、先生が、いじめに介入し問題解決を行うことができますが、小学校4年生になると、先生が介入できなくなります。中学校も同様です。だとすれば、自ら、自分を守れる人、他者がいじめれていたら、その問題を解決するために行動する人を育てておくことが重要だと思います。保育士さんにこのお話をしたところ、中学生になった子どもたちのことなど想像したこともなかったと言われました。

 

子どもや人の育ちに関わる全ての人たちは、人が一生の育ちにもっと意識を向ける必要があるのではないか。保育士さんとの対話からそう考えるようになりました。

 

未来の教室とEduTech研究会

経産省で行われている未来の教室とEduTech研究会に参加をし、チェンジ・メーカーを育てる教育を促進する活動に従事しています。

 

チェンジ・メーカーに不可欠なことは、自らの意思で問題解決に臨むことです。自分にとって大切な課題を見つけて、その解決策のために行動するチェンジ・メーカーに不可欠なのが、自己肯定感や自己効力感です。チェンジ・メーカーを育てるためには、幼児期から、行動の主体である主体性の感覚を育むことが大切というのもこのためです。自分の意思で行動し、自己を形成する経験を持たないまま、先生の期待に応える中で育った人に、「あなたが解決したい課題はなんですか」と着ても、返事は返ってきません。

 

課題を解決するためには、多様なステイクホルダーを巻き込む必要もあります。このため、チェンジ・メーカーには、コミュニケーション力や、協働力などの非認知能力が求められます。2002年にOECDが発表した教育方針は、チェンジ・メーカーを育てる教育へのシフトを狙いとしており、学力などの認知能力に加えて、非認知能力の開発に義務教育が力を入れていくことを強く奨励しています。

 

人が、複雑な問題を解決することが期待されるのは、成人になってからかもしれませんが、その基礎固めは、幼児期から始まっているということを誰もが認識する必要があります。学力をどれだけ身につけていても、非認知能力が欠如していると、チェンジ・メーカーにはなれないことも、知っておく必要があります。勉強を頑張ってたくさんの知識を蓄えた人が、それを課題解決に生かすことができないとしたら、とても残念なことです。

 

幸せな人生を支える人一生の育ちを、みんなが支援し合える社会が実現することを願っています。

 

 

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