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動機の源を知る

218.11.12.文部科学教育通信 掲載

「動機の意味は解りますが、動機に源が付くとどのような意味になりますか」そんな質問を頂戴しました。

動機とは、人が、意識的あるいは無意識に、ある状況において行動を選択・決定する要因のことです。職場においては、動機付けが話題の中心となり、モチベーションの高い状態で、みんなが仕事をしているのが理想の職場と考えられています。人々のモチベーションを扱うことは、リーダーの仕事のひとつです。

 

動機の源とは、人が、意識的あるいは無意識に、ある状況において行動を選択・決定する要因のさらに奥にある要因のことで、その人がとても大切にしている価値観、信念に当たります。スポーツが好きな人でも、ランニングが好きな人もいれば、テニスが好きな人もいます。バレーボールやサッカーなどのチームプレイが好きな人もいます。ランニングをしていると楽しい、テニスをしていると楽しいというのは、十分な動機になりますね。動機の源では、もう一歩踏み込んで、なぜ楽しいのかの理由を探求します。ランニングが好きな理由が、一人の時間や内省する時間を大切にしているからという人もいれば、景色を楽しむという人もいるかもしれません。自己ベストに日々挑戦している人もいるでしょう。ランニングの計画は、自分の意思と予定で決められることが望ましいと考える人もいるし、大会に出場することを目指し、勝つことを目的にしている人もいるでしょう。

 

動機の源は、人が生きる上でとても大切なものです。なぜうれしいのか、楽しいのか、意義があると感じるのか、その理由を自らに問いかけることができる人が、本当の自分を生かすことができるからです。

 

キャリアの選択

「大学を卒業し、就職をしたら生涯ひとつの企業で働き定年を迎える」このような生き方が、当たり前だった時代が終わり、人生において何度かキャリアを選択することが当たり前になる時代です。これまでのように、大人や社会が引いたレールの上を、一定の評価を得る形走っていれば安泰という生き方が存在しなくなります。目の前には、レールはなく、自らレールを引いていくことが求められます。その際に、必要になるのが、「自分が何を望んでいるのか」を知ることです。この問いに対する答えを見出す上で大切なのが動機の源を知っていることなのです。

 

自己認識

自分の動機の源を知るためには、自分を知ることが大切です。就職活動では、よく、自分を知るためにアセスメントを使用しています。アセスメントも、もちろん、貴重な情報源ですが、より重要なことは、自分の心の声を聴き取ることです。日々の生活の中でも、楽しく感じる時、残念な気持ちになる時と、私たちは、様々な感情の動きを感じ取っています。多くの場合、私たちはそこには無関心ですが、行動(身体)は感情に忠実で、自分の心に従って行動しています。動機の源を知るためには、「なぜ」を自分に問いかけ、自分の心が大切にしていることが何かを探求することが大切です。

動機の源の多くは、強い原体験に紐付いていることが多いです。また、原体験の中でも、幼少期の原体験は、とても大きなインパクトがるようで、動機の源の中でも、その人にとってとても大切なものになることが多いようです。無論、人によっては、大人になってからの体験が自分の信念につながっているという人もいます。生きるということは、経験するということですから、いつ何時、自分にとって大切な体験に遭遇するかは誰にもわかりません。一方、体験をしたら、すぐに動機の源を見つけられるという訳ではなく、自分に対して問いかける必要があります。「なぜ」を繰り返す習慣はとても貴重なものです。

 

私の動機の源

私は、教育に関心があり、誰から求められた訳でもなく、未来教育会議という任意団体を立ち上げ5年間活動を続けてきました。教育NPOティーチフォージャパンやラーニングフォーオールの立ち上げに参画し、ボランティア活動を続けています。元々、課題を解決することが好きだから、教育というテーマの中で、特に自分が課題だと思うことを選び、活動をしてきました。未来教育会議を始めたのは、ビジョンなき教育改革が人々を不幸にすると考えたからです。教育NPOに参画したのは、既存の組織や制度の中で解決できない教育課題を解決するためでした。

 

課題解決が好きだから、私は教育をテーマに活動する。これが、5年前の私の動機の源に対する理解でした。しかし、活動を進める過程で、様々な選択を迫られる中、課題解決以外にも、大事な動機の源が存在することに気づきました。私は、以前から、企業変革の仕事をしていましたが、その根底には、人が幸せになることを重要視していました。企業は、収益を出し続けなければ人を幸せにすることができません。そのために、企業は環境の変化に併せて変わり続けることが大切です。そう考えて企業変革を推進していました。一方、人は、企業の中で、与えられた仕事に取り組むだけでは幸せになれないと考えていました。これは、私の勝手な思い込みですが、これが私の動機の源につながります。私には、「人は、潜在的な能力を生かすことで幸せになれる」という信念があることに気づきました。

 

私は、今の教育が子どもたちを幸せにしないと考えています。特に、素直なよい子が、先生や親の期待通りに勉強しよい成績を上げて、よい学校を卒業しても、幸せになる確率が非常に低いことがとても気になります。社会人になって、突然、「君の意思はないのか」と尋ねられて、困る様子が想像できるからです。素直なよい子が、周囲の大人を信じて成長したのに、自分の潜在的な能力を活かすことができなくなる。そんな状態を想像すると、勝手に憤りを感じてしまいます。

 

企業の中でも、多くの人々は、自分を抑えて会社や上司の期待に答えることが懸命な生き方だと考えていますが、本当にそうでしょうか。企業で働く優秀な人々は、本来の能力の2割位で仕事をしているのではないかと思う場面が多いです。20代の時には、そのことがとても気になっても、30代、40代とその仕事の仕方に慣れてしまい、やがて、本来の能力を生かす力も減退してしまいます。中には、成長課題を抱えながらも、育成の機会を得ることがなく、50代で突然リストラにあう人たちもいました。もっと、若いうちに潜在的な能力を伸ばす機会があれば、違う人生になったのではないかと思うと、とても残念な気持ちになります。

 

私は、30代の前半で大きなキャリアチェンジに遭遇しました。家業でクーデターが起こってしまい、突然、父が会社を離れることになり、私の進退も問題になりました。幼子を抱えていた私に、会社は、仕事をしないという条件で、毎月20万円の給与を支払ってくれるというとても親切なオファーを出してくれました。しかし、私はすぐに断ったことを今もはっきりと記憶しています。私の頭の中には、「チャレンジがない=成長が止まる=未来の可能性が消える=リスク」というような方程式がはっきりと浮かんでいました。

 

教育機関の使命と役割

私には、教育に対する感謝と信頼もあります。私にとっては、ハーバードビジネススクールに留学したことがとても大切な教育経験になっています。そこで何を学んだのかということよりも、ハーバードビジネススクールの教育機関としての使命や役割に学ぶことが大きいと感じます。彼らが、グローバルな活動を本格化したのは、今から20年前です。現在、世界に14のオフィスを持ち、執筆されるビジネスケースの半数以上がアメリカ以外の世界のビジネスに関する内容になっています。教育機関として、自らを変容させていくことで、存在意義を高め続けていく姿勢が、人々の潜在的な能力を高め続ける教育を支えていると感じます。私にとっては、動機の源に通じるものがあり、このビーイングがとても魅力的に感じます。

皆さんも、ご自身の動機の源を探求してみてください。

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