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未来をつくるリーダーシップ

文部科学教育通信 No.318 2013-6-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る28をご紹介します。

今、私たちを取り巻くあらゆる分野で、過去に類を見ない地球規模での大変化が、猛烈な勢いで起きています。これらの変化は既存の秩序や制度を揺るがし、様々な混乱や摩擦を引き起こしています。そのような中、「これまでのやり方が通用しない」「何とかしなければ思っていても、どうすればいいのかわかない」と、多くの人たちが、組織や社会の閉塞感と自らの無力感や方向感の喪失を感じているのではないのでしょうか。世界では、意識の高い人たちが、国や社会の変革に動き始めていますが、日本では残念ながらそのような活動が顕著ではありません。

こういった状況を打破し、日本が夢と希望が溢れる人々の社会となるように、私は、佐々木繁範氏*1、満田理夫氏、宍戸幹央氏らと一緒に未来をつくるリーダーを育てるためのプログラムの開発を始めました。この活動をアンビショナーズ・ラボと名付けていますが、その初回の試みとしてリーダーシップ育成や組織・社会変革、起業に興味のある方々を対象にワークショップを6月1日、2日と二日間に亘り、開催いたしました。今回はワークショップでご紹介した、未来をつくるリーダーシップに必要な「8つの力と4つの価値観」をご紹介しましょう。

このような地球規模での大変化の時代を生き抜くためには、問題を解決する力、創造する力、変わる力が必要です。組織や社会をリードする人たちや、未来を担う人を育てる教育者たちが、次に挙げる「8つの力と4つの価値観」からなる未来をつくるリーダーシップ能力を高めることが必要である、と考えます。

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未来をつくる8つの力と4つの価値観

<8つの力>

①真の自分を生きる力

人は心から望むことをする時に大きな力を発揮し、これが未来をつくる原動力となります。リーダーは、多くの人たちが、真の自分を生きられるように、使命を見つける手伝いをし、その実現を後押しする力を持つ必要があります。

②心を突き動かすメッセージ発信力

リーダーは、人々の心を突き動かすメッセージ発信力を持つ必要があります。未来をつくるためには、ビジョンを発信し、共鳴する仲間をつくり、力を合わせて事に臨むことが大切です。そのためには、論理的に、分かりやすく説明するだけでなく、人々の心に火をつけ、心と心をつなぐメッセージ発信力が求められるのです

③自らの意志で動く強いチームを創る力

リーダーには、自らの意志で動く強いチームを創る力が必要です。未来をつくるためには、個を超えたチームの力が必要だからです。夢とビジョンと目標を共有し、一人一人が自らの役割を知り、自らの意志で、目標の達成にコミットしていくチーム、強い信頼関係を土台に、互いの意見の相違を恐れず、オープンな議論ができるチームを創る力が求められます。

④新しい価値を生みだす対話力

リーダーには、新しい価値を生みだす対話力が必要です。多様な経験や専門性を持つ人同士が、お互いを尊重し、安心して意見をぶつけあい、学びあうことを通じて、新しい価値が生みだされます。メンバーがお互いに相手の話に耳を傾け、いったん自らの意見を手放して目的に必要なことは何か?と考える<傾聴と内省>を通じて、新しいアイデアを生みだす対話を促す力が求められます。

⑤創造的な問題解決力

リーダーには、創造的な問題解決力が必要です。未来に向かう過程では、あらゆる分野の既存の秩序にとらわれることなく、論理的に考える力、複雑にからみあった全体像を把握する力、過去にとらわれない新しい正解を生みだす力が必要です。ロジカル思考、システム思考、デザイン思考を駆使して、創造的に問題を解決する力が求められます。

⑥自ら学び進化する強い組織をつくる力

リーダーには、自ら学び進化する強い組織をつくる力が必要です。未来をつくるためには、新しい未来を生みだす意志と、過去のとらわれから脱却し、常に新しいものを受け入れ、自ら変わる力が求められます。ビジョンを共有し、自ら学び、常に進化する強い組織を築き上げる力が求められるのです。

⑦学習する力

リーダーには、自ら学習する力が必要です。未来をつくるためには、過去にしばられず、常に新しい見方を手に入れる必要があります。また、多様性から新しい価値を生みだすことが大切です。それゆえ、好奇心を持ち、異質なものから学び、自らの思考や行動を省みて、自らの枠を広げ、成長する。このような姿勢で行動し、進化を遂げる力が求められます。

⑧育成する力

リーダーには、人を育成する力が必要です。自ら学び進化する強い組織をつくるためには、学習する力を持つ人を育成することが大切です。ありたい姿になるためのチームとしての成長課題を明確にし、伴走者としてメンバー個々の成長を支援するというような育成力が求められます。

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<4つの価値観>

①人間の創造力と無限の可能性を信じる

現状の閉塞感を打破し、突破口を開くためには、チームメンバー個々の思考力・発想力の強化や意識改革が必要です。チームの創造力を強化するためには、創造力発揮のための土壌づくりとメンバー相互の信頼関係を構築する土台づくりがリーダーには求められます。

②他者への共感を大事にする

リーダーには、他者の状況を自分の事のように感じる共感力を持つことが必要です。既存の商品・サービスでは満足しない人たち、人口減少と高齢化という厳しい時代を生き抜かなければならない若い世代、大きな生活上の問題を抱えている人たち、このような人たちが置かれた状況に深く共感する力が、イノベーションのみならず、身近な商品開発にも不可欠です。より良い社会の実現に向けて、頭だけでなく、心も体も使って相手を理解する力が求められるのです。

③多様性を尊重する

リーダーには、多様性を尊重する姿勢が必要です。世界には様々な人々が様々な文化背景と価値観を持って生活しています。多様性を尊重し、価値あるものとして受け入れる気持ちがなければ、ますますグローバル化する社会ではリーダーとして活躍していくことはできません。また、多様性を尊重する気持ちがなければ、新しい価値を生みだすこともできません。多様性が安全に存在できる環境を作る力が求められます。

④倫理観を大事にする

リーダーは、確固とした倫理観を持つことが必要です。リーダーは倫理的な行動を遵守し、他者の模範的なモデルとなることが求められています。また、自分たちのチームや組織の偏狭な利益だけでなく、社会の善にどのように貢献するかを考慮することが求められます。目的の正しさを常に考えて行動する力が求められるのです。

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本プログラムの設計において土台としたのは、OECDが提唱する21世紀を幸せに生きる力(キー・コンピタンシー)です。若者が、その力を身に付けるためには、周囲の大人たちが実践者である必要があります。多くの実践者を増やし、子どもたちが幸福に生きる力を身に付けることができる国にしたいと思い活動を始めています。今後、アンビショナーズ・ラボの高校生・大学生向けワークショップを展開していく予定です。

*1 佐々木繁範氏: ロジック・アンド・エモーション代表、リーダーシップ・コミュニケーション・コンサルタント、ハーバード大学院修士卒、著書に「思いが伝わる、心が動く スピーチの教科書」(ダイヤモンド社、2012年2月)

エンパシー(共感力)教育

文部科学教育通信 No.317 2013-6-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る27をご紹介します。

近年、米国や欧州の教育界では、エンパシー(共感力)という言葉が注目されています。エンパシーとは、他人の気持ちを感じたり、考えを理解する能力です。現代社会でもっとも必要とされる資質の一つです。今回はこのエンパシー教育が様々な分野で重要視されている例をいくつかご紹介したいと思います。

●ビジネスリーダーとエンパシー
皆さんは、グローバルリーダーにとって重要な資質は何だと思いますか。スイス・IMD(ヨーロッパのトップランキングに位置付けられるビジネススクール)のドミニク・テュルパン学長は、好奇心が旺盛で、世界から学ぼうとする謙虚さがあり、他国の文化に対する高いエンパシーと他者への尊重とシンパシー(思いやり)を持つ人こそがグローバルリーダーとして最もふさわしい、と話されています。

リーダーシップに求められる力は時代とともに変わります。私がハーバードビジネススクールで学んだ1980年代後半には、まだ、リー・アイアコッカ氏のようなカリスマ的なリーダー像が主流でした。リーダーという言葉には、人々をけん引する力強い人というイメージがあり、一方、共感という言葉には力強さと無縁の響きを感じる方もいらっしゃると思います。しかし、今日、引退する時に、会社への期待値が下がり、株価の下がるカリスマ的経営者は優れたリーダーではないと言われています。リーダーシップ教育で、世界的に有名な組織センター・フォー・クリエイティブ・リーダーシップは、グローバル時代において、リーダーシップに重要な力は、エンパシー、つまり、多様性を尊重し、協働するチームを作る力であると述べています。

●創造性とエンパシー
世界中で、今、創造性を育む教育が盛んに行われています。U理論やデザイン思考など、さまざまな理論と方法論が開発されていますが、そこでも、鍵を握るのがエンパシーです。創造の目的は、社会や人のためになる何かを生み出すことです。そのためには、社会や人の求めていることを本当に理解しなければなりません。その理解には、エンパシーが欠かせないという訳です。インドでは、鍵のついていない冷蔵庫は売れないことを知らないで市場参入に失敗した日本の家電メーカーの話を聞いたことがあります。世界に暮らす人々を理解し、共感する力は、イノベーションのみならず、身近な商品開発にも、不可欠な力になっています。

●シチズンシップ教育とエンパシー
オランダのシチズンシップ教育「ピースフルスクール」は、学校を、子ども達のコミュニティと捉えて、民主的な社会の担い手になる実践練習を行うプログラムです。4月にその開発者、レオ・パオ氏と、カロリン・フェルフーフ氏に来日していただき、ワークショップと講演会を開きました。シチズンシップ教育の土台は、社会的・情緒的な発達です。そこには、自尊心や自分と繋がる力とともに、他者を理解し、共感する力が含まれています。多様な人々が安心して暮らせる社会の担い手になるためにも、エンパシーは欠かせない力なのです。

講演会の質疑応答で、いじめの問題が話題になりました。その際に、校長先生経験者のカロリンさんが、「いじめの傍観者がいる時、そこにはコミュニティは存在しません」と話されたのがとても印象的でした。子ども達のエンパシーを引き出すことができなければ、いじめの問題は解決しないことがわかりました。

日本社会においても、今後ますますエンパシーは重要になってくると思います。震災復興、格差問題、少子高齢化問題など、多様なステイクホルダーが存在する複雑な問題を解決する上でも、エンパシーは欠かせません。エンパシーがなければ、マイノリティの人々が安心して暮らせる民主的な社会を作ることができないからです。

●社会起業家とエンパシー
最近、社会問題の解決に取り組む社会起業家が、世界的に注目を集めています。その生みの親といわれているアショカ財団の創設者 ビル・ドレイトン氏は、社会起業家に必要な資質の一つにエンパシーを挙げています。

アショカ財団は、若者が日常で感じた違和感を解決するために、若者自らが活動を始めることを支援しています。この取り組みは、アショカ・ユースベンチャーと呼ばれ、1996年に本国アメリカで始まり、日本では2011年にスタートしました。「社会のために行動を起こしたい」という想いとアイディアを持つ12歳〜20歳の若者からプランを募り、選考された若者を「アショカ・ユースベンチャラー」として認定し、資金面・運営面の両方から1年間支援する仕組みです。ユースベンチャーは、「誰もが社会を変えるチェンジメーカーになれる」という、アショカ財団のビジョンを実現するための重要な取り組みです。この活動を通して若者はチェンジメーカーになるために最も必要な3つのスキル:エンパシー、チームワーク、リーダーシップを学びます。

アショカジャパンでは、今年から、ユースベンチャーの活動に加えて、エンパシーの大切さを世の中に広める活動を始めます。そのスタートとして、赤ちゃんからエンパシーを学ぶ教育プログラムを開発したメアリー・ゴードンが来日し、講演会やセミナーを開催する予定です。

メアリー・ゴードンの開発したルーツ・オブ・エンパシー(共感力育成プログラム)という活動を紹介しましょう。彼女がトロントの公立学校で教鞭をとっていた時、いじめと暴力の問題が発生しました。メアリーは、いじめの原因は共感できない子どもが急増していることにあると考え、事態をよく観察して分析し、斬新なアイディアを考えました。

それは、8カ月の間、毎月1回、1歳未満の乳幼児とお母さんを緑のブランケットを持って学校に来させることでした。教室では緑のブランケットに座った赤ちゃんが先生となり、子どもたちは、赤ちゃんが何を言おうとしているのか、そして何を感じているのかを観察し、理解しなければなりません。初回は、親に連れてこられた赤ちゃんとの顔合わせ。それからの8か月の間、子供達はこの赤ちゃんのめまぐるしい生育ぶりを見守ることになります。社会的偏見や固定観念のフィルターにさらされていない純粋無垢な感情の塊である赤ちゃんを通して、子供達は相手の気持ちや感情を探り、同化する能力を育んでいきます。最初は戸惑っていた子供達も、月日が経つにつれて、赤ちゃんが何を考えているのか、何が言いたいのかわかるようになりました。そして、赤ちゃんと一緒に過ごすというこの体験によって、いじめが著しく減少するという結果が出ました

メアリーが取り組んだのは、最初は幼稚園の二つのクラスでしたが、いまやカナダ全体の2000校以上で行われています。さらに、彼女のプログラムはオーストラリアやニュージーランドでも採用されはじめ、世界的な広がりを始めています。教室の子どもたちだけに止まらず、社会全体や教育システムを発展的に変えています。メアリーの編み出したこのシンプルで効果のあるプログラムで、子どもたちは共感することを学びます。そして、世界の責任ある市民として育っていくのです。
出典: How to raise changemakers (社会起業家の育て方) Diamond Harvard Business Review 2008年1月号、2007年度「五井平和賞」 ビル・ドレイトン氏受賞記念講演「市民が起こす大きなうねり」

ピースフルスクールとシチズンシップ教育

文部科学教育通信 No.315 2013-5-13に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る26をご紹介します。

国連児童基金(ユニセフ)が発表した先進国の子どもの幸福度ランキングで、オランダは再び、29カ国中のトップに選ばれました。

2011年にオランダの教育の秘密を探るために学校視察を行った際に紹介された「ピースフルスクール*1」に、私がすっかり魅了され、日本に導入したいと思った話は、以前にも書きました。この度、プログラムを日本に導入する準備がほぼ整いましたので、皆様へのご紹介を兼ねて、開発家のレオ・パウ氏、実践者のカロリン・フェルフーフ氏、オランダ教育専門家のリヒテルズ直子氏をお招きしてワークショップ(4月12-13日)及び講演会(4月16日)を開催いたしました。日本の教育問題、いじめ問題に関心をお持ちの学校の先生、教育委員会の方々、会社員、コンサルタント、学生、主婦など様々な立場の方々、総計130名の方々にご参加いただきました。ワークショップでは、オランダのシチズンシップ教育、開発の背景、プログラムの全体像の紹介のほか、カロリン氏により実際のレッスンの一部が披露され、参加者はプログラムを体験することができました。「大変、有意義な時間だった」、「ぜひ日本にも取り入れたい」という声が多数寄せられています。

本日は、ワークショップの中から、オランダでピースフルスクールが開発された背景とシチズンシップ教育の意義について、ご紹介させていただきたいと思います。

 

●プログラム開発の背景

レオ・パウ氏がピースフルスクールの開発に取り組み始めた1999年頃のオランダでは、子どもたちの規律のなさや、様々な問題行動が表面化し、それらの問題にどのように取り組めばよいか、教師自身が途方にくれている状況でした。大都市部の荒れた地区の学校では、教師のなり手を見つけることが困難で、青少年の犯罪や暴力的な行動も増えていました。人々は子どもたちの心にいったい何が起こっているのだろうと不安を感じるようになりました。

この背景には、オランダ社会の変化があります。1960年代以後、オランダ社会が繁栄し、福祉制度が大きく発達し、社会全体が豊かになるにつれ、個人主義が浸透してきました。人々は、お互いを強く必要とせず、自分の生き方を自分で決めることができるようになり、個人に対する教会や宗教の影響が縮小してきました。安い労働者としてモロッコやトルコからの移民が流入した結果、オランダに住む人々の構成が変わり、社会は多元化し、人々は共生するというよりも、隣にいてもお互いに相手に無関心に生きるようになりました。変化のもう一つの結果として、自分が欲しいものを手に入れ、規則に縛られることを望まない自己主張の強い市民が出現し、子どもたちの教育に大きな影響を与えるようになりました。家庭でも、学校でも、子どもたちの個人的な幸福や個別の発達に対して焦点が向けられるようになり、個人主義化した社会において、子どもたちの教育の責任が学校と保護者に重くのしかかるようになりました。

社会変容の結果、子どもたちは大切にされるようになり、自分が欲するものを何でも持つことができるようになったのですが、それに伴う負の部分も多く出現しました。与えられる自由が大きければ大きいほど、その自由をどう取り扱うかについての責任が求められます。子どもたちは、自制心を持ち、責任のある方法で行動することを学ばなくてはならないのですが、それを、いったい、どこで、誰から学べばよいのでしょうか。

 

●学校という共同体

こうした問題に対する解決策を求めて、合衆国に飛んだレオ・パウ氏は、一つのヒントを得ました。合衆国での研究によれば、子どもたちが、ある場所において自分の存在が重要なのだと感じられる時、問題は起こりにくくなるということがわかりました。もし子どもたちが、自分は、学校で歓迎される存在であり、一つの学校という共同体に属していると感じられるような学校に通っている場合、子どもたちの問題行動がずっと起きにくくなると言われています。

私たちは皆、誰かから必要とされる存在でありたいと思っています。自分がそこにいることで、世界はより良い場所になるのだという感覚を持ちたいとものですが、そういう観点から見てみると、今の学校は生徒にとってそのような場所になっていません。学校が、社会的結合性が多く生み出せる1つの共同体になれば、生徒たちの問題はより少なくなっていくはずです。

学校が生徒にとってそのような場所になれるよう、学校全体を変容させるための一つの完成度の高いプログラムが「ピースフルスクール」です。忙しい先生でも実践できるよう、段階を踏んで約2年間で学校を変容させることを狙いとした、一つの系統だったシチズンシップ教育プログラムです。

 

●ピースフルスクールが目指す民主的なシチズンシップ

「ピースフルスクール」はオランダのシチズンシップ教育の一貫として開発されていますが、そもそもシチズンシップ教育とは何でしょうか?

ユトレヒト大学の教授のミシャ・デ・ウィンター教授によれば、シチズンシップ教育には3つの段階があります。シチズンとして、①個人的な責任を負うこと、②参加的行動をとること、③社会的正義を守ること、の3段階です。①個人的な責任をとるとは、法や秩序を守るシチズンになることです。②参加的行動をとるとは、自分が一部となって共同体に参加することです。③社会的正義を守るとは、社会・政治・経済の現状に批判的になって変革のために努力することです。フードバンク*2の活動を例にとれば、①のシチズンはフードバンクに食糧を持っていく人、②はフードバンクの活動に参加する人、③はなぜフードバンクが必要なのかと考える人です。①単に個人の責任を果たすことは独裁政権下でもできることです。②もし社会全体のシステムが間違っていた場合には、参加すれば参加するほどシステムが悪い方向に強化されていってしまいます。民主的なシチズンシップを行うためには、そこに社会的正義が必要です。③社会的正義に照らして考えるとは批判的に、クリエイティブに、現存のシステムを外から客観的に見て、より良い社会への変革アイディアを生み出していく必要があります。オランダのシチズンシップ教育はこの③を目指しています。

シチズンシップ教育において最も大切なことは、どのような社会を実現する人を育てたいのか、ということです。シチズンとは何か?ということを考えた時、オランダでは、市民とは主権者・参政権を持つ人々であり、自由と責任の両方を持ちます。オランダ市民であることは、ヨーロッパ市民や世界市民であることと、同義であり、矛盾がなく、そのような市民を育てるためにシチズンシップ教育が行われています。残念ながら、日本では日本国民であることと、アジアや世界の市民であることが一致しているという実感を持つ人はあまりいないのではないでしょうか。

教育を行う一つの目的は、民主的なシチズンを育てることにあります。OECDの言葉を借りていえば、「教育とは単に個人の知識やスキルを増大することで個人をエンパワー(力を与える)のではなく、健全なライフスタイルとアクティブなシチズンになるための習慣や価値観、態度を向上させることで、個人をエンパワーする(力を与える)ものです」 

シチズンシップ教育は、これからの学校教育に重要な比重を占めてくると思います。 

*1 オランダで最も成功しているシチズンシップ教育のプログラムならびにその実践校のことで、10年以上の実績を持ち、全小学校のおよそ10%に当たる、約600校を超える学校で実践されています。

*2 包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体

 

キャリア開発最前線

文部科学教育通信 No.313 2013-4-8に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る25をご紹介します。

今、学校に通う子どもたちが成人する頃に、今ある仕事の6割はなくなっているというダイナミックな予測が、海外ではなされています。グローバル競争の時代、企業は持続的な成長を実現するために、絶え間ない進化を続けています。経済の変動、技術革新、少子・高齢化の進行、顧客ニーズの変化など企業を取り巻く様々な環境の変化に対し、職場環境も変化を続けています。スリム化や効率化により組織のフラット化が進んでおり、仕事のスピード、意思決定のプロセス、昇進昇格の機会など、様々な形で人の働き方に影響が出ています。激動の時代に、自分のキャリアを守り、フラット化する組織の中で、自己成長し続けることは困難なことです。その現実を直視し、自己のキャリア開発にどう取り組むかを教えているのが、ノベーションズ社*1の開発した「タレントディべロップメント」プログラムです。

「タレントディベロップメント」には、キャリア開発のためのたくさんのヒントと使いやすいフレームワークが盛り込まれています。その中で、最も重要な教えは、キャリア開発のイニシアティブは、自分にあり、自分でその機会を創造していかなければいけないという考え方です。上司や会社が何かをしてくれるのを待つという考え方ではなく、自ら、道を切り開いていくという考え方です。フレームワークを用いてそのいくつかをご紹介しましょう。

 

● 【フレームワーク1】貢献の4ステージ®

1960年頃、ハーバード・ビジネス・スクールのダルトン教授とトンプソン教授は2000人の技師を対象に組織への貢献度調査を行い、この結果を元に「貢献の4ステージ®」というフレームワークを開発しました。二人は、技師の貢献度が35歳頃までは上昇するのにそれ以降は退職まで徐々に下降すること、同じように貢献度が高くても、若い世代と中堅世代と後年世代では全く違った行動や役割を果たしていることを発見しました。対象者の行動を時間軸に沿って捉えると、4つの異なるステージがあり、このステージをきちんと「移行」することで、いつまでも貢献者であり続けられることがわかりました。(出典:「Novations:Strategies for Career Management, Gene Dalton, Paul Thompson, Novations Group 1993)

ステージ1: 指示監督下での貢献

新入社員を想像してください。上司や先輩の指示監督の下、責任のある仕事を遂行するステージです。転職や部署を移動した直後、自立できるまでの学習期間もこれに当たります。

ステージ2: 自立的な貢献

上司や先輩の指示監督を必要とせず、自立的に仕事ができる状態です。上司や先輩も安心して仕事が任せられる状態と判断し、当人も、1人で職務を全うすることに不安はありません。もちろん、全ての仕事がこの状態にあるとは限らず、ある仕事ではステージ2でも、別の仕事では、ステージ1の場合があります。

ステージ3: 他の人を通しての貢献

有能な一個人から他者を活用して成果を出すステージに「移行」します。部下や後輩だけでなく、同僚や他部署の人たちや顧客や提携先など組織の壁を越えた人たちとの協働が求められるステージです。有能な個人から、他者を通して成果を出す人へと「移行」するには、職務遂行能力だけでなく、対人関係能力、交渉力、リーダーシップなど多くの力を必要とします。

ステージ4: 戦略的な貢献

第4のステージは、経営者目線で物事を捉え、戦略的なレベルで組織にインパクトを出すことができる状態です。第3のステージに求められる力に加え、視野の広さ、戦略立案力、中・長期的な視点などが求められます。

変化の激しい時代には、あなたの価値は地位ではなく貢献度で決まります。このため、キャリア開発において重要なことは、常に貢献者でいられるように貢献の『仕方』を変えていくことです。

 

●【フレームワーク2】キャリア・ベスト

キャリア開発において、キャリアベストと呼ばれる仕事を手に入れることが重要です。キャリア・ベスト(Career Best)とは、能力(Talent)、情熱(Passion)、組織のニーズ(Organization)

の3つの要素が全て揃った仕事のことです。自分の能力に適していて、情熱が注げる仕事であり、組織にとっても重要な仕事のことを指します。組織のニーズに該当しなくても、自分の情熱を捧げられて、能力が発揮できれば十分、と考える人もいるかもしれませんが、どれだけ頑張っても、周囲に評価されず、感謝されることのない仕事から、本当の意味での達成感を得られることはありません。能力、情熱、組織のニーズの3つが揃った時、人は良い仕事をしているという実感を持ち、やりがいを感じ、より真剣に仕事に取り組むことになり、その結果、自己成長を遂げます。

しかし、組織や上司が常にこのような状態を用意してくれることを期待するのは現実的ではなく、プログラムでは、自らがこのような環境を手に入れるために計画的に行動することを教えます。

 

●【フレームワーク3】キャリア志向

仕事に対する個人の動機・価値観を説明するのに、キャリア志向という考え方を用います。キャリア志向とは生まれ持った志向ではなく、仕事の経験により確立していく志向です。職業体験を通して、自分なりの心地よさを見出していくもので、人生の節目などにおいて変化していくものと考えられます。プログラムでは、次の5つの志向に分類しています。

◎上昇志向(アドバンスメント)・・・影響力、インパクト、上昇を求める

◎安定志向(セキュリティ)・・・認知、安定した仕事、尊敬、組織からの忠誠を求める

◎自由志向(フリーダム)・・・自分の仕事を行う上で、最大限の自由裁量を得ることを求める

◎バランス志向(バランス)・・・仕事、人間関係と自己開発の有意義なバランスを求める。
夢中になりすぎる仕事や興味が持てない仕事は避ける

◎挑戦志向(チャレンジ)・・・興奮、冒険そして『先端を行く』機会を求める

 

キャリア志向は、人の有能さを表すものではありません。研修プログラムは、それぞれのキャリア志向の強みとともに潜在的な落とし穴にも目を向けるよう教えます。例えば、上昇志向の人は、大きな仕事に対して責任を持つことやリーダーシップを発揮することを厭わず、結果を出すために最善を尽くす一方で、自己中心的になり、孤立してしまう可能性があります。バランス志向の人は、仕事にエネルギーを注がないわけではなく、仕事以外のことに費やす時間を捻出するために、計画的に仕事を組み立て、効率的に仕事をこなします。安定志向の人は、リスクを取る挑戦的な仕事を好まない代わりに、組織に対する忠誠心が高く、企業理念を体現するよき先輩役を担うことができます。それぞれの良いところを活かし、弱点を克服することにより、自らの個性を最大化することができます。

誰もが同じ志向であることを求めるのではなく、多様な志向が存在することを理解し、尊重することで、個人のやりがいと組織の成果を結びつけるという考え方は、これからのキャリア開発において大変興味深いものです。

学校教育を終え、企業に入っても、人は成長し続けることを求められます。変化の激しい時代に、組織に貢献できない人は求められなくなるという厳しい時代でもあります。植木仁氏が、「サラリーマンほど気楽な商売はない・・」と歌った時代は、はるか遠い昔のことです。 自律的学習力、主体的に道を切り開く力を、大学を卒業するまでに身に付けておくために、学校に何ができるのかを考えていく必要があります。(2996字)

 

*1 現在、「タレントディベロップメント」は、ノベーションズ社の買収先のコーン・フェリー社(グローバルな大手のエグゼクティブ・サーチ会社)が所有するプログラムとなっています。この記事はプログラムの内容を参考に書いております。

スタンフォード大学から生まれたオンライン授業「コーセラ」

文部科学教育通信 No.311 2013-3-11に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る23をご紹介します。

スタンフォード大学から生まれたオンライン授業「コーセラ」が話題を呼んでいます。一流大学の講義を世界中どこからでも無料で受けられるという信じられない時代が到来しました。

米国スタンフォード大学のアンドリュー・ング、ダフニー・コラー両教授が立ち上げたこのオンライン授業には、同大学をはじめ、ミシガン大学、プリンストン大学、ペンシルバニア大学など米国の一流大学33校が参加しています。登録者数は250万人以上に上り、新たに東大を含む(2013年秋参加予定)29大学が参加を表明しています。

「コーセラ」の最大の特徴は、正規の学生が受けている大学の講義と同じ内容をオンラインにて無料で受講できる点です。講義は1週間単位で構成され、受講生は毎週、講義のポイントをまとめた動画と読み物で自主学習し、課題レポートを提出する、という流れになっています。

現在、開講されているのは、生物学、コンピューター、経済・財政学、音楽・映像学、医学や栄養学などの20領域、222講座にわたります。講座の例をあげると、「役に立つ遺伝子学」「グローバル課題解決のためのクリティカル・シンキング」「どうして心理学が必要か?」「世界の音楽を聴く」「肥満の経済学」など大人でももう一度勉強したいと思わせるような魅力的なテーマもたくさんあります。

 

このオンライン授業を始めるきっかけになったのが、スタンフォード大学の3つの人気授業です。一般公開したところ、それぞれ10万人以上が登録したそうです。例えば アンドリュー・ング准教授の人気授業「機械学習」は毎年400人以上が受講する授業ですが、同じことをスタンフォードの教室で教えようとすると250年教え続けなければなりません。そこで、クオリティの高い授業を可能な限り多くの人に届けることを可能にするために考えられたのが、オンライン学習「コーセラ」の始まりです。

190万人の学生が学ぶ「コーセラ」ですが、素晴らしいのは受講生の数ではなく、そこで学ぶ学生たちだと、コラー教授は言います。コラー教授のスピーチでは、「コーセラ」で学ぶ3人の事例があげられました。インドの村に住むアカシュは、スタンフォードの様なクオリティの授業に接する機会もお金もありません。二人の子どもを持つシングルマザーのジェニーは能力を磨き、大学に戻りたいと考えています。ライアンは、免疫不全の娘がいて家に雑菌を持ち込むリスクを回避するため、外出できません。最近ライアンから連絡があり、お嬢さんの病状がずっとよくなり、「コーセラ」で受けた授業をもとに仕事を得ることができるようになったそうです。

 

「コーセラ」は、受講生が自分のペースで無理なく学習が継続できるよう、講義用コンテンツにも工夫がこらされています。コンテンツを最初からオンライン向けにデザインすることで、1時間単位の授業をばらして、1つのコンセプトが8分~12分で分割して説明されています。学生はそれぞれの背景知識に応じて違う順序で教材を見ていくことができます。この方式を取ることで、全員に一律同じものを押し付ける従来のモデルをこわし、個人に合ったカリキュラムを組めるようになりました。また、学習内容を本当に理解したかどうかを確かめるために、学生に数分ごとに質問が投げかけられ、質問に答えられないと次に進めない仕組みになっています。

学習のためには、学生が出した答えが正しいか間違っているかを伝えるフィードバックが重要ですが、テクノロジーの進歩によって、様々なタイプの宿題の採点が可能です。選択肢式の問題だけではなく、数式や微分の問題、経営の授業での金融モデルや科学や工学の授業での物理モデル、複雑なプログラミング問題も採点できます。

人文、社会科学、経営学などの批判的思考力を見るような課題には、テクノロジーによる採点が適さないことから、学生同士の相互採点システムが採用されています。過去の経験から、学生による相互採点は教師による採点と非常に高い相関関係を示す効果的な採点方法だということがわかりました。この相互採点システムは学生に採点の体験から学ぶ機会を与える効果的な戦略です。

ネットワークを通じて、受講生同士が積極的にコミュニケーションをとれることが「コーセラ」の魅力の一つです。オンラインコミュニティでの学生同士の交流は実際の教室でのつながりよりも広くて深いものになっています。実際に毎週集まる地域限定での学習グループから他の文化圏の人との交流を望むユニバーサルな多文化の学習グループまでコミュニティは様々です。Q&Aフォーラムを通じて、わからないことや意見を求めれば、同じ授業を受講している他の学生から答えが返ってきます。世界中の学生の誰かが受講しているはずなので、およそ22分程度で返答が返ってくるのだそうです。

 

興味深いのは、このオンライン学習システムから、教師側が、人間の学習に関する様々なデータを得ていることです。何万と言う学生によるあらゆるクリック、宿題の提出、投稿データは、人間の学習に関する良い研究材料です。これらのデータを使って「効果的な優れた学習戦略とそうでないものは何か」という質問に対する根本的な答えを見つけることができます。これは生物学に革命をもたらしたのと同じ変化です。

例えば、アンドリュー・ング准教授の「機械学習」のオンライン講義では、ある課題に対し2000人の学生が同じ間違いをしたことから、この間違いを分析し原因を突き止めることにしました。現在では、この間違いに対して専用のフィードバックが用意され、学生を正解に導くことが可能となっています。これは、100人教室の授業で2人が間違ったのでは、見逃されていた問題かもしれません。

 

学習効果という点では、集団講義よりも個別学習が最も効果的です。学生全員に教師を割り当てることは不可能ですが、コンピューターやスマートフォンを提供することはできます。コンピューターは同じビデオを5回繰り返すことも同じ問題を繰り返し採点するのも厭いません。オンライン学習では、実際、習得度ベースの学習が実現され、個別学習と呼んでもいいほど効果の高い学習になっています。どこまで学習効果を高めることができるかが今後の挑戦となります。

コラー教授はまとめとして最高の教育を世界中の人に無償で提供できた時に起こることを、3つ述べています。

①   教育が基本的人権として確立されます・・・やる気と能力を持った世界中の誰もが自分や家族やコミュニティにより良い生活をもたらすために、必要なスキルを手にできる権利です。

②  生涯学習が可能になります・・・多くの人が高校や大学を卒業した時に学びをやめてしまうのは残念なことです。素晴らしい学習コンテンツが提供されることで、望む時にはいつでも新しいことを学び、視野を広げ、生活を変えることができます。

③  新たなイノベーションの波が生まれます・・・才能を持った人がどこにいるかわかりません。明日のアインシュタインや明日のスティーブ・ジョブズはアフリカの僻地の村にいるかもしれません。その人たちに教育を提供できたなら、彼らは次の大いなるアイデアを生み出し、全ての人のため、世界をより良い場所に変えてくれることでしょう。

 

5月には、米ハーバード大学とMITが協力してオンライン教育プログラムを拡充し、共同事業[edeX]を立ち上げる予定です。一流大学によるオンライン授業への進出はもはや一時的な流れではなくなっています。

*コーセラに興味をお持ちの方は動画 TED Talks ダフニー・コラー 「オンライン教育が教えてくれること」をご覧ください。

心の教育と学校

文部科学教育通信 No.310 2013-2-25に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る22をご紹介します。

心の教育の重要性は誰もが認識しています。いじめのない学校や、道徳心を育む学校創りを目指さない学校はありません。一方で、いじめは深刻化する一方であり、道徳心は希薄になる傾向にあることを、危惧する声は絶えません。そこで、心の教育とは何かについて、少し違う視点から捉えてみたいと思います。

 

感情による思考の支配

ハーバード教育大学院で行われている教育の未来についての勉強会で学んだ脳科学と教育の融合は、心の教育における大きなヒントになります。米国では、脳科学者と心理学者と学校の先生が協力して「子どもにとって効果的な学習とは何か?」ということを模索し続けており、ハーバード教育大学院にもMBE(Mind, Brain & Education)という新たな領域が登場しました。研究の結果明らかになった事は、感情が私達の思考や判断を支配しているという事実です。

私たちは、生活をする上で様々な決定を下しますが、その際に指針となるのが過去の経験です。自分のとった行動の結果を、その時に味わった感情から「知恵」と「愚行」に区分して知識として脳の中に蓄え、次に決定を下す際の指針にします。また、行動の結果を予測した時に起きる感情も決定を下す際の指針となります。脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者が合理的に判断できなくなってしまうのは、思考を支配する感情という指針を失ってしまうからです。患者は過去の経験から学ぶことができないだけではなく、新しい経験から学んでいくこともできなくなり、間違った意思決定を行いがちです。このように論理的思考から感情が切り離されてしまうと、思考したり、決定したり、学習したりする能力が欠落してしまうのです。

 

いじめにおける「知恵」と「愚行」

先日、NHKで、ハーバード大学のサンデル教授と、日本の中学生がいじめについて話し合う授業を視聴しました。そこで、明らかになったことは、誰もがいじめはよくない、と考えているということでした。一方、多くの生徒は、いじめを止める行動にでないという意思表明をしていました。その背景には、いじめを止めようとすると、自分がいじめの対象になる可能性があること。先生に「チクル」ことは望ましくない行動であることが挙げられます。このことを、脳科学の発見に照らして考えると、いじめに対処することは、「愚行」であると生徒たちが感じているということです。そして、もちろんこの認識は、生徒の過去の経験、つまり、失敗体験に基づいています。

知人の高校の先生が生徒たちに、「なぜいじめに対処しないのか」と尋ねたところ、生徒たちからは、対処した結果どうなったかという失敗体験が次々と出されたそうです。いじめを先生に伝えた時の先生や学校の対応はさまざまです。全校生徒を集めてお説教をする校長先生や、いじめている子を呼び出してお説教をする先生、学級全体にいじめをやめようと話をする先生、どの先生方も、いじめを無くそうと一生懸命です。ところが、先生が介入したことにより、その後、いじめは更に悪化し、いじめを報告した生徒もいじめに巻き込まれたり、周囲から恨まれたりするというのが一般的な顛末です。良かれと思って対処しても自分も周りも報われない、というのが、子どもたちの共通認識なのです。

いじめに対処することが「愚行」という子ども達の認識は、驚いたことに日本だけのものではないようです。1990年代に、いじめや学級崩壊が問題になったオランダでも、子どもたちのいじめに先生が介入すると、かえっていじめが悪化してしまうという現象が繰り返されました。そこで、オランダでは、教育の方向転換を図り、先生が介入する代わりに、子ども達自身でいじめに対処する方法を「ピースフルスクール」プログラムを使って教えることにしました。過去に何度かご紹介していますが、「ピースフルスクール」は、オランダで最も使用されているシチズンシップ教育プログラムです。いじめやコンフリクトの解決を発端として、学校やクラスを民主的な共同体に変えていくことを狙いとしています。

「いじめが悪い」というのは誰もが知っている事実ですが、今の学校や教室では、いじめを制止する力を誰も持っていない、という認識のもとに、新たにいじめ対策を見直す必要があるのではないかと思います。

 

生きる力は学校では「愚行」?

いじめ以外にも、学校教育における「愚行」について、もう一つ気がかりな事があります。それは、「生きる力」に関連する心の習慣についてです。生徒のために良かれと思って行っている学校教育が果たして「生きる力」の育成に役立っているでしょうか。以下に挙げたリストは、学校教育において慣習とされている事柄です。生徒の立場になってこのリストをご覧下さい。

○目的とゴールなしに授業を受ける

○正解しか発言してはいけない

→主体性にどのような影響を与えるでしょうか?

○批判的ではなく素直に、(先生や大人の)話を聞く

○先生が決めたことに、生徒は従う

→クリティカルな思考にどのような影響を与えるでしょうか?

○授業(学習)の準備は、先生が行う

○問題(問い、必要な情報、正解)を用意するのは先生である

→社会に出てからの問題解決力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

○学習の中心は、既知の事実に限定される

○正解はすでに用意されている。自分で考える必要はない

→未来を切り開く力、創造する力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

○勉強や考えることは、一人で行った方が能率的である

○異なる意見は、場を混乱させ、効率を低下させる

→みんなで考える力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

 

人間形成の場としての学校

日本で最高峰とされる大学で、ある大学生が私に言った言葉です。「高校を卒業するまで、私はとても優秀な生徒でした。先生の言う事をしっかりと聞き真面目に勉強しました。そして希望の大学に入りました。でも、今、私は先生や学校教育に裏切られた気がしています。大学に入ると突然、放任で、社会に出ると自己責任です。こうなるのなら、もっと前に準備をさせてほしかったです。」この話を聞きながら、オランダに教育視察に行った時の事を思い出しました。

2011年にオランダに教育視察に行き、小学生が3か月の学習を振り返り、「誇りに思うこと、その理由、苦労したこと、次はどこをもっと上手にやりたいか」について自然に語っている姿や、生徒が喧嘩の調停を行っている様子を見た時に、この年齢でもリフレクションや調停ができるという事実に衝撃を受けました。そして、私達大人が、子どもへの期待を低く持つことにより、子どもは、幼稚化するのだということを認識しました。同時に、オランダでは、小学生が自然に行っている多様性の尊重や対話による問題解決を、日本では、大人でもできていないことを認めざるを得ませんでした。

学校とは、リヒテルズ直子氏の言葉を借りていえば、*「個々の子どもが自分の能力を発見し、それを最大限に延ばして、将来、社会の中で自分の居場所を見出し、その場での活動を通じて、この社会の一層の発展に積極的に関われるようにするための人間形成の場」であるべきだと思います。

生徒が、生きる力を育み、大人になるための人間形成を行う学校において、子ども達の体験が、何を感情に刻み込んでいるのかを見極める必要があります。

いくつかの学校では、心の教育を見直す動きが始まっていますが、知識偏重型の心の教育では生徒の心に届く教育にならないのではないでしょうか。

 

*引用:「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」(リヒテルズ直子著、平凡社、2006年)

サウジアラビアの教育

文部科学教育通信 No.308 2013-1-28に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑳をご紹介します。

2012年の暮れに、日本貿易振興機構(ジェトロ)が主催するサウジアラビア視察団に参加しました。団長は、昭和女子大学長の坂東真理子先生です。

サウジアラビアは、アラビア半島に位置する敬虔なイスラム教徒の国です。1932年に、アブドゥルアズィーズにより建国された君主制の国家で、国土は、日本の約6倍、その95%が砂漠です。人口は、約2900万人で、その66%が、29歳以下という若年層の比率が極端に高い国です。1938年に、油田が発見され、今日では、世界最大級の石油大国になっています。日本は、石油の約33%(2011年)をサウジアラビアから輸入しています。

 

サウジアラビアの教育の歴史

サウジアラビアの近代教育の歴史は新しく、教育制度が確立されたのは1953年で、当時の生徒数は全国でわずか3万人程度でした。女子教育が始まったのは1960年です。1960年当時、初等中等教育の就学率は、男子で22%、女子はわずか2%に過ぎませんでしたが、現在では、8割近くまで向上しました。高等教育では、1957年に初の総合大学であるキング・サウード大学が設立されています。現在では、国立大学が6校あり、約65万人の学生が学んでいます。最近では、有力王族が経営する私立大学が増加しています。

教育の基本理念をイスラム教の教義に置いていることが特徴で、サウジアラビア建国の歴史などの愛国心教育に重きが置かれています。そのため、数学、物理などの理数系科目の教育水準が低く、国際的水準に到達していないという課題もあります。

 

新たな教育改革への取り組み

2005年に発表された「国王のビジョン」が掲げる2大改革は、教育改革と、産業多様化による雇用機会の創出です。教育投資は、急増する若年人口の教育ニーズに答えるための重要な取り組みです。宗教に偏重した教育制度を改革し、教育の充実を図るために、この数年間 国家予算の25%を教育分野に配分しています。巨額な予算は、新規学校の建設、既存の学校の修繕、IT機器など教育インフラの充実、教師の育成に投じられます。予算報告によれば、2008年には、新規に2074校の学校が建設され、建設中の学校が4532校ありました。韓国のLGは、拡大する学校市場のためにエアコン工場を建設したそうです。

 

海外留学の奨励と奨学金制度

国際的なレベルで活躍できるサウジアラビア人学生を養成するために2005年に海外の大学に派遣する奨学金制度が創立され、これまでに世界24カ国に約45000人の学生が派遣されています。日本にも、この制度を活用し、248名の学生が留学しました。授業料および、住居手当が全額支給されるほか、月額奨励金と呼ばれるおこづかいまで支給されるというとても恵まれたプログラムです。

 

視察訪問先

首都リヤドでは3日間に亘り、3つの大学(アル・ファイサル大学、プリンセス・ヌーラ女子大学、プリンス・スルタン大学)と幼~高校生対象のリヤドスクール、Arts and Skills Instituteというデザイナー専門学校等を見学しました。印象に残った視察先の中から、いくつかをご紹介したいと思います。

 

女性とアバヤ

訪問先のご紹介をする前に、敬虔なイスラム教徒の国サウジアラビアの視察について触れておきます。

女性は、外出する際に、アバヤという黒い洋服とスカーフを着用するのが決まりです。親族以外の男性と対話を持つ事も原則ありません。訪問した女子部の校舎内では、アバヤを脱ぐことが許されます。もちろん、女子部の教師は、全員女性です。保護者会も、男子生徒には父親、女子生徒には母親が出席するという徹底ぶりです。このような規律に従い、私たちも、サウジアラビア訪問中は、アバヤを身にまとい、女子部の見学のみが許されました。頂戴した学校案内にも、女性の姿はなく、男子生徒の様子のみが紹介されているので、慣れないと少し違和感があります。

 

●リヤドスクール

リヤドスクールは、王族を含む多くのサウジ人の子弟が学ぶ幼・小・中・高一貫の私立名門校で、現在の理事長はサルマーン皇太子です。

2015年までに国内トップ5スクールになる事を目指し、オーストラリア人の校長を中心に、教育プログラムの充実が図られています。世界有数のコンサルティングファームであるボストンコンサルティンググループに教育効果を高めるためのコンサルティングを依頼し、スポーツ教育強化策のためにサッカーチーム、レアルマドリードと契約するなど、スケールの大きさに圧倒されました。

2013年には、小学生を含む全学生に、iPadを支給し、ITシステムを活用した教育を行う準備が始められています。国家の要請によるイスラム教育が、カリキュラムに占める割合は2割(イスラム教、アラビア語、国の歴史)で、残りの8割は、学校の独自性が尊重されています。

リヤドスクールには、男女の生徒が通っていますが、女性視察団は、女子校舎を見学しました。校長室でお会いした小学生から、直接話を聞く機会がありました。校長先生の質問に従い、将来の夢、この学校の好きなところ、改善したいところなどを、流暢な英語で話してくれました。生徒は、小学校4年生と5年生ですが、将来の夢は、外科医、作家、弁護士、学校の先生と、とても現実的でした。みんな、学校が大好きという点は、共通していました。一人の生徒が、放課後に、学校に残り何か活動をしたいと改善提案をしました。すると、校長先生が、「具体的には何時まで残りたいのか お友達も同じ考えか」と尋ねます。そして最後に、「お友達の考えをリサーチして、どういうトーンだったのか、校長先生に教えてください」と伝えました。イスラム教徒は、日本同様に目上の人を大切にすると聞いていますが、生徒の意見を尊重する校長先生の姿に、近代教育の姿を垣間みる事が出来ました。

 

●女性教育

サウジアラビアは、イスラム教国の中でも、厳しい戒律を持つ国で、アバヤや黒いスカーフの着用が徹底しています。女性は車を運転することができず、常に、男性が送り迎えをするなど、日本人女性が話を聞くと、とても不自由な生活を強いられている様子を想像するかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

1960年代にスタートした女子教育は確実に無を結んでいます。例えば、法学部を卒業した女性は、これまで法廷に立つことが許されませんでしたが、今年から、一定の経験を積むことを前提に法廷に立つ事が許されるようになりました。女性に教育の機会が与えられ、プロフェッショナルとして活躍する環境が次々と整備されていくサウジの女性は、黒いスカーフの与える印象とは正反対に、むしろ、日本女性よりも、何倍も元気で生き生きとしているというのがプリンス・スルタン大学視察後の感想です。

 

●エリート養成教育

リヤドスクールで話題になった国家エリート養成プログラム『モヒバ』に参加している学生と、その後、偶然出会う機会がありました。小学4年生で試験を受け、理数系の優秀な学生が選抜され、『モヒバ』に参加します。環境問題を始めとする国家レベルの問題解決に必要な教育を受け、問題解決に必要な論理的思考をトレーニングしているそうです。彼女は、高校生ですが、ブラウン大学のe-ラーニングを受講する機会も与えられており、その中で、将来のキャリアを選択していくと話していました。

アバヤを身に纏い、流暢な英語で、理路整然と話す女子高生の様子には圧倒されました。アブドッラー国王のビジョンは、女性のエリート教育も視野に入れており、彼女の姿はその成果を証明するものでした。

世界の若い教育改革者たちの集まり

文部科学教育通信 No.307 2013-1-14に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑲をご紹介します。

2012年11月12日から15日にかけてチリのサンチアゴで開かれたティーチ・フォー・オールの年次総会2012に参加してまいりました。ティーチ・フォー・オールは、世界26カ国の教育団体のグローバルなネットワークで、今年で5周年を迎えます。アメリカ、イギリス、チリ、インド、中国などの国々が加盟しており、有望な未来のリーダーを教師として派遣することで、教育格差を解消するための活動をしています。

総会では、ティーチ・フォー・オールの活動に関わる関係者が約200名、世界中から集まり、各国での教育改革の状況を共有し、それぞれの組織が抱える重要な問題を一緒になって考えました。チリの教育大臣ヘラルド・バイエル・ブルゴス氏の講演や、OECD事務総長 アンドレア・シュライヒャー氏のテレビ会議での参加など、グローバルな教育改革についても、世界の事情を共有する意見交換が行われました。

ティーチ・フォー・オールは、アメリカで1989年に、「いつか、すべての子どもたちが素晴らしい教育機会を持てるように・・・」というビジョンを実現するために、ウェンディ・コップが創立したティーチ・フォー・アメリカが起源です。その後、マッキンゼー社に勤務していたブレッド・ウィグドーツ氏が、イギリスの教育課題を解決するために、2002年にティーチ・ファーストをロンドンに立ち上げました。ティーチ・ファーストの成功事例が世界で話題となり、ブラッドの元には、世界中から、自分の国の教育課題を解決したいという問い合わせが来るようになりました。そこで、世界の教育改革に取り組む仲間を支援するために、2007年に、ティーチ・フォー・オールが設立されました。日本も、今年から、26番目のメンバーとしてこの活動に参加しています。

 

ティーチ・ファースト

 ここからは、ティーチ・フォー・オールの仲間の一つ、英国のティーチ・ファーストの例をご紹介しましょう。

低所得者層のイギリスの子どもたちは裕福な家庭の子どもたちに比べて教育上、平等な機会に恵まれていません。低所得者の住むコミュニティで育った子どもたちは、学業成績が低いまま、良い就業機会に恵まれず、犯罪に巻き込まれたり、麻薬の常習者となって健康を損なうなど、生活全般にわたって悪循環状態に陥りがちです。このような状態は本来あってはならず、ティーチ・ファーストは「すべての子どもたちの教育的成功は社会・経済的状況により制限されるべきではない」というビジョンを掲げています。

ティーチ・ファーストの参加者は、イギリスで最も貧困な家庭の生徒の割合が高い学校で2年間、教壇に立ちます。2年間が終わると、参加者の半数以上がその後も継続して低所得者層のコミュニティで教壇に立つことを選びます。残りの半数は政府、一般企業や自ら始めた社会起業などでティーチ・ファーストのビジョンを実現します。

ティーチ・ファーストは、毎年拡大を続け2003年には163人の参加者が、2012年には997名まで増加しています。2012年現在、ティーチ・ファースト大使として教師を経験した若者の数は累計2000人以上にのぼります。2012年に、ティーチ・ファーストは、タイムズ紙のTop 100 Graduate Employers(大学卒業生の就職先100社)の中で4位になり、2013年は英国で1位の大学生の就職先になります。

総会に参加し、どの国にも、教育課題があるということが分かりました。教育課題の特性は、国により異なります。学校が不足しているという国から、学校はあるけれども、教員の質が低く、教育効果を挙げられていないという国、経済格差による教育格差が明確な国などです。また、旧態依然とした教育を受け続けている子ども達の未来に生きる力に危機感を覚え、改革に乗り出した仲間達もいます。

 

世界の仲間からのメッセージ

以下は、教育改革に取り組む世界の仲間からのメッセージです。皆さんの共感するメッセージはありますか。

○   ほかの子どもたちと同じように低所得者層の生徒も学ぶスキルと意欲を持っている。実際、彼らは学びたいのだ。どんなに彼らが学びたがっているかを理解することは重要である。(ドイツ)

○   すべての生徒は育った背景や生活環境に関わりなく、信じられないほどの様々な驚くべきことを学ぶ力を秘めている。ただ、私たちがあまり期待しないと、生徒たちも自分が出来るとは思わないだけである。 (オーストラリア)

○   すべての子どもたちは学びたがっている。子ども達が秘めているこのような態度を引き出すことが先生としての我々の仕事である。 (オーストラリア) 

○   すべての子どもたちに合うやり方などない。一人ひとり個別に対応するだけだ。(レバノン)

○ 教育改革はどこかで始めなければならない。それは教室からである。(ペルー)

○   教えることと学ぶことには切っても切れない関係がある。先生は常に学ぶ気持ちがないといけない。(オーストラリア)

○   イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである。(イギリス)

○ 教育の上で、今まで子どもにベストなことを望まない親に出会ったことはない。(アメリカ)

○   子どもを褒めてあげると親がどんなにか驚くのを何度も目にしてきた。親なら当然知っているだろうというような簡単なことを褒めてあげても、親は涙を流して喜ぶのである。(ペルー)

○   子どもの事を気にかけない親はいない。ただ、どうしたら子どもをサポートしてあげられるかがわからないだけである。 (オーストラリア) 

 

日本の教育課題は、他の国の課題とは異なります。

チリでは、「日本の教育は素晴らしいと聞いていますが、何が教育課題なのですか?」と多くの人から尋ねられました。確かに、子どもたちには、義務教育の機会が与えられており、大学進学率も、5割を超えています。統計的には、教育課題を説明することが他の国に比べて容易ではありません。

経済格差による教育格差は日本にも存在します。日本においても155万人(7人に1人)が就学援助の対象となっています。この他にも、既存の教育システムの制度疲労の問題があります。いじめや不登校、学ぶ意欲の低下、生きる意欲や未来に夢を持つ子どもの減少、21世紀を生きる力を習得できない教育システム、ダブルスクールを前提とした教育システムなど、学校システムの目的の見直しが必要です。

表面的な大学進学率は、リメディアル(大学入学時の補習教育)の必要な生徒の数を反映していません。大学がまるで高校のようになっているという現実は、新卒社会人が社会の求める人材としてのレベルに到達できていない事実としても表れています。

世界の教育課題に触れ、日本の教育課題の複雑性こそが課題なのだということを、改めて認識しました。そのため、教育関係者においても、課題認識において統一感がなく、対応策も、多様化しているのでしょう。

世界の仲間からのメッセージで、

「イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである」という言葉に共感を覚えました。学校に行くことで失うものの代表例は、主体性、創造性、間違っているか否かを気にせず自由に発言する力などです。主体性や創造性を伸ばす学校教育を行う事は、これからの学校の在り方を考える上での大きなテーマになると思います。

脳科学と教室

文部科学教育通信 No.306 2012-12-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑱をご紹介します。

前々回の記事で、脳科学の研究結果が教育に反映され始めていることをお伝えしました。今回は、Neuroscience & the classroom(脳科学と教室)のサイトから脳科学の研究結果をもう少し掘り下げてご紹介するとともに、教室での実践事例をお伝えしたいと思います。

 

●なぜ論理的思考には感情が重要か?

長年にわたって、行動を支配するのは論理であり、感情は秩序を乱す邪魔なものと考えられてきました。1980年代になってアントニオ・ダマシオ博士(南カリフォルニア大学Brain and Creativity Institute所長)が、脳の前頭前皮質腹内側部(vm-PFC)に損傷を受けた患者は自分のとった行動を忘れ、他人の感情に無関心になってしまう、ということを発見しました。これらの患者は、理論や社会的ルールを理解し、将来の計画やビジネス上の決定について知的にスピーチをすることはできでも、過去の経験から学んで自ら正しい決定を下したり、現在の行動に生かすことができなくなっていました。かつて、有能であった会社の役員が誤った意思決定を行い、会社を倒産させてしまったり、愛情深い夫が妻の気持ちにまったく関心を示さなくなった例が報告されています。

私たちは、生活をする上で様々な決定を下しますが、その際に指針となるのが過去の経験です。自分のとった行動の結果を、その時に味わった感情から「知恵」と「愚行」に区分して知識として脳の中に蓄え、次に決定を下す際の指針にします。また、行動の結果を予測した時に起きる感情も決定を下す際の指針となります。脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者が合理的に判断できなくなってしまうのは、思考を支配する感情という指針を失ってしまうからです。患者は過去の経験から学ぶことができないだけではなく、新しい経験から学んでいくこともできなくなり、間違った意思決定を行いがちです。このように論理的思考から感情が切り離されてしまうと、思考したり、決定したり、学習したりする能力が欠落してしまうのです。

 

●正しいとわかっていてもなぜやる気にならないのか?

「なぜ、昨夜は勉強すると言っていたのにしなかったの?」
「どうして補習をすっぽかしたの?」
「どうして、土曜日にシニアセンターにボランティアに来なかったの?約束したじゃない?」
先生を悩ませる生徒の行動の一つに、生徒が約束を守らないということがあります。
後から生徒に理由を聞いても、単に「やる気にならなかったから」と答えるのみです。まるで、脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者のように、生徒は社会的ルールや自分への期待を知りながら、約束をすっぽかして友達のもとにいそいそと出かけていきます。他人には優しく、両親は尊敬するべきで、困っている人は助けるべきで、社会的に成功するためにはどうすればいいか、ということをきちんと認識しているにもかかわらず、知識とは反対の行動をとってしまいます。これは、なぜなのでしょうか。

脳の第一の機能は生命の維持です。呼吸、心拍数、血流、ホルモン量等生命を維持する機能を統制して、体の状態を常に感知し、不具合があれば警告を発して知らせてくれます。脳は私たちの身体や心とリンクして、感情、思考、感覚、行動を意識・無意識的にコントロールしています。近年の脳神経学の研究で明らかになったのは、この原始的な生命維持装置と同じシステムが我々の思考、学習、行動の「やる気」を、意識下・無意識下で、コントロールしているという事実です。言い換えれば、どんなに頭で正しいことをしようと意識しても、直観的(本能的)にやりたいと思わなければ「やる気」のスイッチはなかなか入らないと言えます。

 

●歴史を学ぶ意義

ボストンラテン高校の現代史の教師ジュディ・フリーマンは人権や公正について学ぶ授業の中で、ナチスのホロコーストからの生存者の証言インタビュー映像を生徒に見せます。映像の中で、ホロコーストの生存者はこう語ります。
「ナチスによるユダヤ人の迫害が始まった。最も印象に残っていることは、ナチスがドイツ中のユダヤ人の学校、建物や商店などを破壊して回る音だった。あちこちでガラスの割れる音がした。ユダヤ人の年老いた小柄なおじいさんが営むたばこ店も破壊された。ナチスはおじいさんに、粉々になったガラスを一つずつ拾うように命じ、その様子を微動だにせず、じっと見ていた。友人と私は、何も言わずに様子をとりまいて見ているドイツ人の群集の前に出て、おじいさんと一緒になってガラス片を一つずつ拾い上げた。心の中で「助けて」と叫びながら。ナチスがどうしてあのようなことを命じたのかはわからない。群集の中には、沈黙することでナチスの行為に対して無言の抗議を示していた人もいたのかもしれない。でも、あの場で沈黙を保つことは害を及ぼしていた。何の役にも立っていなかった」

この映像を見た生徒の発言1:「ショックを受けた。沈黙は害だった、という発言は強力、そして本当だ」
発言2:「これは、私たちが街で困っている人を見かけても、何もしないのと同じ。自分には関係がないからとか、他にもたくさん人がいるから、と言ってそばを通り過ぎるのはただの口実。このおじいさんはとても勇敢だったと思う」
フリーマン先生:「過去と現在を何度も行ったり来たりして歴史の授業を行います。歴史を学ぶ意義は、現在の出来事と関連づけて考えることです。そうしなければ、生徒にとって、歴史は死んだ歴史、ただの昔のできごとになってしまいます。歴史の中の人物に焦点を当て、その生き様を考えることで、過去の歴史が生きた歴史として力を持つようになります。映像を利用することでこのような変容が可能です」

 

●国語の授業を面白くする

ニックは高校の国語教師としてカリキュラム作成を担当しています。以前から、感情が学習に重要な役割を果たすということを知っていましたが、知性と感情は別々の働きをすると考えていました。ある日、ニックは、「人間の興味と要求は感情に根ざしていて、感情が思考と行動を支配している。いつ、何を学習するかを選んでいるのは自分である」ということを学び、生徒の学習のモチベーションに関するヒントを得たと思いました。国語の授業を面白いものにするには、教材にもう少し幅を持たせる必要があり、そうすれば生徒が読んだり、ディスカッションしたり、文章を書くことにもっと多くの時間を費やしてもらえると考えました。とはいうものの、そのような自由を生徒に与えることによって、特に大学進学を考えている生徒に必要な学習事項を教えられなくなるのではないか、と危惧しましたが、考えた末に、ニックは読む、書く、思考するために必要なスキルを教えることに注力し、教材は生徒に自由に選ばせることにしました。

生徒自身が自分で教材を選ぶことに慣れると、ニックは生徒の共感を呼びそうな作品のリストを作りました。もう既に生徒の何人かは教室外でも読書を楽しむようになっていましたので、ニックはリストにはこだわらず、「最初に数ページ読んでみて、もしピンと来なければ次の作品を読んでみる」という本を選ぶプロセスだけを生徒にアドバイスしました。時には、読書クラブのように、交代で生徒に作品を選ばせ、選んだ生徒が中心となってディスカッションを進めさせたり、時には生徒一人ひとりに好きな本を読ませ、それぞれのテーマに基づいてエッセイを書かせ、それをクラス全体と共有したり、ディスカッションさせたりしました。こうして、生徒に授業に興味を持たせ、国語のスキルを上げるというニックの試みは成功しました。

脳科学的見地から考えると、感情を伴わない(興味の持てない)学習は、なかなか身につかないと言えます。学習者にとって親切な学校とは、学習者主体に学習を設計するか、学習者自身が自分で学習を設計できる学校であるとも言えます。

技術革新と倫理教育

文部科学教育通信 No.305 2012-12-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑰をご紹介します。

2012年9月に、岡山県マルチメディアフォーラム協会からの要請を受けて、「技術革新が子ども達に与える影響と倫理教育」について次のような話を致しました。

OECDは、時代を表すキーワードを、変化、複雑性、相互依存の3つで表しています。ゲーム、Wikipedia、Facebookが当たり前の時代を生きる子どもたちは、多くの時間をインターネット上で暮らし、より多くの人々と繋がり、より多くの機会を持てるようになりました。技術革新は、個人の持つ力をより大きなものにしましたが、その結果、個人は より大きな社会的責任を担う事になりました。しかし、子供たちを取り巻くこうした変化に対する対応は個人的なものとして扱われ、日本の学校教育では、インターネット利用上のマナーに関する倫理教育がなされていないのが現状です。

クマヒラセキュリティ財団では、現在、海外の民主主義や倫理の教育の研究を行っています。昨年4月に、オランダで学校視察を行った際に、画期的なシチズンシップ教育プログラム「ピースフルスクール」に出会ったことは既にお伝えしましたが、このプログラムから、小学校6年生を対象とした、オンラインでのコミュニケーションに関するレッスンの一部をご紹介し、技術革新と倫理教育の重要性について考えてみたいと思います。

● ソーシャルメディアを介したコミュニケーション

①   コミュニケーションの種類と使い分けに対する自己認識を深めるため、先生はクラス全員に対して次のような質問をします。

–       インターネットをどのように使いますか?よくアクセスするサイトは?

–       携帯電話で誰と話しますか?

–       よくメールをしますか?誰に対して、どうして、メールを使いますか?

–       手紙を書くことはありますか?誰に、どんな時に書きますか?

–       一番好きなコミュニケーション手段は何ですか?それはなぜですか?

②   メディアについて話します。

メディアは、遠くからでも多くの人に伝達が出来る手段です。例えば、新聞、ラジオ、テレビ、雑誌等がメディアです。メディアとは、メッセージを送る手段のことです。ソーシャルメディアは、他の人とオンラインで「出会う」場です。

生徒を二人一組にして、ソーシャルメディア上のコミュニケーションについてお互いに質問をさせます。

–       よくインターネットをしますか、あまりしませんか?

–       どんなサイトによくメッセージを載せますか?

–       ネット上でのハンドルネームは何ですか?

–       Facebook上でたくさんの友達がいますか?

    その後、相手についてどんなことを発見したかについてクラスでディスカッションします。

③   インターネット上では姿が見えない

ハリー・ポッターの透明マントとインターネットで匿名であることを比較します。次のように生徒に言います。

–       ハリー・ポッターの「透明マント」を知っていますか?「透明マント」で覆うと、体の一部やその他のモノが目に見えなくなります。透明になったら、あなたはどうしますか?

–       インターネット上のメッセージは匿名であることが多いです。匿名とは「どこにも名前が載っておらず、無名であること」という意味です。メッセージが誰のものか、わかりません。差出人の名前が書かれていない「匿名の」手紙のようなものです。

–       インターネット上では誰かと直接話をするのとは違います。言葉が違うし、顔が見えないために、自分の行動が行き過ぎることがあります。なぜなら、誰もそのことについて口出しせず、他の人の反応も自分には見えないからです。また、とても個人的な情報をインターネット上に乗せてしまう危険性があります。

–       だから、特に意識して、礼儀正しくソーシャルメディアを使う必要があります。

● ネットいじめと普通のいじめ

普通のいじめとネットいじめの違いについて次のような方法で学習します。

①いじめ役と犠牲者によるロールプレイを行います。

【普通のいじめ】

校庭で、実際に相手と対面します。

–       いじめ役は、「みんな、お前のことを嫌っているんだ。誰もお前のことが好きじゃないんだ。仲の良い友達ですらそういっているだ ぞ」と発言します。

–       犠牲者は、相手が、言い終わるのを待たずに、いじめ役の言ったことに反応します。

【ネットいじめ】

     相手と対面せず、インターネット上でやりとりをします。いじめ役と犠牲者は、お互いに背中を向けて席に座ります。

–        いじめ役は、犠牲者に次のような内容の悪口メールを書き、タイプした内容を口に出します。「みんなお前のことを嫌っているんだ。誰もお前のことが好きじゃないんだ。仲の良い友達ですらそういっているだぞ」

–        犠牲者は、悪口メールを受け取ったところを演じ、思った事、感じた事を口に出します。

②以上のロールプレイを行うことで、生徒は次のような違いを学びます。

–       ネットいじめでは、いじめる側は、自分のいじめ行為が相手にどんな影響を及ぼすかを解っていません。

–        匿名であることが普通のいじめと大きく違う点です。誰に、いじめられているのか解らないということは、とても恐ろしく、誰も信じられない気持ちになります。

–        ネットいじめでは、いじめる側から逃げられないという事実があります。普通のいじめは家に帰れば、終わりですが、ネットいじめは、寝室までつきまとわれるので、家ですら安全な場所ではなくなります。

–       ネットいじめのメッセージは、ずっと長い間、インターネット上に残ります。

      -       最も大きな違いは、傍観者がとても多いという事です。誰でも傍観者になれます。

③ネットいじめに対処します。

    前記のような理由から、生徒は「ネットいじめは普通のいじめよりもずっとひどい」ということを学びます。ネットいじめにあったら、以下のような方法で対処します。

      【ステッププラン】

–      ネットいじめは、無視します。

–       無視できないなら、父親、母親、兄弟、友達、学校に相談し、助けを求めます。

–       チャットルームでいじめられた場合には、管理者に報告し、相手のメッセージを削除してもらいます。

–       脅迫されたら、警察に通報します。

   傍観者は、

–        いじめられた人を助けます。

–        先生に言います。

–        一緒になっていじめてはいけません。

 

● 言論の自由の境界線について

言論の自由について次のように教えます。

「言論の自由とは、何でも自分の意見を言ったり、書いたりしてよいということです。誰でもラジオやテレビ、インターネット、新聞、本、ポスター、口頭で自分の意見を言っていいことになっています。刑務所に入れられるのではないかと心配をすることなく、自分の意見を表現できるという権利です。言論の自由はとても大切ですが、世界中どこの国でも適用されているものではありません。オランダでは、幸い適用されています。しかし、何でも自分の思い通りに言ったり書いたりしてよい訳ではなく、その自由には境界線があります。境界線とは、他の人を傷つけたり、わざと侮辱したりしてはならないということです。差別や憎しみを引き起こすことを言ってはいけません。プライバシーの侵害や、他の人についての嘘も、もちろん、言ってはいけません」

オランダでは、シチズンシップ教育の中で、言論の自由を持つ国に生きる幸せとともに、言論の自由にも境界線があるということを、小学生の時から教わります。コミュニケーションにおいて、言論の自由の境界線がどこにあるのかを学び、その上で、さらに、ネット上のコミュニケーションにおける言論の自由の境界線を学んでいます。私たち大人も、子ども同様に、ネット上のコミュニケーションにおける正しいマナーを学ぶ必要があるように思います。

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