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メリー・ゴードン氏の来日

文部科学教育通信 No.320 2013-7-22に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る30をご紹介します。

 

第27回の連載で、エンパシー(共感力)教育の重要性について述べましたが、アショカ財団のエンパシー・キャンペーンのスタートに際して来日されたメリー・ゴードン氏の講演会の様子をご紹介しましょう。メリー・ゴードン氏は、カナダのルーツ・オブ・エンパシーの創立者で、心の教育の第一人者として世界的に有名です。

アショカ財団は、「他者の気持ちを思いやり、相手の心に寄り添う」能力は、語学、数学、音楽、運動などのように一つの「才能」であり、誰でもそれを磨くことができると考えています。エンパシー能力と心の教育の重要性をより多くの方々に知っていただくために、2013年夏から5年間に亘り、15人の社会イノベーターたちを毎年3人、1週間ずつ日本へ招待し、講演、討論会などを実施する計画をしています。来日中のメリー・ゴードン氏は、7月8日、慶應義塾大学三田キャンパスで講演を行い、私は質疑応答のファシリテーターを務めさせていただきました。10日に大阪で講演会、12日に、エンパシーを育むような子どもとの関わり方について、親や教育関係者との対話会が開かれました。

 

●プログラムの概要

ルーツ・オブ・エンパシーは、9か月間、計27回の授業で完結する内容になっています。幼稚園、小学1~3年生、小学4~6年生、中学1~2年生用と4種類の教材があります。9か月の間、毎月1回、一歳未満の乳幼児とお母さんが教室を訪問し、子どもたちは、その様子を観察します。子どもたちは赤ちゃんが何を感じ、何を言おうとしているのかを理解することを通して、相手の気持ちや感情を探り、同化する能力を育んでいきます。ルーツ・オブ・エンパシーの実施結果として、10年以上の研究や分析データがあり、参加した子どもたちに対する次のような科学的効果が認められています。

1.攻撃性の減少
2.社会的・情緒的な理解力の向上
3.より愛情深く思いやりのある子どもが育成される
4.子育てに必要な知識を広げることができる

東京での講演会は、ジョニーとりんごの話から始まりました。

「ジョニーはりんごを3個持っています」
「もしアメリーが2個取ったら」
「ジョニーのりんごは何個残るでしょうか?」と問うのがこれまでの教育です。子どもたちに何を知っているかを問い、いかに結果が出せるかで、子どもの能力を測ります。エンパシー教育では、「ジョニーはどのような気持ちになるでしょうか?」と問い、子どもたちに、自分が何を感じ、考え、また、他人が何を感じ、考えていると思うかを問いかけます。

 

●赤ちゃんは先生

おもちゃを掴もうとする赤ちゃんを見つめる子どもたちの映像が映し出されました。赤ちゃんが少し遠いところにあるおもちゃを取ろうとしますが、手が届きません。それでも、懸命におもちゃを掴もうとする赤ちゃんの様子に、子どもたちは釘づけです。そして、あと一息でおもちゃに手が届こうする時に、赤ちゃんが転んでしまいます。思わず、子どもたちの間から、「うぉ~」と心配そうな声が挙がりました。困った赤ちゃんは、お母さんの方を向きます。

「赤ちゃんは、今、何を感じていますか?」
「赤ちゃんは、今、何を考えていますか?」
「赤ちゃんはおもちゃが取りたいのですね。でも、手が届かないから、フラストレーションを感じているでしょう」
「あなたは、最近、赤ちゃんのようにフラストレーションを感じることがありましたか。それはどんな時で、どういう気持ちでしたか」

先生はこのように、赤ちゃんの心を感じとった子どもに、次は自分の心の声を聴く問いかけをしていきます。

赤ちゃんの様子を観察した後で、子どもたちは「自分はどうなのだろう?」「どうしてこのような感情を持つのだろう?」と、自分に当てはめて考えるようになります。そして、自分の感情を言葉にし、なぜ、そのような感情を持つのかを考えることにより、自分とは何かを学びます。自分の感情と思考をメタ認知できるようになると、自分の本当のモチベーションに基づく行動を行うことができるようになります。親や先生から褒められるから、人にやさしくするのではなく、自分の心がそうしたいから、人にやさしくすることを子どもたちは学ぶのです。

また、お母さんの赤ちゃんに対する愛情と赤ちゃんがお母さんに寄せる信頼という親子の様子を観察することで、親の愛を知らない家庭環境で育った子どもも、お母さんの愛情を感じ取ることができます。虐待を受けて育った子どもが、赤ちゃんから慕われる経験をすることで、「僕にも家庭が持てるかな」と将来に向けて希望を持つようになります。エンパシー教育を通じて、感情についての理解力が高まると、子どもたち達は、辛い経験があってもうまく対処できるようになります。

 感情にとっての深い学びは、子どもたちに多様性を尊重する心も育みます。クラスでやんちゃな男の子も、自分と同じように泣きたい気持ちや感情を持っていることを知ると、子どもたちは、「自分とは違うと感じていたお友達も、実は自分と同じだ」ということを知ります。ルーツ・オブ・エンパシーを通して、多様性の尊重という民主的な社会や紛争のない平和な社会を形成する土台も養われます。

 

●破壊的なイノベーション

ルーツ・オブ・エンパシーは、破壊的なイノベーションの提案であると、メリー・ゴードン氏は語ります。「教科を教えて、子どもたちに良い成績を納めさせる」ことが、これまでの教育の成功の指標でしたが、ルーツ・オブ・エンパシーは、建設的な体験を通して得る「人間としての成功」を目指します。「人間としての成功」を手に入れる鍵は、突き詰めると「人とどのように関わるか」ということです。「人と関わる」ための基本的な能力がエンパシーです。メリー・ゴードン氏は「人間としての成功」を手に入れる子どもたちを多く育成することが究極の教育のゴールであると言います。

                                                                           

主に5つの視点で、教育にイノベーションをもたらします。メリー・ゴードン with 下村、奈々、漆、熊平.jpg

1.競争・賞罰・褒美ではなく、個人が本来持っているモチベーションに基づき行動する人をつくる                                   

2.従来の「識字リテラシー」だけでなく「感情リテラシー」を持つ人を作る

3.家族やコミュニティとのポジティブな関係を持つ人を作る 

4.子どもたちを、従順な「生徒」としてでなく、チェンジメーカーとして尊重する

5.学校で良い成績を納めるのではなく、メタ認知力(自らの思考や行動を把握し、認識する能力)を持つ人をつくる                          

 破壊的なイノベーションという言葉を始めに聞いた時には、とても刺激的に感じられましたが、イノベーションの5つの視点はどれも、子どもたちが未来を幸せに生きるためにとても大切な力であることがわかります。

 「自分の肺を誰かの肺と重ね、その人の吸う空気を自分も深く吸い込むことができる」
それが私のイメージするエンパシーの定義です。エンパシーを教え込むことはできません。
エンパシーは情動でとらえるものです。そして心がエンパシーを捉える環境を作り出すプログラムがルーツ・オブ・エンパシーなのです。                   メリー・ゴードン

 

メリー・ゴードン氏はエンパシーを体現したような方で、物静かで、温かい語り口調からも、エンパシーを感じ取ることが出来ました。

 

*参考文献: Tremblay et al., 2004、Payton et al., 2008、Powers、Ressler, &Bradley, 2009、Luthar & Brown, 2007

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