skip to Main Content

スタンフォード大学から生まれたオンライン授業「コーセラ」

文部科学教育通信 No.311 2013-3-11に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る23をご紹介します。

スタンフォード大学から生まれたオンライン授業「コーセラ」が話題を呼んでいます。一流大学の講義を世界中どこからでも無料で受けられるという信じられない時代が到来しました。

米国スタンフォード大学のアンドリュー・ング、ダフニー・コラー両教授が立ち上げたこのオンライン授業には、同大学をはじめ、ミシガン大学、プリンストン大学、ペンシルバニア大学など米国の一流大学33校が参加しています。登録者数は250万人以上に上り、新たに東大を含む(2013年秋参加予定)29大学が参加を表明しています。

「コーセラ」の最大の特徴は、正規の学生が受けている大学の講義と同じ内容をオンラインにて無料で受講できる点です。講義は1週間単位で構成され、受講生は毎週、講義のポイントをまとめた動画と読み物で自主学習し、課題レポートを提出する、という流れになっています。

現在、開講されているのは、生物学、コンピューター、経済・財政学、音楽・映像学、医学や栄養学などの20領域、222講座にわたります。講座の例をあげると、「役に立つ遺伝子学」「グローバル課題解決のためのクリティカル・シンキング」「どうして心理学が必要か?」「世界の音楽を聴く」「肥満の経済学」など大人でももう一度勉強したいと思わせるような魅力的なテーマもたくさんあります。

 

このオンライン授業を始めるきっかけになったのが、スタンフォード大学の3つの人気授業です。一般公開したところ、それぞれ10万人以上が登録したそうです。例えば アンドリュー・ング准教授の人気授業「機械学習」は毎年400人以上が受講する授業ですが、同じことをスタンフォードの教室で教えようとすると250年教え続けなければなりません。そこで、クオリティの高い授業を可能な限り多くの人に届けることを可能にするために考えられたのが、オンライン学習「コーセラ」の始まりです。

190万人の学生が学ぶ「コーセラ」ですが、素晴らしいのは受講生の数ではなく、そこで学ぶ学生たちだと、コラー教授は言います。コラー教授のスピーチでは、「コーセラ」で学ぶ3人の事例があげられました。インドの村に住むアカシュは、スタンフォードの様なクオリティの授業に接する機会もお金もありません。二人の子どもを持つシングルマザーのジェニーは能力を磨き、大学に戻りたいと考えています。ライアンは、免疫不全の娘がいて家に雑菌を持ち込むリスクを回避するため、外出できません。最近ライアンから連絡があり、お嬢さんの病状がずっとよくなり、「コーセラ」で受けた授業をもとに仕事を得ることができるようになったそうです。

 

「コーセラ」は、受講生が自分のペースで無理なく学習が継続できるよう、講義用コンテンツにも工夫がこらされています。コンテンツを最初からオンライン向けにデザインすることで、1時間単位の授業をばらして、1つのコンセプトが8分~12分で分割して説明されています。学生はそれぞれの背景知識に応じて違う順序で教材を見ていくことができます。この方式を取ることで、全員に一律同じものを押し付ける従来のモデルをこわし、個人に合ったカリキュラムを組めるようになりました。また、学習内容を本当に理解したかどうかを確かめるために、学生に数分ごとに質問が投げかけられ、質問に答えられないと次に進めない仕組みになっています。

学習のためには、学生が出した答えが正しいか間違っているかを伝えるフィードバックが重要ですが、テクノロジーの進歩によって、様々なタイプの宿題の採点が可能です。選択肢式の問題だけではなく、数式や微分の問題、経営の授業での金融モデルや科学や工学の授業での物理モデル、複雑なプログラミング問題も採点できます。

人文、社会科学、経営学などの批判的思考力を見るような課題には、テクノロジーによる採点が適さないことから、学生同士の相互採点システムが採用されています。過去の経験から、学生による相互採点は教師による採点と非常に高い相関関係を示す効果的な採点方法だということがわかりました。この相互採点システムは学生に採点の体験から学ぶ機会を与える効果的な戦略です。

ネットワークを通じて、受講生同士が積極的にコミュニケーションをとれることが「コーセラ」の魅力の一つです。オンラインコミュニティでの学生同士の交流は実際の教室でのつながりよりも広くて深いものになっています。実際に毎週集まる地域限定での学習グループから他の文化圏の人との交流を望むユニバーサルな多文化の学習グループまでコミュニティは様々です。Q&Aフォーラムを通じて、わからないことや意見を求めれば、同じ授業を受講している他の学生から答えが返ってきます。世界中の学生の誰かが受講しているはずなので、およそ22分程度で返答が返ってくるのだそうです。

 

興味深いのは、このオンライン学習システムから、教師側が、人間の学習に関する様々なデータを得ていることです。何万と言う学生によるあらゆるクリック、宿題の提出、投稿データは、人間の学習に関する良い研究材料です。これらのデータを使って「効果的な優れた学習戦略とそうでないものは何か」という質問に対する根本的な答えを見つけることができます。これは生物学に革命をもたらしたのと同じ変化です。

例えば、アンドリュー・ング准教授の「機械学習」のオンライン講義では、ある課題に対し2000人の学生が同じ間違いをしたことから、この間違いを分析し原因を突き止めることにしました。現在では、この間違いに対して専用のフィードバックが用意され、学生を正解に導くことが可能となっています。これは、100人教室の授業で2人が間違ったのでは、見逃されていた問題かもしれません。

 

学習効果という点では、集団講義よりも個別学習が最も効果的です。学生全員に教師を割り当てることは不可能ですが、コンピューターやスマートフォンを提供することはできます。コンピューターは同じビデオを5回繰り返すことも同じ問題を繰り返し採点するのも厭いません。オンライン学習では、実際、習得度ベースの学習が実現され、個別学習と呼んでもいいほど効果の高い学習になっています。どこまで学習効果を高めることができるかが今後の挑戦となります。

コラー教授はまとめとして最高の教育を世界中の人に無償で提供できた時に起こることを、3つ述べています。

①   教育が基本的人権として確立されます・・・やる気と能力を持った世界中の誰もが自分や家族やコミュニティにより良い生活をもたらすために、必要なスキルを手にできる権利です。

②  生涯学習が可能になります・・・多くの人が高校や大学を卒業した時に学びをやめてしまうのは残念なことです。素晴らしい学習コンテンツが提供されることで、望む時にはいつでも新しいことを学び、視野を広げ、生活を変えることができます。

③  新たなイノベーションの波が生まれます・・・才能を持った人がどこにいるかわかりません。明日のアインシュタインや明日のスティーブ・ジョブズはアフリカの僻地の村にいるかもしれません。その人たちに教育を提供できたなら、彼らは次の大いなるアイデアを生み出し、全ての人のため、世界をより良い場所に変えてくれることでしょう。

 

5月には、米ハーバード大学とMITが協力してオンライン教育プログラムを拡充し、共同事業[edeX]を立ち上げる予定です。一流大学によるオンライン授業への進出はもはや一時的な流れではなくなっています。

*コーセラに興味をお持ちの方は動画 TED Talks ダフニー・コラー 「オンライン教育が教えてくれること」をご覧ください。

心の教育と学校

文部科学教育通信 No.310 2013-2-25に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る22をご紹介します。

心の教育の重要性は誰もが認識しています。いじめのない学校や、道徳心を育む学校創りを目指さない学校はありません。一方で、いじめは深刻化する一方であり、道徳心は希薄になる傾向にあることを、危惧する声は絶えません。そこで、心の教育とは何かについて、少し違う視点から捉えてみたいと思います。

 

感情による思考の支配

ハーバード教育大学院で行われている教育の未来についての勉強会で学んだ脳科学と教育の融合は、心の教育における大きなヒントになります。米国では、脳科学者と心理学者と学校の先生が協力して「子どもにとって効果的な学習とは何か?」ということを模索し続けており、ハーバード教育大学院にもMBE(Mind, Brain & Education)という新たな領域が登場しました。研究の結果明らかになった事は、感情が私達の思考や判断を支配しているという事実です。

私たちは、生活をする上で様々な決定を下しますが、その際に指針となるのが過去の経験です。自分のとった行動の結果を、その時に味わった感情から「知恵」と「愚行」に区分して知識として脳の中に蓄え、次に決定を下す際の指針にします。また、行動の結果を予測した時に起きる感情も決定を下す際の指針となります。脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者が合理的に判断できなくなってしまうのは、思考を支配する感情という指針を失ってしまうからです。患者は過去の経験から学ぶことができないだけではなく、新しい経験から学んでいくこともできなくなり、間違った意思決定を行いがちです。このように論理的思考から感情が切り離されてしまうと、思考したり、決定したり、学習したりする能力が欠落してしまうのです。

 

いじめにおける「知恵」と「愚行」

先日、NHKで、ハーバード大学のサンデル教授と、日本の中学生がいじめについて話し合う授業を視聴しました。そこで、明らかになったことは、誰もがいじめはよくない、と考えているということでした。一方、多くの生徒は、いじめを止める行動にでないという意思表明をしていました。その背景には、いじめを止めようとすると、自分がいじめの対象になる可能性があること。先生に「チクル」ことは望ましくない行動であることが挙げられます。このことを、脳科学の発見に照らして考えると、いじめに対処することは、「愚行」であると生徒たちが感じているということです。そして、もちろんこの認識は、生徒の過去の経験、つまり、失敗体験に基づいています。

知人の高校の先生が生徒たちに、「なぜいじめに対処しないのか」と尋ねたところ、生徒たちからは、対処した結果どうなったかという失敗体験が次々と出されたそうです。いじめを先生に伝えた時の先生や学校の対応はさまざまです。全校生徒を集めてお説教をする校長先生や、いじめている子を呼び出してお説教をする先生、学級全体にいじめをやめようと話をする先生、どの先生方も、いじめを無くそうと一生懸命です。ところが、先生が介入したことにより、その後、いじめは更に悪化し、いじめを報告した生徒もいじめに巻き込まれたり、周囲から恨まれたりするというのが一般的な顛末です。良かれと思って対処しても自分も周りも報われない、というのが、子どもたちの共通認識なのです。

いじめに対処することが「愚行」という子ども達の認識は、驚いたことに日本だけのものではないようです。1990年代に、いじめや学級崩壊が問題になったオランダでも、子どもたちのいじめに先生が介入すると、かえっていじめが悪化してしまうという現象が繰り返されました。そこで、オランダでは、教育の方向転換を図り、先生が介入する代わりに、子ども達自身でいじめに対処する方法を「ピースフルスクール」プログラムを使って教えることにしました。過去に何度かご紹介していますが、「ピースフルスクール」は、オランダで最も使用されているシチズンシップ教育プログラムです。いじめやコンフリクトの解決を発端として、学校やクラスを民主的な共同体に変えていくことを狙いとしています。

「いじめが悪い」というのは誰もが知っている事実ですが、今の学校や教室では、いじめを制止する力を誰も持っていない、という認識のもとに、新たにいじめ対策を見直す必要があるのではないかと思います。

 

生きる力は学校では「愚行」?

いじめ以外にも、学校教育における「愚行」について、もう一つ気がかりな事があります。それは、「生きる力」に関連する心の習慣についてです。生徒のために良かれと思って行っている学校教育が果たして「生きる力」の育成に役立っているでしょうか。以下に挙げたリストは、学校教育において慣習とされている事柄です。生徒の立場になってこのリストをご覧下さい。

○目的とゴールなしに授業を受ける

○正解しか発言してはいけない

→主体性にどのような影響を与えるでしょうか?

○批判的ではなく素直に、(先生や大人の)話を聞く

○先生が決めたことに、生徒は従う

→クリティカルな思考にどのような影響を与えるでしょうか?

○授業(学習)の準備は、先生が行う

○問題(問い、必要な情報、正解)を用意するのは先生である

→社会に出てからの問題解決力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

○学習の中心は、既知の事実に限定される

○正解はすでに用意されている。自分で考える必要はない

→未来を切り開く力、創造する力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

○勉強や考えることは、一人で行った方が能率的である

○異なる意見は、場を混乱させ、効率を低下させる

→みんなで考える力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

 

人間形成の場としての学校

日本で最高峰とされる大学で、ある大学生が私に言った言葉です。「高校を卒業するまで、私はとても優秀な生徒でした。先生の言う事をしっかりと聞き真面目に勉強しました。そして希望の大学に入りました。でも、今、私は先生や学校教育に裏切られた気がしています。大学に入ると突然、放任で、社会に出ると自己責任です。こうなるのなら、もっと前に準備をさせてほしかったです。」この話を聞きながら、オランダに教育視察に行った時の事を思い出しました。

2011年にオランダに教育視察に行き、小学生が3か月の学習を振り返り、「誇りに思うこと、その理由、苦労したこと、次はどこをもっと上手にやりたいか」について自然に語っている姿や、生徒が喧嘩の調停を行っている様子を見た時に、この年齢でもリフレクションや調停ができるという事実に衝撃を受けました。そして、私達大人が、子どもへの期待を低く持つことにより、子どもは、幼稚化するのだということを認識しました。同時に、オランダでは、小学生が自然に行っている多様性の尊重や対話による問題解決を、日本では、大人でもできていないことを認めざるを得ませんでした。

学校とは、リヒテルズ直子氏の言葉を借りていえば、*「個々の子どもが自分の能力を発見し、それを最大限に延ばして、将来、社会の中で自分の居場所を見出し、その場での活動を通じて、この社会の一層の発展に積極的に関われるようにするための人間形成の場」であるべきだと思います。

生徒が、生きる力を育み、大人になるための人間形成を行う学校において、子ども達の体験が、何を感情に刻み込んでいるのかを見極める必要があります。

いくつかの学校では、心の教育を見直す動きが始まっていますが、知識偏重型の心の教育では生徒の心に届く教育にならないのではないでしょうか。

 

*引用:「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」(リヒテルズ直子著、平凡社、2006年)

システムシンカーズカフェ

文部科学教育通信 No.309 2013-2-11に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る21をご紹介します。

昨年12月から、月1回のペースでシステムシンカーズカフェというワークショップを実施しています。1月22日に行われた第2回のテーマは、教育です。教育に強い関心を持つ社会人、学校関係者が20名集まり、システム思考を活用した対話を通して、教育の課題認識を深めました。

 

なぜシステムシンカーズカフェを始めたのか

システム思考を活用した対話の場をスタートさせた背景には、子ども達にシステム思考を身に付けて欲しいという強い願いがあります。このシリーズでも、システム思考については、これまで4回に亘ってご紹介させていただきましたが、システム思考は、21世紀を生きる子どもたちに必須の思考法です。

 

システム思考のメリット

システム思考で考えることのメリットは、たくさんありますが、カフェでは、代表的な3つの力をご紹介しました。

● 問題解決力
環境問題をはじめとする複雑な社会問題の解決に、システム思考は不可欠です。2008年に起きた金融危機は、グローバル化した金融システムの一部に起きた信用不安が、世界経済に連鎖を及ぼした代表的な例です。環境問題においても、経済発展が進む中国やインドにおける自動車の普及は自動車産業の成長の機会である一方、地球環境に深刻な影響を及ぼしています。

● ソーシャルチェンジやイノベーションを起こす力
社会起業家の父と言われるアショカ財団の創立者であるビル・ドレイトン氏は、チェンジメーカーを育てることを使命とし、活動をしています。彼は、社会システムを変えることを提唱しています。「魚を与えるのではなく、魚釣りを教えよ」という諺は、誰もが知っていますが、ビル・ドレイトン氏が提唱するチェンジメーカーとは、釣りを教える人ではなく、漁業システムを変える人を指します。
金融システムを変えたムハマド・ユヌス氏の事例をご紹介しましょう。バングラディッシュでマイクロクレジットと呼ばれる少額のお金を貸すグラミン銀行を始めたユヌス氏は、経済学者として貧困問題を解決したいと考えていました。調査の結果、明らかになったのは、貧困から抜け出せない人々の実態です。7ドルのお金がないために、竹細工を創る材料を買うことができず、貧困から抜け出せない多くの人々がいました。彼は銀行にお金を貸すように依頼しますが、銀行は契約書も読めない人々に、たった7ドルを貸し付けてもビジネスにならないと言い、ユヌスさんの要求を断ります。そこで、ユヌス氏は、システムを変えることを決意します。お金を貸し付ける目的は、自立の実現です。貸し付ける相手は、働く意欲のある女性たちで、契約書を交わさない代わりに、女性たちに仲間を作って相互支援を行うことを約束させ、銀行にも指導に入ってもらいます。ユヌス氏が作った新たな金融システムは、現在、世界中の貧困問題の解決に生かされています。契約書もないのに、返済率が97%という事実には、従来の銀行システムに身を置く人たちには信じられないかもしれません。このようなシステムチェンジを起こす人々が、今、世界中に増えています。これまでの延長線では解決できない問題を解決するためにシステム思考は必須です。

● リフレクション力
昨年6月に参加した「学校教育にシステム思考を導入する研究会」で紹介されたのは、小学一年生の行ったリフレクションの例です。3人の男の子たちが、僕たちはなぜケンカをするのかというテーマで、システム思考を活用しリフレクションを行っている映像を見せてもらいました。彼らは、時系列で何が起きたのかを振り返り、そこにはどのような要素があるのかを考えました。その結果、一つの自己強化ループを発見しました。悪い言葉を相手に言うと、相手は嫌な気持ちになる、嫌な気持ちになると、相手はさらに悪い言葉を返してくる、この連鎖が繰り返され、怒りが爆発すると、喧嘩になるというシステムを発見しました。次は、解決策です。どこに介入すれば、このループを断ち切ることができるのかを考えた末に、明らかになったのは、ポジティブな自己強化ループの存在です。良い言葉を相手に伝えると、相手は気持ちが良くなる、気持ちが良くなると、相手もまた、良い言葉を返してくるというシステムです。こうして、システム思考を活用しリフレクションを行うことで、自己の言動をメタ認知する習慣を身に付けることができます。

 

システム思考を活用した実際の対話の例システムシンカーズカフェ.jpg

【ステップ1】

最初にテーマ設定を行います。4~5人のグループを作り、テーマを決めてもらいます。テーマは、「なぜ○○○なのか」という表現で設定します。今回、4つのグループが設定したテーマは、以下の通りです。

1.なぜ当事者は気づいているのに、偏差値教育から脱却できないのか。

2.なぜ一斉授業形態はなくならないのか。

3.なぜ教師のモチベーションは下がってしまうのか。

4.なぜ教員の地位が低下して(し続けて)いるのか。

 

【ステップ2】

各グループは、ステップ1で決めたテーマに基づいて時系列に何が変化したのかを洗い出します。教員をテーマにしたチームでは、変化したこととして、次のような意見が出されました。報告書などの雑務の増加、通塾する子ども達の増加、教育NPOの増加、インターネットの普及による知識の希少価値の低下、教育課題が社会問題になることによる学校への圧力の増加、教育委員会による管理の強化、ゆとり教育からの揺り戻しによる授業時間数の増加、教員批判の増加、共働き家庭の増加、親の労働時間の増加、兄弟数の減少、教育格差の拡大、社会不安の増加などです。多様な人々が集まることにより、このように多数の意見が出て、広範囲にテーマを捉えることができます。(写真挿入)

 

【ステップ3】

時系列で変化する要素の中から、重要と思われるものを洗い出し、丸い円の周囲にポストイットを使い、張り付けていきます。次に、要素の中から原因と結果という関係性を見つけ、モールを使い、つなぎ合わせて行きます。

 

【ステップ4】

原因と結果を結びつけた要素が、それぞれどのような関係になっているかを見出す作業を行います。4つのテーマを統合してわかったことは次のような連鎖関係です。親の多忙や共働き家族の増加は、子どもに掛ける時間の減少を生み、家庭教育の質に低下につながります。家庭教育の質が低下すると、社会の学校教育への期待が高まります。学校教育への期待が高まり、その期待に学校が答えられないと、社会の教育への不満が高まり、教育批判が増加します。教育への批判が高まると、教員の不安感が高まり、教員の変化対応力は低下します。モチベーションの低下にもつながります。メディアは、良い先生や学校の心温まるストーリーを報道することが少なく、いじめや体罰事件の報道や教員批判は、教員希望者の減少につながり、学校教育の質の低下は止まりそうにありません。このようにシステムを描いてみると、企業における社員の働き方や、学校批判を繰り広げるマスメディアも、教育の質の低下の要因の一部を担っていることがわかります。

 

参加者からは、「教育における課題が俯瞰して捉えられるようになった」という声が寄せられています。システムシンカーズカフェは、今後も月1回のペースで続けて行きます。今後も、教育をテーマにした対話を続けていきたいと思います。

サウジアラビアの教育

文部科学教育通信 No.308 2013-1-28に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑳をご紹介します。

2012年の暮れに、日本貿易振興機構(ジェトロ)が主催するサウジアラビア視察団に参加しました。団長は、昭和女子大学長の坂東真理子先生です。

サウジアラビアは、アラビア半島に位置する敬虔なイスラム教徒の国です。1932年に、アブドゥルアズィーズにより建国された君主制の国家で、国土は、日本の約6倍、その95%が砂漠です。人口は、約2900万人で、その66%が、29歳以下という若年層の比率が極端に高い国です。1938年に、油田が発見され、今日では、世界最大級の石油大国になっています。日本は、石油の約33%(2011年)をサウジアラビアから輸入しています。

 

サウジアラビアの教育の歴史

サウジアラビアの近代教育の歴史は新しく、教育制度が確立されたのは1953年で、当時の生徒数は全国でわずか3万人程度でした。女子教育が始まったのは1960年です。1960年当時、初等中等教育の就学率は、男子で22%、女子はわずか2%に過ぎませんでしたが、現在では、8割近くまで向上しました。高等教育では、1957年に初の総合大学であるキング・サウード大学が設立されています。現在では、国立大学が6校あり、約65万人の学生が学んでいます。最近では、有力王族が経営する私立大学が増加しています。

教育の基本理念をイスラム教の教義に置いていることが特徴で、サウジアラビア建国の歴史などの愛国心教育に重きが置かれています。そのため、数学、物理などの理数系科目の教育水準が低く、国際的水準に到達していないという課題もあります。

 

新たな教育改革への取り組み

2005年に発表された「国王のビジョン」が掲げる2大改革は、教育改革と、産業多様化による雇用機会の創出です。教育投資は、急増する若年人口の教育ニーズに答えるための重要な取り組みです。宗教に偏重した教育制度を改革し、教育の充実を図るために、この数年間 国家予算の25%を教育分野に配分しています。巨額な予算は、新規学校の建設、既存の学校の修繕、IT機器など教育インフラの充実、教師の育成に投じられます。予算報告によれば、2008年には、新規に2074校の学校が建設され、建設中の学校が4532校ありました。韓国のLGは、拡大する学校市場のためにエアコン工場を建設したそうです。

 

海外留学の奨励と奨学金制度

国際的なレベルで活躍できるサウジアラビア人学生を養成するために2005年に海外の大学に派遣する奨学金制度が創立され、これまでに世界24カ国に約45000人の学生が派遣されています。日本にも、この制度を活用し、248名の学生が留学しました。授業料および、住居手当が全額支給されるほか、月額奨励金と呼ばれるおこづかいまで支給されるというとても恵まれたプログラムです。

 

視察訪問先

首都リヤドでは3日間に亘り、3つの大学(アル・ファイサル大学、プリンセス・ヌーラ女子大学、プリンス・スルタン大学)と幼~高校生対象のリヤドスクール、Arts and Skills Instituteというデザイナー専門学校等を見学しました。印象に残った視察先の中から、いくつかをご紹介したいと思います。

 

女性とアバヤ

訪問先のご紹介をする前に、敬虔なイスラム教徒の国サウジアラビアの視察について触れておきます。

女性は、外出する際に、アバヤという黒い洋服とスカーフを着用するのが決まりです。親族以外の男性と対話を持つ事も原則ありません。訪問した女子部の校舎内では、アバヤを脱ぐことが許されます。もちろん、女子部の教師は、全員女性です。保護者会も、男子生徒には父親、女子生徒には母親が出席するという徹底ぶりです。このような規律に従い、私たちも、サウジアラビア訪問中は、アバヤを身にまとい、女子部の見学のみが許されました。頂戴した学校案内にも、女性の姿はなく、男子生徒の様子のみが紹介されているので、慣れないと少し違和感があります。

 

●リヤドスクール

リヤドスクールは、王族を含む多くのサウジ人の子弟が学ぶ幼・小・中・高一貫の私立名門校で、現在の理事長はサルマーン皇太子です。

2015年までに国内トップ5スクールになる事を目指し、オーストラリア人の校長を中心に、教育プログラムの充実が図られています。世界有数のコンサルティングファームであるボストンコンサルティンググループに教育効果を高めるためのコンサルティングを依頼し、スポーツ教育強化策のためにサッカーチーム、レアルマドリードと契約するなど、スケールの大きさに圧倒されました。

2013年には、小学生を含む全学生に、iPadを支給し、ITシステムを活用した教育を行う準備が始められています。国家の要請によるイスラム教育が、カリキュラムに占める割合は2割(イスラム教、アラビア語、国の歴史)で、残りの8割は、学校の独自性が尊重されています。

リヤドスクールには、男女の生徒が通っていますが、女性視察団は、女子校舎を見学しました。校長室でお会いした小学生から、直接話を聞く機会がありました。校長先生の質問に従い、将来の夢、この学校の好きなところ、改善したいところなどを、流暢な英語で話してくれました。生徒は、小学校4年生と5年生ですが、将来の夢は、外科医、作家、弁護士、学校の先生と、とても現実的でした。みんな、学校が大好きという点は、共通していました。一人の生徒が、放課後に、学校に残り何か活動をしたいと改善提案をしました。すると、校長先生が、「具体的には何時まで残りたいのか お友達も同じ考えか」と尋ねます。そして最後に、「お友達の考えをリサーチして、どういうトーンだったのか、校長先生に教えてください」と伝えました。イスラム教徒は、日本同様に目上の人を大切にすると聞いていますが、生徒の意見を尊重する校長先生の姿に、近代教育の姿を垣間みる事が出来ました。

 

●女性教育

サウジアラビアは、イスラム教国の中でも、厳しい戒律を持つ国で、アバヤや黒いスカーフの着用が徹底しています。女性は車を運転することができず、常に、男性が送り迎えをするなど、日本人女性が話を聞くと、とても不自由な生活を強いられている様子を想像するかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

1960年代にスタートした女子教育は確実に無を結んでいます。例えば、法学部を卒業した女性は、これまで法廷に立つことが許されませんでしたが、今年から、一定の経験を積むことを前提に法廷に立つ事が許されるようになりました。女性に教育の機会が与えられ、プロフェッショナルとして活躍する環境が次々と整備されていくサウジの女性は、黒いスカーフの与える印象とは正反対に、むしろ、日本女性よりも、何倍も元気で生き生きとしているというのがプリンス・スルタン大学視察後の感想です。

 

●エリート養成教育

リヤドスクールで話題になった国家エリート養成プログラム『モヒバ』に参加している学生と、その後、偶然出会う機会がありました。小学4年生で試験を受け、理数系の優秀な学生が選抜され、『モヒバ』に参加します。環境問題を始めとする国家レベルの問題解決に必要な教育を受け、問題解決に必要な論理的思考をトレーニングしているそうです。彼女は、高校生ですが、ブラウン大学のe-ラーニングを受講する機会も与えられており、その中で、将来のキャリアを選択していくと話していました。

アバヤを身に纏い、流暢な英語で、理路整然と話す女子高生の様子には圧倒されました。アブドッラー国王のビジョンは、女性のエリート教育も視野に入れており、彼女の姿はその成果を証明するものでした。

世界の若い教育改革者たちの集まり

文部科学教育通信 No.307 2013-1-14に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑲をご紹介します。

2012年11月12日から15日にかけてチリのサンチアゴで開かれたティーチ・フォー・オールの年次総会2012に参加してまいりました。ティーチ・フォー・オールは、世界26カ国の教育団体のグローバルなネットワークで、今年で5周年を迎えます。アメリカ、イギリス、チリ、インド、中国などの国々が加盟しており、有望な未来のリーダーを教師として派遣することで、教育格差を解消するための活動をしています。

総会では、ティーチ・フォー・オールの活動に関わる関係者が約200名、世界中から集まり、各国での教育改革の状況を共有し、それぞれの組織が抱える重要な問題を一緒になって考えました。チリの教育大臣ヘラルド・バイエル・ブルゴス氏の講演や、OECD事務総長 アンドレア・シュライヒャー氏のテレビ会議での参加など、グローバルな教育改革についても、世界の事情を共有する意見交換が行われました。

ティーチ・フォー・オールは、アメリカで1989年に、「いつか、すべての子どもたちが素晴らしい教育機会を持てるように・・・」というビジョンを実現するために、ウェンディ・コップが創立したティーチ・フォー・アメリカが起源です。その後、マッキンゼー社に勤務していたブレッド・ウィグドーツ氏が、イギリスの教育課題を解決するために、2002年にティーチ・ファーストをロンドンに立ち上げました。ティーチ・ファーストの成功事例が世界で話題となり、ブラッドの元には、世界中から、自分の国の教育課題を解決したいという問い合わせが来るようになりました。そこで、世界の教育改革に取り組む仲間を支援するために、2007年に、ティーチ・フォー・オールが設立されました。日本も、今年から、26番目のメンバーとしてこの活動に参加しています。

 

ティーチ・ファースト

 ここからは、ティーチ・フォー・オールの仲間の一つ、英国のティーチ・ファーストの例をご紹介しましょう。

低所得者層のイギリスの子どもたちは裕福な家庭の子どもたちに比べて教育上、平等な機会に恵まれていません。低所得者の住むコミュニティで育った子どもたちは、学業成績が低いまま、良い就業機会に恵まれず、犯罪に巻き込まれたり、麻薬の常習者となって健康を損なうなど、生活全般にわたって悪循環状態に陥りがちです。このような状態は本来あってはならず、ティーチ・ファーストは「すべての子どもたちの教育的成功は社会・経済的状況により制限されるべきではない」というビジョンを掲げています。

ティーチ・ファーストの参加者は、イギリスで最も貧困な家庭の生徒の割合が高い学校で2年間、教壇に立ちます。2年間が終わると、参加者の半数以上がその後も継続して低所得者層のコミュニティで教壇に立つことを選びます。残りの半数は政府、一般企業や自ら始めた社会起業などでティーチ・ファーストのビジョンを実現します。

ティーチ・ファーストは、毎年拡大を続け2003年には163人の参加者が、2012年には997名まで増加しています。2012年現在、ティーチ・ファースト大使として教師を経験した若者の数は累計2000人以上にのぼります。2012年に、ティーチ・ファーストは、タイムズ紙のTop 100 Graduate Employers(大学卒業生の就職先100社)の中で4位になり、2013年は英国で1位の大学生の就職先になります。

総会に参加し、どの国にも、教育課題があるということが分かりました。教育課題の特性は、国により異なります。学校が不足しているという国から、学校はあるけれども、教員の質が低く、教育効果を挙げられていないという国、経済格差による教育格差が明確な国などです。また、旧態依然とした教育を受け続けている子ども達の未来に生きる力に危機感を覚え、改革に乗り出した仲間達もいます。

 

世界の仲間からのメッセージ

以下は、教育改革に取り組む世界の仲間からのメッセージです。皆さんの共感するメッセージはありますか。

○   ほかの子どもたちと同じように低所得者層の生徒も学ぶスキルと意欲を持っている。実際、彼らは学びたいのだ。どんなに彼らが学びたがっているかを理解することは重要である。(ドイツ)

○   すべての生徒は育った背景や生活環境に関わりなく、信じられないほどの様々な驚くべきことを学ぶ力を秘めている。ただ、私たちがあまり期待しないと、生徒たちも自分が出来るとは思わないだけである。 (オーストラリア)

○   すべての子どもたちは学びたがっている。子ども達が秘めているこのような態度を引き出すことが先生としての我々の仕事である。 (オーストラリア) 

○   すべての子どもたちに合うやり方などない。一人ひとり個別に対応するだけだ。(レバノン)

○ 教育改革はどこかで始めなければならない。それは教室からである。(ペルー)

○   教えることと学ぶことには切っても切れない関係がある。先生は常に学ぶ気持ちがないといけない。(オーストラリア)

○   イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである。(イギリス)

○ 教育の上で、今まで子どもにベストなことを望まない親に出会ったことはない。(アメリカ)

○   子どもを褒めてあげると親がどんなにか驚くのを何度も目にしてきた。親なら当然知っているだろうというような簡単なことを褒めてあげても、親は涙を流して喜ぶのである。(ペルー)

○   子どもの事を気にかけない親はいない。ただ、どうしたら子どもをサポートしてあげられるかがわからないだけである。 (オーストラリア) 

 

日本の教育課題は、他の国の課題とは異なります。

チリでは、「日本の教育は素晴らしいと聞いていますが、何が教育課題なのですか?」と多くの人から尋ねられました。確かに、子どもたちには、義務教育の機会が与えられており、大学進学率も、5割を超えています。統計的には、教育課題を説明することが他の国に比べて容易ではありません。

経済格差による教育格差は日本にも存在します。日本においても155万人(7人に1人)が就学援助の対象となっています。この他にも、既存の教育システムの制度疲労の問題があります。いじめや不登校、学ぶ意欲の低下、生きる意欲や未来に夢を持つ子どもの減少、21世紀を生きる力を習得できない教育システム、ダブルスクールを前提とした教育システムなど、学校システムの目的の見直しが必要です。

表面的な大学進学率は、リメディアル(大学入学時の補習教育)の必要な生徒の数を反映していません。大学がまるで高校のようになっているという現実は、新卒社会人が社会の求める人材としてのレベルに到達できていない事実としても表れています。

世界の教育課題に触れ、日本の教育課題の複雑性こそが課題なのだということを、改めて認識しました。そのため、教育関係者においても、課題認識において統一感がなく、対応策も、多様化しているのでしょう。

世界の仲間からのメッセージで、

「イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである」という言葉に共感を覚えました。学校に行くことで失うものの代表例は、主体性、創造性、間違っているか否かを気にせず自由に発言する力などです。主体性や創造性を伸ばす学校教育を行う事は、これからの学校の在り方を考える上での大きなテーマになると思います。

脳科学と教室

文部科学教育通信 No.306 2012-12-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑱をご紹介します。

前々回の記事で、脳科学の研究結果が教育に反映され始めていることをお伝えしました。今回は、Neuroscience & the classroom(脳科学と教室)のサイトから脳科学の研究結果をもう少し掘り下げてご紹介するとともに、教室での実践事例をお伝えしたいと思います。

 

●なぜ論理的思考には感情が重要か?

長年にわたって、行動を支配するのは論理であり、感情は秩序を乱す邪魔なものと考えられてきました。1980年代になってアントニオ・ダマシオ博士(南カリフォルニア大学Brain and Creativity Institute所長)が、脳の前頭前皮質腹内側部(vm-PFC)に損傷を受けた患者は自分のとった行動を忘れ、他人の感情に無関心になってしまう、ということを発見しました。これらの患者は、理論や社会的ルールを理解し、将来の計画やビジネス上の決定について知的にスピーチをすることはできでも、過去の経験から学んで自ら正しい決定を下したり、現在の行動に生かすことができなくなっていました。かつて、有能であった会社の役員が誤った意思決定を行い、会社を倒産させてしまったり、愛情深い夫が妻の気持ちにまったく関心を示さなくなった例が報告されています。

私たちは、生活をする上で様々な決定を下しますが、その際に指針となるのが過去の経験です。自分のとった行動の結果を、その時に味わった感情から「知恵」と「愚行」に区分して知識として脳の中に蓄え、次に決定を下す際の指針にします。また、行動の結果を予測した時に起きる感情も決定を下す際の指針となります。脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者が合理的に判断できなくなってしまうのは、思考を支配する感情という指針を失ってしまうからです。患者は過去の経験から学ぶことができないだけではなく、新しい経験から学んでいくこともできなくなり、間違った意思決定を行いがちです。このように論理的思考から感情が切り離されてしまうと、思考したり、決定したり、学習したりする能力が欠落してしまうのです。

 

●正しいとわかっていてもなぜやる気にならないのか?

「なぜ、昨夜は勉強すると言っていたのにしなかったの?」
「どうして補習をすっぽかしたの?」
「どうして、土曜日にシニアセンターにボランティアに来なかったの?約束したじゃない?」
先生を悩ませる生徒の行動の一つに、生徒が約束を守らないということがあります。
後から生徒に理由を聞いても、単に「やる気にならなかったから」と答えるのみです。まるで、脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者のように、生徒は社会的ルールや自分への期待を知りながら、約束をすっぽかして友達のもとにいそいそと出かけていきます。他人には優しく、両親は尊敬するべきで、困っている人は助けるべきで、社会的に成功するためにはどうすればいいか、ということをきちんと認識しているにもかかわらず、知識とは反対の行動をとってしまいます。これは、なぜなのでしょうか。

脳の第一の機能は生命の維持です。呼吸、心拍数、血流、ホルモン量等生命を維持する機能を統制して、体の状態を常に感知し、不具合があれば警告を発して知らせてくれます。脳は私たちの身体や心とリンクして、感情、思考、感覚、行動を意識・無意識的にコントロールしています。近年の脳神経学の研究で明らかになったのは、この原始的な生命維持装置と同じシステムが我々の思考、学習、行動の「やる気」を、意識下・無意識下で、コントロールしているという事実です。言い換えれば、どんなに頭で正しいことをしようと意識しても、直観的(本能的)にやりたいと思わなければ「やる気」のスイッチはなかなか入らないと言えます。

 

●歴史を学ぶ意義

ボストンラテン高校の現代史の教師ジュディ・フリーマンは人権や公正について学ぶ授業の中で、ナチスのホロコーストからの生存者の証言インタビュー映像を生徒に見せます。映像の中で、ホロコーストの生存者はこう語ります。
「ナチスによるユダヤ人の迫害が始まった。最も印象に残っていることは、ナチスがドイツ中のユダヤ人の学校、建物や商店などを破壊して回る音だった。あちこちでガラスの割れる音がした。ユダヤ人の年老いた小柄なおじいさんが営むたばこ店も破壊された。ナチスはおじいさんに、粉々になったガラスを一つずつ拾うように命じ、その様子を微動だにせず、じっと見ていた。友人と私は、何も言わずに様子をとりまいて見ているドイツ人の群集の前に出て、おじいさんと一緒になってガラス片を一つずつ拾い上げた。心の中で「助けて」と叫びながら。ナチスがどうしてあのようなことを命じたのかはわからない。群集の中には、沈黙することでナチスの行為に対して無言の抗議を示していた人もいたのかもしれない。でも、あの場で沈黙を保つことは害を及ぼしていた。何の役にも立っていなかった」

この映像を見た生徒の発言1:「ショックを受けた。沈黙は害だった、という発言は強力、そして本当だ」
発言2:「これは、私たちが街で困っている人を見かけても、何もしないのと同じ。自分には関係がないからとか、他にもたくさん人がいるから、と言ってそばを通り過ぎるのはただの口実。このおじいさんはとても勇敢だったと思う」
フリーマン先生:「過去と現在を何度も行ったり来たりして歴史の授業を行います。歴史を学ぶ意義は、現在の出来事と関連づけて考えることです。そうしなければ、生徒にとって、歴史は死んだ歴史、ただの昔のできごとになってしまいます。歴史の中の人物に焦点を当て、その生き様を考えることで、過去の歴史が生きた歴史として力を持つようになります。映像を利用することでこのような変容が可能です」

 

●国語の授業を面白くする

ニックは高校の国語教師としてカリキュラム作成を担当しています。以前から、感情が学習に重要な役割を果たすということを知っていましたが、知性と感情は別々の働きをすると考えていました。ある日、ニックは、「人間の興味と要求は感情に根ざしていて、感情が思考と行動を支配している。いつ、何を学習するかを選んでいるのは自分である」ということを学び、生徒の学習のモチベーションに関するヒントを得たと思いました。国語の授業を面白いものにするには、教材にもう少し幅を持たせる必要があり、そうすれば生徒が読んだり、ディスカッションしたり、文章を書くことにもっと多くの時間を費やしてもらえると考えました。とはいうものの、そのような自由を生徒に与えることによって、特に大学進学を考えている生徒に必要な学習事項を教えられなくなるのではないか、と危惧しましたが、考えた末に、ニックは読む、書く、思考するために必要なスキルを教えることに注力し、教材は生徒に自由に選ばせることにしました。

生徒自身が自分で教材を選ぶことに慣れると、ニックは生徒の共感を呼びそうな作品のリストを作りました。もう既に生徒の何人かは教室外でも読書を楽しむようになっていましたので、ニックはリストにはこだわらず、「最初に数ページ読んでみて、もしピンと来なければ次の作品を読んでみる」という本を選ぶプロセスだけを生徒にアドバイスしました。時には、読書クラブのように、交代で生徒に作品を選ばせ、選んだ生徒が中心となってディスカッションを進めさせたり、時には生徒一人ひとりに好きな本を読ませ、それぞれのテーマに基づいてエッセイを書かせ、それをクラス全体と共有したり、ディスカッションさせたりしました。こうして、生徒に授業に興味を持たせ、国語のスキルを上げるというニックの試みは成功しました。

脳科学的見地から考えると、感情を伴わない(興味の持てない)学習は、なかなか身につかないと言えます。学習者にとって親切な学校とは、学習者主体に学習を設計するか、学習者自身が自分で学習を設計できる学校であるとも言えます。

技術革新と倫理教育

文部科学教育通信 No.305 2012-12-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑰をご紹介します。

2012年9月に、岡山県マルチメディアフォーラム協会からの要請を受けて、「技術革新が子ども達に与える影響と倫理教育」について次のような話を致しました。

OECDは、時代を表すキーワードを、変化、複雑性、相互依存の3つで表しています。ゲーム、Wikipedia、Facebookが当たり前の時代を生きる子どもたちは、多くの時間をインターネット上で暮らし、より多くの人々と繋がり、より多くの機会を持てるようになりました。技術革新は、個人の持つ力をより大きなものにしましたが、その結果、個人は より大きな社会的責任を担う事になりました。しかし、子供たちを取り巻くこうした変化に対する対応は個人的なものとして扱われ、日本の学校教育では、インターネット利用上のマナーに関する倫理教育がなされていないのが現状です。

クマヒラセキュリティ財団では、現在、海外の民主主義や倫理の教育の研究を行っています。昨年4月に、オランダで学校視察を行った際に、画期的なシチズンシップ教育プログラム「ピースフルスクール」に出会ったことは既にお伝えしましたが、このプログラムから、小学校6年生を対象とした、オンラインでのコミュニケーションに関するレッスンの一部をご紹介し、技術革新と倫理教育の重要性について考えてみたいと思います。

● ソーシャルメディアを介したコミュニケーション

①   コミュニケーションの種類と使い分けに対する自己認識を深めるため、先生はクラス全員に対して次のような質問をします。

–       インターネットをどのように使いますか?よくアクセスするサイトは?

–       携帯電話で誰と話しますか?

–       よくメールをしますか?誰に対して、どうして、メールを使いますか?

–       手紙を書くことはありますか?誰に、どんな時に書きますか?

–       一番好きなコミュニケーション手段は何ですか?それはなぜですか?

②   メディアについて話します。

メディアは、遠くからでも多くの人に伝達が出来る手段です。例えば、新聞、ラジオ、テレビ、雑誌等がメディアです。メディアとは、メッセージを送る手段のことです。ソーシャルメディアは、他の人とオンラインで「出会う」場です。

生徒を二人一組にして、ソーシャルメディア上のコミュニケーションについてお互いに質問をさせます。

–       よくインターネットをしますか、あまりしませんか?

–       どんなサイトによくメッセージを載せますか?

–       ネット上でのハンドルネームは何ですか?

–       Facebook上でたくさんの友達がいますか?

    その後、相手についてどんなことを発見したかについてクラスでディスカッションします。

③   インターネット上では姿が見えない

ハリー・ポッターの透明マントとインターネットで匿名であることを比較します。次のように生徒に言います。

–       ハリー・ポッターの「透明マント」を知っていますか?「透明マント」で覆うと、体の一部やその他のモノが目に見えなくなります。透明になったら、あなたはどうしますか?

–       インターネット上のメッセージは匿名であることが多いです。匿名とは「どこにも名前が載っておらず、無名であること」という意味です。メッセージが誰のものか、わかりません。差出人の名前が書かれていない「匿名の」手紙のようなものです。

–       インターネット上では誰かと直接話をするのとは違います。言葉が違うし、顔が見えないために、自分の行動が行き過ぎることがあります。なぜなら、誰もそのことについて口出しせず、他の人の反応も自分には見えないからです。また、とても個人的な情報をインターネット上に乗せてしまう危険性があります。

–       だから、特に意識して、礼儀正しくソーシャルメディアを使う必要があります。

● ネットいじめと普通のいじめ

普通のいじめとネットいじめの違いについて次のような方法で学習します。

①いじめ役と犠牲者によるロールプレイを行います。

【普通のいじめ】

校庭で、実際に相手と対面します。

–       いじめ役は、「みんな、お前のことを嫌っているんだ。誰もお前のことが好きじゃないんだ。仲の良い友達ですらそういっているだ ぞ」と発言します。

–       犠牲者は、相手が、言い終わるのを待たずに、いじめ役の言ったことに反応します。

【ネットいじめ】

     相手と対面せず、インターネット上でやりとりをします。いじめ役と犠牲者は、お互いに背中を向けて席に座ります。

–        いじめ役は、犠牲者に次のような内容の悪口メールを書き、タイプした内容を口に出します。「みんなお前のことを嫌っているんだ。誰もお前のことが好きじゃないんだ。仲の良い友達ですらそういっているだぞ」

–        犠牲者は、悪口メールを受け取ったところを演じ、思った事、感じた事を口に出します。

②以上のロールプレイを行うことで、生徒は次のような違いを学びます。

–       ネットいじめでは、いじめる側は、自分のいじめ行為が相手にどんな影響を及ぼすかを解っていません。

–        匿名であることが普通のいじめと大きく違う点です。誰に、いじめられているのか解らないということは、とても恐ろしく、誰も信じられない気持ちになります。

–        ネットいじめでは、いじめる側から逃げられないという事実があります。普通のいじめは家に帰れば、終わりですが、ネットいじめは、寝室までつきまとわれるので、家ですら安全な場所ではなくなります。

–       ネットいじめのメッセージは、ずっと長い間、インターネット上に残ります。

      -       最も大きな違いは、傍観者がとても多いという事です。誰でも傍観者になれます。

③ネットいじめに対処します。

    前記のような理由から、生徒は「ネットいじめは普通のいじめよりもずっとひどい」ということを学びます。ネットいじめにあったら、以下のような方法で対処します。

      【ステッププラン】

–      ネットいじめは、無視します。

–       無視できないなら、父親、母親、兄弟、友達、学校に相談し、助けを求めます。

–       チャットルームでいじめられた場合には、管理者に報告し、相手のメッセージを削除してもらいます。

–       脅迫されたら、警察に通報します。

   傍観者は、

–        いじめられた人を助けます。

–        先生に言います。

–        一緒になっていじめてはいけません。

 

● 言論の自由の境界線について

言論の自由について次のように教えます。

「言論の自由とは、何でも自分の意見を言ったり、書いたりしてよいということです。誰でもラジオやテレビ、インターネット、新聞、本、ポスター、口頭で自分の意見を言っていいことになっています。刑務所に入れられるのではないかと心配をすることなく、自分の意見を表現できるという権利です。言論の自由はとても大切ですが、世界中どこの国でも適用されているものではありません。オランダでは、幸い適用されています。しかし、何でも自分の思い通りに言ったり書いたりしてよい訳ではなく、その自由には境界線があります。境界線とは、他の人を傷つけたり、わざと侮辱したりしてはならないということです。差別や憎しみを引き起こすことを言ってはいけません。プライバシーの侵害や、他の人についての嘘も、もちろん、言ってはいけません」

オランダでは、シチズンシップ教育の中で、言論の自由を持つ国に生きる幸せとともに、言論の自由にも境界線があるということを、小学生の時から教わります。コミュニケーションにおいて、言論の自由の境界線がどこにあるのかを学び、その上で、さらに、ネット上のコミュニケーションにおける言論の自由の境界線を学んでいます。私たち大人も、子ども同様に、ネット上のコミュニケーションにおける正しいマナーを学ぶ必要があるように思います。

フューチャー オブ ラーニング 2012

文部科学教育通信 No.304 2012-11-26に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑯をご紹介します。

2010年、2011年に引き続き今年もハーバード教育大学院で開催されたフューチャーオブラーニング(学習の未来)研究会に参加して参りました。このプログラムは子どもたちが21世紀を幸せに生きるために、学習するべきことを検討する場として、毎夏、世界中から、現職の教員を中心とした教育関係者が集まり、意見交換をする場です。3つの大きなテーマを中心に講義、やワークショップが組み立てられていますが、今年のテーマも昨年同様、1.心や脳の働きと教育、2.デジタル革命、3.グローバル化の3本立てでした。

今年の研究会で特に印象に残ったのは、技術革新が確実に教育の世界に影響を及ぼし始めているということでした。「デジタル革命により、子ども達は、いつ、どこで、だれから、何を学ぶのかという自由を手に入れることができました。その中で学校にどのような役割が残るのでしょうか」こう話したのは、世界的にも著名な教育心理学者ハワード・ガードナー先生です。今回は「学習の未来2012」の中から印象に残ったものをかいつまんでいくつかご紹介させていただきます。

 

●Quest to Learn (クエスト・トゥ・ラーン)

2009年秋に、ゲームで学ぶ21世紀型の学校「クエスト・トゥ・ラーン」がニューヨークに開校しました。6年生から12年生を対象とする全米初の「ゲームデザインとシステム思考を学ぶ」公立校です。この学校の設計を手掛けたのが、インスティテュート・オブ・プレイという非営利組織です。マッカーサー財団から「デジタルメディアと学習」のための助成金を受けて、ゲームデザイナーとゲーム型学習の研究者が共同でカリキュラム開発と学習環境デザインを担当しました。デジタルメディアを基盤とした21世紀型学習環境校のモデル校として評価されています。

「クエスト・トゥ・ラーン」で生徒が学ぶ学習カリキュラムは、ニューヨーク州の標準カリキュラムに準拠していますが、科目を細分化せずに、5つの学習領域(①「国語・社会」総合、②「数学・理科」総合、③「国語・数学」総合、④ゲームデザインとメディアアート、⑤保健体育、道徳、栄養学に加えて⑥学内のソーシャルネットワークを領域の一つに取り上げているところが特徴的です。つまり、生徒がチームを組んで宇宙人を倒すゲームや、都市運営のシミュレーションなどを行いますが、数学と国語の知識が必要なシークレットコードがゲームの鍵になっていたり、化学物質の理解が必要だったりします。仲間と一緒にゲームに熱中しながら、仲間を信頼し、協調する態度、リフレクション、問題解決力、想像力なども身に付けていきます。

このゲームで学ぶ学校は、デジタルゲームが今日の子どもたちの生活の根幹を成し、知的探索のためのパワフルなツールである、という考えに基づいて設計されています。子どもたちの学習の中心は学校ですが、子ども達は実際には多くのことを学校の外で学んでいます。その学校外での学びを学校の中に取り入れようという試みの背景には「子どもは学ぶ必要のないものは、覚えない」という最近の脳科学の研究があります。

 

●エコ・モバイル(携帯端末を活用して野外と教室をつなぐ)

とても興味深いと思ったことは、スマートフォンなどの携帯端末を利用して、野外学習を行う試みです。

ハーバード教育大学院が中学生を対象に生態系や因果関係を理解させるという目的で、コンピューター上で環境学習を学ぶ「エコムーブ」という3Dのヴァーチャルプログラムを開発しました。「エコムーブ」上で、生徒は池とその周りの探索を行い、水中を眺めたり、生き物の観察をして水や天気、生き物の数などのデータを集めます。ある日、池で大量の魚が死ぬという事件が起こります。生徒はチームを組んで、バーチャルな池を何度か訪問し、住民から話を聞いたり、鍵となりそうなデータを集めながら、謎の解明に取り組みます。こうして、池の生態系の複雑な因果関係を学んでいきます。

この「エコムーブ」のフォローアッププログラムとして生まれたのが、「エコモバイル」という携帯端末を利用した野外学習プロジェクトです。生徒は携帯端末を持って近所の池に出かけ、搭載してある技術を利用して、写真をとったり、映像を録画したり、音声を録音して謎の解明に努めます。コンピューターで学習した際にどんなデータを集めればいいのかということを学んでいるので、 最初から、実際に科学者たちが研究するようなデータ(池の水に溶解した酸素の量、気温、池の濁り度、pHなど)をリアルタイムに集めることができます。携帯端末を利用することで、理科の授業で学んだ抽象的な事柄を実際の世界での出来事と結びつけて学習することができるわけです。

 

●MBE(心と脳と教育の関係)
脳科学の研究結果が教育に反映されつつあります。数年前から、脳科学者と心理学者と学校の先生が協力して「子どもにとって効果的な学習は何か?」ということを模索し続けてきました。ハーバード教育大学院にもMBE(Mind, Brain &Education)という新たな領域が登場し、研究会では、心と脳と教育の研究結果を掲載したNeuroscience & the Classroom (脳科学と教室)というウェブサイトが紹介されました。このウェブサイトには、脳の働きや生徒の学習についての最新の研究結果がレポートやビデオ、画像、ソフトウェアの形で搭載されています。目的は、先生方に脳科学の研究結果を授業に活かしていただき、日々遭遇する課題の解決に役立てていただくことにあります。

例えば、感情が学習に占める影響については、これまでも、「恐れのようなネガティブな感情は、学習を不可能にする」「ポジティブな感情は学習を促進させる」「だから、笑顔や握手を用いて教室を温かく雰囲気の良い場所にし、一人一人に注意を払い、生徒が歓迎されている雰囲気を作りだし、学習を楽しいものにしなければならない」というようなことが言われてきました。確かにポジティブ、ネガティブな感情の学習への影響は大きく、重要です。しかし、脳の前頭前皮質に傷害を受けた患者の研究により、感情と思考と学習には密接な関係があることが明らかになりました。合理的な考え(正しい意思決定や問題解決)は、感情の影響を大きく受けます。私たちは、問題の解決方法が見つかりそうかどうか――正しい方向に進んでいるか、間違っている方向に進んでいるかを「直感」で感じることがよくあります。感覚的に感じると思っていたわけですが、「直感」だと感じていたものは、実は、脳科学的に意味がありました。「直観」と「合理的な考え」とはコインの表と裏のような関係――つまり、「合理的な考え」が意識され、「直観」はあまり意識されないだけで、両方とも「感情的な考え」という一つのコインの表と裏のようなものである、ということが最新の研究で明らかになりました。

アントニオ・ダマシオ博士の言葉を借りていえば「感情は思考の指針である」 つまり、人は感情が動かない(やる気にならない)ことには学ぶ気にならないわけです。こうした研究結果を教室での教えに生かすことによって効果的な学習を設計していくことが可能になります。
ご興味のある方は、Neuroscience & the Classroom http://www.learner.org/courses/neuroscience/ を覗いてみてください。生徒の学びをよりよく理解し、効果的なものにしたいと考えている方ならどなたにでも興味を持っていただけるサイトです。

世界では、技術革新を利用した新しい教育の流れが始まっています。子ども達の学習や成長のプラスになるものはどんどん取り入れていく、という流れが日本の教育界でも起きるように働きかけていきたいと思います。

教育の未来を創るワークショップ2012

文部科学教育通信 No.303 2012-11-12に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑧をご紹介します。

未来社会の幸せのために

教育の未来を創るワークショップを始めて今年で、3年目になります。今年も、9月16~17日の2日間、京王プラザホテル多摩で合宿を行い、28名の方にご参加いただきました。今回のワークショップのテーマは、「子どもたちが幸せに生きるために」―子どもたちが、未来の社会で幸せに生きるために、我々に何ができるのかを考えることでした。

ワークショップでは、社会変革モデル「チェンジラボ」やU理論を活用しています。「チェンジラボ」は、南アフリカのアパルトヘイトから流血なき民主化を実現する際に導入され、今日では、環境問題や紛争、人口問題、教育問題など、複雑な社会問題の解決に世界中で活用されているモデルです。「チェンジラボ」やU理論(『U理論』、C・オットー・シャーマー著、中土井僚訳、英治出版、2010年)には、数々の社会変革のプロセスを経験した先人たちの智慧が詰まっています。今年は、オーストラリア政府が、「チェンジラボ」を活用し、国のビジョン構築を推進しています。

社会変革には、多くの人々がビジョンを共有し、その実現のためにエネルギーを注ぐ必要があります。社会問題を、一つのシステムとして捉え、一部を担っている人々が、全体を俯瞰し、自分にできることを明確にすることが解決を成功させる鍵です。

教育も、多様なステイクホルダーが関わる一つのシステムです。誰もが部分的な貢献をしており、部分の繋がりが全体を創り上げています。教育を変えたいと考える時、私たちは、その一部を変えようとしますが、自分の立っている場所から全体を眺めており、多くの場合、全体像を把握してはいません。教育システムはとても大きく、全体を俯瞰できる立場にいる誰かは存在しません。教育を進化させるためには、教育システムの担い手が繋がり、一貫性のあるシナリオを持ち、改革に取り組むことが必要です。しかし、残念ながら、現在、教育システムは分断されており、決して強い繋がりをもっているとは言えません。

3年目になる今年は、システム思考で教育を捉えるチャレンジを行いました。合宿の準備として、5月に文部科学省や教育委員会の方々、校長先生、学校の先生、企業の人材育成に携わる方々、教員養成に関わる方々17名にお集りいただき、日本の教育システムを図で表しました。その後、その内容を分析し、事務局で完成させたループ図が、図①です。この図を書いたことにより、明らかになったことは、以下の通りです。

1)すべての要求や要望は、教師に向かう。図1 日本の教育システム 最終版.pngのサムネール画像
2)子どもの声は存在しない。
3)教育は、社会の要請により形創られる。

新しい教育に変わるために、教師にも変容が求められるが、変容することは教師にとって容易ではない。それは、学校は教師が変容学習のできる「安全な場」ではないからです。
社会が、教育に対して要求や批判の声をあげればあげるほど、新しい教育の導入は困難になるということです。このことを、親も社会も理解する必要があると強く感じました。図② は、先ほどのループ図を一枚の絵に描いたものであり、メディアや文科省や親からの様々なニーズが大量の雨水となって流れ込む先が、滝つぼにある学校(図②)です。そこで溺れる先生達、立ち尽くす生徒達の様子がおわかりいただけますでしょうか。

         滝つぼにある学校

②滝壺の学校.jpg

③氷山モデル 小.jpg

 

 

 

   システム思考を対話の道具に

合宿では、この教育システム図を共有し対話を通して、さらに理解を深める事が出来ました。システム思考では、出来事を氷山の一角(図③氷山モデル)と捉えます。そして、その出来事が、時系列ではどのようなパターンになっているのか? その出来事は、どのような要因により、起こっているのか? そこには、どのような構造が存在するのか?その出来事は、どのような人々の価値観やものの見方が、影響を及ぼしているのか?と、次々と問いに答えることにより、そのシステムの全容を明らかにするという思考法です。教育システムの全容を明らかにし、自分が取り組んでいることが、全体のシステムの中で、どのような役割を果たしているのかを再認識する事が出来ます。よかれと思って行っていることが、時には、システムには、マイナスの働きかけをしていると気付く事も有ります。教育を良くしたいという思いから、教育批判を行うことで、教師の変容学習が妨げられている現状は、この例です。

さまざまなループ図を創った結果をグラフィックにしたのが、図④です。タイトルは、ゆとり教育から奴隷教育へ!?という過激なものです。誰が奴隷かというと、教育に関わるすべての人々が、教育システムの奴隷になっているという意味です。ゆとり教育の失敗によって、学力向上が学校現場における最優先課題となりましたが、もともと、ゆとり教育が導入された背景には、新しい時代を幸福に「生きる力」を育てるという教育ニーズがあったはずです。このニーズが消滅したわけではありません。むしろ、時代の変化は、ますます加速しており、新しい教育のニーズは大きくなっています。学力向上も、生きる力も、グローバル教育も必要と、学習領域がどんどん拡大していく中で、生徒は主体性を身につけなければなりません。

④ゆとり教育→奴隷教育 小.jpg

今後も継続的に分科会を開催し、教育のシステムを考えていきたいと思います。

<連絡先>教育の未来を創る会 熊平美香、mkumahira@a-kumahira.co.jp

保存

多様性の尊重とMBTI

文部科学教育通信 No.302 2012-10-22に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑭をご紹介します。

グローバル社会になり、多様性を尊重することの重要性が盛んに謳われるようになりました。人々が、お互いの違いを尊重し、多様な人々が安心して存在することができる社会の実現を目指そうという掛け声です。一方で、工業化社会の教育は、画一性の優位性を教えこんできました。その結果、日本人の多くは、学校や社会が求める画一性的な物差しに合わせて、優劣をつける思考の習慣を身につけています。このような教育を受けた日本人にとって、実は、多様性を尊重するという概念を、深く理解することは、とても難しいことです。

私が、多様性の尊重の重要性を知ったのは、米国NY州の田舎町に留学していた16歳の時です。当時は、ソニー製品が脚光を浴び始めたころでしたが、田舎町では、中国と日本の区別もつかない人も多く、初めて見る黄色人種として子どもたちに石を投げられる日本人留学生もいました。その話を聞いて、差別はいけないと思いましたし、自分は、多様性を尊重する人になりたいと思いました。しかし、本当の意味で、多様性の尊重を理解できるようになるには、それから20年もかかりました。

 

グローバル時代における多様性の尊重

多様性の尊重について、日本では、2つの大きな誤解があるように思います。

「あなたは、私とはこんなに違うところがありますね。それでも、あなたの存在を認めます。」これが、多様性の尊重であると思っている多くの人々がいます。以前の私も、同様に考えていました。しかし、実は、これは、本当の意味での多様性の尊重ではありません。なぜなら、私という物差しを軸に、相手を見ているからです。多様性を尊重するためには、自分も、多様性の一部として捉え、自分と他者の違いに目を向けるのではなく、自分と他者の存在を合わせて、多様性を俯瞰して捉えることを言います。自分にとって違和感のあることは、他者からも違和感を持つことがらです。その違和感は双方向のものであり、その両者が多様性の一部なのです。

多様性を尊重するということを、他者を尊重することと考えている多くの日本人がいます。話し合いの場において、異なる意見を持っていても、その場に出さないで、他者の意見を尊重することで、調和を保とうと考える人々です。 これも、多様性の尊重としては、正しい姿ではありません。自分も主張するし、他者も主張する、そして、対話を通じて合意形成が実現できるというのが、多様性を尊重する話し合いの姿です。創造的な問題解決は、こうした対話を通してはじめて可能になるのです。南アフリカが、1991年、アパルトヘイトから民主化に移行することができたのは、そこに存在した黒人や白人のリーダーたちが、対立を超えて、お互いの存在を認め合い、南アフリカの未来についての対話を実現することができたからです。

 

MBTI

自分も多様性の一部であるという多様性を俯瞰的にとらえる力を身に着けるために、私が活用しているのはMBTI(マイヤーズ・ブリッグス・タイプ・インディケーター)という性格タイプを理解するツールです。MBTIは、スイスの精神科医カール・ユングの性格タイプ論をもとに米国人の親子キャサリン (親)とイザベル (娘)が開発した、全世界で最も利用されている質問紙方式の検査です。人間の多様性や物の見方や判断の仕方の違い、強みや動機、対人関係スタイルの違いを理解していただくのに大変有用かつ分かりやすいツールです。

以下、MBTIについて簡単にご紹介します。MBTIは、受験者の性格を測定して、診断したり、評価したりすることが目的ではありません。検査をきっかけに自分を見つめ直して、自分への理解を深めることや、人と人との違いを知って、他人と互いに尊重し合えるような人間関係を築いていくことが目的ですから、他人と比較したり、優劣をつけたりということはありません。どの性格タイプが優れているということもありません。占いのような当たり外れのあるものではなく、心理学類型にもとづく根拠のある分類方法です。日本では、2000年に導入されて以来、さまざまな分野での有益性が認められ、累計10万人以上の人がこの検査を受けています。また、イギリス、フランス、カナダ、韓国、中国など30以上の言語に翻訳され、世界50か国以上で活用されている国際規定に基づいた性格検査です。

 

MBTIは、人々の性格を、4つの指標で捉えます(『MBTIタイプ入門』(JPP,2011年)9~10頁より引用)。

(1)EI指標:どこに関心を向けることを好むのか。どこからエネルギーを得るか?

   外向(E)を指向する人の特徴

ž  ・  自分の周囲に起きていることに注意を払う

ž  ・   話すことによるコミュニケーションをより好む

ž  ・  話しながら考え、まとめる

内向(I)を指向する人の特徴

 ・   自分の内面で起きていることに注意を払う

 ・   書くことによるコミュニケーションをより好む

 ・    考えを内省することでまとめる

 (2)SN指標:どのように情報を取り入れることを好むか?

   感覚機能(S)を指向する人の特徴

 ・      現実や事実に目を向ける

 ・      事実や具体的なことに焦点があう

 ・      実際に起きていることに着目する

   直観機能(N)を指向する人の特徴

 ・      これからの可能性に目を向ける

 ・      想像をめぐらせ、独特な表現方法を用いる

 ・      データの背景パターンや意味に着目する

 (3)TF指標:どのように結論を導くことを好むか?

   思考機能(T)を指向する人の特徴

 ・      分析的観点を重視して考える

 ・      原因と結果から考える

 ・      真実における客観的基準を見出すために奮闘する

   感情機能(F)を指向する人の特徴

 ・      共感する

 ・      自分の思いが伴った価値基準から考える

 ・      結論が人々にどう影響するかを考慮する

 (4)JP指標:どのように外界と接することを好むか(生活やライフスタイルのあり方)

   判断的態度(J)を指向とする人の特徴

 ・      スケジュールにそって行動する

 ・      想定内で、整理された生活を好む

 ・      規律正しい

   知覚的態度(P)を指向とする人の特徴

 ・      状況に応じて行動する

 ・      どちらかというと柔軟な

 ・      格式ばらない

 

一番目の指標をもとに、現実社会に当てはめて考えてみましょう。ブレインストーミングの場で、たくさん意見を述べる外向タイプ(E)の人々は、発言量の少ない内向タイプ(I)の人々に対して、考えを持っていないのではないかと考えます。なぜなら、外交タイプ(E)の人々にとっては、話しながら考えることが当たり前だからです。一方、内向タイプ(I)の人々は、じっくり考えて、正しい言葉を見つけた時に初めて声に出すのが当たり前なので、外交タイプ(E)の人たちが、時に、自分の考えを話しながら変えていく様子に不信感を覚えたりします。このような実体験を、MBTIというレンズを通して眺めることにより、自己と他者の違いを俯瞰して捉えることが可能になります。自分も他者から見れば異質であるという視点を持つことができるようになります。

MBTIは、人と関わる職業において、他者を理解する上でとても有益です。例えば、学校の先生なら、MBTIのEI指標を知ることで、授業中の発言に関して、生徒には外向(E)と内向(I)の二つのタイプがあることを知ることができます。授業という限られた時間枠では、先生の質問に、即座に反応して答える外向タイプ(E)の生徒の発言が集まりやすく、じっくりと考えてから意見を言う内向(I)タイプの生徒の発言が置き去りにされがちです。先生は、このようなタイプの生徒の意見を共有する機会が持てているかに意識を向ける必要があります。MBTIを知ることは、多様性を尊重する教室創りを考えるうえで有益なツールとなるのではないでしょうか。

Back To Top