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サウジアラビアの教育

文部科学教育通信 No.308 2013-1-28に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑳をご紹介します。

2012年の暮れに、日本貿易振興機構(ジェトロ)が主催するサウジアラビア視察団に参加しました。団長は、昭和女子大学長の坂東真理子先生です。

サウジアラビアは、アラビア半島に位置する敬虔なイスラム教徒の国です。1932年に、アブドゥルアズィーズにより建国された君主制の国家で、国土は、日本の約6倍、その95%が砂漠です。人口は、約2900万人で、その66%が、29歳以下という若年層の比率が極端に高い国です。1938年に、油田が発見され、今日では、世界最大級の石油大国になっています。日本は、石油の約33%(2011年)をサウジアラビアから輸入しています。

 

サウジアラビアの教育の歴史

サウジアラビアの近代教育の歴史は新しく、教育制度が確立されたのは1953年で、当時の生徒数は全国でわずか3万人程度でした。女子教育が始まったのは1960年です。1960年当時、初等中等教育の就学率は、男子で22%、女子はわずか2%に過ぎませんでしたが、現在では、8割近くまで向上しました。高等教育では、1957年に初の総合大学であるキング・サウード大学が設立されています。現在では、国立大学が6校あり、約65万人の学生が学んでいます。最近では、有力王族が経営する私立大学が増加しています。

教育の基本理念をイスラム教の教義に置いていることが特徴で、サウジアラビア建国の歴史などの愛国心教育に重きが置かれています。そのため、数学、物理などの理数系科目の教育水準が低く、国際的水準に到達していないという課題もあります。

 

新たな教育改革への取り組み

2005年に発表された「国王のビジョン」が掲げる2大改革は、教育改革と、産業多様化による雇用機会の創出です。教育投資は、急増する若年人口の教育ニーズに答えるための重要な取り組みです。宗教に偏重した教育制度を改革し、教育の充実を図るために、この数年間 国家予算の25%を教育分野に配分しています。巨額な予算は、新規学校の建設、既存の学校の修繕、IT機器など教育インフラの充実、教師の育成に投じられます。予算報告によれば、2008年には、新規に2074校の学校が建設され、建設中の学校が4532校ありました。韓国のLGは、拡大する学校市場のためにエアコン工場を建設したそうです。

 

海外留学の奨励と奨学金制度

国際的なレベルで活躍できるサウジアラビア人学生を養成するために2005年に海外の大学に派遣する奨学金制度が創立され、これまでに世界24カ国に約45000人の学生が派遣されています。日本にも、この制度を活用し、248名の学生が留学しました。授業料および、住居手当が全額支給されるほか、月額奨励金と呼ばれるおこづかいまで支給されるというとても恵まれたプログラムです。

 

視察訪問先

首都リヤドでは3日間に亘り、3つの大学(アル・ファイサル大学、プリンセス・ヌーラ女子大学、プリンス・スルタン大学)と幼~高校生対象のリヤドスクール、Arts and Skills Instituteというデザイナー専門学校等を見学しました。印象に残った視察先の中から、いくつかをご紹介したいと思います。

 

女性とアバヤ

訪問先のご紹介をする前に、敬虔なイスラム教徒の国サウジアラビアの視察について触れておきます。

女性は、外出する際に、アバヤという黒い洋服とスカーフを着用するのが決まりです。親族以外の男性と対話を持つ事も原則ありません。訪問した女子部の校舎内では、アバヤを脱ぐことが許されます。もちろん、女子部の教師は、全員女性です。保護者会も、男子生徒には父親、女子生徒には母親が出席するという徹底ぶりです。このような規律に従い、私たちも、サウジアラビア訪問中は、アバヤを身にまとい、女子部の見学のみが許されました。頂戴した学校案内にも、女性の姿はなく、男子生徒の様子のみが紹介されているので、慣れないと少し違和感があります。

 

●リヤドスクール

リヤドスクールは、王族を含む多くのサウジ人の子弟が学ぶ幼・小・中・高一貫の私立名門校で、現在の理事長はサルマーン皇太子です。

2015年までに国内トップ5スクールになる事を目指し、オーストラリア人の校長を中心に、教育プログラムの充実が図られています。世界有数のコンサルティングファームであるボストンコンサルティンググループに教育効果を高めるためのコンサルティングを依頼し、スポーツ教育強化策のためにサッカーチーム、レアルマドリードと契約するなど、スケールの大きさに圧倒されました。

2013年には、小学生を含む全学生に、iPadを支給し、ITシステムを活用した教育を行う準備が始められています。国家の要請によるイスラム教育が、カリキュラムに占める割合は2割(イスラム教、アラビア語、国の歴史)で、残りの8割は、学校の独自性が尊重されています。

リヤドスクールには、男女の生徒が通っていますが、女性視察団は、女子校舎を見学しました。校長室でお会いした小学生から、直接話を聞く機会がありました。校長先生の質問に従い、将来の夢、この学校の好きなところ、改善したいところなどを、流暢な英語で話してくれました。生徒は、小学校4年生と5年生ですが、将来の夢は、外科医、作家、弁護士、学校の先生と、とても現実的でした。みんな、学校が大好きという点は、共通していました。一人の生徒が、放課後に、学校に残り何か活動をしたいと改善提案をしました。すると、校長先生が、「具体的には何時まで残りたいのか お友達も同じ考えか」と尋ねます。そして最後に、「お友達の考えをリサーチして、どういうトーンだったのか、校長先生に教えてください」と伝えました。イスラム教徒は、日本同様に目上の人を大切にすると聞いていますが、生徒の意見を尊重する校長先生の姿に、近代教育の姿を垣間みる事が出来ました。

 

●女性教育

サウジアラビアは、イスラム教国の中でも、厳しい戒律を持つ国で、アバヤや黒いスカーフの着用が徹底しています。女性は車を運転することができず、常に、男性が送り迎えをするなど、日本人女性が話を聞くと、とても不自由な生活を強いられている様子を想像するかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

1960年代にスタートした女子教育は確実に無を結んでいます。例えば、法学部を卒業した女性は、これまで法廷に立つことが許されませんでしたが、今年から、一定の経験を積むことを前提に法廷に立つ事が許されるようになりました。女性に教育の機会が与えられ、プロフェッショナルとして活躍する環境が次々と整備されていくサウジの女性は、黒いスカーフの与える印象とは正反対に、むしろ、日本女性よりも、何倍も元気で生き生きとしているというのがプリンス・スルタン大学視察後の感想です。

 

●エリート養成教育

リヤドスクールで話題になった国家エリート養成プログラム『モヒバ』に参加している学生と、その後、偶然出会う機会がありました。小学4年生で試験を受け、理数系の優秀な学生が選抜され、『モヒバ』に参加します。環境問題を始めとする国家レベルの問題解決に必要な教育を受け、問題解決に必要な論理的思考をトレーニングしているそうです。彼女は、高校生ですが、ブラウン大学のe-ラーニングを受講する機会も与えられており、その中で、将来のキャリアを選択していくと話していました。

アバヤを身に纏い、流暢な英語で、理路整然と話す女子高生の様子には圧倒されました。アブドッラー国王のビジョンは、女性のエリート教育も視野に入れており、彼女の姿はその成果を証明するものでした。

世界の若い教育改革者たちの集まり

文部科学教育通信 No.307 2013-1-14に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑲をご紹介します。

2012年11月12日から15日にかけてチリのサンチアゴで開かれたティーチ・フォー・オールの年次総会2012に参加してまいりました。ティーチ・フォー・オールは、世界26カ国の教育団体のグローバルなネットワークで、今年で5周年を迎えます。アメリカ、イギリス、チリ、インド、中国などの国々が加盟しており、有望な未来のリーダーを教師として派遣することで、教育格差を解消するための活動をしています。

総会では、ティーチ・フォー・オールの活動に関わる関係者が約200名、世界中から集まり、各国での教育改革の状況を共有し、それぞれの組織が抱える重要な問題を一緒になって考えました。チリの教育大臣ヘラルド・バイエル・ブルゴス氏の講演や、OECD事務総長 アンドレア・シュライヒャー氏のテレビ会議での参加など、グローバルな教育改革についても、世界の事情を共有する意見交換が行われました。

ティーチ・フォー・オールは、アメリカで1989年に、「いつか、すべての子どもたちが素晴らしい教育機会を持てるように・・・」というビジョンを実現するために、ウェンディ・コップが創立したティーチ・フォー・アメリカが起源です。その後、マッキンゼー社に勤務していたブレッド・ウィグドーツ氏が、イギリスの教育課題を解決するために、2002年にティーチ・ファーストをロンドンに立ち上げました。ティーチ・ファーストの成功事例が世界で話題となり、ブラッドの元には、世界中から、自分の国の教育課題を解決したいという問い合わせが来るようになりました。そこで、世界の教育改革に取り組む仲間を支援するために、2007年に、ティーチ・フォー・オールが設立されました。日本も、今年から、26番目のメンバーとしてこの活動に参加しています。

 

ティーチ・ファースト

 ここからは、ティーチ・フォー・オールの仲間の一つ、英国のティーチ・ファーストの例をご紹介しましょう。

低所得者層のイギリスの子どもたちは裕福な家庭の子どもたちに比べて教育上、平等な機会に恵まれていません。低所得者の住むコミュニティで育った子どもたちは、学業成績が低いまま、良い就業機会に恵まれず、犯罪に巻き込まれたり、麻薬の常習者となって健康を損なうなど、生活全般にわたって悪循環状態に陥りがちです。このような状態は本来あってはならず、ティーチ・ファーストは「すべての子どもたちの教育的成功は社会・経済的状況により制限されるべきではない」というビジョンを掲げています。

ティーチ・ファーストの参加者は、イギリスで最も貧困な家庭の生徒の割合が高い学校で2年間、教壇に立ちます。2年間が終わると、参加者の半数以上がその後も継続して低所得者層のコミュニティで教壇に立つことを選びます。残りの半数は政府、一般企業や自ら始めた社会起業などでティーチ・ファーストのビジョンを実現します。

ティーチ・ファーストは、毎年拡大を続け2003年には163人の参加者が、2012年には997名まで増加しています。2012年現在、ティーチ・ファースト大使として教師を経験した若者の数は累計2000人以上にのぼります。2012年に、ティーチ・ファーストは、タイムズ紙のTop 100 Graduate Employers(大学卒業生の就職先100社)の中で4位になり、2013年は英国で1位の大学生の就職先になります。

総会に参加し、どの国にも、教育課題があるということが分かりました。教育課題の特性は、国により異なります。学校が不足しているという国から、学校はあるけれども、教員の質が低く、教育効果を挙げられていないという国、経済格差による教育格差が明確な国などです。また、旧態依然とした教育を受け続けている子ども達の未来に生きる力に危機感を覚え、改革に乗り出した仲間達もいます。

 

世界の仲間からのメッセージ

以下は、教育改革に取り組む世界の仲間からのメッセージです。皆さんの共感するメッセージはありますか。

○   ほかの子どもたちと同じように低所得者層の生徒も学ぶスキルと意欲を持っている。実際、彼らは学びたいのだ。どんなに彼らが学びたがっているかを理解することは重要である。(ドイツ)

○   すべての生徒は育った背景や生活環境に関わりなく、信じられないほどの様々な驚くべきことを学ぶ力を秘めている。ただ、私たちがあまり期待しないと、生徒たちも自分が出来るとは思わないだけである。 (オーストラリア)

○   すべての子どもたちは学びたがっている。子ども達が秘めているこのような態度を引き出すことが先生としての我々の仕事である。 (オーストラリア) 

○   すべての子どもたちに合うやり方などない。一人ひとり個別に対応するだけだ。(レバノン)

○ 教育改革はどこかで始めなければならない。それは教室からである。(ペルー)

○   教えることと学ぶことには切っても切れない関係がある。先生は常に学ぶ気持ちがないといけない。(オーストラリア)

○   イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである。(イギリス)

○ 教育の上で、今まで子どもにベストなことを望まない親に出会ったことはない。(アメリカ)

○   子どもを褒めてあげると親がどんなにか驚くのを何度も目にしてきた。親なら当然知っているだろうというような簡単なことを褒めてあげても、親は涙を流して喜ぶのである。(ペルー)

○   子どもの事を気にかけない親はいない。ただ、どうしたら子どもをサポートしてあげられるかがわからないだけである。 (オーストラリア) 

 

日本の教育課題は、他の国の課題とは異なります。

チリでは、「日本の教育は素晴らしいと聞いていますが、何が教育課題なのですか?」と多くの人から尋ねられました。確かに、子どもたちには、義務教育の機会が与えられており、大学進学率も、5割を超えています。統計的には、教育課題を説明することが他の国に比べて容易ではありません。

経済格差による教育格差は日本にも存在します。日本においても155万人(7人に1人)が就学援助の対象となっています。この他にも、既存の教育システムの制度疲労の問題があります。いじめや不登校、学ぶ意欲の低下、生きる意欲や未来に夢を持つ子どもの減少、21世紀を生きる力を習得できない教育システム、ダブルスクールを前提とした教育システムなど、学校システムの目的の見直しが必要です。

表面的な大学進学率は、リメディアル(大学入学時の補習教育)の必要な生徒の数を反映していません。大学がまるで高校のようになっているという現実は、新卒社会人が社会の求める人材としてのレベルに到達できていない事実としても表れています。

世界の教育課題に触れ、日本の教育課題の複雑性こそが課題なのだということを、改めて認識しました。そのため、教育関係者においても、課題認識において統一感がなく、対応策も、多様化しているのでしょう。

世界の仲間からのメッセージで、

「イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである」という言葉に共感を覚えました。学校に行くことで失うものの代表例は、主体性、創造性、間違っているか否かを気にせず自由に発言する力などです。主体性や創造性を伸ばす学校教育を行う事は、これからの学校の在り方を考える上での大きなテーマになると思います。

脳科学と教室

文部科学教育通信 No.306 2012-12-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑱をご紹介します。

前々回の記事で、脳科学の研究結果が教育に反映され始めていることをお伝えしました。今回は、Neuroscience & the classroom(脳科学と教室)のサイトから脳科学の研究結果をもう少し掘り下げてご紹介するとともに、教室での実践事例をお伝えしたいと思います。

 

●なぜ論理的思考には感情が重要か?

長年にわたって、行動を支配するのは論理であり、感情は秩序を乱す邪魔なものと考えられてきました。1980年代になってアントニオ・ダマシオ博士(南カリフォルニア大学Brain and Creativity Institute所長)が、脳の前頭前皮質腹内側部(vm-PFC)に損傷を受けた患者は自分のとった行動を忘れ、他人の感情に無関心になってしまう、ということを発見しました。これらの患者は、理論や社会的ルールを理解し、将来の計画やビジネス上の決定について知的にスピーチをすることはできでも、過去の経験から学んで自ら正しい決定を下したり、現在の行動に生かすことができなくなっていました。かつて、有能であった会社の役員が誤った意思決定を行い、会社を倒産させてしまったり、愛情深い夫が妻の気持ちにまったく関心を示さなくなった例が報告されています。

私たちは、生活をする上で様々な決定を下しますが、その際に指針となるのが過去の経験です。自分のとった行動の結果を、その時に味わった感情から「知恵」と「愚行」に区分して知識として脳の中に蓄え、次に決定を下す際の指針にします。また、行動の結果を予測した時に起きる感情も決定を下す際の指針となります。脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者が合理的に判断できなくなってしまうのは、思考を支配する感情という指針を失ってしまうからです。患者は過去の経験から学ぶことができないだけではなく、新しい経験から学んでいくこともできなくなり、間違った意思決定を行いがちです。このように論理的思考から感情が切り離されてしまうと、思考したり、決定したり、学習したりする能力が欠落してしまうのです。

 

●正しいとわかっていてもなぜやる気にならないのか?

「なぜ、昨夜は勉強すると言っていたのにしなかったの?」
「どうして補習をすっぽかしたの?」
「どうして、土曜日にシニアセンターにボランティアに来なかったの?約束したじゃない?」
先生を悩ませる生徒の行動の一つに、生徒が約束を守らないということがあります。
後から生徒に理由を聞いても、単に「やる気にならなかったから」と答えるのみです。まるで、脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者のように、生徒は社会的ルールや自分への期待を知りながら、約束をすっぽかして友達のもとにいそいそと出かけていきます。他人には優しく、両親は尊敬するべきで、困っている人は助けるべきで、社会的に成功するためにはどうすればいいか、ということをきちんと認識しているにもかかわらず、知識とは反対の行動をとってしまいます。これは、なぜなのでしょうか。

脳の第一の機能は生命の維持です。呼吸、心拍数、血流、ホルモン量等生命を維持する機能を統制して、体の状態を常に感知し、不具合があれば警告を発して知らせてくれます。脳は私たちの身体や心とリンクして、感情、思考、感覚、行動を意識・無意識的にコントロールしています。近年の脳神経学の研究で明らかになったのは、この原始的な生命維持装置と同じシステムが我々の思考、学習、行動の「やる気」を、意識下・無意識下で、コントロールしているという事実です。言い換えれば、どんなに頭で正しいことをしようと意識しても、直観的(本能的)にやりたいと思わなければ「やる気」のスイッチはなかなか入らないと言えます。

 

●歴史を学ぶ意義

ボストンラテン高校の現代史の教師ジュディ・フリーマンは人権や公正について学ぶ授業の中で、ナチスのホロコーストからの生存者の証言インタビュー映像を生徒に見せます。映像の中で、ホロコーストの生存者はこう語ります。
「ナチスによるユダヤ人の迫害が始まった。最も印象に残っていることは、ナチスがドイツ中のユダヤ人の学校、建物や商店などを破壊して回る音だった。あちこちでガラスの割れる音がした。ユダヤ人の年老いた小柄なおじいさんが営むたばこ店も破壊された。ナチスはおじいさんに、粉々になったガラスを一つずつ拾うように命じ、その様子を微動だにせず、じっと見ていた。友人と私は、何も言わずに様子をとりまいて見ているドイツ人の群集の前に出て、おじいさんと一緒になってガラス片を一つずつ拾い上げた。心の中で「助けて」と叫びながら。ナチスがどうしてあのようなことを命じたのかはわからない。群集の中には、沈黙することでナチスの行為に対して無言の抗議を示していた人もいたのかもしれない。でも、あの場で沈黙を保つことは害を及ぼしていた。何の役にも立っていなかった」

この映像を見た生徒の発言1:「ショックを受けた。沈黙は害だった、という発言は強力、そして本当だ」
発言2:「これは、私たちが街で困っている人を見かけても、何もしないのと同じ。自分には関係がないからとか、他にもたくさん人がいるから、と言ってそばを通り過ぎるのはただの口実。このおじいさんはとても勇敢だったと思う」
フリーマン先生:「過去と現在を何度も行ったり来たりして歴史の授業を行います。歴史を学ぶ意義は、現在の出来事と関連づけて考えることです。そうしなければ、生徒にとって、歴史は死んだ歴史、ただの昔のできごとになってしまいます。歴史の中の人物に焦点を当て、その生き様を考えることで、過去の歴史が生きた歴史として力を持つようになります。映像を利用することでこのような変容が可能です」

 

●国語の授業を面白くする

ニックは高校の国語教師としてカリキュラム作成を担当しています。以前から、感情が学習に重要な役割を果たすということを知っていましたが、知性と感情は別々の働きをすると考えていました。ある日、ニックは、「人間の興味と要求は感情に根ざしていて、感情が思考と行動を支配している。いつ、何を学習するかを選んでいるのは自分である」ということを学び、生徒の学習のモチベーションに関するヒントを得たと思いました。国語の授業を面白いものにするには、教材にもう少し幅を持たせる必要があり、そうすれば生徒が読んだり、ディスカッションしたり、文章を書くことにもっと多くの時間を費やしてもらえると考えました。とはいうものの、そのような自由を生徒に与えることによって、特に大学進学を考えている生徒に必要な学習事項を教えられなくなるのではないか、と危惧しましたが、考えた末に、ニックは読む、書く、思考するために必要なスキルを教えることに注力し、教材は生徒に自由に選ばせることにしました。

生徒自身が自分で教材を選ぶことに慣れると、ニックは生徒の共感を呼びそうな作品のリストを作りました。もう既に生徒の何人かは教室外でも読書を楽しむようになっていましたので、ニックはリストにはこだわらず、「最初に数ページ読んでみて、もしピンと来なければ次の作品を読んでみる」という本を選ぶプロセスだけを生徒にアドバイスしました。時には、読書クラブのように、交代で生徒に作品を選ばせ、選んだ生徒が中心となってディスカッションを進めさせたり、時には生徒一人ひとりに好きな本を読ませ、それぞれのテーマに基づいてエッセイを書かせ、それをクラス全体と共有したり、ディスカッションさせたりしました。こうして、生徒に授業に興味を持たせ、国語のスキルを上げるというニックの試みは成功しました。

脳科学的見地から考えると、感情を伴わない(興味の持てない)学習は、なかなか身につかないと言えます。学習者にとって親切な学校とは、学習者主体に学習を設計するか、学習者自身が自分で学習を設計できる学校であるとも言えます。

技術革新と倫理教育

文部科学教育通信 No.305 2012-12-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑰をご紹介します。

2012年9月に、岡山県マルチメディアフォーラム協会からの要請を受けて、「技術革新が子ども達に与える影響と倫理教育」について次のような話を致しました。

OECDは、時代を表すキーワードを、変化、複雑性、相互依存の3つで表しています。ゲーム、Wikipedia、Facebookが当たり前の時代を生きる子どもたちは、多くの時間をインターネット上で暮らし、より多くの人々と繋がり、より多くの機会を持てるようになりました。技術革新は、個人の持つ力をより大きなものにしましたが、その結果、個人は より大きな社会的責任を担う事になりました。しかし、子供たちを取り巻くこうした変化に対する対応は個人的なものとして扱われ、日本の学校教育では、インターネット利用上のマナーに関する倫理教育がなされていないのが現状です。

クマヒラセキュリティ財団では、現在、海外の民主主義や倫理の教育の研究を行っています。昨年4月に、オランダで学校視察を行った際に、画期的なシチズンシップ教育プログラム「ピースフルスクール」に出会ったことは既にお伝えしましたが、このプログラムから、小学校6年生を対象とした、オンラインでのコミュニケーションに関するレッスンの一部をご紹介し、技術革新と倫理教育の重要性について考えてみたいと思います。

● ソーシャルメディアを介したコミュニケーション

①   コミュニケーションの種類と使い分けに対する自己認識を深めるため、先生はクラス全員に対して次のような質問をします。

–       インターネットをどのように使いますか?よくアクセスするサイトは?

–       携帯電話で誰と話しますか?

–       よくメールをしますか?誰に対して、どうして、メールを使いますか?

–       手紙を書くことはありますか?誰に、どんな時に書きますか?

–       一番好きなコミュニケーション手段は何ですか?それはなぜですか?

②   メディアについて話します。

メディアは、遠くからでも多くの人に伝達が出来る手段です。例えば、新聞、ラジオ、テレビ、雑誌等がメディアです。メディアとは、メッセージを送る手段のことです。ソーシャルメディアは、他の人とオンラインで「出会う」場です。

生徒を二人一組にして、ソーシャルメディア上のコミュニケーションについてお互いに質問をさせます。

–       よくインターネットをしますか、あまりしませんか?

–       どんなサイトによくメッセージを載せますか?

–       ネット上でのハンドルネームは何ですか?

–       Facebook上でたくさんの友達がいますか?

    その後、相手についてどんなことを発見したかについてクラスでディスカッションします。

③   インターネット上では姿が見えない

ハリー・ポッターの透明マントとインターネットで匿名であることを比較します。次のように生徒に言います。

–       ハリー・ポッターの「透明マント」を知っていますか?「透明マント」で覆うと、体の一部やその他のモノが目に見えなくなります。透明になったら、あなたはどうしますか?

–       インターネット上のメッセージは匿名であることが多いです。匿名とは「どこにも名前が載っておらず、無名であること」という意味です。メッセージが誰のものか、わかりません。差出人の名前が書かれていない「匿名の」手紙のようなものです。

–       インターネット上では誰かと直接話をするのとは違います。言葉が違うし、顔が見えないために、自分の行動が行き過ぎることがあります。なぜなら、誰もそのことについて口出しせず、他の人の反応も自分には見えないからです。また、とても個人的な情報をインターネット上に乗せてしまう危険性があります。

–       だから、特に意識して、礼儀正しくソーシャルメディアを使う必要があります。

● ネットいじめと普通のいじめ

普通のいじめとネットいじめの違いについて次のような方法で学習します。

①いじめ役と犠牲者によるロールプレイを行います。

【普通のいじめ】

校庭で、実際に相手と対面します。

–       いじめ役は、「みんな、お前のことを嫌っているんだ。誰もお前のことが好きじゃないんだ。仲の良い友達ですらそういっているだ ぞ」と発言します。

–       犠牲者は、相手が、言い終わるのを待たずに、いじめ役の言ったことに反応します。

【ネットいじめ】

     相手と対面せず、インターネット上でやりとりをします。いじめ役と犠牲者は、お互いに背中を向けて席に座ります。

–        いじめ役は、犠牲者に次のような内容の悪口メールを書き、タイプした内容を口に出します。「みんなお前のことを嫌っているんだ。誰もお前のことが好きじゃないんだ。仲の良い友達ですらそういっているだぞ」

–        犠牲者は、悪口メールを受け取ったところを演じ、思った事、感じた事を口に出します。

②以上のロールプレイを行うことで、生徒は次のような違いを学びます。

–       ネットいじめでは、いじめる側は、自分のいじめ行為が相手にどんな影響を及ぼすかを解っていません。

–        匿名であることが普通のいじめと大きく違う点です。誰に、いじめられているのか解らないということは、とても恐ろしく、誰も信じられない気持ちになります。

–        ネットいじめでは、いじめる側から逃げられないという事実があります。普通のいじめは家に帰れば、終わりですが、ネットいじめは、寝室までつきまとわれるので、家ですら安全な場所ではなくなります。

–       ネットいじめのメッセージは、ずっと長い間、インターネット上に残ります。

      -       最も大きな違いは、傍観者がとても多いという事です。誰でも傍観者になれます。

③ネットいじめに対処します。

    前記のような理由から、生徒は「ネットいじめは普通のいじめよりもずっとひどい」ということを学びます。ネットいじめにあったら、以下のような方法で対処します。

      【ステッププラン】

–      ネットいじめは、無視します。

–       無視できないなら、父親、母親、兄弟、友達、学校に相談し、助けを求めます。

–       チャットルームでいじめられた場合には、管理者に報告し、相手のメッセージを削除してもらいます。

–       脅迫されたら、警察に通報します。

   傍観者は、

–        いじめられた人を助けます。

–        先生に言います。

–        一緒になっていじめてはいけません。

 

● 言論の自由の境界線について

言論の自由について次のように教えます。

「言論の自由とは、何でも自分の意見を言ったり、書いたりしてよいということです。誰でもラジオやテレビ、インターネット、新聞、本、ポスター、口頭で自分の意見を言っていいことになっています。刑務所に入れられるのではないかと心配をすることなく、自分の意見を表現できるという権利です。言論の自由はとても大切ですが、世界中どこの国でも適用されているものではありません。オランダでは、幸い適用されています。しかし、何でも自分の思い通りに言ったり書いたりしてよい訳ではなく、その自由には境界線があります。境界線とは、他の人を傷つけたり、わざと侮辱したりしてはならないということです。差別や憎しみを引き起こすことを言ってはいけません。プライバシーの侵害や、他の人についての嘘も、もちろん、言ってはいけません」

オランダでは、シチズンシップ教育の中で、言論の自由を持つ国に生きる幸せとともに、言論の自由にも境界線があるということを、小学生の時から教わります。コミュニケーションにおいて、言論の自由の境界線がどこにあるのかを学び、その上で、さらに、ネット上のコミュニケーションにおける言論の自由の境界線を学んでいます。私たち大人も、子ども同様に、ネット上のコミュニケーションにおける正しいマナーを学ぶ必要があるように思います。

フューチャー オブ ラーニング 2012

文部科学教育通信 No.304 2012-11-26に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑯をご紹介します。

2010年、2011年に引き続き今年もハーバード教育大学院で開催されたフューチャーオブラーニング(学習の未来)研究会に参加して参りました。このプログラムは子どもたちが21世紀を幸せに生きるために、学習するべきことを検討する場として、毎夏、世界中から、現職の教員を中心とした教育関係者が集まり、意見交換をする場です。3つの大きなテーマを中心に講義、やワークショップが組み立てられていますが、今年のテーマも昨年同様、1.心や脳の働きと教育、2.デジタル革命、3.グローバル化の3本立てでした。

今年の研究会で特に印象に残ったのは、技術革新が確実に教育の世界に影響を及ぼし始めているということでした。「デジタル革命により、子ども達は、いつ、どこで、だれから、何を学ぶのかという自由を手に入れることができました。その中で学校にどのような役割が残るのでしょうか」こう話したのは、世界的にも著名な教育心理学者ハワード・ガードナー先生です。今回は「学習の未来2012」の中から印象に残ったものをかいつまんでいくつかご紹介させていただきます。

 

●Quest to Learn (クエスト・トゥ・ラーン)

2009年秋に、ゲームで学ぶ21世紀型の学校「クエスト・トゥ・ラーン」がニューヨークに開校しました。6年生から12年生を対象とする全米初の「ゲームデザインとシステム思考を学ぶ」公立校です。この学校の設計を手掛けたのが、インスティテュート・オブ・プレイという非営利組織です。マッカーサー財団から「デジタルメディアと学習」のための助成金を受けて、ゲームデザイナーとゲーム型学習の研究者が共同でカリキュラム開発と学習環境デザインを担当しました。デジタルメディアを基盤とした21世紀型学習環境校のモデル校として評価されています。

「クエスト・トゥ・ラーン」で生徒が学ぶ学習カリキュラムは、ニューヨーク州の標準カリキュラムに準拠していますが、科目を細分化せずに、5つの学習領域(①「国語・社会」総合、②「数学・理科」総合、③「国語・数学」総合、④ゲームデザインとメディアアート、⑤保健体育、道徳、栄養学に加えて⑥学内のソーシャルネットワークを領域の一つに取り上げているところが特徴的です。つまり、生徒がチームを組んで宇宙人を倒すゲームや、都市運営のシミュレーションなどを行いますが、数学と国語の知識が必要なシークレットコードがゲームの鍵になっていたり、化学物質の理解が必要だったりします。仲間と一緒にゲームに熱中しながら、仲間を信頼し、協調する態度、リフレクション、問題解決力、想像力なども身に付けていきます。

このゲームで学ぶ学校は、デジタルゲームが今日の子どもたちの生活の根幹を成し、知的探索のためのパワフルなツールである、という考えに基づいて設計されています。子どもたちの学習の中心は学校ですが、子ども達は実際には多くのことを学校の外で学んでいます。その学校外での学びを学校の中に取り入れようという試みの背景には「子どもは学ぶ必要のないものは、覚えない」という最近の脳科学の研究があります。

 

●エコ・モバイル(携帯端末を活用して野外と教室をつなぐ)

とても興味深いと思ったことは、スマートフォンなどの携帯端末を利用して、野外学習を行う試みです。

ハーバード教育大学院が中学生を対象に生態系や因果関係を理解させるという目的で、コンピューター上で環境学習を学ぶ「エコムーブ」という3Dのヴァーチャルプログラムを開発しました。「エコムーブ」上で、生徒は池とその周りの探索を行い、水中を眺めたり、生き物の観察をして水や天気、生き物の数などのデータを集めます。ある日、池で大量の魚が死ぬという事件が起こります。生徒はチームを組んで、バーチャルな池を何度か訪問し、住民から話を聞いたり、鍵となりそうなデータを集めながら、謎の解明に取り組みます。こうして、池の生態系の複雑な因果関係を学んでいきます。

この「エコムーブ」のフォローアッププログラムとして生まれたのが、「エコモバイル」という携帯端末を利用した野外学習プロジェクトです。生徒は携帯端末を持って近所の池に出かけ、搭載してある技術を利用して、写真をとったり、映像を録画したり、音声を録音して謎の解明に努めます。コンピューターで学習した際にどんなデータを集めればいいのかということを学んでいるので、 最初から、実際に科学者たちが研究するようなデータ(池の水に溶解した酸素の量、気温、池の濁り度、pHなど)をリアルタイムに集めることができます。携帯端末を利用することで、理科の授業で学んだ抽象的な事柄を実際の世界での出来事と結びつけて学習することができるわけです。

 

●MBE(心と脳と教育の関係)
脳科学の研究結果が教育に反映されつつあります。数年前から、脳科学者と心理学者と学校の先生が協力して「子どもにとって効果的な学習は何か?」ということを模索し続けてきました。ハーバード教育大学院にもMBE(Mind, Brain &Education)という新たな領域が登場し、研究会では、心と脳と教育の研究結果を掲載したNeuroscience & the Classroom (脳科学と教室)というウェブサイトが紹介されました。このウェブサイトには、脳の働きや生徒の学習についての最新の研究結果がレポートやビデオ、画像、ソフトウェアの形で搭載されています。目的は、先生方に脳科学の研究結果を授業に活かしていただき、日々遭遇する課題の解決に役立てていただくことにあります。

例えば、感情が学習に占める影響については、これまでも、「恐れのようなネガティブな感情は、学習を不可能にする」「ポジティブな感情は学習を促進させる」「だから、笑顔や握手を用いて教室を温かく雰囲気の良い場所にし、一人一人に注意を払い、生徒が歓迎されている雰囲気を作りだし、学習を楽しいものにしなければならない」というようなことが言われてきました。確かにポジティブ、ネガティブな感情の学習への影響は大きく、重要です。しかし、脳の前頭前皮質に傷害を受けた患者の研究により、感情と思考と学習には密接な関係があることが明らかになりました。合理的な考え(正しい意思決定や問題解決)は、感情の影響を大きく受けます。私たちは、問題の解決方法が見つかりそうかどうか――正しい方向に進んでいるか、間違っている方向に進んでいるかを「直感」で感じることがよくあります。感覚的に感じると思っていたわけですが、「直感」だと感じていたものは、実は、脳科学的に意味がありました。「直観」と「合理的な考え」とはコインの表と裏のような関係――つまり、「合理的な考え」が意識され、「直観」はあまり意識されないだけで、両方とも「感情的な考え」という一つのコインの表と裏のようなものである、ということが最新の研究で明らかになりました。

アントニオ・ダマシオ博士の言葉を借りていえば「感情は思考の指針である」 つまり、人は感情が動かない(やる気にならない)ことには学ぶ気にならないわけです。こうした研究結果を教室での教えに生かすことによって効果的な学習を設計していくことが可能になります。
ご興味のある方は、Neuroscience & the Classroom http://www.learner.org/courses/neuroscience/ を覗いてみてください。生徒の学びをよりよく理解し、効果的なものにしたいと考えている方ならどなたにでも興味を持っていただけるサイトです。

世界では、技術革新を利用した新しい教育の流れが始まっています。子ども達の学習や成長のプラスになるものはどんどん取り入れていく、という流れが日本の教育界でも起きるように働きかけていきたいと思います。

教育の未来を創るワークショップ2012

文部科学教育通信 No.303 2012-11-12に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑧をご紹介します。

未来社会の幸せのために

教育の未来を創るワークショップを始めて今年で、3年目になります。今年も、9月16~17日の2日間、京王プラザホテル多摩で合宿を行い、28名の方にご参加いただきました。今回のワークショップのテーマは、「子どもたちが幸せに生きるために」―子どもたちが、未来の社会で幸せに生きるために、我々に何ができるのかを考えることでした。

ワークショップでは、社会変革モデル「チェンジラボ」やU理論を活用しています。「チェンジラボ」は、南アフリカのアパルトヘイトから流血なき民主化を実現する際に導入され、今日では、環境問題や紛争、人口問題、教育問題など、複雑な社会問題の解決に世界中で活用されているモデルです。「チェンジラボ」やU理論(『U理論』、C・オットー・シャーマー著、中土井僚訳、英治出版、2010年)には、数々の社会変革のプロセスを経験した先人たちの智慧が詰まっています。今年は、オーストラリア政府が、「チェンジラボ」を活用し、国のビジョン構築を推進しています。

社会変革には、多くの人々がビジョンを共有し、その実現のためにエネルギーを注ぐ必要があります。社会問題を、一つのシステムとして捉え、一部を担っている人々が、全体を俯瞰し、自分にできることを明確にすることが解決を成功させる鍵です。

教育も、多様なステイクホルダーが関わる一つのシステムです。誰もが部分的な貢献をしており、部分の繋がりが全体を創り上げています。教育を変えたいと考える時、私たちは、その一部を変えようとしますが、自分の立っている場所から全体を眺めており、多くの場合、全体像を把握してはいません。教育システムはとても大きく、全体を俯瞰できる立場にいる誰かは存在しません。教育を進化させるためには、教育システムの担い手が繋がり、一貫性のあるシナリオを持ち、改革に取り組むことが必要です。しかし、残念ながら、現在、教育システムは分断されており、決して強い繋がりをもっているとは言えません。

3年目になる今年は、システム思考で教育を捉えるチャレンジを行いました。合宿の準備として、5月に文部科学省や教育委員会の方々、校長先生、学校の先生、企業の人材育成に携わる方々、教員養成に関わる方々17名にお集りいただき、日本の教育システムを図で表しました。その後、その内容を分析し、事務局で完成させたループ図が、図①です。この図を書いたことにより、明らかになったことは、以下の通りです。

1)すべての要求や要望は、教師に向かう。図1 日本の教育システム 最終版.pngのサムネール画像
2)子どもの声は存在しない。
3)教育は、社会の要請により形創られる。

新しい教育に変わるために、教師にも変容が求められるが、変容することは教師にとって容易ではない。それは、学校は教師が変容学習のできる「安全な場」ではないからです。
社会が、教育に対して要求や批判の声をあげればあげるほど、新しい教育の導入は困難になるということです。このことを、親も社会も理解する必要があると強く感じました。図② は、先ほどのループ図を一枚の絵に描いたものであり、メディアや文科省や親からの様々なニーズが大量の雨水となって流れ込む先が、滝つぼにある学校(図②)です。そこで溺れる先生達、立ち尽くす生徒達の様子がおわかりいただけますでしょうか。

         滝つぼにある学校

②滝壺の学校.jpg

③氷山モデル 小.jpg

 

 

 

   システム思考を対話の道具に

合宿では、この教育システム図を共有し対話を通して、さらに理解を深める事が出来ました。システム思考では、出来事を氷山の一角(図③氷山モデル)と捉えます。そして、その出来事が、時系列ではどのようなパターンになっているのか? その出来事は、どのような要因により、起こっているのか? そこには、どのような構造が存在するのか?その出来事は、どのような人々の価値観やものの見方が、影響を及ぼしているのか?と、次々と問いに答えることにより、そのシステムの全容を明らかにするという思考法です。教育システムの全容を明らかにし、自分が取り組んでいることが、全体のシステムの中で、どのような役割を果たしているのかを再認識する事が出来ます。よかれと思って行っていることが、時には、システムには、マイナスの働きかけをしていると気付く事も有ります。教育を良くしたいという思いから、教育批判を行うことで、教師の変容学習が妨げられている現状は、この例です。

さまざまなループ図を創った結果をグラフィックにしたのが、図④です。タイトルは、ゆとり教育から奴隷教育へ!?という過激なものです。誰が奴隷かというと、教育に関わるすべての人々が、教育システムの奴隷になっているという意味です。ゆとり教育の失敗によって、学力向上が学校現場における最優先課題となりましたが、もともと、ゆとり教育が導入された背景には、新しい時代を幸福に「生きる力」を育てるという教育ニーズがあったはずです。このニーズが消滅したわけではありません。むしろ、時代の変化は、ますます加速しており、新しい教育のニーズは大きくなっています。学力向上も、生きる力も、グローバル教育も必要と、学習領域がどんどん拡大していく中で、生徒は主体性を身につけなければなりません。

④ゆとり教育→奴隷教育 小.jpg

今後も継続的に分科会を開催し、教育のシステムを考えていきたいと思います。

<連絡先>教育の未来を創る会 熊平美香、mkumahira@a-kumahira.co.jp

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多様性の尊重とMBTI

文部科学教育通信 No.302 2012-10-22に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑭をご紹介します。

グローバル社会になり、多様性を尊重することの重要性が盛んに謳われるようになりました。人々が、お互いの違いを尊重し、多様な人々が安心して存在することができる社会の実現を目指そうという掛け声です。一方で、工業化社会の教育は、画一性の優位性を教えこんできました。その結果、日本人の多くは、学校や社会が求める画一性的な物差しに合わせて、優劣をつける思考の習慣を身につけています。このような教育を受けた日本人にとって、実は、多様性を尊重するという概念を、深く理解することは、とても難しいことです。

私が、多様性の尊重の重要性を知ったのは、米国NY州の田舎町に留学していた16歳の時です。当時は、ソニー製品が脚光を浴び始めたころでしたが、田舎町では、中国と日本の区別もつかない人も多く、初めて見る黄色人種として子どもたちに石を投げられる日本人留学生もいました。その話を聞いて、差別はいけないと思いましたし、自分は、多様性を尊重する人になりたいと思いました。しかし、本当の意味で、多様性の尊重を理解できるようになるには、それから20年もかかりました。

 

グローバル時代における多様性の尊重

多様性の尊重について、日本では、2つの大きな誤解があるように思います。

「あなたは、私とはこんなに違うところがありますね。それでも、あなたの存在を認めます。」これが、多様性の尊重であると思っている多くの人々がいます。以前の私も、同様に考えていました。しかし、実は、これは、本当の意味での多様性の尊重ではありません。なぜなら、私という物差しを軸に、相手を見ているからです。多様性を尊重するためには、自分も、多様性の一部として捉え、自分と他者の違いに目を向けるのではなく、自分と他者の存在を合わせて、多様性を俯瞰して捉えることを言います。自分にとって違和感のあることは、他者からも違和感を持つことがらです。その違和感は双方向のものであり、その両者が多様性の一部なのです。

多様性を尊重するということを、他者を尊重することと考えている多くの日本人がいます。話し合いの場において、異なる意見を持っていても、その場に出さないで、他者の意見を尊重することで、調和を保とうと考える人々です。 これも、多様性の尊重としては、正しい姿ではありません。自分も主張するし、他者も主張する、そして、対話を通じて合意形成が実現できるというのが、多様性を尊重する話し合いの姿です。創造的な問題解決は、こうした対話を通してはじめて可能になるのです。南アフリカが、1991年、アパルトヘイトから民主化に移行することができたのは、そこに存在した黒人や白人のリーダーたちが、対立を超えて、お互いの存在を認め合い、南アフリカの未来についての対話を実現することができたからです。

 

MBTI

自分も多様性の一部であるという多様性を俯瞰的にとらえる力を身に着けるために、私が活用しているのはMBTI(マイヤーズ・ブリッグス・タイプ・インディケーター)という性格タイプを理解するツールです。MBTIは、スイスの精神科医カール・ユングの性格タイプ論をもとに米国人の親子キャサリン (親)とイザベル (娘)が開発した、全世界で最も利用されている質問紙方式の検査です。人間の多様性や物の見方や判断の仕方の違い、強みや動機、対人関係スタイルの違いを理解していただくのに大変有用かつ分かりやすいツールです。

以下、MBTIについて簡単にご紹介します。MBTIは、受験者の性格を測定して、診断したり、評価したりすることが目的ではありません。検査をきっかけに自分を見つめ直して、自分への理解を深めることや、人と人との違いを知って、他人と互いに尊重し合えるような人間関係を築いていくことが目的ですから、他人と比較したり、優劣をつけたりということはありません。どの性格タイプが優れているということもありません。占いのような当たり外れのあるものではなく、心理学類型にもとづく根拠のある分類方法です。日本では、2000年に導入されて以来、さまざまな分野での有益性が認められ、累計10万人以上の人がこの検査を受けています。また、イギリス、フランス、カナダ、韓国、中国など30以上の言語に翻訳され、世界50か国以上で活用されている国際規定に基づいた性格検査です。

 

MBTIは、人々の性格を、4つの指標で捉えます(『MBTIタイプ入門』(JPP,2011年)9~10頁より引用)。

(1)EI指標:どこに関心を向けることを好むのか。どこからエネルギーを得るか?

   外向(E)を指向する人の特徴

ž  ・  自分の周囲に起きていることに注意を払う

ž  ・   話すことによるコミュニケーションをより好む

ž  ・  話しながら考え、まとめる

内向(I)を指向する人の特徴

 ・   自分の内面で起きていることに注意を払う

 ・   書くことによるコミュニケーションをより好む

 ・    考えを内省することでまとめる

 (2)SN指標:どのように情報を取り入れることを好むか?

   感覚機能(S)を指向する人の特徴

 ・      現実や事実に目を向ける

 ・      事実や具体的なことに焦点があう

 ・      実際に起きていることに着目する

   直観機能(N)を指向する人の特徴

 ・      これからの可能性に目を向ける

 ・      想像をめぐらせ、独特な表現方法を用いる

 ・      データの背景パターンや意味に着目する

 (3)TF指標:どのように結論を導くことを好むか?

   思考機能(T)を指向する人の特徴

 ・      分析的観点を重視して考える

 ・      原因と結果から考える

 ・      真実における客観的基準を見出すために奮闘する

   感情機能(F)を指向する人の特徴

 ・      共感する

 ・      自分の思いが伴った価値基準から考える

 ・      結論が人々にどう影響するかを考慮する

 (4)JP指標:どのように外界と接することを好むか(生活やライフスタイルのあり方)

   判断的態度(J)を指向とする人の特徴

 ・      スケジュールにそって行動する

 ・      想定内で、整理された生活を好む

 ・      規律正しい

   知覚的態度(P)を指向とする人の特徴

 ・      状況に応じて行動する

 ・      どちらかというと柔軟な

 ・      格式ばらない

 

一番目の指標をもとに、現実社会に当てはめて考えてみましょう。ブレインストーミングの場で、たくさん意見を述べる外向タイプ(E)の人々は、発言量の少ない内向タイプ(I)の人々に対して、考えを持っていないのではないかと考えます。なぜなら、外交タイプ(E)の人々にとっては、話しながら考えることが当たり前だからです。一方、内向タイプ(I)の人々は、じっくり考えて、正しい言葉を見つけた時に初めて声に出すのが当たり前なので、外交タイプ(E)の人たちが、時に、自分の考えを話しながら変えていく様子に不信感を覚えたりします。このような実体験を、MBTIというレンズを通して眺めることにより、自己と他者の違いを俯瞰して捉えることが可能になります。自分も他者から見れば異質であるという視点を持つことができるようになります。

MBTIは、人と関わる職業において、他者を理解する上でとても有益です。例えば、学校の先生なら、MBTIのEI指標を知ることで、授業中の発言に関して、生徒には外向(E)と内向(I)の二つのタイプがあることを知ることができます。授業という限られた時間枠では、先生の質問に、即座に反応して答える外向タイプ(E)の生徒の発言が集まりやすく、じっくりと考えてから意見を言う内向(I)タイプの生徒の発言が置き去りにされがちです。先生は、このようなタイプの生徒の意見を共有する機会が持てているかに意識を向ける必要があります。MBTIを知ることは、多様性を尊重する教室創りを考えるうえで有益なツールとなるのではないでしょうか。

ワシントン州の理科学習スタンダード

文部科学教育通信 No.300 2012-9-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑬をご紹介します。

2012年7月に、参加した初等・中等教育関係者の集まるシステム思考の勉強会(The Systems Thinking and Dynamic Modeling Biennial Conference 2012)で、ボーイングに勤めるポール・ニュートンさんの発表を伺う機会がありました。ボーイングや、マイクロソフトの本社のあるワシントン州では、自治体、民間企業、非営利団体による教育活動が盛んで、さまざまな新しい取り組みが進められています。2010年に改訂されたワシントン州政府発行の理科学習スタンダード*1では、システム思考が必須学習項目として取り入れられ、明確なガイドラインが示されています。

 

ワシントン州の理科学習スタンダードでは、分野横断的概念と能力として、4つの学習領域が挙げられています。

(1)システム思考・・・システム思考は複雑な現象を分析・理解することを可能にします。生徒は小学校第一学年では部分と全体の関係、中学校ではシステム分析、高等学校では予期せぬ結果、フィードバックループなどを学び、システムの概念を少しずつ広く、深く学んでいきます。

(2)探求・・・探求とは、科学の根幹を成すものであり、生徒が科学的考えについての知識と理解を深め、自然界がどのように機能しているかを学ぶための活動です。生徒は、自然界に対する理解を深めるために、質問をしたり、質問に答えたり、様々な調査を行います。調査には、システム的観察、フィールドスタディ、モデル、シミュレーション作成、探査、実験等)も含まれます。

(3)応用・・・応用とは、現実世界の問題を解決するために技術を設計する能力、科学と技術の関係やそれらの社会への影響を理解する能力、科学技術分野での様々な職業を認識する能力を含みます。これらの能力は、生活上の課題を解決するために学校で学んだことを応用して、社会問題を理解・解決したり、コミュニティ、州、国家の繁栄に貢献するために必要とされます。 

(4)物理学、地理・宇宙科学、生命科学・・・科学分野を9つの大きな領域に分けて学習します。9つの領域とは、「力と運動」「物質:特性と変化」「エネルギー:移転、変化、保有」、「地球と宇宙」「地球システム、構造、過程」「地球の歴史」「生き物の構造と機能」「生態系」「生物進化論」です。 

 

システム思考のガイドライン

 

第1の学習領域として挙げられているシステム思考では、幼稚園の年長から、高校生になるまでの間に、どのように順を追って学習を深めていくのかを見てみましょう。

●Grades K-1*2

テーマ:「部分」と「全体」の関係

概要: 

K-1の学年では、生徒は「部分」と「全体」の関係に注目します。「全体」を構成する様々なタイプの物体の部分の名前を覚えます。生徒は、簡単に分解したり、元に戻したりすることのできる物体(動植物を含む)と、分解してもう一度組み立てようとすると、元の形には戻らない物体があることを学びます。「部分」と「全体」の関係をよく知ることは、全ての理科学習の土台であり、自然環境や与えられた環境下でどのようにシステムが機能しているかを理解するための重要な基礎となります。

●Grades 2-3

テーマ:システムを構成する「部分」の役割

概要: 

K-1学年では生徒は「部分」と「全体」の関係を学びました。2-3学年では、生徒は物体、植物、動物を構成する「部分」がシステムとしてどのように結びつき、機能しているかを学びます。「全体」と「部分」は異なる特性を持ち、一つでも「部分」を取り除いてしまうと「全体」が以前と同じようには機能しなくなります。また、同じ「部分」が、異なるシステムの中では違った役割を果たします。生徒は、システムとは「全体」を構成する相互作用を持つ「部分」の集まりであることを学びます。物体、植物、動物は単なる「部分」の集まり以上のものであることを理解することは、全ての自然環境や人為的環境を調査する上で価値を持つ深い見識です。

●Grade 4-5

テーマ:複雑なシステム

概要: 

Grade 2-3では、生徒は物体、植物、動物を構成する「部分」がどのように結びつき、機能しているかをシステムとして考えることを学びました。4-5学年では、生徒は、システムには小さなサブシステムがあり、サブシステムは大きなシステムの部分になっていることを学びます。前の学年で学んだシステムと「部分」についての考え方がシステムとサブシステムについても応用できます。また、生徒はインプットとアウトプットについて学び、インプットが変わった場合にシステムがどう変わるかを予測します。システムの階層についての概念は生徒が機械的なシステム(都市など)と自然システム(エコステムなど)の間の関係を理解する架け橋になります。

●Grade 6-8 (中学生)

テーマ:インプット、アウトプット、境界、フロー

概要:

Grade 4-5では、インプットやアウトプットと少し複雑なシステムについて学びました。6-8学年ではシステム思考を使ってより複雑な状況を単純化したり、分析したりします。この学年で生徒が学ぶシステムの概念は、システムの境界を選択すること、物質のフローやシステムのエネルギーを計測して、オープンかクローズかのシステムを決定すること、システム思考を科学、技術や複雑な社会問題に適用することなどです。これらの見識と能力は、生徒が科学の領域間の関係や科学と技術と社会の間の関係を理解するために役立ちます。

●Grade 9-12 (高校生)

テーマ:予測とフィードバック

概要:

Grade 6-8では、生徒は複雑な状況をシステムとして捉えることにより、状況を単純化し、分析することを学びました。Grade 9-12では、生徒はより精緻なシステムモデルを構築し、フィードバックの概念を学びます。生徒は与えられた状況に対してシステム分析が役に立つかどうかを決定し、役に立つ場合は、システム、サブシステム、システムの境界、フロー、フィードバックを説明できるようにします。次の段階では、変化を予測するダイナミックモデルとしてシステムを用います。また、最も高機能なシステムモデルを用いても、実世界がどのように動くかを正確に予測することは不可能であることを学びます。このシステムに対する深い理解とシステム分析を使う能力は科学的探究心と技術デザインの両方にとって欠かすことのできないツールです。

 

 

システム思考は、変化、複雑性、相互依存に基づく新しい時代に生きる未来の成人にとって必須の力です。21世紀を生きる力の教育を学校で実施するために創られた米国の非営利団体パートナーシップフォー21でも、「学習能力とイノベーションのスキル」の学習領域において、クリティカル思考とならんでシステム思考の重要性を挙げています。

 

OECDが、2003年に発表したキーコンピタンシー(生きる力の定義)では、自律的に生きるために、システム思考力を育む重要性を述べています。複雑な社会で自分のアイデンティティを実現し、目標を設定して意思決定を行っていくためには、システム(構造、文化、出来事、実践行動、法律や規則、社会習慣等)を俯瞰する力、パターンを認識する力が不可欠です。

 

日本の未来の成人にも、システム思考を育む機会を提供していきたいと思います。(2968字)

 

*1ワシントン州の理科学習スタンダードhttp://www.k12.wa.us/Science/pubdocs/WAScienceStandards.pdfからご覧いただけます。

*2  KとはKindergarten(幼稚園の年長学年)のこと。アメリカの学校教育ではK学年を義務教育と定め、小学校と同じ校舎で学ばせることが多い。通常、小学校:K~Grade 5、中学校:Grade 6~8、高等学校:Grade 9~12を指します。

システムダイナミックスの父 フォレスター教授

文部科学教育通信 No.298 2012-8-27に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑫をご紹介します。

 

MITスローン経営学大学院の名誉教授およびシニア講師を務めるフォレスター教授は、アメリカの情報工学の先駆者であり、システムダイナミックスの生みの親でもあります。1956年にスローン大学院でシステムダイナミックスの研究を始め、子どものK-12 Education(初等・中等教育)にシステムダイナミックスとコンピューターモデリングを導入する方法を開発してきました。研究が進むにつれわかったことは、幼少期からシステムダイナミックスに触れてこそ、子どもたちは、システムダイナミックスの本当のパワーを活用できるということでした。そこで、彼は、1991年にCreative Learning Exchangeを創設し、初等・中等教育におけるシステムダイナミックスの活用と学習者中心の学習を奨励・支援し続けています。この団体が主催しているシステム思考・システムモデリングの会議は、今年で10回目を迎え、教育関係者に多くの影響を与え続けています。

今回は、7月に開催された会議でご一緒した、フォレスター教授の「初等・中等教育の未来」に関する見解をご紹介します。米国の教育事情に基づき述べられている点もありますが、工業化社会の教育システムを持つ日本においても、共通点が多いと感じます。

 

フォレスター教授が語る初等・中等教育(K-12 Education)の未来*

Jay Forrester.jpg

今日の学校は工業化社会の黎明期のニーズに合わせて設計されたものです。工業化社会には、画一化した製品を大量生産する工場システムにおいて力を発揮できる人材を輩出する学校が必要でした。時代は変わり、今日の学生は問題解決能力、チームワーク、コミュニケーション能力、生涯学習などの様々な幅広いスキルを身に付ける必要性が出てきました。私たちの目的は、社会・経済・物理的システムがどのように機能し、自分たちの行動をどのように改善していったらいいか、ということを学生や社会人に深く理解してもらうことにあります。

 

システムダイナミックス教育は従来の初等・中等教育には存在しなかった考えですが、私はこの分野のパイオニアとして、20年以上にわたり研究を行ってきました。システムダイナミックス教育は、今や実証する段階を過ぎて、できるだけ多くの学校に導入するべき段階にきています。学校への導入は、長い期間を要し、決して容易な取組みではありませんが、子どもたちが未来の挑戦に対して立ち向かっていくために、学校が行わなければならない教育の一つです。

 

多くの人が現在の初等・中等教育に対して失望しています。米国のナショナルアカデミックエンジニアリング発行の記事によれば、「米国の公立学校に対して6500億ドルもの追加投資が行われたが、高校卒業レベルの学生の「科学」の標準テストの点数は更に下降している」そうです。しかし、なぜ成績が更に下降したかという質問に答えられる人はいるでしょうか。これは、企業診断の場合によく見受けられる現象ですが、問題を解決しようとして行うそのことが、実際には問題の原因になっており、現状を改善しようすればするほどさらに状況が悪くなっていく、というものです。

 

科学と数学に集中的に重点を置き、「どの子も置き去りにしない」というスローガンに基づく取組みが教育を間違った方向に導いています。学校全体でのテストの平均点を上げるためには、すべての子どもたちが同じような成果を出すことが望まれますが、当然のことながらそれは不可能なことです。学校やクラスに対して生徒のテストの平均点を上げるようにとのプレッシャーがかけられ、勉強の得意な生徒たちの能力を伸ばす支援を犠牲にして、勉強の苦手な子どもたちの支援にかなり多くの労力が割かれています。更に不幸なことには、テストの点数を上げるのは、先生の地位の向上や学校の経済的発展のためであり、生徒に学ぶ喜びや楽しさを与えたり、個人の成長を促したりするためではない、ということです。

 

多くの批評家たちが我々の社会にイノベーションが欠如していることを嘆き、算数と科学の学習がイノベーションにつながると結論付けています。しかし、現在の学校に対する様々なプレッシャーがイノベーションを抑制する結果になっています。イノベーションは、新しい手法を導入し、成功を何度も繰り返すことで生まれるものです。イノベーションとは、従来にはない考えを試すということです。失敗を恥ずかしいと思うのではなく、学習経験としてとらえ、従来の枠組みの外にあるものに時間を投じてみることです。イノベーションの精神とは、何年もの間、他人とは違っていられる勇気を持ち、平凡と不可能の間に横たわるイノベーション可能な領域を見つけられるよういろいろと試みてみることです。現在の初等・中等教育にはどこにもイノベーションを育む土壌が見当たりません。それどころか、従来の学校はイノベーションにつながる傾向を阻害し、教師も生徒もその状況に順応させられてしまっています。

 

過去30年に亘り行われてきたシステムダイナミックスの初等・中等教育における実験的な取組みが、草の根レベルで勢いづいてきました。システムダイナミックスは人間の関心事のほとんどすべての領域に亘り、時間とともに物事がどのように変化していくかという事を問題にしています。システムダイナミックスはコンピューター・シミュレーションモデルを使って一つのシステムの構造や方策がどのような行動を生み出しているかを明らかにします。複雑なシステムのシミュレーションも小学生の理解の範囲内であることが証明されています。

システムダイナミックスは多くの分野や職業で広く、しかし、浅く広まっています。私自身はシステムダイナミックスを未来の初等・中等教育の基礎になるものと考えていますし、これが私たちのもっとも重要なフロンティア業務です。このシステムダイナミックス教育に取り組む先生たちの会議を2年に1回、開催し、毎回100~200名の先生が参加します。

 

学校の改革は長期に亘る時間がかかりますが、短期的な取組みは大抵の場合、うまくいかないことが実証されています。しかし、今始めないことには根本的な変革はいつになっても行われません。より多くの方々がこの教育的取組みに参加してくださることを望みます。

 

終わりに

システム思考教育は、着実に社会に広がりをみせています。アメリカ国内では、地域レベルで、コミュニティと行政、学校関係者が、共通の教育ビジョンを掲げ、21世紀の教育改革に取り組むプロセスが、複数展開されています。システム思考は、複雑な問題解決に必要な思考法であり、21世紀の教育に不可欠な能力として、教育改革に盛り込まれています。

 

システム思考教育の学校教育への導入は、世界中に広がりを見せています。今年の会議には、中国南京からも8名の教育関係者が出席し、南京におけるシステム思考教育の実践例を紹介してくれました。南京では、9年前から南京ノーマル大学(南京師範大学)と連携して100万ドルの予算で教材開発を行い、高等学校においてシステム思考教育を始めているそうです。会議では、その推進責任者、開発責任者、そして、高校の先生方が、その成果を報告してくださいました。

 

今回の会議に参加して、日本におけるグローバル人材育成の一つのテーマとして、システム思考教育は、外すことができない領域であると確信しました。

 

*出典:Comments on Future of K-12 Education, Jay W. Forrester, Jan. 5, 2011

システム思考・システムモデリングの会議

文部科学教育通信 No.297 2012-8-13に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑪をご紹介します。

米国マサチューセッツ州で7月に開催されたシステム・シンキング・ダイナミック・モデリング・カンファレンス(Systems Thinking and Dynamic Modeling Biennial Conference)に参加しました。この会議は、システムダイナミックスの生みの親であるMITのジェイ・フォレスター教授、学習する組織(FIFTH DISCIPLINE)の著者ピーター・センゲ先生たち、ウォーターズ財団のウォーターズ氏が中心となって始めた、学校の先生たちのためのシステム思考・システムダイナミックスの勉強会です。1996年夏にスタートし、隔年開催されています。
私は、2010年に始めてこの会に参加し、今年が2回目の参加となります。2年ぶりに、カンファレンスに参加して明らかになったのは、地域や学校単位で、システム思考教育の展開が進んでいるということです。2年前は、ともすると一部の意識の高い先生や特別な学校による取り組みとして捉えられていたシステム思考や21世紀の教育がより大きな動きとなり、社会全体に広がり始めているという実感を持ちました。

システム思考による小学生の問題解決

2年前のベストプラクティスとして紹介されたアリゾナ州のツーソンにおける教育実践の事例です。ツーソンでは、約20年前から学校教育に、システム思考やシステムダイナミックスが取り入れられています。今年は、3人の小学一年生がシステム思考を活用して問題解決を行う例が紹介されました。子供たちが校庭で遊んでいる時に、ふと発した意地悪な言葉が相手の心を傷つけ、傷ついた相手がさらにひどいことを言ってケンカになり、お互いの関係がどんどん悪化していく様子をシステム思考の自己強化型ループを用いて説明していました。この悪循環のループをどこかで断ち切らない限り、この構造はずっと続いていくことを、子どもたちは理解していました。この映像はhttp://www.watersfoundation.org/webed/mod9/mod9-3-1.html でご覧戴けます。
小学1年生の子どもたちが、友達との言い合いの構造をシステムとして捉え、問題を解決するために、その構造にどのように働きかけるのかを話し合っている様子には、子どもの潜在的な力の大きさを感じます。これまで一般的には広まっていなかったシステム思考は、将来、複雑な社会において問題解決をしなければならない子どもたちに不可欠な力です。子どもが学ぶためには、まず、大人がシステム思考の実践者になる必要があります。

3人の校長が語るシステム思考・システムダイナミックス教育の現場への導入

●イノベーションアカデミーチャータースクールの事例
イノベーションアカデミーチャータースクールは、1996年に創立した生徒数800名の比較的新しい学校です。システム思考教育は、創立期から始めているということでした。現在、8割近い教師が、システム思考教育に関わっているそうです。会議には、イノベーションアカデミーの数学の先生が参加されていて、質疑応答の時間に、彼女の体験談を紹介してくれました。最初の数年間は低空飛行、4年目にアハ体験があり、システム思考の価値を実感して以来、積極的に数学教育にシステム思考を取り入得ることが可能になったというお話です。導入に躊躇していた先生たちに、勇気を与えるスピーチでした。

●アリゾナ州ツーソンでの事例
アメリカの学校教育におけるシステム思考導入においては、最も長い経験を持つキャシー・シェップ校長の体験談も大変興味深いものでした。彼女は、この20年間に、3つの学校に、システム思考教育を導入・展開した経験を持ちます。最初の学校では、5年間で、システム思考教育を導入、展開、定着させました。ところが、2つ目の学校での導入は、容易ではありませんでした。組合も強く、先生同士の関係も悪く、保護者からの支援も得られない状況だったそうです。この学校で最初に行わなければならなかったのは、先生との信頼関係の構築、先生同士の恊働体制の構築、保護者やコミュニティの支援の獲得だったそうです。そこで、大変役に立ったのは、システム思考の中にある「推論のはしご」です。意見の相違の背景に、どのような経験や判断があるのかを共有し、お互いの考えや立場を理解することに時間をかけたそうです。この時の苦労は、すべて、3番目に赴任した学校での展開に生かされました。3番目の学校では、最初の3年間は、土壌作りに費やしたそうです。具体的には、初年度は、1学年に絞って小さなチームで取り組みをはじめ、一年ごとに学年を増やし、3年目に、大きく離陸させるという戦略です。
大変興味深いのは、2004年にスタートした取り組みは、2007年に全校展開になり、それから3年後の2010年には、システム思考の実践者として、生徒が先生のレベルを超えたというお話でした。最初の6年間は、先生がリードしますが、その後は、生徒の中にもリーダーが現れ、生徒の実践力は急激に増すというのです。この段階で、保護者やコミュニティの支援も一気に拡大していきます。

●ウィンストンセーラムパブリックスクールの事例
バッド・ハリソン校長は、システム思考教育の導入に取り組み始めて今年で3年目です。パネラーの一人でもあるウォーターズ財団のトレイシー・ベンソン氏の支援を受け、着実に推進を進めています。
ハリソン校長は、ノースカロライナ州のフォーシス地域全体での導入の企画推進も担当しています。初級プログラムを地域の25人の校長と校長の選抜した先生に受講してもらうところから始めました。最終的に導入を決めたのは、25校中7校でした。導入を決定した学校では、夏休みに研修を実施、新学期からの導入がスタートします。ところが、最初は、なかなか先生たちの実践は進みません。そんな先生たちをサポートしたのがトレイシーです。トレイシーは、10月から3ヶ月おきに各学校を訪問し、先生たちの支援を行いました。その結果、システム思考教育は着実に進んでいます。幸運なことに、校長先生の中には、システム思考教育の効果を確信し、ブログやツイッター等で積極的に発信する先生もいるそうです。
大変興味深かったのは、ハリソン校長の言葉です。「抵抗する人たちを強制的に新しい取り組みに巻き込むことはやめました。扉は常にオープンにして、いつでも歓迎するという招待状を送る方が、私も疲れませんし効果もあります。」このような姿勢で推進するからこそ、推進がスムーズに行くのかもしれません。

●システム思考教育を支援するトレイシー
最後のパネラーは、トレイシーです。さまざまな学校で、システム思考教育を導入する先生たちが実践を通じて成長することを支援するのが、トレイシーの役割です。彼女の支援を受けた先生たちは、システム思考の学習者として、また、学内での協働者として、システム思考教育を継続的に発展させている様子が分かります。1年目は、システム思考教育を始めること、実践を通して自信を持つ事に主眼がおかれていますが、2年目は、ガイドラインに基づいて、システム思考教育についての自己分析を行い、あるべき姿を目指す事となります。トレイシーは導入における様々な障害を一つのプロセスとして捉えていました。

 

パネルディスカッションを通して、成功事例には、行政と学校の良好な関係、校長と先生の信頼関係、先生同士の恊働体制、保護者やコミュニティと学校の良いコミュニケーションなどが欠かせないという普遍的な法則が明らかになりました。システム思考は、複雑な時代の問題解決に不可欠な力と言われています。日本の子どもたちにも届けたい教育の一つです。

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