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わかりやすいプロジェクトから学ぶ学習イノベーションの未来

文部科学教育通信 No.321 2013-8-12に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る31をご紹介します。

先日、東京大学本郷キャンパスにおいてハーバード教育大学院大学のデイビッド・パーキンズ博士によって「未来の学びとティーチング」に関する講演会が行われました。パーキンズ博士は、思考に関する研究や教授法の研究などで世界的に知られる教育学者です。世界中で今まさに起きている学習イノベーションをテーマに、「真の理解をもたらすティーチングとは何か」、「予測できない未来に向けて何をどのように教育していくべきか」の2つの問いを中心に講演が行われました。

●学習イノベーションの未来

デイビッド・パーキンズ氏の講演で特に印象に残ったのは、世界が広がるにつれて、教育の世界も広がっているということ、今後、子どもたちが人生と世界の問題に対峙していくためには、時代に合った教育を提供していかなければならない、ということでした。以下に、その概要をご紹介いたします。

広がりゆく教育の世界で起きている学習イノベーションには、大きく分けて6つのトレンドがあります。各国の教育イノベーションの在り方は一律ではなく、この6つのいずれかの組み合わせであると言えます。

1.従来の学習内容を超える

これまでにない新しい学習内容が21世紀の学習領域に含まれるようになってきています。創造性とイノベーション、クリティカルな思考と問題解決能力、コミュニケーション力などの21世紀型の技能が求められるようになっています。

2.ローカルな狭い知識を超える

1つの地域にとらわれない、グローバルな視点や課題が学習領域に含まれるようになってきています。

3.課題学習を超える

これまではテーマ(課題)が与えられ、それについて学ぶことが重視されましたが、状況は変わりつつあります。例えば、民主主義という問題にしても、それを学ぶ課題とするのではなく、自分がどのような形で関わるか、何に気を配るのか、などの個人的な視点を持ち、思考や行動のツールとしていくことが重要になりつつあります。

4.伝統的な学問分野を超える

「グローバル経済」「健康」「起業」などの新しい学習領域が含まれます。

5.教科の枠を超える

例えば、「環境」「パンデミック」「エネルギー問題」を学ぶ際には教科の枠を超えた学びが必要となります。

6.画一的な学習を超える

学習者の興味・関心に合わせてテーマを選択できるように個別のカリキュラムを組むことができます。プロジェクト学習などもその一つです。

我々はこれまでの知性では対応できない複雑で多様な世界に突入しています。この複雑に広がる社会に対応して生きていくためには、教育も、その世界において重要なもの、時代に合ったものを提供していかないといけません。現実の問題に対応できない知性を持っていても何の役にも立ちません。その意味で、従来の国語や数学などの学習科目は現実の問題に対処する力を養うには、十分とは言えません。インターネットにより、多様な情報源が活用可能になった今、生活や世界(社会)とつながりのある問題が教材となる時代になっています。

現実の出来事から子どもたちが学ぶテーマとして非常に重要だと思われるのが、2011年3月11日に起きた福島原発事故です。一つのテーマに対して深い理解と疑問を持つことで、洞察力、共感、行動、倫理を学ぶ機会が生まれます。

●「わかりやすいプロジェクト」

福島原発事故に関する国会事故調報告書に記載されている事実を多くの人々に知ってもらうために、「わかりやすいプロジェクト」を立ち上げた人々がいます。

彼らの活動の目的は、事故調の報告書をわかりやすいものにし、以下の5つの問いに対する対話が日本中で行われるようにすることです。

  • 福島原発事故では何が起こったのか。
  • 福島原発事故の教訓とは何か。
  • 何を残し、何をどう変えていかなければならないのか。
  • どれだけの選択肢があり、それぞれの選択肢がもたらす価値は何か。
  • 短期的な視点と、長期的な視点で、私たちは個々人として何をするのか。

国会事故調とは、日本の歴史上初めて、国会の指示の下、事故当事者以外の第3者によって構成された委員会です。その国会事故調が作成した報告書は、民間で行われた報告書と異なり、事故当事者からの独立性が高く、調査権限も強いものです。2012年7月5日に国会に提出された後、一年が経ちましたが、その情報はあまり広がっていません。

「わかりやすいプロジェクト」は、原発事故に関するオープンでわかりやすいコンテンツを増やすことで、国民の理解を深めて、関心の輪を広げることができると考えています。わかりやすさを具現化するために、ストーリーブックやイラスト動画を作成し、そのコンテンツを利用して、ダイアログ・イベントやワークショップ、勉強会などの実施を続けています。

イベント参加者からは、ダイアログイベント.jpg

  • 事実から目を背けずに向き合い、対話をして未来への選択をしていく。日本の選択一つひとつに世界が注目しているということを意識し、自分には何ができるかを考えて行動していきたいと改めて感じた
  • 事故に対して、事前の調査や準備、想定が非常に不足していたことがわかった。事故後2年経って、この経験はどのように活かされているのか、問題だった点と対策をひもづけつつ、自分なりに考えたいと思った

といった感想が寄せられています。起きてしまった事故を振り返り、未来に活かすためにそこから学ぼうとする意志が伝わってきます。

「わかりやすいプロジェクト」のメンバーは、日本を、民主制のもと、質問や対話が自然と生まれる国にしたいと願っています。そのために、専門家は複雑なことを義務教育修了者が理解できるレベルで説明すること、国民は、疑問に思ったことを質問して、理解することが重要です。国民が自分の考えを持ち、世代を超えて多様な意見を尊重し、オープンに話し合う世の中にすることが彼らのビジョンです。今後は、わかりやすいコンテンツの配信やワークショップ、勉強会の開催の他、中学・高校における授業やプロジェクト学習の実施、大学における講義などを始める予定とのことです。

世界の教育界では、「リフレクション」と「メタ認知力」が21世紀を生きる子ども達にとっての核となる力と言われています。もし、大人が、原発事故の教訓から学ぶことができなければ、日本の子ども達は、リフレクションの意味を永遠に理解する事はできないでしょう。リフレクションは、責任の追及ではありません。報告書を過去のものとして忘却に帰するのではなく、そこを出発点としてこの問題をいかに解決していくかを議論し、今後の日本のあり方に反映していくことです。このテーマを身近に感じ、主体的に関わろうと考えてくださる方が増えることを心から願っています。

彼らの活動に興味をお持ちの方は、是非、「わかりやすい国会事故調プロジェクト」ホームページ http://naiic.net/をご覧ください。<お問い合わせ>一般財団クマヒラセキュリティ財団内 わかりやすい国会事故調プロジェクト Email: Office-h@kumahira.or.jp TEL: 03-6809-0763

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メリー・ゴードン氏の来日

文部科学教育通信 No.320 2013-7-22に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る30をご紹介します。

 

第27回の連載で、エンパシー(共感力)教育の重要性について述べましたが、アショカ財団のエンパシー・キャンペーンのスタートに際して来日されたメリー・ゴードン氏の講演会の様子をご紹介しましょう。メリー・ゴードン氏は、カナダのルーツ・オブ・エンパシーの創立者で、心の教育の第一人者として世界的に有名です。

アショカ財団は、「他者の気持ちを思いやり、相手の心に寄り添う」能力は、語学、数学、音楽、運動などのように一つの「才能」であり、誰でもそれを磨くことができると考えています。エンパシー能力と心の教育の重要性をより多くの方々に知っていただくために、2013年夏から5年間に亘り、15人の社会イノベーターたちを毎年3人、1週間ずつ日本へ招待し、講演、討論会などを実施する計画をしています。来日中のメリー・ゴードン氏は、7月8日、慶應義塾大学三田キャンパスで講演を行い、私は質疑応答のファシリテーターを務めさせていただきました。10日に大阪で講演会、12日に、エンパシーを育むような子どもとの関わり方について、親や教育関係者との対話会が開かれました。

 

●プログラムの概要

ルーツ・オブ・エンパシーは、9か月間、計27回の授業で完結する内容になっています。幼稚園、小学1~3年生、小学4~6年生、中学1~2年生用と4種類の教材があります。9か月の間、毎月1回、一歳未満の乳幼児とお母さんが教室を訪問し、子どもたちは、その様子を観察します。子どもたちは赤ちゃんが何を感じ、何を言おうとしているのかを理解することを通して、相手の気持ちや感情を探り、同化する能力を育んでいきます。ルーツ・オブ・エンパシーの実施結果として、10年以上の研究や分析データがあり、参加した子どもたちに対する次のような科学的効果が認められています。

1.攻撃性の減少
2.社会的・情緒的な理解力の向上
3.より愛情深く思いやりのある子どもが育成される
4.子育てに必要な知識を広げることができる

東京での講演会は、ジョニーとりんごの話から始まりました。

「ジョニーはりんごを3個持っています」
「もしアメリーが2個取ったら」
「ジョニーのりんごは何個残るでしょうか?」と問うのがこれまでの教育です。子どもたちに何を知っているかを問い、いかに結果が出せるかで、子どもの能力を測ります。エンパシー教育では、「ジョニーはどのような気持ちになるでしょうか?」と問い、子どもたちに、自分が何を感じ、考え、また、他人が何を感じ、考えていると思うかを問いかけます。

 

●赤ちゃんは先生

おもちゃを掴もうとする赤ちゃんを見つめる子どもたちの映像が映し出されました。赤ちゃんが少し遠いところにあるおもちゃを取ろうとしますが、手が届きません。それでも、懸命におもちゃを掴もうとする赤ちゃんの様子に、子どもたちは釘づけです。そして、あと一息でおもちゃに手が届こうする時に、赤ちゃんが転んでしまいます。思わず、子どもたちの間から、「うぉ~」と心配そうな声が挙がりました。困った赤ちゃんは、お母さんの方を向きます。

「赤ちゃんは、今、何を感じていますか?」
「赤ちゃんは、今、何を考えていますか?」
「赤ちゃんはおもちゃが取りたいのですね。でも、手が届かないから、フラストレーションを感じているでしょう」
「あなたは、最近、赤ちゃんのようにフラストレーションを感じることがありましたか。それはどんな時で、どういう気持ちでしたか」

先生はこのように、赤ちゃんの心を感じとった子どもに、次は自分の心の声を聴く問いかけをしていきます。

赤ちゃんの様子を観察した後で、子どもたちは「自分はどうなのだろう?」「どうしてこのような感情を持つのだろう?」と、自分に当てはめて考えるようになります。そして、自分の感情を言葉にし、なぜ、そのような感情を持つのかを考えることにより、自分とは何かを学びます。自分の感情と思考をメタ認知できるようになると、自分の本当のモチベーションに基づく行動を行うことができるようになります。親や先生から褒められるから、人にやさしくするのではなく、自分の心がそうしたいから、人にやさしくすることを子どもたちは学ぶのです。

また、お母さんの赤ちゃんに対する愛情と赤ちゃんがお母さんに寄せる信頼という親子の様子を観察することで、親の愛を知らない家庭環境で育った子どもも、お母さんの愛情を感じ取ることができます。虐待を受けて育った子どもが、赤ちゃんから慕われる経験をすることで、「僕にも家庭が持てるかな」と将来に向けて希望を持つようになります。エンパシー教育を通じて、感情についての理解力が高まると、子どもたち達は、辛い経験があってもうまく対処できるようになります。

 感情にとっての深い学びは、子どもたちに多様性を尊重する心も育みます。クラスでやんちゃな男の子も、自分と同じように泣きたい気持ちや感情を持っていることを知ると、子どもたちは、「自分とは違うと感じていたお友達も、実は自分と同じだ」ということを知ります。ルーツ・オブ・エンパシーを通して、多様性の尊重という民主的な社会や紛争のない平和な社会を形成する土台も養われます。

 

●破壊的なイノベーション

ルーツ・オブ・エンパシーは、破壊的なイノベーションの提案であると、メリー・ゴードン氏は語ります。「教科を教えて、子どもたちに良い成績を納めさせる」ことが、これまでの教育の成功の指標でしたが、ルーツ・オブ・エンパシーは、建設的な体験を通して得る「人間としての成功」を目指します。「人間としての成功」を手に入れる鍵は、突き詰めると「人とどのように関わるか」ということです。「人と関わる」ための基本的な能力がエンパシーです。メリー・ゴードン氏は「人間としての成功」を手に入れる子どもたちを多く育成することが究極の教育のゴールであると言います。

                                                                           

主に5つの視点で、教育にイノベーションをもたらします。メリー・ゴードン with 下村、奈々、漆、熊平.jpg

1.競争・賞罰・褒美ではなく、個人が本来持っているモチベーションに基づき行動する人をつくる                                   

2.従来の「識字リテラシー」だけでなく「感情リテラシー」を持つ人を作る

3.家族やコミュニティとのポジティブな関係を持つ人を作る 

4.子どもたちを、従順な「生徒」としてでなく、チェンジメーカーとして尊重する

5.学校で良い成績を納めるのではなく、メタ認知力(自らの思考や行動を把握し、認識する能力)を持つ人をつくる                          

 破壊的なイノベーションという言葉を始めに聞いた時には、とても刺激的に感じられましたが、イノベーションの5つの視点はどれも、子どもたちが未来を幸せに生きるためにとても大切な力であることがわかります。

 「自分の肺を誰かの肺と重ね、その人の吸う空気を自分も深く吸い込むことができる」
それが私のイメージするエンパシーの定義です。エンパシーを教え込むことはできません。
エンパシーは情動でとらえるものです。そして心がエンパシーを捉える環境を作り出すプログラムがルーツ・オブ・エンパシーなのです。                   メリー・ゴードン

 

メリー・ゴードン氏はエンパシーを体現したような方で、物静かで、温かい語り口調からも、エンパシーを感じ取ることが出来ました。

 

*参考文献: Tremblay et al., 2004、Payton et al., 2008、Powers、Ressler, &Bradley, 2009、Luthar & Brown, 2007

カレッジフェア

文部科学教育通信 No.319 2013-7-8に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る29をご紹介します。

今回は、6月16日に、東京学芸大学附属高校で行われた、カレッジフェアについてお話ししたいと思います。カレッジフェアは、2010年にUSCANJというアメリカの大学の卒業生を中心とした組織が始めた取り組みで、毎年一度、20校以上の大学が集まって大学の説明会とブースごとに分かれて各校卒業生との交流会を開いています。

今年は初の取り組みとして、夏休みで帰国中の現役学部生20名を中心にプレゼンテーションを行いました。このイベントは、留学関係者や学生の間では、アイビーリーグを始めとするほとんどの著名大学の出身者と直接話ができる唯一の場として有名です。最近、東京大学などの国内の名門大学よりもハーバード大など海外の一流校へ出願する学生が増えていることが新聞などで話題になっていますが、このような流れの中、今年は500人以上の参加予約があったとのことです。

 

①留学自体に意味はない

「私は、迷っていました。留学すべきか、すべきでないか」
思いがけない一言で、説明会は幕を開けました。『日本の中高生に、留学という選択肢を』という留学生と卒業生の強い願いから生まれた説明会ですが、彼らのメッセージに一貫していたのは、留学自体に価値があるのではなく、自分が本来やりたいことに挑戦する一つの場として留学がある、ということです。20人のスピーカーにより、『日米大学の違い』、『留学の種類』、『留学への道のり』、『留学を阻む3つの壁』、『パーソナルストーリー』など親しみやすいテーマに沿って、個々の挑戦の体験が語られました。

『グローバル人材』の育成が声高に叫ばれる今日、彼らのストーリーはむしろ、「みんながそうするから」といってアメリカの大学進学を目指す学生が出てくるのを牽制するように聞こえました。彼らの話からは、留学は、自分に挑む場所や仲間を変えるだけで、自分たちは日本にいても挑戦し続けただろうという、そんな意気込みが感じられました。冒頭の「私は迷っていました」という告白は、アメリカに留学して日々挑戦する留学生が、数年前の自分たち同様に留学を迷っている会場の中高生を励ます言葉だったのです。

 

②アメリカの教育と日本の教育

アメリカの大学では、ほとんどの学部生が専攻を決めるのは2年生の終わりで、それまでは自由に哲学から経済学まで幅広い科目を学びます。リベラルアーツという教育理念に基づいて、専門性よりも総合的な人間性を涵養するための内容になっています。東京大学からブラウン大学へ編入した学生が、日米の大学教育の違いを次のようにうまく言い表していました。「『何を知っているのか』が大切な日本の大学はStudying(勉強)の場であり、『なぜそうなのか』を教授や仲間と共に考えて成長するアメリカの大学はLearning(学習)の場である。日本の大学の『一般教養』は、リベラルアーツの流れを汲んではいるものの、本質的にやっていることは中高の受験勉強と変わらない『勉強』だった」という彼の言葉が印象的でした。

また、出願手続きのセクションでは、日本の受験の学力のみによる合否判断とは全く違ったアメリカの大学入試制度が紹介されていました。日本のセンター試験にあたるSATや、英語力の証明となるTOEFL以上に、志望動機や将来の計画、自分自身についてのエッセー、卒業生とのインタビュー、課外活動の実績などが重視されます。試験一本で決める日本の入試方式は一見公平に見えますが、それだけでは計ることのできない学生個々の資質が見落とされます。米国では、このような資質を見極めるための入試システムが設計されています。日本でも『グローバル人材の育成』の旗印のもと、国際バカロレア導入や秋入学などが検討されていますが、入試制度そのものが変わらなければ、それを通過して進学する学生の質も変化しないのではないかという懸念が頭をよぎりました。

 

③英語は壁ではない

留学と聞くと、最大の障壁は英語力だと思われるかもしれません。プレゼンテーションでも、留学中に意思疎通に苦労した体験談が何度か披露されました。しかし、日本の進学校から進学した学生の話を聞いて、いわゆる『英語力』以上に根深い壁があることに気付きました。『僕の英語が通じなかった理由』というエピソードでは、ある学生が、「通じないのは、最初は英語力のせいだと思い込んでいたが、実は物事を遠回しに伝えようとする自分のコミュニケーションスタイルの問題であった」と話していました。海外の大学をはじめとする社会の各所で大切になる力は、自分の意見を正しく論理的に説明して理解してもらう力、そして自分の意見に対する批判を受けてさらに考えを高めていく力です。例えば、アメリカの学部教育は、膨大な読書課題に加えて、レポートやプレゼンテーションといった自分の考えをまとめる課題が毎週課されることで有名です。ただ暗記した知識を繰り返したところで、何の評価もつきません。課題図書や授業で学んだ知識をもとに、自分自身の考えを練り上げ、発展させ、時には教授やクラスメートと積極的に議論を買って出て、新しい見方を取り入れる。そうした日本とは異なる考え方のスタイルを身につけることが、日本からアメリカへ留学する学生にとって少なからず壁になるのかもしれません。

TOEFLのスピーキング(会話)の平均スコアが世界最低を記録している日本の英語教育ですが、カレッジフェアの会場で頼もしい光景を目にしました。ブースにいる各大学の卒業生と現役生は、しばしば参加者と英語でやりとりをしています。ここで、帰国子女でもない高校生が、決して流暢とは言えないが内容のはっきりした英語で質問をぶつけていました。聞けば、高校のネイティブの先生と一緒に英会話クラブやディベートクラブを立ち上げ、学校にあるリソースをうまく使いながら苦手なスピーキングを練習しているというのです。自力で高める工夫をしている高校生を、心から頼もしく思いました。

 

③教師の参加がほとんどない?

500名を超える参加申込みがあった今回のイベントですが、教員枠での参加が十数名に満たなかったという気になる話を耳にしました。留学には学生本人の努力や保護者の支援はもとより、推薦状、英文成績表や学校紹介文の作成など教員の全面的な協力が必要です。たとえ、学校側が方針として海外進学を打ち出しても、現時点では、限られた情報と経験をもとに必要な手続きを行う能力が教員にあるとは考えられません。学校の先生方にこそ、このようなイベントに参加して、ノウハウを収集していただきたいものだと思いました。

 

④学部生有志による企画ブラウンの熊たち.jpg

最後にもう一つ、注目すべきプロジェクトをご紹介させていただきます。今回のカレッジフェアを共催した「ブラウンの熊たち」(ブラウン大学現役学生9名)による全国7都市での学部留学説明会ツアーが先日行われました。札幌から福岡まで全国を縦断し、合計1000名に及ぶ聴衆を相手にアメリカの大学の学部進学の説明会を実施したとのことです。その留学説明会の様子が、「ブラウンの熊たち」というブログhttp://ameblo.jp/brownujapan/に掲載されていますので、ご興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。彼らがブラウン大学における日々の学生生活を綴ったブログは、人気留学ブログとしてランキングの一位を独占し続けています。

未来をつくるリーダーシップ

文部科学教育通信 No.318 2013-6-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る28をご紹介します。

今、私たちを取り巻くあらゆる分野で、過去に類を見ない地球規模での大変化が、猛烈な勢いで起きています。これらの変化は既存の秩序や制度を揺るがし、様々な混乱や摩擦を引き起こしています。そのような中、「これまでのやり方が通用しない」「何とかしなければ思っていても、どうすればいいのかわかない」と、多くの人たちが、組織や社会の閉塞感と自らの無力感や方向感の喪失を感じているのではないのでしょうか。世界では、意識の高い人たちが、国や社会の変革に動き始めていますが、日本では残念ながらそのような活動が顕著ではありません。

こういった状況を打破し、日本が夢と希望が溢れる人々の社会となるように、私は、佐々木繁範氏*1、満田理夫氏、宍戸幹央氏らと一緒に未来をつくるリーダーを育てるためのプログラムの開発を始めました。この活動をアンビショナーズ・ラボと名付けていますが、その初回の試みとしてリーダーシップ育成や組織・社会変革、起業に興味のある方々を対象にワークショップを6月1日、2日と二日間に亘り、開催いたしました。今回はワークショップでご紹介した、未来をつくるリーダーシップに必要な「8つの力と4つの価値観」をご紹介しましょう。

このような地球規模での大変化の時代を生き抜くためには、問題を解決する力、創造する力、変わる力が必要です。組織や社会をリードする人たちや、未来を担う人を育てる教育者たちが、次に挙げる「8つの力と4つの価値観」からなる未来をつくるリーダーシップ能力を高めることが必要である、と考えます。

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未来をつくる8つの力と4つの価値観

<8つの力>

①真の自分を生きる力

人は心から望むことをする時に大きな力を発揮し、これが未来をつくる原動力となります。リーダーは、多くの人たちが、真の自分を生きられるように、使命を見つける手伝いをし、その実現を後押しする力を持つ必要があります。

②心を突き動かすメッセージ発信力

リーダーは、人々の心を突き動かすメッセージ発信力を持つ必要があります。未来をつくるためには、ビジョンを発信し、共鳴する仲間をつくり、力を合わせて事に臨むことが大切です。そのためには、論理的に、分かりやすく説明するだけでなく、人々の心に火をつけ、心と心をつなぐメッセージ発信力が求められるのです

③自らの意志で動く強いチームを創る力

リーダーには、自らの意志で動く強いチームを創る力が必要です。未来をつくるためには、個を超えたチームの力が必要だからです。夢とビジョンと目標を共有し、一人一人が自らの役割を知り、自らの意志で、目標の達成にコミットしていくチーム、強い信頼関係を土台に、互いの意見の相違を恐れず、オープンな議論ができるチームを創る力が求められます。

④新しい価値を生みだす対話力

リーダーには、新しい価値を生みだす対話力が必要です。多様な経験や専門性を持つ人同士が、お互いを尊重し、安心して意見をぶつけあい、学びあうことを通じて、新しい価値が生みだされます。メンバーがお互いに相手の話に耳を傾け、いったん自らの意見を手放して目的に必要なことは何か?と考える<傾聴と内省>を通じて、新しいアイデアを生みだす対話を促す力が求められます。

⑤創造的な問題解決力

リーダーには、創造的な問題解決力が必要です。未来に向かう過程では、あらゆる分野の既存の秩序にとらわれることなく、論理的に考える力、複雑にからみあった全体像を把握する力、過去にとらわれない新しい正解を生みだす力が必要です。ロジカル思考、システム思考、デザイン思考を駆使して、創造的に問題を解決する力が求められます。

⑥自ら学び進化する強い組織をつくる力

リーダーには、自ら学び進化する強い組織をつくる力が必要です。未来をつくるためには、新しい未来を生みだす意志と、過去のとらわれから脱却し、常に新しいものを受け入れ、自ら変わる力が求められます。ビジョンを共有し、自ら学び、常に進化する強い組織を築き上げる力が求められるのです。

⑦学習する力

リーダーには、自ら学習する力が必要です。未来をつくるためには、過去にしばられず、常に新しい見方を手に入れる必要があります。また、多様性から新しい価値を生みだすことが大切です。それゆえ、好奇心を持ち、異質なものから学び、自らの思考や行動を省みて、自らの枠を広げ、成長する。このような姿勢で行動し、進化を遂げる力が求められます。

⑧育成する力

リーダーには、人を育成する力が必要です。自ら学び進化する強い組織をつくるためには、学習する力を持つ人を育成することが大切です。ありたい姿になるためのチームとしての成長課題を明確にし、伴走者としてメンバー個々の成長を支援するというような育成力が求められます。

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<4つの価値観>

①人間の創造力と無限の可能性を信じる

現状の閉塞感を打破し、突破口を開くためには、チームメンバー個々の思考力・発想力の強化や意識改革が必要です。チームの創造力を強化するためには、創造力発揮のための土壌づくりとメンバー相互の信頼関係を構築する土台づくりがリーダーには求められます。

②他者への共感を大事にする

リーダーには、他者の状況を自分の事のように感じる共感力を持つことが必要です。既存の商品・サービスでは満足しない人たち、人口減少と高齢化という厳しい時代を生き抜かなければならない若い世代、大きな生活上の問題を抱えている人たち、このような人たちが置かれた状況に深く共感する力が、イノベーションのみならず、身近な商品開発にも不可欠です。より良い社会の実現に向けて、頭だけでなく、心も体も使って相手を理解する力が求められるのです。

③多様性を尊重する

リーダーには、多様性を尊重する姿勢が必要です。世界には様々な人々が様々な文化背景と価値観を持って生活しています。多様性を尊重し、価値あるものとして受け入れる気持ちがなければ、ますますグローバル化する社会ではリーダーとして活躍していくことはできません。また、多様性を尊重する気持ちがなければ、新しい価値を生みだすこともできません。多様性が安全に存在できる環境を作る力が求められます。

④倫理観を大事にする

リーダーは、確固とした倫理観を持つことが必要です。リーダーは倫理的な行動を遵守し、他者の模範的なモデルとなることが求められています。また、自分たちのチームや組織の偏狭な利益だけでなく、社会の善にどのように貢献するかを考慮することが求められます。目的の正しさを常に考えて行動する力が求められるのです。

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本プログラムの設計において土台としたのは、OECDが提唱する21世紀を幸せに生きる力(キー・コンピタンシー)です。若者が、その力を身に付けるためには、周囲の大人たちが実践者である必要があります。多くの実践者を増やし、子どもたちが幸福に生きる力を身に付けることができる国にしたいと思い活動を始めています。今後、アンビショナーズ・ラボの高校生・大学生向けワークショップを展開していく予定です。

*1 佐々木繁範氏: ロジック・アンド・エモーション代表、リーダーシップ・コミュニケーション・コンサルタント、ハーバード大学院修士卒、著書に「思いが伝わる、心が動く スピーチの教科書」(ダイヤモンド社、2012年2月)

エンパシー(共感力)教育

文部科学教育通信 No.317 2013-6-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る27をご紹介します。

近年、米国や欧州の教育界では、エンパシー(共感力)という言葉が注目されています。エンパシーとは、他人の気持ちを感じたり、考えを理解する能力です。現代社会でもっとも必要とされる資質の一つです。今回はこのエンパシー教育が様々な分野で重要視されている例をいくつかご紹介したいと思います。

●ビジネスリーダーとエンパシー
皆さんは、グローバルリーダーにとって重要な資質は何だと思いますか。スイス・IMD(ヨーロッパのトップランキングに位置付けられるビジネススクール)のドミニク・テュルパン学長は、好奇心が旺盛で、世界から学ぼうとする謙虚さがあり、他国の文化に対する高いエンパシーと他者への尊重とシンパシー(思いやり)を持つ人こそがグローバルリーダーとして最もふさわしい、と話されています。

リーダーシップに求められる力は時代とともに変わります。私がハーバードビジネススクールで学んだ1980年代後半には、まだ、リー・アイアコッカ氏のようなカリスマ的なリーダー像が主流でした。リーダーという言葉には、人々をけん引する力強い人というイメージがあり、一方、共感という言葉には力強さと無縁の響きを感じる方もいらっしゃると思います。しかし、今日、引退する時に、会社への期待値が下がり、株価の下がるカリスマ的経営者は優れたリーダーではないと言われています。リーダーシップ教育で、世界的に有名な組織センター・フォー・クリエイティブ・リーダーシップは、グローバル時代において、リーダーシップに重要な力は、エンパシー、つまり、多様性を尊重し、協働するチームを作る力であると述べています。

●創造性とエンパシー
世界中で、今、創造性を育む教育が盛んに行われています。U理論やデザイン思考など、さまざまな理論と方法論が開発されていますが、そこでも、鍵を握るのがエンパシーです。創造の目的は、社会や人のためになる何かを生み出すことです。そのためには、社会や人の求めていることを本当に理解しなければなりません。その理解には、エンパシーが欠かせないという訳です。インドでは、鍵のついていない冷蔵庫は売れないことを知らないで市場参入に失敗した日本の家電メーカーの話を聞いたことがあります。世界に暮らす人々を理解し、共感する力は、イノベーションのみならず、身近な商品開発にも、不可欠な力になっています。

●シチズンシップ教育とエンパシー
オランダのシチズンシップ教育「ピースフルスクール」は、学校を、子ども達のコミュニティと捉えて、民主的な社会の担い手になる実践練習を行うプログラムです。4月にその開発者、レオ・パオ氏と、カロリン・フェルフーフ氏に来日していただき、ワークショップと講演会を開きました。シチズンシップ教育の土台は、社会的・情緒的な発達です。そこには、自尊心や自分と繋がる力とともに、他者を理解し、共感する力が含まれています。多様な人々が安心して暮らせる社会の担い手になるためにも、エンパシーは欠かせない力なのです。

講演会の質疑応答で、いじめの問題が話題になりました。その際に、校長先生経験者のカロリンさんが、「いじめの傍観者がいる時、そこにはコミュニティは存在しません」と話されたのがとても印象的でした。子ども達のエンパシーを引き出すことができなければ、いじめの問題は解決しないことがわかりました。

日本社会においても、今後ますますエンパシーは重要になってくると思います。震災復興、格差問題、少子高齢化問題など、多様なステイクホルダーが存在する複雑な問題を解決する上でも、エンパシーは欠かせません。エンパシーがなければ、マイノリティの人々が安心して暮らせる民主的な社会を作ることができないからです。

●社会起業家とエンパシー
最近、社会問題の解決に取り組む社会起業家が、世界的に注目を集めています。その生みの親といわれているアショカ財団の創設者 ビル・ドレイトン氏は、社会起業家に必要な資質の一つにエンパシーを挙げています。

アショカ財団は、若者が日常で感じた違和感を解決するために、若者自らが活動を始めることを支援しています。この取り組みは、アショカ・ユースベンチャーと呼ばれ、1996年に本国アメリカで始まり、日本では2011年にスタートしました。「社会のために行動を起こしたい」という想いとアイディアを持つ12歳〜20歳の若者からプランを募り、選考された若者を「アショカ・ユースベンチャラー」として認定し、資金面・運営面の両方から1年間支援する仕組みです。ユースベンチャーは、「誰もが社会を変えるチェンジメーカーになれる」という、アショカ財団のビジョンを実現するための重要な取り組みです。この活動を通して若者はチェンジメーカーになるために最も必要な3つのスキル:エンパシー、チームワーク、リーダーシップを学びます。

アショカジャパンでは、今年から、ユースベンチャーの活動に加えて、エンパシーの大切さを世の中に広める活動を始めます。そのスタートとして、赤ちゃんからエンパシーを学ぶ教育プログラムを開発したメアリー・ゴードンが来日し、講演会やセミナーを開催する予定です。

メアリー・ゴードンの開発したルーツ・オブ・エンパシー(共感力育成プログラム)という活動を紹介しましょう。彼女がトロントの公立学校で教鞭をとっていた時、いじめと暴力の問題が発生しました。メアリーは、いじめの原因は共感できない子どもが急増していることにあると考え、事態をよく観察して分析し、斬新なアイディアを考えました。

それは、8カ月の間、毎月1回、1歳未満の乳幼児とお母さんを緑のブランケットを持って学校に来させることでした。教室では緑のブランケットに座った赤ちゃんが先生となり、子どもたちは、赤ちゃんが何を言おうとしているのか、そして何を感じているのかを観察し、理解しなければなりません。初回は、親に連れてこられた赤ちゃんとの顔合わせ。それからの8か月の間、子供達はこの赤ちゃんのめまぐるしい生育ぶりを見守ることになります。社会的偏見や固定観念のフィルターにさらされていない純粋無垢な感情の塊である赤ちゃんを通して、子供達は相手の気持ちや感情を探り、同化する能力を育んでいきます。最初は戸惑っていた子供達も、月日が経つにつれて、赤ちゃんが何を考えているのか、何が言いたいのかわかるようになりました。そして、赤ちゃんと一緒に過ごすというこの体験によって、いじめが著しく減少するという結果が出ました

メアリーが取り組んだのは、最初は幼稚園の二つのクラスでしたが、いまやカナダ全体の2000校以上で行われています。さらに、彼女のプログラムはオーストラリアやニュージーランドでも採用されはじめ、世界的な広がりを始めています。教室の子どもたちだけに止まらず、社会全体や教育システムを発展的に変えています。メアリーの編み出したこのシンプルで効果のあるプログラムで、子どもたちは共感することを学びます。そして、世界の責任ある市民として育っていくのです。
出典: How to raise changemakers (社会起業家の育て方) Diamond Harvard Business Review 2008年1月号、2007年度「五井平和賞」 ビル・ドレイトン氏受賞記念講演「市民が起こす大きなうねり」

ピースフルスクールとシチズンシップ教育

文部科学教育通信 No.315 2013-5-13に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る26をご紹介します。

国連児童基金(ユニセフ)が発表した先進国の子どもの幸福度ランキングで、オランダは再び、29カ国中のトップに選ばれました。

2011年にオランダの教育の秘密を探るために学校視察を行った際に紹介された「ピースフルスクール*1」に、私がすっかり魅了され、日本に導入したいと思った話は、以前にも書きました。この度、プログラムを日本に導入する準備がほぼ整いましたので、皆様へのご紹介を兼ねて、開発家のレオ・パウ氏、実践者のカロリン・フェルフーフ氏、オランダ教育専門家のリヒテルズ直子氏をお招きしてワークショップ(4月12-13日)及び講演会(4月16日)を開催いたしました。日本の教育問題、いじめ問題に関心をお持ちの学校の先生、教育委員会の方々、会社員、コンサルタント、学生、主婦など様々な立場の方々、総計130名の方々にご参加いただきました。ワークショップでは、オランダのシチズンシップ教育、開発の背景、プログラムの全体像の紹介のほか、カロリン氏により実際のレッスンの一部が披露され、参加者はプログラムを体験することができました。「大変、有意義な時間だった」、「ぜひ日本にも取り入れたい」という声が多数寄せられています。

本日は、ワークショップの中から、オランダでピースフルスクールが開発された背景とシチズンシップ教育の意義について、ご紹介させていただきたいと思います。

 

●プログラム開発の背景

レオ・パウ氏がピースフルスクールの開発に取り組み始めた1999年頃のオランダでは、子どもたちの規律のなさや、様々な問題行動が表面化し、それらの問題にどのように取り組めばよいか、教師自身が途方にくれている状況でした。大都市部の荒れた地区の学校では、教師のなり手を見つけることが困難で、青少年の犯罪や暴力的な行動も増えていました。人々は子どもたちの心にいったい何が起こっているのだろうと不安を感じるようになりました。

この背景には、オランダ社会の変化があります。1960年代以後、オランダ社会が繁栄し、福祉制度が大きく発達し、社会全体が豊かになるにつれ、個人主義が浸透してきました。人々は、お互いを強く必要とせず、自分の生き方を自分で決めることができるようになり、個人に対する教会や宗教の影響が縮小してきました。安い労働者としてモロッコやトルコからの移民が流入した結果、オランダに住む人々の構成が変わり、社会は多元化し、人々は共生するというよりも、隣にいてもお互いに相手に無関心に生きるようになりました。変化のもう一つの結果として、自分が欲しいものを手に入れ、規則に縛られることを望まない自己主張の強い市民が出現し、子どもたちの教育に大きな影響を与えるようになりました。家庭でも、学校でも、子どもたちの個人的な幸福や個別の発達に対して焦点が向けられるようになり、個人主義化した社会において、子どもたちの教育の責任が学校と保護者に重くのしかかるようになりました。

社会変容の結果、子どもたちは大切にされるようになり、自分が欲するものを何でも持つことができるようになったのですが、それに伴う負の部分も多く出現しました。与えられる自由が大きければ大きいほど、その自由をどう取り扱うかについての責任が求められます。子どもたちは、自制心を持ち、責任のある方法で行動することを学ばなくてはならないのですが、それを、いったい、どこで、誰から学べばよいのでしょうか。

 

●学校という共同体

こうした問題に対する解決策を求めて、合衆国に飛んだレオ・パウ氏は、一つのヒントを得ました。合衆国での研究によれば、子どもたちが、ある場所において自分の存在が重要なのだと感じられる時、問題は起こりにくくなるということがわかりました。もし子どもたちが、自分は、学校で歓迎される存在であり、一つの学校という共同体に属していると感じられるような学校に通っている場合、子どもたちの問題行動がずっと起きにくくなると言われています。

私たちは皆、誰かから必要とされる存在でありたいと思っています。自分がそこにいることで、世界はより良い場所になるのだという感覚を持ちたいとものですが、そういう観点から見てみると、今の学校は生徒にとってそのような場所になっていません。学校が、社会的結合性が多く生み出せる1つの共同体になれば、生徒たちの問題はより少なくなっていくはずです。

学校が生徒にとってそのような場所になれるよう、学校全体を変容させるための一つの完成度の高いプログラムが「ピースフルスクール」です。忙しい先生でも実践できるよう、段階を踏んで約2年間で学校を変容させることを狙いとした、一つの系統だったシチズンシップ教育プログラムです。

 

●ピースフルスクールが目指す民主的なシチズンシップ

「ピースフルスクール」はオランダのシチズンシップ教育の一貫として開発されていますが、そもそもシチズンシップ教育とは何でしょうか?

ユトレヒト大学の教授のミシャ・デ・ウィンター教授によれば、シチズンシップ教育には3つの段階があります。シチズンとして、①個人的な責任を負うこと、②参加的行動をとること、③社会的正義を守ること、の3段階です。①個人的な責任をとるとは、法や秩序を守るシチズンになることです。②参加的行動をとるとは、自分が一部となって共同体に参加することです。③社会的正義を守るとは、社会・政治・経済の現状に批判的になって変革のために努力することです。フードバンク*2の活動を例にとれば、①のシチズンはフードバンクに食糧を持っていく人、②はフードバンクの活動に参加する人、③はなぜフードバンクが必要なのかと考える人です。①単に個人の責任を果たすことは独裁政権下でもできることです。②もし社会全体のシステムが間違っていた場合には、参加すれば参加するほどシステムが悪い方向に強化されていってしまいます。民主的なシチズンシップを行うためには、そこに社会的正義が必要です。③社会的正義に照らして考えるとは批判的に、クリエイティブに、現存のシステムを外から客観的に見て、より良い社会への変革アイディアを生み出していく必要があります。オランダのシチズンシップ教育はこの③を目指しています。

シチズンシップ教育において最も大切なことは、どのような社会を実現する人を育てたいのか、ということです。シチズンとは何か?ということを考えた時、オランダでは、市民とは主権者・参政権を持つ人々であり、自由と責任の両方を持ちます。オランダ市民であることは、ヨーロッパ市民や世界市民であることと、同義であり、矛盾がなく、そのような市民を育てるためにシチズンシップ教育が行われています。残念ながら、日本では日本国民であることと、アジアや世界の市民であることが一致しているという実感を持つ人はあまりいないのではないでしょうか。

教育を行う一つの目的は、民主的なシチズンを育てることにあります。OECDの言葉を借りていえば、「教育とは単に個人の知識やスキルを増大することで個人をエンパワー(力を与える)のではなく、健全なライフスタイルとアクティブなシチズンになるための習慣や価値観、態度を向上させることで、個人をエンパワーする(力を与える)ものです」 

シチズンシップ教育は、これからの学校教育に重要な比重を占めてくると思います。 

*1 オランダで最も成功しているシチズンシップ教育のプログラムならびにその実践校のことで、10年以上の実績を持ち、全小学校のおよそ10%に当たる、約600校を超える学校で実践されています。

*2 包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体

 

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