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ピースフルスクールとシチズンシップ教育

文部科学教育通信 No.315 2013-5-13に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る26をご紹介します。

国連児童基金(ユニセフ)が発表した先進国の子どもの幸福度ランキングで、オランダは再び、29カ国中のトップに選ばれました。

2011年にオランダの教育の秘密を探るために学校視察を行った際に紹介された「ピースフルスクール*1」に、私がすっかり魅了され、日本に導入したいと思った話は、以前にも書きました。この度、プログラムを日本に導入する準備がほぼ整いましたので、皆様へのご紹介を兼ねて、開発家のレオ・パウ氏、実践者のカロリン・フェルフーフ氏、オランダ教育専門家のリヒテルズ直子氏をお招きしてワークショップ(4月12-13日)及び講演会(4月16日)を開催いたしました。日本の教育問題、いじめ問題に関心をお持ちの学校の先生、教育委員会の方々、会社員、コンサルタント、学生、主婦など様々な立場の方々、総計130名の方々にご参加いただきました。ワークショップでは、オランダのシチズンシップ教育、開発の背景、プログラムの全体像の紹介のほか、カロリン氏により実際のレッスンの一部が披露され、参加者はプログラムを体験することができました。「大変、有意義な時間だった」、「ぜひ日本にも取り入れたい」という声が多数寄せられています。

本日は、ワークショップの中から、オランダでピースフルスクールが開発された背景とシチズンシップ教育の意義について、ご紹介させていただきたいと思います。

 

●プログラム開発の背景

レオ・パウ氏がピースフルスクールの開発に取り組み始めた1999年頃のオランダでは、子どもたちの規律のなさや、様々な問題行動が表面化し、それらの問題にどのように取り組めばよいか、教師自身が途方にくれている状況でした。大都市部の荒れた地区の学校では、教師のなり手を見つけることが困難で、青少年の犯罪や暴力的な行動も増えていました。人々は子どもたちの心にいったい何が起こっているのだろうと不安を感じるようになりました。

この背景には、オランダ社会の変化があります。1960年代以後、オランダ社会が繁栄し、福祉制度が大きく発達し、社会全体が豊かになるにつれ、個人主義が浸透してきました。人々は、お互いを強く必要とせず、自分の生き方を自分で決めることができるようになり、個人に対する教会や宗教の影響が縮小してきました。安い労働者としてモロッコやトルコからの移民が流入した結果、オランダに住む人々の構成が変わり、社会は多元化し、人々は共生するというよりも、隣にいてもお互いに相手に無関心に生きるようになりました。変化のもう一つの結果として、自分が欲しいものを手に入れ、規則に縛られることを望まない自己主張の強い市民が出現し、子どもたちの教育に大きな影響を与えるようになりました。家庭でも、学校でも、子どもたちの個人的な幸福や個別の発達に対して焦点が向けられるようになり、個人主義化した社会において、子どもたちの教育の責任が学校と保護者に重くのしかかるようになりました。

社会変容の結果、子どもたちは大切にされるようになり、自分が欲するものを何でも持つことができるようになったのですが、それに伴う負の部分も多く出現しました。与えられる自由が大きければ大きいほど、その自由をどう取り扱うかについての責任が求められます。子どもたちは、自制心を持ち、責任のある方法で行動することを学ばなくてはならないのですが、それを、いったい、どこで、誰から学べばよいのでしょうか。

 

●学校という共同体

こうした問題に対する解決策を求めて、合衆国に飛んだレオ・パウ氏は、一つのヒントを得ました。合衆国での研究によれば、子どもたちが、ある場所において自分の存在が重要なのだと感じられる時、問題は起こりにくくなるということがわかりました。もし子どもたちが、自分は、学校で歓迎される存在であり、一つの学校という共同体に属していると感じられるような学校に通っている場合、子どもたちの問題行動がずっと起きにくくなると言われています。

私たちは皆、誰かから必要とされる存在でありたいと思っています。自分がそこにいることで、世界はより良い場所になるのだという感覚を持ちたいとものですが、そういう観点から見てみると、今の学校は生徒にとってそのような場所になっていません。学校が、社会的結合性が多く生み出せる1つの共同体になれば、生徒たちの問題はより少なくなっていくはずです。

学校が生徒にとってそのような場所になれるよう、学校全体を変容させるための一つの完成度の高いプログラムが「ピースフルスクール」です。忙しい先生でも実践できるよう、段階を踏んで約2年間で学校を変容させることを狙いとした、一つの系統だったシチズンシップ教育プログラムです。

 

●ピースフルスクールが目指す民主的なシチズンシップ

「ピースフルスクール」はオランダのシチズンシップ教育の一貫として開発されていますが、そもそもシチズンシップ教育とは何でしょうか?

ユトレヒト大学の教授のミシャ・デ・ウィンター教授によれば、シチズンシップ教育には3つの段階があります。シチズンとして、①個人的な責任を負うこと、②参加的行動をとること、③社会的正義を守ること、の3段階です。①個人的な責任をとるとは、法や秩序を守るシチズンになることです。②参加的行動をとるとは、自分が一部となって共同体に参加することです。③社会的正義を守るとは、社会・政治・経済の現状に批判的になって変革のために努力することです。フードバンク*2の活動を例にとれば、①のシチズンはフードバンクに食糧を持っていく人、②はフードバンクの活動に参加する人、③はなぜフードバンクが必要なのかと考える人です。①単に個人の責任を果たすことは独裁政権下でもできることです。②もし社会全体のシステムが間違っていた場合には、参加すれば参加するほどシステムが悪い方向に強化されていってしまいます。民主的なシチズンシップを行うためには、そこに社会的正義が必要です。③社会的正義に照らして考えるとは批判的に、クリエイティブに、現存のシステムを外から客観的に見て、より良い社会への変革アイディアを生み出していく必要があります。オランダのシチズンシップ教育はこの③を目指しています。

シチズンシップ教育において最も大切なことは、どのような社会を実現する人を育てたいのか、ということです。シチズンとは何か?ということを考えた時、オランダでは、市民とは主権者・参政権を持つ人々であり、自由と責任の両方を持ちます。オランダ市民であることは、ヨーロッパ市民や世界市民であることと、同義であり、矛盾がなく、そのような市民を育てるためにシチズンシップ教育が行われています。残念ながら、日本では日本国民であることと、アジアや世界の市民であることが一致しているという実感を持つ人はあまりいないのではないでしょうか。

教育を行う一つの目的は、民主的なシチズンを育てることにあります。OECDの言葉を借りていえば、「教育とは単に個人の知識やスキルを増大することで個人をエンパワー(力を与える)のではなく、健全なライフスタイルとアクティブなシチズンになるための習慣や価値観、態度を向上させることで、個人をエンパワーする(力を与える)ものです」 

シチズンシップ教育は、これからの学校教育に重要な比重を占めてくると思います。 

*1 オランダで最も成功しているシチズンシップ教育のプログラムならびにその実践校のことで、10年以上の実績を持ち、全小学校のおよそ10%に当たる、約600校を超える学校で実践されています。

*2 包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体

 

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