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教育という社会の宝物

文部科学教育通信 2018.06.25掲載

幸せな人生を生きるために教育が果たす役割はとても大きいと感じます。誰でも学ぶチャンスを得ることができる学校があり、どこに住んでいても、子どもたちの指導に当たる優秀な先生たちがいることは、本当にありがたいことです。それでも、多くの人々が、日本の教育に危機感を覚えるのはなぜなのでしょうか。

教育の使命が、幸せな人生のための準備であるとすれば、今日の教育が人生の準備の役割を果たしていないのではないかとう疑問が残るからです。しかし、それは、学校や先生、行政の責任ではなく、社会の責任であると感じます。

ダブルスクールを認める

日本の教育は、学校と塾に通うダブルスクールを前提に発展してきました。塾の補完があって初めて学力が習得できる教育をいつのまにか当たり前と考えるようになりました。子どもたちの多くは勉強は塾、友達や部活は学校と、塾と学校の使い分けをしています。その中で、塾に通う子どもたちは、自分の学習にとって意義のない授業に、意思を持たずに座り続ける習慣を身に付けていきます。教室の中には、塾に通っていない子どもたちや、先生の授業が難しいと感じている子どもたちもいます。先生は、塾に通っていない子どもたちや、学力が遅れる可能性のある子どもたちの学習に集中する方が、個人にとっても社会にとっても有益ではないかと思います。しかし、一斉授業を前提とする画一的な教育を手放せない学校教育は、平等という建前の元、授業を行います。

21世紀の問題解決思考ではない

今日の学校は、子どもたちに未来を生きる力として複雑な問題を解決する力を育む使命を持ちます。しかし、ダブルスクールを放置する世界観や、多様な子どもたちの発達を同時に実現する教育をあきらめてしまう問題解決思考の中で育つ子どもたちが、21世紀の問題解決思考を磨くことは困難なのではないかと思います。同時に、21世紀の教育は、生徒とともに創るという発想の転換が鍵を握るのではないかと思います。大人は、正直に課題に直面していることを子どもたちに伝え、時代の求める教育を子どもたちと一緒に作り上げていく覚悟が必要ではないかと思います。

総合的な学習

時代の変化に対応し、世界中の教育改革が始まったのは2000年初頭です。同時期、日本でも総合的な学習が導入されました。OECDが21世紀の教育方針を発表する2年前に、すでに、日本は21世紀型教育を始めていました。しかし、残念ながら、総合的な学習は、学力低下につながるという批判を受け、2011年に、大幅に縮小されます。本当に残念なことです。総合的な学習が継続していたら、教育を大きく発展させる可能性がありました。いまさら、アクティブラーニング等という言葉を用いる必要もなったのです。しかし、当時、誰も21世紀型教育の意味を理解しておらず、教育に「学力」のみを求めていたために、教育批判に耐えることができず、総合的な学習の導入は失敗という認識になりました。

塾は大繁盛

総合的な学習がスタートした頃、私は小学生の子どもを持つ母親でした。子どもの教育は親の責任と感じている親たちは、学校に教育を期待できないと考え、その結果、塾は大繁盛。低学年から塾に通う子どもたちも増えたのではないかと思います。私たち親の頭の中には、「学力」しかなかったのです。その後、教育の世界に身を置くようになり、非認知能力や複雑な問題を解決する力を伸ばすことが、豊かな人生につながることや、個人の幸せだけでなく社会の幸せに一人ひとりが貢献する生き方を奨励することも教育の責任であることを知りました。総合的な学習の価値は、学力とは異なる力を育むことにあったのです。

教育現場の変革

総合的な学習の時間が大幅に削減される時期、私は、日本教育大学院大学で教員養成に取り組んでおり、多くの現場の先生方との交流がありました。そんな中で、先生方から、新しい教育が根付くのには10年はかかるという話を聞きました。総合的な学習も紆余曲折を経て、やっと教育現場に根付いてきた所で、大幅な縮小となり、先生方がとても残念がっていらしたのが印象的でした。もし、総合的な学習を継続していたら、プロジェクトベースの学習に発展させることもできたでしょう。2020年からスタートするアクティブラーニングでは、総合的な学習の導入、そして縮小という歴史を繰り返さないように、教育現場を支援する社会でありたいです。

教育批判には価値がない

オランダでは、親が200人集まれば学校を設立できる仕組みになっています。一方で、監督庁が学校を評価し、子どもたちの発達に貢献できない場合には、学校を継続することができない仕組みになっています。このため、学校は、常に、一定の質を担保する使命を持ちます。親は、様々な理念と教育方法を持つ学校の中から、子どもに最も適した学校を選びます。学校は、文科省の示す指針には従いますが、理念、教育内容、教育方法を自由に選択できます。簡単に言えば、日本とほぼ真逆の教育システムです。教育の選択は、自己責任ですが、オランダの親は、日本の親のように不安を抱えている様子はありません。既存の教育に不満を持つ親は、学校を立ち上げる権利をもっているのですから、教育批判を行う必要もありません。日本の教育行政は、社会の教育批判に強い影響を受けます。教育批判を助長するのではなく、教育に本当に必要なことが何かについて理解を深めていく社会を実現できるとよいと思います。

時代が求める教育

日本では退化した21世紀型教育ですが、世界では着実に進展しています。OECDが21世紀の教育方針を打ち出した2002年には、アメリカでも、パートナーシップフォー21世紀スキルという団体が立ち上がりました。時代の変化に併せて教育が変わるという考えは世界中に広まり、次々と新たな教育の可能性が生まれています。「学力」も大切ですが、「学力」がすべてではないという事実を日本も受け入れ、教育を進化させていくことが必要です。それが、これまでの教育を支えてこられた人たちの心情に反していたとしても、教育の使命が、こどもたちの幸せのためにある社会の宝物であるとするならば、教育を変える勇気と信念が必要です。

学習 秘められた宝物

欧州共同体委員長のジャック・ドロール氏を委員長として発足したユネスコの21世紀教育国際委員会は、21世紀の教育および学習に関する報告書「学習:秘められた宝」を1996年に発表しています。生涯学習や人類の発展につながる教  育のあり方等幅広い観点から検討し、教育方針となる4つの学習指針を打ち出しています。

  • 知ることを学ぶ(learning to know)
  • 為すことを学ぶ(learning to do)
  • 共に生きることを学ぶ(learning to live together)
  • 人間として生きることを学ぶ(learning to be)

OECDの提唱する教育方針が力強いのは、教育、学習、人間の本質に対する深い理解が根底にあるからではないかと思います。

教育改革への期待

もし、日本でも、このような対話を経て総合的な学習という授業スタイルが生まれていたら、総合的な学習の時間を守り抜くことができたでしょう。これから始まる教育改革で同じことが繰り返されないように、社会の宝物である教育をみんなで守り育てる必要があります。教育ビジョンに確信を持つ社会の形成が、教育現場を支え、子どもたちを幸せにすることを、すべての大人が認識する必要があります。

 

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