skip to Main Content

キャリア教育と自己マスタリー

文部科学教育通信 No.289 2012-4-9に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る③をご紹介します。

 

キャリア教育の究極の目的は、幸福に対する自分の定義を持ち、自分の人生の選択を行う力を持つ人を育てることです。そのためには、まず、自分にとって幸福とは何かを知る必要があります。しかし、残念ながら、子どもたちは、高校を卒業するまで、自分について学ぶ経験をあまり持っていません。今回は、キャリア教育において、最も大切な、「自分を知ること」をテーマに、私の学習経験を、ご紹介したいと思います。

 

このテーマに取り組み、改めて感じることは、日本の教育では、「自分」について学ぶ機会が余りにも少ないことです。前回ご紹介したマルチプルインテリジェンスもそうですが、私たちは、自己の特性を捉える機会がありません。親は、良い子像の定義を持っており、学校には、良い生徒像があります。子どもたちは、小さいころから、親や先生の期待に応える努力をしますが、自分の期待に答える経験を持ちません。やがて、大学生になり、就職活動の時期になり初めて、自己分析の診断を受け、自分とは何かをにわか勉強します。

 

「高校までは過保護で、大学になると突然放任になる教育システムには憤りを感じます。大学でここまで自己責任を要求するのであれば、もっと以前から練習をしておきたかったです。」ある大学生から言われた言葉です。

 

私は、幼少の頃から、組織で大きな夢を実現するストーリーが大好きで、リーダーシップに大変強い関心がありました。ハーバードビジネススクールに行ったのも、リーダーシップを身に付けたいと考えたからです。『パワーと影響力』という講義では、数多くのリーダーたちの成功物語や苦難の道のりを学び、リーダーになった気分で講義の最終日を迎えました。教授が、「君たちのリーダーシップにとって最も大切なことをこれから伝える」と言いました。私は、全神経を集中させ、彼の話に耳を傾けました。「君たちは、これまで沢山のリーダーから学んだ。しかし、どのリーダーのマネをしても、本物のリーダーにはなれない。リーダーシップとは、君たちのパーソナリティの上に構築されるものなのだ。他者のリーダーシップを真似ることは、「偽物」のリーダーシップを築くということになる。誰が、「偽物」のリーダーに付いていくだろうか」
私は、大きな衝撃を受け、そして、困惑しました。

 

それからも、私のリーダーシップに関する学びの旅は続きます。サンフランシスコで、MBTIの資格コースに参加した時のことです。参加者の多くが中間管理職でした。そこで、ある女性が、「我々がリーダーである以上は、客観的自己認識を行うことが、当然要求されます」と自信をもって語りました。参加者は、多様な組織に所属する30代前半の中間管理職でしたが、客観的に自己認識ができていることが、一般常識のようでした。ここでも、私は、新たな問いに遭遇します。「私は、客観的に自己認識できているのだろうか」
もう、お気づきだと思いますが、リーダーシップを強化するために最も重要なことは、自分を知ることなのです。

 

リーダーシップに求められる力も、時代とともに変化してきましたが、ある時から、真の(Authentic)リーダーという言葉を、盛んに耳にするようになりました。お恥ずかしいのですが、私は、最初にこの言葉を耳にした時、「最強のリーダーとしての能力を持っている人、様々な力を持つ人」と解釈しました。しかし、後に、「真のリーダー」とは、学習する組織の中に出てくる自己マスタリーに繋がること、そして、ビジネススクールで教授が話していたパーソナリティの話につながっていることに、気づきました。自己の内面と深い繋がりを持ち、自分の生きる理由、信念や価値観と繋がることが出来た時、リーダーとして最強になるということが、「真の」という言葉に込められていたのです。

 

自己マスタリーとは、ピーター・センゲ先生が提唱する学習する組織の5つの力の中の一つです。自己マスタリーを持つ人は、以下の問いに明確な答えを持つ必要があります。「私は、何者か。私は、どこからやって来たのか。私は、今なぜここにいるのか。そして、私は、これからどこへ向かっているのか」自己マスタリーを持つ人は、自分が大切にしていること、価値観や信念、動機の源泉を知り、自分の活かし方を知っています。自分の取り組んでいる活動が、人生に持つ意味を認識し、人生を通して一貫性のあるストーリーを構築することができます。

 

スティーブ・ジョブス氏がスタンフォード大学の卒業式で行なったスピーチをご存知でしょうか。彼は、「自分の人生を振り返った時、すべての点は、一つの道になっていた」と語ってくれました。人生には、自分で選択できないこともありますが、その中でも、自分に正直に、大切な選択を行なってきたスティーブの自己マスタリーに触れるスピーチは、世界中の人々を感動させました。

 

起業家は、自己マスタリーを事業として体現しています。どれほど偉大な起業家でも、他の起業家の事業は起業できなかっただろうと思います。代表的な例として、アップルとデルをご紹介しましょう。

 

スティーブ・ジョブスは、シリコンバレーという場所で育ち、小学生の頃から近所に住む技術者のお兄さんと一緒に、ガレージでモノづくりを楽しみます。そして、技術者に連れられて参加した研究会で、初めてデスクトップコンピューターに触れ、「フォルクスワーゲンのようなPCが欲しい」と思ったことが、後に、アップルを起業する道につながりました。

 

一方、デルの創業者マイケルが、最初に買ってもらったコンピュータは、アップル社製です。マイケルは、届いたばかりの新品のコンピュータを解体してしまいます。彼は、その構造に興味があったのです。マイケルは、小学生の頃から効率を重んじる少年で不必要なステップを省略するのが大好きでした。顧客からの注文があったときだけパソコンを製造し、顧客に直販する、という完全受注生産の直販システムの会社(当時の業界では先例がない)を設立したのも、当然といえば当然でしょう。
 

二人とも、偉大な起業家ですが、どちらの起業家も、一方の事業を立ち上げる姿を想像することはできません。起業家は、自己マスタリーを、事業と人生を通して体現しているのがおわかりいただけましたか。

 

グローバル人材、リーダー、そして起業家が求められる時代には、自己マスタリーを持つことが必須です。「自分が何にこだわり、どのような価値観を大切にしているのか、どんな時、自分のやる気が最も高まるのか、人生を通して何を実現したいのか」自分を本当の意味で活かすためには、自分を知っていることが不可欠なのです。

 

子どもたちの進路をめぐる環境は、大きく変化しています。人口の減少に伴う日本市場の縮小、新興国中心の経済成長に支えられたグローバル経済の中で、若者がキャリアを考えることは、決して、容易なことではありません。一人ひとりが、幸福な人生を生きるための「正解」を与えることはできません。しかし、一人ひとりが、自分の幸福の定義と、その実現のために何をすればよいのかを考える力を身につける手助けを、キャリア教育を通して行うことは可能です。職業を選ぶためだけではなく、生涯を通しての自分の生き方について考えさせることが、キャリア教育の本当の意義だと思います。

Back To Top