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エンパシー(共感力)教育

文部科学教育通信 No.317 2013-6-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る27をご紹介します。

近年、米国や欧州の教育界では、エンパシー(共感力)という言葉が注目されています。エンパシーとは、他人の気持ちを感じたり、考えを理解する能力です。現代社会でもっとも必要とされる資質の一つです。今回はこのエンパシー教育が様々な分野で重要視されている例をいくつかご紹介したいと思います。

●ビジネスリーダーとエンパシー
皆さんは、グローバルリーダーにとって重要な資質は何だと思いますか。スイス・IMD(ヨーロッパのトップランキングに位置付けられるビジネススクール)のドミニク・テュルパン学長は、好奇心が旺盛で、世界から学ぼうとする謙虚さがあり、他国の文化に対する高いエンパシーと他者への尊重とシンパシー(思いやり)を持つ人こそがグローバルリーダーとして最もふさわしい、と話されています。

リーダーシップに求められる力は時代とともに変わります。私がハーバードビジネススクールで学んだ1980年代後半には、まだ、リー・アイアコッカ氏のようなカリスマ的なリーダー像が主流でした。リーダーという言葉には、人々をけん引する力強い人というイメージがあり、一方、共感という言葉には力強さと無縁の響きを感じる方もいらっしゃると思います。しかし、今日、引退する時に、会社への期待値が下がり、株価の下がるカリスマ的経営者は優れたリーダーではないと言われています。リーダーシップ教育で、世界的に有名な組織センター・フォー・クリエイティブ・リーダーシップは、グローバル時代において、リーダーシップに重要な力は、エンパシー、つまり、多様性を尊重し、協働するチームを作る力であると述べています。

●創造性とエンパシー
世界中で、今、創造性を育む教育が盛んに行われています。U理論やデザイン思考など、さまざまな理論と方法論が開発されていますが、そこでも、鍵を握るのがエンパシーです。創造の目的は、社会や人のためになる何かを生み出すことです。そのためには、社会や人の求めていることを本当に理解しなければなりません。その理解には、エンパシーが欠かせないという訳です。インドでは、鍵のついていない冷蔵庫は売れないことを知らないで市場参入に失敗した日本の家電メーカーの話を聞いたことがあります。世界に暮らす人々を理解し、共感する力は、イノベーションのみならず、身近な商品開発にも、不可欠な力になっています。

●シチズンシップ教育とエンパシー
オランダのシチズンシップ教育「ピースフルスクール」は、学校を、子ども達のコミュニティと捉えて、民主的な社会の担い手になる実践練習を行うプログラムです。4月にその開発者、レオ・パオ氏と、カロリン・フェルフーフ氏に来日していただき、ワークショップと講演会を開きました。シチズンシップ教育の土台は、社会的・情緒的な発達です。そこには、自尊心や自分と繋がる力とともに、他者を理解し、共感する力が含まれています。多様な人々が安心して暮らせる社会の担い手になるためにも、エンパシーは欠かせない力なのです。

講演会の質疑応答で、いじめの問題が話題になりました。その際に、校長先生経験者のカロリンさんが、「いじめの傍観者がいる時、そこにはコミュニティは存在しません」と話されたのがとても印象的でした。子ども達のエンパシーを引き出すことができなければ、いじめの問題は解決しないことがわかりました。

日本社会においても、今後ますますエンパシーは重要になってくると思います。震災復興、格差問題、少子高齢化問題など、多様なステイクホルダーが存在する複雑な問題を解決する上でも、エンパシーは欠かせません。エンパシーがなければ、マイノリティの人々が安心して暮らせる民主的な社会を作ることができないからです。

●社会起業家とエンパシー
最近、社会問題の解決に取り組む社会起業家が、世界的に注目を集めています。その生みの親といわれているアショカ財団の創設者 ビル・ドレイトン氏は、社会起業家に必要な資質の一つにエンパシーを挙げています。

アショカ財団は、若者が日常で感じた違和感を解決するために、若者自らが活動を始めることを支援しています。この取り組みは、アショカ・ユースベンチャーと呼ばれ、1996年に本国アメリカで始まり、日本では2011年にスタートしました。「社会のために行動を起こしたい」という想いとアイディアを持つ12歳〜20歳の若者からプランを募り、選考された若者を「アショカ・ユースベンチャラー」として認定し、資金面・運営面の両方から1年間支援する仕組みです。ユースベンチャーは、「誰もが社会を変えるチェンジメーカーになれる」という、アショカ財団のビジョンを実現するための重要な取り組みです。この活動を通して若者はチェンジメーカーになるために最も必要な3つのスキル:エンパシー、チームワーク、リーダーシップを学びます。

アショカジャパンでは、今年から、ユースベンチャーの活動に加えて、エンパシーの大切さを世の中に広める活動を始めます。そのスタートとして、赤ちゃんからエンパシーを学ぶ教育プログラムを開発したメアリー・ゴードンが来日し、講演会やセミナーを開催する予定です。

メアリー・ゴードンの開発したルーツ・オブ・エンパシー(共感力育成プログラム)という活動を紹介しましょう。彼女がトロントの公立学校で教鞭をとっていた時、いじめと暴力の問題が発生しました。メアリーは、いじめの原因は共感できない子どもが急増していることにあると考え、事態をよく観察して分析し、斬新なアイディアを考えました。

それは、8カ月の間、毎月1回、1歳未満の乳幼児とお母さんを緑のブランケットを持って学校に来させることでした。教室では緑のブランケットに座った赤ちゃんが先生となり、子どもたちは、赤ちゃんが何を言おうとしているのか、そして何を感じているのかを観察し、理解しなければなりません。初回は、親に連れてこられた赤ちゃんとの顔合わせ。それからの8か月の間、子供達はこの赤ちゃんのめまぐるしい生育ぶりを見守ることになります。社会的偏見や固定観念のフィルターにさらされていない純粋無垢な感情の塊である赤ちゃんを通して、子供達は相手の気持ちや感情を探り、同化する能力を育んでいきます。最初は戸惑っていた子供達も、月日が経つにつれて、赤ちゃんが何を考えているのか、何が言いたいのかわかるようになりました。そして、赤ちゃんと一緒に過ごすというこの体験によって、いじめが著しく減少するという結果が出ました

メアリーが取り組んだのは、最初は幼稚園の二つのクラスでしたが、いまやカナダ全体の2000校以上で行われています。さらに、彼女のプログラムはオーストラリアやニュージーランドでも採用されはじめ、世界的な広がりを始めています。教室の子どもたちだけに止まらず、社会全体や教育システムを発展的に変えています。メアリーの編み出したこのシンプルで効果のあるプログラムで、子どもたちは共感することを学びます。そして、世界の責任ある市民として育っていくのです。
出典: How to raise changemakers (社会起業家の育て方) Diamond Harvard Business Review 2008年1月号、2007年度「五井平和賞」 ビル・ドレイトン氏受賞記念講演「市民が起こす大きなうねり」

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