非認知能力と問題解決力
2021.04.26文部科学教育通信掲載
教育において、非認知能力の重要性が盛んに謳われるようになりました。人間教育において、社会情緒的能力の重要性は、今も昔も変わらないはずなのに、なぜ、非認知能力に注目が集まるのでしょうか。
国立教育政策研究所は、非認知能力を社会情緒的コンピテンスとして3つに分類しています。
- 自分に関する領域(自己認識、自分の感情、自己制御等)
- 他者に関する領域(他者の感情や思考の理解等)
- 自己と他者や集団との関係に関する領域(人間関係、コミュニケーション)
そこで、今回は、非認知能力と問題解決力の関係についてお話してみたいと思います。
企業やNPOの方々を対象に、リーダーシップ開発や問題解決の支援を行う中で、改めて、問題解決には、認知能力と非認知能力が両方必要になることを実感しています。複雑な問題を解決する上で、高い専門性を有し、必要な情報を収集し分析することや、課題そのものを論理的に整理することは大切な能力です。高い認知能力は、この領域において大きな力となります。
しかし、現実社会の問題解決は、机上で受験問題を解くのとは異なり、課題を解くために必要な情報がそもそも存在せず、不確実な中で判断を迫られることもあります。また、課題解決のためには、多様なステイクホルダーと向き合う必要があります。不可能に挑戦するような課題解決に臨む際には、反対勢力の存在、現状維持を望む人々の抵抗、無関心な傍観者等に囲まれながらも、前向きな気持ちを持ち続け、時には、ビジョンを熱く語ることも必要になります。これらすべての行為は、非認知能力に支えられています。
リーダーシップと非認知能力
以前、ある大学生が、学生団体のリーダーに就任した直後に、「リーダーになったら、なんでも思い通りに出来ると思っていたのに、全くそうではなかった。リーダーになるということは、思い通りにならないことを引き受けることなのですね」と語ってくれたことがあります。
ヒエラルキーの長として、指示命令を徹底することで、物事が推進される世の中であれば、リーダーシップとは、自分の思い通りに、全ての事柄を牛耳れたのかもしれません。しかし、今日では、リーダーシップを発揮する際にも、多様なステイクホルダーの存在を前提とし、反対意見にも耳を傾け、粘り強く対話を行うことが期待されます。対立から逃げたり、決定事項だけを通達しても、人は付いてこず、孤立してしまいます。
リーダーとして、物事を前進させるためには、常に、みんながベストな環境で役割を果たせる環境を整備し、課題や障壁があれば、それを取り除く必要があります。今日のように、変化の激しい時代には、内的な要因だけではなく、外的な要因により、課題が生まれる場合もあります。リーダーは、心が休まる暇はありません。そんな中でも、リーダーは、常に、最良の決断を行うことが期待されます。そのために、リーダーは常に、どんな時でも、静寂な心でいる必要があります。ストレスを感じても、マインドフルな心を維持できることや、感情を制御することができ、心身共に健康でいられるためには、非認知能力を育んでおく必要があります。
コラボレーションと非認知能力
課題を解決する際にも、新しい価値を生む創造的な取り組みにおいても、コラボレーションが前提になる時代です。昔のコラボレーションは、阿吽の呼吸で物事が進められる同質性の集団によるものが主流でしたが、最近のコラボレーションは、専門性も、文化も、言語も異なる多様な構成員によるものが主流になりつつあります。メンバーが集まり、一緒にいるだけでも、ストレスを感じるような人々と、腹を割って話すことが期待されています。リーダーシップ同様に、コラボレーションにおいても、「思い通りにならない」ことが当たり前です。
多様性が化学反応を起こすためには、異なる意見を出し合い、相互に学び合い、新たな価値を創造することが期待されます。議論が、拡散したり、紛糾することも、想定内のプロセスということになります。ここでも、非認知能力が役立ちます。自分一人の頭で考え、決断できる時には、認知能力を頼りに、答えを見出すことが出来ますが、多様なメンバーと共に意思決定を行うのであれば、認知能力のみに頼っていても、最良の意思決定はできません。対立する意見に遭遇しても、落ち着いた心で、他者の意見を傾聴し、対話する力が求められます。
ワークショップと非認知能力
人生で1度だけ、誰もが、自分の想いを伝えることに夢中で、誰の話も聞けないワークショップに参加したことがあります。テーマは、教育で、参加者は、すでに、思いを持って教育に関する活動を行っていました。地方の教育を変える動きをしている人もいれば、子どもの主体性を育む教育プログラムを開発している人もいました。科学教育に関心のある人もいれば、グローバル人材の育成が大事だと考えている人もいました。みんな素敵な人たちで、子どもたちの幸せを願っているメンバーが大集合したワークショップでした。もう10年も前に、未来の教育を創るワークショップというタイトルに引き寄せられて集まったメンバーの中には、現在、教育改革におけるリーダー役を担っている人もいます。
未来の教育を創るというタイトルに合わせて、対話を通して、みんなで未来の教育の姿を描き、コラボレーションの道筋が見えるであろうことを狙って行ったワークショップなのですが、一人ひとりのこだわりが強く、中々、対話になりません。ファシリテーターが、学年で分けたり、教育観や教科等で分ける試みを行いましたが、中々、しっくりとしたグループワークに発展しません。だんだん、みんなのストレスも高まってきます。今思うと、一番のストレスは、「自分の話をもっと聞いて欲しいのに」というものだったように思います。
このワークショップで、私自身も、自分の非認知能力を試されました。みんなのストレスがピークになる中で、投げ出さず、不満を声にせず、我慢するのではなく、やすらかな気持ちでその場に存在することに尽力しました。私自身にも、聴いて欲しい教育のテーマがありましたが、これ以上、主張が増えるのは得策ではなく、私は、自分の意見をしまい込み、とにかく、他者が何を考えているのか、他者が何を目指しているのかを真剣に聴き取ることに尽力しました。それは本当に、修行のような場でした。
平穏な心を保つように、頑張って、頑張って、皆さんの意見を傾聴することに尽力した結果、大きなギフトがありました。それは、一人ひとりの主張は異なるけれど、全員が、子どもたちの幸せを願っているという点で、意思統一が出来ていることに気付けたことです。教育観や教育活動の主軸が違っていても、同じ目標に向かっていると気付けたら、緊張が解け、その場にいることもそれほど苦しくなくなりました。その場を立ち去らず、最後まで参加したご褒美です。
まとめ
未来の子どもたちが、世の中で問題を解決する際に、非認知能力が必要になることを、少しイメージしていただけましたでしょうか。
仕事においても、人生においても、不確実性が増し、リスクテイクの機会も増える中、幸せを手に入れるために、非認知能力を育む重要性は、今後益々増えていくと思います。