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原発事故から5年目のリフレクション

文部科学教育通信No.384 2016.3.28掲載

2012年9月に、「わかりやすい国会事故調プロジェクト」を発足して活動を始めました。当時プロジェクトに参加したのは、国会事故調報告書作成に従事した若手プロ集団と、大学生、社会人の18名です。現在、その活動は、高校生が中心となり行っています。ホームページでは、600ページにも及ぶ報告書を、15分の映像で解りやすく解説しています。東北大震災から5年が経過した今、この活動を振り返りたいと思います。

プロジェクト起ち上げ時の想い

私たちは、おそらく将来も世界史の教科書に残る福島原発事故の教訓から学ぶことが、これからの日本のために、とても大切なことであると考えています。
私たちは、原発事故の事実をまっすぐに見つめ、議論と対話を積み重ねることで、未来に関わる選択と意思決定を行いたいと考える良識ある人々が繋がることが、日本の未来にとって、とても大切なことだと考えています。
私たちは、以下の5つの問いに対する対話が、日本中で行われることを願っています。

  1. 福島原発事故では何が起こったのか。
  2. 福島原発事故の教訓とは何か。
  3. 何を残し、何をどう変えていかなければならないのか。
  4. どれだけの選択肢があり、選択肢がもたらす価値は何か。
  5. 短期的な視点と、長期的な視点で、私たちは個々人として何をするのか。

私たちは、最初の2つの問い「福島原発事故では何が起こったのか」「福島原発事故の教訓とは何か」を、一人でも多くの方たちと共有するために、情報発信や対話の場づくりを始めています。対話に参加して欲しいのは、未来を担う中学生、高校生、大学生、社会人です。 国会事故調報告書はこう述べています。「福島原子力発電所事故は終わっていない。不断の改革の努力を尽くすことこそが国民から未来を託された国会議員、国民一人一人の使命であると当委員会は確信する。」
一人一人の使命とは何かを一緒に考えませんか

プロジェクト発足の背景と私の願い

国会事故調査報告書は、その難解さにもかかわらず、私にとっては親しみのある存在でした。ティーチフォージャパンでお世話になってる黒川清先生と、10年来の友人の石橋哲さんが取り組まれたからです。このプロジェクトを立ち上げる決意をしたのは、石橋さんの慰労会と称して友人達が集まった2012年9月11日のこと。立派な報告書が完成し、これから、原発事故に関する国家レベルでのリフレクションが始まるものと思っていた私は、慰労会でお会いした石橋さんから想定外のお話を伺いました。霞ヶ関は、2011年12月16日に、すでに収束宣言を出しており、この報告書も、「無かったもの」になりそうだというのです。大人が、このような状態では、日本の子ども達は幸せになることができないという強い危機感を持ちました。世界の教育界では、21世紀を生きる子ども達にとって、核となる力が、リフレクションとメタ認知力と言われています。もし、大人が、原発事故の教訓から学ぶことができなければ、日本の子ども達は、リフレクションの意味を永遠に理解する事はできないでしょう。リフレクションは、責任の追及では有りません。報告書を過去のものとして忘却に帰するのではなく、そこを出発点としてこの問題をいかに解決していくかを議論し、今後の日本のあり方に反映していくことです。このテーマを身近に感じ、主体的に関わろうと考えてくださる方が増えることを心から願っています。

活動の思い出

この活動の中で最も心に残る活動は、高校生との活動でした。

2014年10月に、福島市で行われた第三回原子力対策関係国赤十字社会議赤十字国際会議で、各国赤十字社・赤新月社の関係者の皆様に対して、「わかりやすいプロジェクト」高校生チームが「1st STEP From Fukushima」をテーマに特別プレゼンテーションの機会をいただきました。

高校生のプレゼンテーションサマリ

今年6月、日本赤十字社と共同で「The 1st Step from Fukushima Project」を立ち上げました。このプロジェクトの一環として、8月に原発事故を福島からみた視点と「国会事故調報告書」には書かれていない事実 を理解するために、3.11に実際に関わった方たちのお話を聞くワークショップを福島で開催しました。ワークショップではいろいろな事実を聞くことができました。多くのお話が、原子力災害に対する事前の備えがなかったことが、結果として原発事故直後の被害と混乱をより大きくする原因につながったことを物語っていました。例えば、日本赤十字社の災害医療救護チームは、原子力災害時の活動ガイドラインがなかったため、被災者に十分な救護活動を提供することができませんでした。

また、福島の方たちが現在直面している多くの困難な状況も聞くことができました。震災関連死者数が地震や津波を直接の原因とする死者の数を上回ったことを知りショックを受けました。いつ帰れるか見通しがつかない中での仮設住宅での長い生活が、被災者の生活を脅かしています。他にも福島での複雑で難しい状況を知ることになりました。福島では、人間関係を壊しかねないことから3.11について話さないことが当たり前になっています。そして3.11について関心が無くほとんど忘れられつつある日本のほかの地域と同じように、福島においても3.11は人々の記憶から消えつつあります。福島の方々が3.11に関する話題を避けたい気持ちは理解できます。でも同時に、同様の事故を繰り返さないためには、事故のことを忘れないようにすることが大切です。福島第一原発事故の教訓をすべての人類が共有できる遺産とするためには、私たちの経験を話し合い伝えることが必要だと考えます。

また、発電所内での作業リスクが非常に高くなった3.11以降においても、高校を卒業した私たちと同世代の若者が、福島第一原発での仕事を選んでいることを聞いてショックを受けました。

なぜ?

事故は(私たちの同世代の)彼らのせいではないではないか?

大人の世代がやるべきなのではないのか?

「大人ができないなら、自分たちがやるしかない。」と、若い作業員が話していたと聞きました。

この言葉に私たちは目が覚めました。そして、私たちも福島における問題を「自分事」として考えるべきなんだと気づきました。私たち若い世代も、目の前の課題と向き合い始めなければならないのです。

今日の発表の目的は、福島の経験を説明することだけではなく、「The 1st Step from Fukushima Project」によって私たちのマインドセットがどのように変わったのかを伝えることです。福島での問題は、もう「他⼈事」として無視することはできない問題だと考えるようになったのです。

国際赤十字・赤新月社の皆さんに、原子力災害に対しての備えをお願いしたいと思います。皆さんが紛争や自然災害で人々を助けてきた経験や積み重ねてきた専門知識を、ガイドラインの作成に活かしてください。世界を変えていく連鎖を起す上で、皆さんがリーダーシップを発揮されることを期待しています。私たち高校生は、今私たちにできることをします。私たちはこれからも、私たちや私たちの将来、そして世界に対して責任を持つために、自分たちは何ができるのかを考えて行動していきます。

さいごに

今年、国会事故調元委員長黒川清先生が「規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす」という著書を出版されました。ぜひ、多くの皆様に読んでいただきたいです。

 

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