skip to Main Content

2030年の教育の未来シナリオ -画一的に学ぶ学校、地域とつながり学ぶ学校、社会と一緒に学ぶ学校-①

文部科学通信No.373 2015.10.12掲載

2013年に「未来教育会議」という未来の社会、未来の人、未来の教育のあり方を、多様なマルチステークホルダーで共に考え、共に豊かな現実を創造していくためのプロジェクトを、株式会社博報堂をはじめとする企業の方々と共に立ち上げました。

2014年度は、国内外40か所のスタディツアーや一年間を通じたミーティング、ワークショップを重ね、様々なステークホルダーとともに2030年に起こりうる社会と教育に関するシナリオを作成しました。「未来」を見ることで、「今」に活かすことがあると考えたからです。

シナリオ・プランニングという起こりうる未来の複数のストーリーを体系的に組み立てる手法を用いて作成したシナリオは全部で3種類になりました。

2015年現在の時点では、そのどれもが起こりうる世界であると考えています。

今回と次回は、3種類のシナリオについてご紹介いたします。

 

シナリオの分岐点

2030年の未来シナリオを考える際、大きくふたつの分岐点を想定しました。

ひとつめの分岐点は、「地域社会の価値基準の変化」「地域コーディネーター(学校と社会をつなぐ役割)機能の拡充」「教員の時間の創出」です。

この分岐点でノーの場合、21世紀スキル教育への進化が唱えられるが、その実施は画一的かつマニュアル的に展開し、一部の優良校においてのみ本質的な21世紀型の教育改革が進み、教育格差がより進行するという「21世紀スキルを画一的に学ぶ学校」のシナリオに行きつきます。21世紀スキルを20世紀的に理解し、子どもたちと先生に届けた結果です。

ひとつめの分岐点がイエスの場合、ふたつめの分岐点に進みます。

ふたつめは、「社会での教育ビジョン共有」「企業の価値基準の変化」「教育費の再配分」「学校への権限委譲」です。

ここでノーの場合は、地域の人口減と学校崩壊の危機感が合致し、変革の力に昇華して、地域づくりと教育の連携が進み、本質的なコミュニティスクールの学校が増加するという「地域とつながり学ぶ学校」のシナリオとなります。学校と周辺地域がつながり、少しは社会との繋がりが生まれますが、社会の主要な構成要素である民間企業とのつながりはありません。

イエスの場合、学校・地域・企業・家庭・行政でビジョンが共有され、多様でオープンな教育が展開、税の再配分も行われ、民間の力が学校教育に活かされているという「社会と一緒に学ぶ学校」というシナリオになります。

それでは、ひとつめのシナリオを見ていきましょう。

 

21世紀スキルを画一的に学ぶ学校

このシナリオが描くのは、社会と分断される学校の未来です。

2030年、日本社会は20世紀工業化社会型の経済モデルで有効な手立てがないまま、新興国との競争はさらに進み、生産人口も減り、グローバルでのポジションを落とします。企業は非正規雇用率をさらに高め、外国人の労働者や移民も増えます。経済格差は進み、高齢者に加え、ドロップアウトする人々を支える社会コストの増加も大きな問題に。

教育改革の動向は、2018年の大学入試改革によりセンター試験が廃止され、新たに達成度テストが導入されました。「21世紀に向けての生きる力を育む教育方針」「結果を規定し、そこに至る過程の自由を大幅に認める教育体制」への転換を本格的に掲げる新学習指導要領が2020年から実施され、知識を伝える教育から自ら考え対話し答えを導き出せる教育へのシフトが改めて叫ばれています。

しかし、こうした教育改革のビジョンが企業や地域社会と共有されておらず、文言ばかりが強調され、実態が伴いません。企業の採用基準は依然として変わらず、学歴や筆記試験がベースとなっており、採用後の人物評価も売上など定量的に測定できる指標中心に管理されているのです。教育改革のかけ声と社会の実態が乖離しているのが現状です。

教育現場は、企業をはじめとする世の中一般の理解がないまま。このような状況での達成度テストや新学習指導要領の導入は、結果として達成度テストに向けて高校受験が終わったばかりの生徒に対策を施さなければならず、クラブ活動や学園祭などが割を食い、学校生活を貧しくしただけとなっています。長期のカリキュラムが組める中高一貫校や受験予備校ばかりが得をし、そうでない学校や生徒は混乱するばかり。

余波を受けて、中学・高校受験は過熱し、児童期から勉強漬けの生活を送っている子どもも増加。大学側も準備が整わないまま制度移行を迎えてしまい、達成度テストと小論文・面接の微差で学生を選抜するしかない状況となっています。結果として、小論文や面接、グループディスカッション等の表層的なテクニックを磨くことが横行し、21世紀スキルは名ばかりとなってしまいました。先生たちは教育改革の思想自体は理解できるものの、忙しい時間の中、新しい授業の開発にかけることも難しい状況で、反発の声も上がり始めています。

地方自治体や教育委員会などは、短期間で人事異動や体制変更が繰り返されるという構造的な課題を克服できず、結果として一握りの私立校や教育財政の充実した自治体のみが進学・就職にも強く、学習者中心・相互作用で21世紀型スキルを身につけるカリキュラムも充実した「スーパースクール」として名を馳せる一方、教育困難校が各地で増加し、学級崩壊が当たり前となった地域も増えています。

20世紀型の教授に加えて21世紀スキルの育成まで学校に求めるという過大な期待から生じる「学校批判」「教師批判」の声もやむことはなく、「閉じた学校」は変わらない状況となりました。このような状況の学校に対して、地域の側も新しい地域連携の形を模索しようとする動きは少数に留まっています。

価値観にも変化が起きます。21世紀は、知識や答えを覚えることではなく、答えがない状況でも自分で考え、多様性の中で協働して創り出していくことが大切な時代だという認識は一定程度進みますが、自分たちが創りだしたい社会像がないまま、こうした考えを受け身として考えている状況で、新しい教育の思想を実践するのではなく、評価管理してしまう方向に向かわせています。

大学入試は変ったものの、世の中における「偏差値の高い大学にいっておけば安心」という価値観が変わっていないため、保護者の「入試対策に力を入れてほしい」という学校への欲求や、学習塾や受験予備校に私費を投じる状況は、基本的には変わっておらず、教育の方法論や中身よりも、進学・就活により有利な環境を子どもに与えてあげたいという動機の方が強い保護者が未だに圧倒的多数となっています。

このような環境下で、子どもたちは20世紀型の知識の詰め込みや定量的に測れる能力の研鑽に加え、21世紀型とされるコミュニケーション能力、独創性、問題解決力などのスキルの習得を求められるようになり、学習指導要領改訂以前に比べてますます忙しく、ますます疲弊していると言われています。両者の能力をまんべんなく備えるハイパーエリートだけが社会的な成功を勝ち得、そうでない大多数は一億総ブラック化とも言われる低賃金・長時間労働で、かつ、不安定な就労体制に甘んじるしかないというネガティブな認識が広がってしまい、ドロップアウトしてしまう学生も増え続け、格差固定社会の到来が叫ばれています。

これがひとつめのシナリオが描く2030年のストーリーです。起こりうる未来に対して、何をするのか考えるきっかけとなれば幸いです。

Back To Top