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日本人とイノベーション

文部科学教育通信No.369 2015.7.27掲載

経産省や文科省が起業家養成に向けた支援に積極的に取り組んでいます。起業家養成の取り組み自体は大変素晴らしいものなのですが、本当にそれだけで、世界最下位に近い日本の起業活動率を改善し、グーグルのような企業を生み出すことができるのか疑問に思います。日本の起業活動率は、5%を割り込み世界でも最下位に近い状況であることが解ります。起業活動率は、経済成長率に直結しているので企業活動率を高めていくことが日本の持続可能な成長には急務です。日本にも、たくさんのベンチャー企業が生まれていると思われるかもしれません。しかし、楽天やティーエヌエイなどをはじめとするベンチャー企業をまとめてもその時価総額は、11兆円程度で、グーグル一社の時価総額38兆円には程遠いのが現実です。

「なぜ日本人はイノベーションを起こせないのか」問いを持ち過ごす中で見えてきた仮説があります。そこで、今回は皆さんにその仮説を共有してみたいと思います。

日本人がイノベーションを起こせない12の理由

1.若者の低い人口比率 

サウジアラビアを訪問した際に実感したのですが、29歳以下が7割近いサウジアラビ  アでは若者がとても元気です。それに対して、29歳以下の人口は3割弱の日本では、若者のエネルギーを感じることが少ないです。日本では、20世紀の成功体験を持つ年寄りの考えが社会を支配し今日の社会を形創る中、若者が自らの意思や考えに基づき行動することは非常に困難な状況です。若者は、その潜在的な力を眠らせているのです。

2.個人より組織が優先

滅私奉公という言葉は使われなくなりましたが、今日でも、企業人の多くは個人より組織を優先するよう求められます。社会の課題についても、行政に任せきりで受け身的な態度を取ります。しかし、行政組織にいる人も、短期間に異動するため、一つのことに主体的にコミットする訳ではありません。企業でも、行政でも、働く人々は組織を優先して生きています。イノベーションの源である主体性は重要視されません。

3.フラットではなくヒエラルキーな構造

イノベーションを実現する上で最も大切なことは、フラットにネットワーク化する構造です。ところが、日本ではまだ、ヒエラルキー構造が主流で情報の流れは上位下達が中心です。ヒエラルキー構造の末端にいる若者の声は、どこにも届きません。常に存在する上下関係は、イノベーションに欠かせないオープンな対話を許しません。

4.思考停止

「貴方はどう思うのですか」と質問を投げかけると意見がでないのが日本の特徴です。周囲の様子をうかがったり、上司の顔色を見たりして正解を捜します。自分の考えを持つということに対して自信がなく自分に許可すら与えていない様子です。脳科学では、思考は感情が支配していることを証明しています。思考停止状態は、感情停止状態であるともいえます。自分で考えたい、自分の考えを共有したいという感情よりも、思考停止と沈黙の方が賢明であるという感情が優先されているようです。この習慣を取り除かない限り、イノベーションには向かえません。

5.未来志向ではなく既知志向

既知志向を持つ人々が社会を動かしており、未来についてもその正しさを証明することが求められます。グーグルを起ち上げたラリーとサーゲイは、検索結果のランキングがテレビ広告のようにお金で操作される仕組みであることに大きな問題意識を持ち起業します。お金をもらえないでどうやって検索事業を行うのかとスタンフォード大学の教授に尋ねられた時、「世界が間違っているんだ」と言う彼らを信じる人たちがいたから、今日のグーグルの存在があります。イノベーションを起こすためには、未来を変えるアイディを信じる人が必要です。

6.知の分断

アメリカでは、脳科学者、発達心理学者、教育学者、学校の先生が協働して脳科学と学校教育を繋ぐ取り組みが進んでいます。ニューロサイエンス・イン・ザ・クラスルーム(http://www.learner.org)でもその取り組みが紹介されています。脳科学者は、学校の先生が知っていること以上のことは発見しないだろうと言います。しかし、先生が経験を通して知っていることを科学的に証明することにより汎用性の高い法則を明らかにすることが可能になります。このような専門性を超えたコラボレーションは日本ではなかなか起きません。知の細分化と分断により、専門家の存在に焦点を当てる日本の在り方では、イノベーションは実現しません。

出典:経済産業省委託調査起業活動率TEAの国際比較

7.リスク回避

学習とは、未知の世界を自分のモノにするプロセスです。学習には、常にリスクが伴います。このため、リスクを取ることが歓迎されない環境では、学習は起きません。学習のないところにイノベーションが生まれる可能性はゼロです。学習とリスクの関係を理解し、結果として得られる学習に目を向けることが必要です。

8.効率優先

工業化社会を勝ち抜くため、生産性や効率を重視してきましたが、その中で忘れ去られたものが本質を捉えることです。誰もが、「なぜ」から考えることを好まず、「答え」を欲しがります。「何をすればよいか言ってくれればやります。」こんな人が増えてしまいました。

イノベーションは、「なぜ」から考えることからしか始められないのですが、多くの人にとって、「なぜ」は楽しみではなくストレスのようです。

9.知識学習思考

知識を持つことと、行動することは別のことです。ところが、学校で身に付けた学習習慣を手放せない人が多くいます。リーダーシップを身に付けたいと考え本を読み続ける人たちです。リーダーシップは自ら行動し、実践を通して学ぶ以外に力を身に付ける方法はありません。起業家は、動いて学び軌道修正を掛ける実践学習者のロールモデルなのです。

10.対立が嫌い

多様性はイノベーションに不可欠であると言います。しかし、多様性が活かされるためには条件があります。それは、意見の対立を恐れることなく自由に思ったことを発言し、お互いの考えから刺激を受け共創するコミュウニケーションが存在することです。和を重んじ対立を避けていたのでは、イノベーションに多様性を活かすことができません。

11.リフレクション

21世紀の学習の要はリフレクションです。過去を振り内省的観察をし、そこからの学びを定義し次のアクションに活かすことが求められます。しかし、日本では、この習慣がありません。失敗については責任問題になりやすいため、だれも振り返りをすることを好みません。自らの意思で目的を設定し行動した結果を振り返るリフレクションよりも、他人の設定した目的に合わせて行動し結果を評価されるという習慣の方が、自らリフレクションを行うよりも楽なのかもしれません。起業家は自らの夢を実現するためにリフレクションを駆使します。

12.悪いニュースを話題にしない

日本では、悪いニュースについて話題にすることを避ける傾向があります。創造的な課題解決に向かうためには、課題についてしっかりとした議論がなされることが不可欠です。大きな課題ほど、課題についてオープンに話せないこの国では、課題解決に取り組むことは不可能なようです。

12の理由の中には、教育にとても深い関係がある事柄も含まれています。起業家養成講座をいくら開催しても、このままではイノベーションに向かう人は増えないのではないかと心配でなりません。皆さんにできることから取り組み、この国のイノベーションを支えて欲しいと思います。

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企業の力で社会を変える

文部科学教育通信NO.368 2015.7.27掲載

アドバイザーを務めている一般社団法人アショカ・ジャパンでは、7月2日に、ユニリーバ・ジャパン・カスタマーマーケティング株式会社の代表取締役・プジデント&CEOであるフルヴィオ・グアルネリ氏をお迎えし、講演会を行いました。ユニリーバは、リプトン紅茶、ダブやラックスなどの石鹸やシャンプーをはじめとするブランドで有名な多国籍企業です。世界190カ国で、毎日20億人の人がユニリーバの製品を使い、年間売上は6兆円を超え、社員数は17万人です。

今回は、この講演会を企画した背景と教育との関係についてご紹介したいと思います。

21世紀の教育目的

最近、その重要性が盛んに謳われるようになった21世紀を幸せに生きる力は、OECDが、キーコンピテンシーとして定義している力です。OECDが、教育の大きな転換を求める前提には、社会の変化があります。変化、複雑、相互依存という3つのキーワードで表される21世紀の社会で幸せに生きるために必要な力は、それ以前の力とは同じではないということを、OECDは明確にしました。こうして生まれた新たな教育観の前提には、社会が目指す2の目的があります。一つは、持続可能性と経済成長をともに実現すること。二つ目は、多様な人々が共生する社会の実現です。新たな教育観の目指すところは、この二つの社会の実現に貢献する人を育てることということになります。このたびの講演会は、この二つの社会の実現に関するものでした。

サステイナブル・リビング・プラン

さて、今一度、ユニリーバの取り組みに話を戻したいと思います。ユニリーバは、「環境負荷を減らし、社会に貢献しながらビジネスを2 倍に」という企業ビジョンの下、2010年に「ユニリーバ・サステナブル・リビング・プラン」を導入しました。この計画では、2020年までに「10 億人以上のすこやかな暮らしを支援」、「環境負荷を半減」、「数百万人の暮らしの向上を支援」という3つの大きな目標を掲げました。約50項目にわたる数値目標が設けられ、目標達成に向けて、現在も世界各国のユニリーバで取り組みが進められています。事業のあらゆる部分に持続可能性を組み込み、売上成長と持続可能性の両立をめざす同社の成長戦略は、21世紀のビジネスモデルとして、世界中から注目を集めています。概念だけではなく行動に踏み出した先端的な試みは、ユニリーバで働くすべての人々の指針となっています。

ビジネススクールでも持続可能性に注目

昨年9月に、ハーバードビジネススクールで開催された新しいケーススタディ研究会に参加し世界から集まったアドバイザーとディスカッションを行いました。そこで初めて、私も、ユニリーバの持続可能なビジネスへの取り組みについて知りました。ケーススタディのテーマは、ユニリーバの紅茶ビジネスです。紅茶ビジネスの持続可能性に挑戦するユニリーバでは、2015年までに、ティーパックの100%、2020年には、紅茶ビジネスの100%を、持続可能な農家からの調達にするという目標を掲げ、その実現に向けて、栄養不足に苦しんでいる人々の半分は小規模農家という現実を変えるために、小規模農家の自立支援と生活向上の支援を行うことを決めました。その結果、私たち消費者も、リプトン紅茶を飲むことで、世界の貧困の撲滅に貢献できるというモデルです。しかし、このモデルには、これまでのビジネスの枠組みに含まれていない新たなコストが含まれます。

パラダイムシフトへの願い

ハーバードのケーススタディ研究会に参加した多くの人々は、企業の目的は利益の追求であり、ユニリーバの取り組みは労力とコストがかかりすぎるので評価できないと批判的です。そんな中、フランス人のユニリーバ元社外役員が以下のように述べました。「大切なことは、CEOであるポール自身が、このことを信じているかどうかだ。大切なことは、この取り組みが正しいか否かだ。間違ったことは続かない。正しいと信じるのであれば、後はやるだけだ」

このコメントを聞きながら、私が思い出したのは、OECDの教育目的でした。持続可能性と経済成長をともに実現する人を育てる。そのために、前例のないことに挑戦し、複雑な問題を解決する人を育てる。ユニリーバのCEOポール・ポールマン氏のような人を育てることが、教育目的なのだと思いました。そこで、日本人にも、ポールのような存在を知ってもらうために、ユニリーバの活動を紹介する講演会を企画することにしました。私たち大人は、持続可能性と成長の両立は大切と言いながらも、いざ、企業人の立場になると、株価を気にし、利益を優先する行動をとっているというのが現実ではないでしょうか。日本では、残念ながら、安倍総理が、最近、ROE(株主資本利益率)を高めるよう企業に求めています。正直、これは、地球規模で今起きているトレンドとは逆行した動きです。株式市場を満足させるためにROEを最優先する時代から、持続可能性と経済性のバランスを取る時代へのパラダイムシフトは確実に始まっています。今年9月には、国連がSDGs(持続可能な開発目標)を発表する予定です。日本においても、ポールのような大人が増え、持続可能性と経済成長を共に実現する取り組みが始まることを願います。

 

アショカと新たな市民セクター


このたびの講演会の主催団体アショカは、米国に本部を持つ世界最大の社会起業家のネットワークです。米ワシントンの本部と世界 34カ国に運営支部を持ち、社会起業家の発掘と支援を行っています。「社会起業」という概念は、社会福祉とビジネス起業という相反する基準やアプローチを持つ2つのセクターを融合させることで、社会の歪みがより迅速かつ効率的に改善されるという発想から1970年代に生まれました。この概念の生みの親であるビル・ドレイトンは、21世紀は、新たな市民セクターにより形創られると言います。これまでの社会では、社会の問題を解決するのは、営利組織ではなく非営利組織、政府ではなく非政府組織と考えられて来ました。これに対して、21世紀は、企業も、社会問題の解決に参画する時代であると言います。こうして、社会をよくするために貢献する企業や個人は、新たな市民セクターに含まれ、これまでの区分では説明できない時代が到来していると言います。ユニリーバは、まさに、この市民セクターに参画する企業の代表例と言えるでしょう。これまで、企業の社会的責任は、CSR活動と定義づけられていましたが、これからは、事業戦略の一部として取り組みが発展していく時代が到来します。21世紀の教育が、その人材育成を担うというOECDの提案は、とても的を得た方針であったと思います。我が国においても、ユネスコにより推進されてきた持続可能な開発のための教育(ESD)が始まり10年が経過しました。20世紀の教育を受けた大人は、新しい時代を切り開く教育を受けた若者の考えを聴き、彼らがそのビジョンを実現するために、支援者的立場に回ることが、持続可能な経済成長を促進する上で、とても大切なのではないかと思います。

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日本人とリフレクション

文部科学教育通信NO.367 2015.7.13掲載

2011年4月にオランダに教育視察に行き、ある学校を訪問した際に、先生がPCに向かい、子どものリフレクションの記録を取っている場面に遭遇しました。先生が、4歳の子どもに問いかけます。「この3か月で最も誇りに思うワークは何ですか」「それはなぜですか」「どこに苦労しましたか」「次にやるとしたら、どんな工夫をしますか」先生も生徒も、とても自然体で、特に難しいことに挑戦しているという様子ではありません。この4歳のリフレクションの様子は、今でも私の頭から離れることがありません。

4歳の子どもがリフレクションを行っている様子を見て、私は衝撃を受けました。

理由は2つです。1つは、4歳の子どもでも、リフレクションが出来る事を目撃し、私自身が子どもに対する間違った期待値を設定していたことに気づかされたことです。4歳の子どもに、リフレクションを行うことなど無理だと思っていた自分に気づきました。もう1つは、OECDのキーコンピテンシーの中でも核となる力と定義されているリフレクションを子どもたちに届けるために自分自身が行動していないという現実を突き付けられたことです。当時、私は、教員養成を行う大学院に属しておりましたので、未来の教師たちに、リフレクションの大切さを教える立場にいたのです。

この日から、私はリフレクションの啓発者として活動を開始しました。ところが、日本人とリフレクションの概念が、かみ合わないという事実に遭遇することになります。その体験を御話したいと思います。

リフレクションの定義

ここで、リフレクションについてOECDがどのように定義をしているかをご紹介しておきます。

【リフレクション(内省力):キーコンピテンシーの核心】

-キーコンピテンシーの根底にあるのは、自らを省みる思考と行動である。

-状況に直面した時に慣習的なやり方や方法を規定どおりに適用する能力だけでなく、 変化に応じて、経験から学び、批判的なスタンスで考え動く能力である。

参考資料:ドニミク・S・ライチェン 立田慶裕監訳(2006) 『キー・コンピテンシー 国際標準の学力をめざして』 明石書店

抽象的概念化が伝わらない

リフレクションでは、過去の行動や出来事を振り返り、そこからの気づきや学びを、抽象的概念化することを指します。抽象的概念化とは、成功と失敗の法則を見出すことを意味します。例えば、プレゼンテーションが成功した時、なぜ成功したのかという振り返りであれば、内容に精通していた、準備に時間をかけた、聞き手のことを良く理解していたなど、さまざまな成功要因を見出すことができるでしょう。このような成功要因を明らかにし、実践することで、次のプレゼンテーションも、成功に導くことができます。同じように準備をしても、成功しなかった時、何が間違っていたのか、何を見落としていたのかと失敗の原因を探究することも可能です。事前のヒヤリングを省略したことで、聞き手のことを十分理解できていないことに気付かなかったなど、課題から次に活用できる成功の法則が見えてきます。リフレクションを更に深め、聞き手を理解するために必要な10の問いなどを用意するのも良い方法です。このように、リフレクションを習慣化すると、すべてのアクションから学びを得ることができます。実際、セルフラーナーの人たちは、リフレクションと言う言葉を知らなくても、このような行動様式を自分のモノにしています。

責任問題

ところが、このリフレクションが意外に実践しにくい環境があることに気づきました。官僚的な大企業の人たちと、ある問題について会議を行った際の出来事です。私は、オープンにリフレクションを始めたのですが、何か議論がかみ合いません。5分ほどたち気づいたのは、みんな、自分の責任ではないということを説明するために、その会議に集まっているという事実でした。リフレクションから学ぶことよりも、誰の責任になるのかがより重要な会議だったのです。このような環境下では、だれもリフレクションを行うことができません。リフレクションは、自分を追い込む危険な行動なのです。この出来事を通して、改めて、学びは安全安心な場でしか起こらないということに気づかされました。それ以来、私は、リフレクションを行う前に、環境を整えるようにしています。そして、皆さんにも、安全な環境であることを確認してから、リフレクションを始めることを奨励しています。リフレクションのテーマは、過去の出来事なのですが、その目的は変えられない過去について責任を追及するためではなく、その経験からの学びを未来に活用するためであるということを誰もが認識することが大切です。リフレクションを広める活動を通して、少し大げさかもしれませんが、日本の文化がリフレクションの阻害要因になっていると感じています。日本では、切腹にも通じる責任の取り方が今日でも重要視されますし、恥の文化が、人を失敗の振り返りから遠ざけてしまいます。そこで私の提案は、リフレクションを科学的手法と捉え直し、進化のための大切なプロセスと捉え前向きに取り組むことです。

他人のリフレクション

ある企業で、リフレクションに熱心に取り組む人たちが、その後も行動を変えることができないのはなぜか疑問に思い、リフレクションを観察したところ課題が明らかになりました。リフレクションには、3つのレベルがあります。一つ目は出来事のリフレクション、二つ目は他者や環境のリフレクション、三つ目は自己のリフレクションです。熱心にリフレクションに取り組んでも学習に繋がらないのは、そのリフレクションが、出来事、他者や環境に焦点を当てているからです。出来事や他者のリフレクションも必要かもしれませんが、最終的に、リフレクションで学びを得るためには自己の振り返りを行う必要があります。それ以来、リフレクションには、3つのレベルという説明を加えるようにしています。

主体性とリフレクション

こうして、多くの大人にリフレクションの啓発を行う中で、なぜ、オランダの大人にとってリフレクションが当たり前なのに対して、我々日本人にとってリフレクションが、このようにむずかしいものなのかと不思議に思うようになりました。そんな中で、リーダーシップ教育を行っていた際に、リフレクションの前提には主体性があることに気づきました。

主体的に行動する個人は、管理される個人とは異なり、自らの意思で目的や目標を設定し、その実現のために行動します。自らの意思で行動する人が目的を達成するために、リフレクションは不可欠な道具です。誰かに管理され、軌道修正してもらえないとしたら、自ら行動し、振り返り、自分が正しい方向に向かっているのかを確認しなければなりません。ところが、管理される個人には、評価という物差しが存在し、自らリフレクションを行わなくても、管理者が軌道修正を指示してくれます。リフレクションを行う必要がないのです。これは、かなり衝撃的な発見でした。21世紀を幸せに生きる力の要となるリフレクションが出来る人を育てるためには、まず、主体性を育む必要があります。ところが、現実社会に目を向けると、評価が幸せを決めるという声が聞こえてきます。しかし、そんなことに負けてはいられません。これからも、リフレクション啓発者として、小さなことでも良いので、自分で決めて行動し、その行動を振り返るという習慣を広め続けて行きたいと思います。

 

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リベラル・アーツは実学なのか?

文部科学教育通信NO.366 2015.6.22掲載

前回の記事では、米国東海岸のアイビーリーグ校、ブラウン大学の卒業式の模様をお伝えしました。

今回も引き続きブラウン大学を例に、アメリカにおける伝統的なリベラル・アーツ教育観と日本への応用の可能性について考察します。

 

ブラウン大学パクストン学長「選択をする経験こそ学部教育の意義」

卒業式のスピーチで、学長が「問題を見つけるだけでは十分ではない」(”Problem-spotting is not enough”)と新たに社会へ出る学生たちに檄を飛ばしたことは、前回の記事で述べた通りです。世界の困難な課題へ挑戦するよう学生たちに決意を求める彼女のスピーチからは、現代社会への単なる怒りや嘆きではなく、ブラウン大学がこうした最も困難な時代を切り開くだけの人材を育ててきたという自負がにじみ出ていました。

では、学部における大学教育の意義とは何なのでしょうか?それは、”Choice”(選択)ができるようになることだと、学長は語ります。知識や技能よりも、複雑な問題に直面したときに「大胆な選択をするだけの自信」と「正しい選択のときを見極める知恵」を身につけていることが、卒業後の最高の財産になるというのです。

単なる学科ごとの知識教育やスキル育成にとどまらず、自由に挑戦し、失敗し、学ぶための環境を提供していることが、ブラウン大学が学生に提供する究極的な価値だと言っているように感じました。

 

米国式リベラル・アーツ教育とブラウン大学のオープン・カリキュラム

では、この挑戦できる学生を育てる「環境」とはどのような場なのでしょうか?そして、大学側はどのような努力をしてそうした場を形成しているのでしょうか?話をより具体的に理解するために、ブラウン大学のユニークな教育システムである、「オープン・カリキュラム」についてもご紹介します。

アメリカの大学におけるリベラル・アーツとは、特定の専攻分野に縛られずに幅広い教科を学ばせながら 、批判的に物事を考え、表現する力を高めていく学部教育のあり方のことを指します。入学以前から専攻を決めねばならないイギリスや日本の大学とは対照的に、アメリカの大学の学生が専攻を決めるのは入学から1、2年ほど後です。この時期に、学生は自分の興味の赴くまま、文系理系の区別なくクラスを履修し、最終的な専攻を選びます。ちなみに、リベラル・アーツというと日本の大学で実施されている教養課程を思い起こす方もいらっしゃると思いますが、これをいわゆる「一般教養」のための知識教育だと考えるのは誤りです。ここで重視されるのは、得られる知識ではなく、異なる学問に共通する批判的な考え方や自分の考えを伝えるコミュニケーション能力の涵養だからです。

このように、元来自由度の高いリベラル・アーツの中にあって、ブラウン大学は「オープン・カリキュラム」という学生の選択の幅がさらに広いシステムを採用しています。

共通の必修がなく、最終的に専攻ごとに指定される最小限の単位を履修すれば卒業できるため、自分の興味に応じて様々なクラスで学ぶことができます。さらには、教授や大学側と交渉すれば、自分の興味のあるクラスや、専攻さえも自由に作ることが許されているのです。「自らの教育の設計者たれ」(”Be architect of your education”)という教育方針を掲げるだけに、学生が主体的に求めさえすれば、どこまででも大学として応えようとする制度です。

 

自由な環境が生み出す一連のプロセス

これだけ自由で恵まれた環境にいれば、さぞかしのびのびとした学生生活を送っているのではないかと思うかもしれません。実際に2010年には、ブラウン大学は全米一学生の幸福度が高い大学にも選ばれています。

今年卒業した学生に話を聞いてみると、意外な言葉が返ってきました。

「自由で何でもできる分、最大限機会を活用できているかというプレッシャーは凄まじい。周りには自分のパッション(情熱)を見つけて成果を上げている人も多く、試行錯誤の毎日だ。」というのです。

幅広く可能性を模索し、自らの進むべき方向を考えて決断する。そして、自分の決断を思考錯誤しながら実行し、結果に対して責任をもつ。この探索から結果までの一連のプロセスを、先輩や教授、メンターのサポートのもとで経験していくのだと学生は語りました。与えられた自由そのものではなく、自由の結果として経験する一連のプロセスにこそ、この教育の醍醐味があるのです。

 

ここまで読んできた皆さんには、「人生そのものだって一種のオープン・カリキュラムなのだ」(”Life is an open curriculum”)という学長の言葉の意味をご理解頂けることでしょう。「模索→思考→決断→実行→結果→学習」というサイクルは、大学教育を超えた人生一般に通じる経験だからです。

 

「実学」は21世紀には実用的ではない!?

昨今、高等教育の現場では「実用的な高等教育」の必要性が度々取り上げられています。日本経済の停滞が続くなかで、就職に結びつきやすい、社会の需要に直接応える学生を輩出することが大学のプレッシャーになっています。

こうした風潮が強まるにつれ、専門分野や職業訓練に特化しないリベラル・アーツを実用からかけ離れた無駄な教育だとする批判も一部からは出てきているようです。確かに、国策として理系教育に力を入れ、ビジネスの即戦力を育てることを目的とした日本の教育者から見れば、リベラル・アーツ教育は必ずしも工学やコンピューターサイエンス、商学やビジネスの専門教育のように「実学」的ではないかもしれません。

しかし、教育者として私たちが忘れてはならないのは、専門知識も実務経験も、その時々の「一時的な社会の要請」にすぎないということです。世界レベルで見たビジネスや技術革新が目まぐるしく進歩しているように、知識や経験は常に陳腐化のリスクを孕んでいます。こうしたリスクを無視して、「今必要だからこれだけ勉強しておけ」とその時期の需要にのみ振り回されるのは危険な考え方です。また、トップレベルの学生への教育という観点からは、現状に適応するだけの卒業生を輩出しても、次の時代を定義していくイノベーティブな人材を育てられるかには疑問が残ります。

専門の技能や知識が安定したキャリアを保証するというのは20世紀的な考え方です。コンピューターが人の仕事を代替するようになり、世界規模で知識が日々アップデートされる21世紀に求められるのは、大学を離れても主体的に考え学び続ける能力ではないでしょうか。どんな詰め込みの「実学」も数年で使い物にならなくなってしまう現代において、「今必要な人材」を作れば作るほど、イノベーションを起こして未来を作る人材は不足するというジレンマに、日本の教育は陥ろうとしています。

 

21世紀の大学教育のあるべき姿

今回のブラウン大学の例は、大学教育一般の理想とするには過激すぎるという声もあるでしょう。日本でもアメリカでも現実問題として、中堅大学をはじめとする多くの大学が存続のために、卒業生の就職実績を重視し、職業訓練や実務研修に近いプログラムを実施していることも事実です。一方、アメリカのトップ大学に通う優秀な学生は、大学での知識教育はもとよりインターンシップなどを通した実務経験も高める努力をしています。学生の卒業直後の進路を考えれば、専門知識や職業経験を大学が重視することは間違いではありません。

しかし、未来を担う人材を育てるべき大学が、こうしたその場しのぎの技能や知識教育だけに特化するのは本末転倒です。

アメリカ式のリベラル・アーツを日本に移植するのは無理があるかもしれません。ですが、その根底にある、様々な分野の知恵に触れるなかで、自分で考え決断する「生き方の習慣」を身につけさせる教育姿勢から日本の大学が学べることは多いのではないでしょうか。卒業後の進路を支える知識・経験と一生を導く習慣を両立させることが、大学に求められているのです。

 

 

大人と若者の責任

文部科学教育通信No.365 2015.6.8掲載

アメリカ東海岸、ロードアイランド州に位置するブラウン大学は、世界屈指の大学として知られています。日本とのつながりも古く、慶應義塾大学を創設した福澤諭吉が蘭学塾であった慶應義塾を近代大学に改めるためにモデルとしたことでも有名です。この度、ブラウン大学で行われた2015年度の卒業式に参加する機会を得ました。今回はこの様子から見えてきた大学教育における大人と若者の関係について紹介します。

学長からのメッセージ 大人が大学生に求めるもの

世界中から数万人もの家族や友人、卒業生が集まり、3日間にわたり行われたお祭り騒ぎとは裏腹に、学長を始めとする見送る側の大人たちからのメッセージは、今日の世界への怒りと嘆きに満ちていました。アメリカの自由と民主主義の根本を揺らがせるファーガソンでの黒人による暴動、世界各地での過激な排外主義の高まり、グローバル化の結果広がる富の格差、人類の未来に暗雲を立ち込めさせる地球温暖化など、数え切れない深刻な問題を次々に指摘する様子は、めでたい門出の日に悪い話を避けようとする日本人には場違いに映ることでしょう。

それどころか、壇上で祝辞を述べる学長や教授たちは口を揃えて、その解決が卒業生たちに委ねられていることを強調します。自分たち大人世代が解決に挑みながらも失敗したことに触れながら、今度は参列する卒業生に世界で最も困難な課題の解決に人生を捧げる覚悟を求めていました。とりわけ、「問題を見つけるだけでは不十分だ」(”Problem-spotting is not enough”)というパクストン学長の言葉には、学生時代のように問題を見つけたり分析したりしてエッセイを書いているだけでは世界を変えることはできない、という強いメッセージが込められているように感じました。

日本語では「卒業」式と訳されるCommencement ですが、原語でのこのイベントの意味は「始まり」です。この式典は、世界有数のリベラルアーツを修了した学生を祝うだけではなく、その恵まれた教育に見合うだけの世界への貢献を求められる次のステップの「始まり」を告げるものでした。

卒業生のスピーチ「わからないこと」を許容できるか

卒業式では二人の学生が生徒を代表してスピーチをしました。 “I don’t know”と題された最初の答辞では、一年生の時に脳科学の教授が生徒の質問に「わからない」(”I don’t know”)と答える姿に衝撃を受けたエピソードを紹介しました。社会の大人一般はもちろんのこと、各分野の権威にとっても、世界は未だ解明されていない謎や解決方法がわからない問題にあふれていることを発見した、と彼女は言います。大学に入ったばかりの彼女には絶望的で、悪いことに思えた「わからない」ことは、実は学術的発見や問題解決の始まりであったと気づいたのです。

そして数年後、移民に関わる法律事務所でインターンをしていた彼女は、重篤な病を抱えて満足な治療の望めないアフリカの出身国に強制送還されそうになっているクライアントに出会います。 上司でさえも「どうすればよいかわからない」と匙を投げた案件を「今はわからないけど、なんとか方法を見出します」と説得して引き受け、世界中に散らばるブラウン大学のネットワークを駆使して解決したそうです。「わからない」という不安な状況を受け入れ、上司を説得してまで自分の解決すべきだと信じる問題に取り組む姿は、まさしくアントレプレナーそのものでした。

4年間の大学生活を通して着実に成長する彼女に感動すると同時に、その道のりで多くの大人たちが手を差し伸べ、「わからない」という彼女の声にも真摯に耳を傾けてきた事実は私にとっては感慨深いものでした。「わからないけど、絶対にやるべきだ」、ほとんどの大人なら若者のナイーブな理想主義だと相手にもしないであろう意見を尊重し、才能ある学生への協力を惜しまない彼女の上司やブラウン大学のコミュニティーに強い印象を受けました。

これは、若者だから何でもかんでもやらせてみようという放任主義とも違っています。問題の重要さと本人の問題解決にかける情熱を見た上で、若いからこそ生まれるかもしれない可能性を信じる。「自分にはできないかもしれないけど任せてみよう」と寛容な姿勢で、大人たちが自分たちにできる協力をしてきたからこそ、彼女は自信を持って困難な問題に挑戦できたのではないでしょうか?「若者が未来を担わなければならない」などと言いながら、「近頃の若者は」といって実際のエンパワーメントをためらいがちな私たち大人にも学ぶことがあるかもしれません。

卒業生のスピーチ コミットメントのあり方

二人目の学生は、高校時代から憧れだったブラウン大学へ入学した時から、自分の「母校愛」(”School Spirit”)が変化していったかをユーモアを交えて語っていました。入学当初は買ってもらった大学の名前入りのパーカーを着て「ブラウンらしさ」を感じていた彼ですが、高校生向けのキャンパスツアーガイドをしている中で、ブラウン生にとっての本当の愛校心は「大学をよりよくしてしまうくらいブラウンが大好きになること」(”love Brown enough to make it better”)であることに気付きます。全米で最もクラス選択が自由な大学として知られ、「自らの教育の設計者たれ」(”Be architect of your education”)をモットーとする今日のブラウン大学の学部教育も、もとは一人の学生が古典的な大学の教育方針に異議を唱えたのが始まりでした。そうした自由と責任を重視する伝統にも触れながら、この生徒は何にもましてコミットメントが大切だと結論付けます。恵まれた環境にいるからこそ、その場をより良く変える責任があり、そのためには不安を恐れず労力を惜しまない姿勢が真のブラウン精神だというのです。

一人目の学生の話が大学時代の実体験に裏付けられていたように、彼もまた自由と責任で4年間のカリキュラムを過ごしてきた自信が滲んでいます。18歳にして自分の学部教育をデザインできるという圧倒的な自由を与えられながら、同時に自分の選択の結果に責任を持つという、自由、決断、責任のサイクルを体験してきたからこその言葉だと感じました。

社会的なインパクトが注目される今、「日本が好きだ」「社会変革に興味がある」といったことをしばしば耳にします。大学教育でもこうした「思い」の重視が叫ばれますが、「好き」や「興味」を前提に、行動の責任が伴っているのか、そもそもそのための決断をしているのか、コミットメントが割かれているのか問うてみることは彼らの可能性を次のレベルへと引き上げることにつながるのではないでしょうか。

対等な責任に基づくエンパワーメント

今回の記事では米国ブラウン大学の卒業式を例に、「大人」と「若者」の関係について紹介してきました。卒業式という門出を前に、 大人たちは自らの世代が解決できていない困難な課題に言及し、世界で最も恵まれた教育を享けた卒業生たちにも解決策を求めます。一方で、大人たちも若者たちの野心的な試みに手を差し伸べることで責任を果たします。解決策が「わからない」のは大人も若者も同じだという共通認識のもと、大人も若者もそれぞれが責任を負うことを確認しています。

この日までの4年間、大学生は困難な課題や「わからない」ことへの不安に負けずに「なすべき」ことを実現する練習を重ねます。数多くの可能性の中から自分の領域を選択し、そこへコミットしていくことを次第に求められる決断と自己責任の世界です。大人が若者の可能性を信じてエンパワーする責任をもつ一方、若者もその分の貢献を求められる対等な責任関係は、大学入学当初から始まっているのです。

2030年 未来の社会・教育シナリオ

文部科学教育通信No.364 2015.5.25掲載

未来教育会議は、未来の社会、未来の人、未来の教育をマルチステイクホルダーで共に考え、豊かな現実を創造していくためのプロジェクトです。2014年3月に、博報堂、教育と探求社、慶応大学システム・デザイン研究所ソーシャルデザインセンターとともに立ち上げました。

初年度は、国内外40カ所のスタディツアーを行い、今、教育に何が起きているのかを学びました。国内では、新たな教育に挑戦している学校や、教育課題に取り組むNPOの現場視察を行い、文科省をはじめとする教育行政に関わる方々へのインタビューを行いました。教育再生会議のメンバーや、大学の研究者にもお話を伺いました。海外では、世界一子どもが幸せな国オランダと、世界一大人が幸せな国デンマークにも、視察に行きました。 国内外のスタディツアーから明らかになったことを踏まえて、議論を重ねた末、「未来の社会・教育シナリオ」が完成しました。

今回は、未来教育会議が作成した 2030年 社会と教育の3つのシナリオ(資料1)をご紹介します。

2030年 社会と教育の3つのシナリオ

「2030年 未来の社会・教育シナリオ」

シナリオ① 21世紀型スキルを画一的に学ぶ学校(資料2)

 

21世紀スキル教育への進化が唱えられているが、その実施は画一的、マニュアル的に展開する。

20世紀の価値観を前提に、21世紀スキル教育を行うため、本来21世紀に求められる教育へのシフトは、実質的には実現していない。

一部の優良校において本格的な21世紀型の教育改革が進み、教育格差はますます深刻な問題となる。

世界の多くの国々では、新興国や途上国も含めて、21世紀型教育へのシフトが進み、日本企業のみならず、日本の若者のガラパコス状態は、深刻な事態になる。

技術革新が進み、多くの仕事が、人から機械に取って代わる中、創造性や問題解決力のない20世紀人材の多くは、就職が困難な状態となる。

シナリオ②地域と繋がり学ぶ学校(資料3)

地域の人口減少と学校閉鎖の危機感が合致し変革の力に昇華する。地域作りと、教育の連携が進み、本質的なコミュニティスクールの学校が増えている。

都市部においては、大企業を中心とした既存の経済システムも限界に来ている。

このため、地方で子育てをする若い夫婦が増え、地域の活性化が進む。

地域のあり方と、教育のビジョンの議論を成熟させた自治体を中心に、学校と地域の連携を本格的に図る動きが活発化。教育は、学校にまかされるものではなく、家庭と学校と地域とでホーリスティクに行われるという考え方に変化していく。子どもたちは、家庭、学校、地域による連携のとれた教育環境の中で、のびのびと、21世紀スキルを習得する。

地域経済の活性化への期待が、起業家精神を奨励し、事業創造により新たな雇用創出に繋がる。子育て世代は、地域経済を活性化する原動力となる。

シナリオ③ (資料4) 社会と一緒に学ぶ学校

 

学校+家庭+地域+民間企業による教育へと、学校のオープン化が進んでいる。

公教育の21世紀モデルへの転換が進み、経済格差による教育格差はない。

管理型、マニュアル型教育を手放した学校では、子どもたちの主体性が開花する。多様な才能を評価する価値観が根付き、子どもたちの自己肯定感と学ぶ意欲は高まる。学習と人生の目的が結びつき、「なぜ学ぶのか」に、子どもたちは答えられる。

社会の流動性が進み、大人の学び直しも活発になり、生涯学習環境も整う。

日本企業も、21世紀モデルへの転換が進み、イノベーションによる高付加価値戦略を通して、持続可能な成長を実現する。21世紀スキルを持つ人々で溢れる社会では、社会のイノベーション力も高まる。

人々が自己を活かす社会では、多様な生き方が歓迎され、同時に、個人は、共生社会を実現するために責任を持つ。

言うまでもなく、私たちの願いは、シナリオ③を実現することです。21世紀スキルという言葉が1人歩きしていますが、21世紀に最も大切なことは、20世紀の価値観を手放すことです。工業化社会の担い手を創る教育から、イノベーションを実現する人を育てる教育にシフトするために、社会も変わる必要があります。持続可能な成長と、多様な人々が幸せに共生出来る社会を実現するために、教育に今、何が求められるのかを一緒に考えて行きたいと思います。シナリオの詳細は、HP (http://miraikk.jp/cat-03/1472)をご覧下さい。

 

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昭和女子大学キャリアカレッジの女性支援

文部科学教育通信No.363 20115.5.11

昭和女子大学キャリアカレッジでは、社会で活躍する女性を応援する取り組みを行っています。

2014年に、安倍総理大臣が発表した2020年30%(2020年までに女性管理職比率30%)に向けて、多くの企業でダイバーシティ推進の取り組みが進む中で、ステップアップを目指す女性や、組織の枠の外で活躍することを考え起業する女性を応援するための取り組みです。

 

時代の変化

私自身は、男女雇用機会均等法が導入された頃に社会人としての人生を始めたので、若い女性を応援することに、とてもやりがいを感じつつ、社会というのは、無責任なものだと思います。私が20代の頃には、女性はクリスマスケーキに例えられ、24歳までに結婚することをすべての上司から強く勧められました。今なら、セクハラですが、当時は、そのような言葉もありません。子どもが生まれてからは、「お母さんが働いていて子どもがまともに育つのか」という冷たい攻撃にも会いました。ところが、30年たつとどうでしょうか。国の総理大臣が、女性が働くこと、子どもを産み育てることを女性に進める時代になりました。そして、多く女性たちは、突然の変化に戸惑いを感じています。そんな女性達に、私は、自己責任で、自分の人生の選択をすることを大切にするように伝えています。女性の場合、キャリアと結婚や出産というライフイベントのバランスを上手く取る工夫が、男性以上に重要であることは、今も変わりありません。

 

欧米の女性たち

欧米では、女性も、キャリアと結婚の両面から明確なビジョンを持ち、若いうちから行動しています。例えば、イギリスでは、弁護士、医者、聖職者などの資格を持つことで、キャリアを開発する女性が多いそうです。私も、MBAですが、MBAなどは、常に、結果を出すことが迫られ、ワークライフバランスが取りにくいので、人気がないそうです。また、弁護士でも、M&Aなどの企業弁護士はスピードが求められるため、民事訴訟の弁護士を選び、医者であれば、外科医ではなく内科医を選ぶというのです。こんな風に、働き続けるために、しっかりと計画を立てているという話です。アメリカの女性には、成功を望むのなら、あなたの成功を恐怖に感じる男性は、結婚相手に選ばないようにとアドバイスをもらいました。また、バーバードビジネススクールを卒業後、大手会計事務所でパートナーになった友人のご主人は、ビジネススクールの同級生なのですが、彼を選んだ理由は、学年で最も女性のキャリアに理解のある男性だと思ったからと言われてびっくりです。実際、彼女は、子育てをしながら、在宅勤務なども経て、パートナーに昇格していますが、ある時期、ご主人が、仕事をやめ育児に専念していたこともあります。

 

働き方の変化

女性の社会進出や、女性管理職の登用が、日本において当たり前になる時代が、もうすぐやってきます。その過程で、家庭における男性の役割が変わり、子育てに対する社会の支援の在り方が変わり、そして、企業における働き方が変わっていくことが予想されます。

昭和女子大学キャリアカレッジでは、こうした企業の変化も、支援していこうと考え、21世紀の企業の在り方や働き方についての勉強会も、近く始める予定です。教育視察で、オランダを何度か訪問する機会があり、ワークシェアをしている先生や、校長先生にお会いすることがあります。担任の先生や、校長先生を、2人がペアになり担当しています。校長先生にお話を伺った所、週3日勤務で2人とも働き、1日だけは、いっしょに勤務し、そこで情報共有を行うのだそうです。2人とも、30代でお子さんが小さいというのが理由です。特に難しそうでも、大変そうでもなく、普通のことのようにワークシェアを行っている様子に驚きました。その話を、オランダで支社長をされていたある日本企業の経営者にお話ししたところ、自分も、人事部長がワークシェアを希望すると言われた時、日本なら、「何を考えているんだ」と言うところ、オランダでは、その要求を受けるしかなかったけれど、実際、ワークシェアを始めても、何も支障がなかったことに驚いたというお話を伺いました。日本の企業においても、そう遠くない時代に、このような変化が実現するのだろうと思うと、これからがとても楽しみです。

 

現実

現実に目を向けると多くの企業において、それほどダイナミックな変化は起きていません。女性活躍促進の第一の波は、2006年にありました。当時、多くの金融機関を中心に、人口の低下に伴う労働人口の不足を予測し、女性の登用が積極的に進められました。当時、女性活躍促進は、小さなブームになっていました。しかし、残念ながら、2008年のリーマンショックで、多くの企業が、その取り組みをやめました。そして、2014年の安倍総理の2020年30%発言により、再び、企業の取り組みにエンジンがかかり始めました。今回は、特に、経団連に名を連ねた企業において、経営者自らが旗振り役となり、その取り組みを推進しています。しかし、残念ながら、組織全体に目を向けますと、女性活躍を加速させようという強いエネルギーを感じることができる企業は、それほど多くはありません。女性達も、突然の経営トップからの期待に驚き、戸惑いを感じているという状態です。

 

そんな中で、表(参照)を書いてみて、私の心が定まりました。2014年に新入社員として企業に勤め始めた女性は、間違いなく、時代の空気を感じています。彼らの多くは、共働きの人生を歩むでしょう。オリンピックの年である2020年に、彼女たちは28歳になり、2030年には、38歳になります。労働人口が減少する中、持続可能な発展を遂げる企業において、おそらく、2030年には、女性と男性が当たり前のように、いっしょに働いている時代が来るのではないかと思います。すでに、家庭における女性と男性の役割には、変化が見られます。男性のクッキング本も大人気の時代、もはや、厨房に入れない男性はいません。

 

ジェンダーギャプレポート104位の国 ジャパン

ジェンダーギャップレポート104位の日本。女性が、政治や経済活動に参画していないことがその理由です。健康や教育では、男女の差がないというのは、とてもありがたいことですが、女性が、この国の意思決定にまったく参画していないという現状を、変える必要があると感じます。GDPにおける日本の教育費が、OECD平均以下であるという現実が、長年変えられないのも、女性が、その意思決定に参加できていないからなのではないかと思うことがあります。子どもや生活者の視点が、この国の形を創る際に、もう少し取り込めると、より多くの人々が、不安を感じることなく暮らせるのではないかとも思います。そう考えると、女性の活躍促進は、日本の未来にとって、とても重要な役割を果たすのではないかと思います。

 

昭和女子大学の学長坂東眞理子先生のリーダーシップの元、キャリアカレッジ学院長として、女性の支援を通して、日本の未来に貢献したいと思います。

 

 

 

未来教育会議シンポジウム2015

文部科学教育通信NO.362 2015.4.27掲載

未来教育会議シンポジウムを、3月7日に、慶應大学日吉キャンパスの会場をお借りして実施致しました。未来教育会議は、2014年3月に発足し、1年間の活動を終えたところです。

未来教育会議は、4つのビジョンを掲げ、活動して参りました。

  • 自立と共生が実現し、すべての人が自分を幸せにすることができる社会をつくる

  • 主体的に考え、相互に関わり合い、問題解決できる力を持つ人を育てる

  • 教育に関する柔軟性や自由さが担保されている社会をつくる

  • 学校、家庭、地域、企業が共創して教育に関わり合う社会をつくる

    なぜ、未来教育会議を始めたか。その前提には、このような課題認識がありました。
    教育に関わる総ての人々は、一生懸命目の前の子どもたちのために教育に取り組んでいるにもかかわらず、期待する成果に繋がっていません。

    目指す社会のイメージがバラバラ
    課題には対処療法で当たり
    教育現場への指示や負荷が増え
    教育システムはより複雑になり
    子どもたちへの負荷が拡大し
    何よりも残念なのは、子どもたちが本来の力を開花することを阻害される状況がある。
     このような状態の中、社会の教育への不信感も高まっています。

    未来教育会議は、マルチステイクホルダーが信頼関係を構築し、ビジョンを共有することが不可欠であると考えました。ビジョンを形成する上で、3つの問いに対する答えを持つことが大切であると考えました。3つの問いとは、未来の社会の姿、その社会が求める人材像、そして、それを実現する教育についてです。

    なぜ、教育が変わらなければならないのか

    OECDは、2002年に21世紀の教育について、その考えを発表しています。グローバル時代の今日、世界中の国々が教育を考える上で、OECDの教育観を、ガイドラインとして活用しています。日本には、学習指導要領という独自のガイドラインがありますが、その中にもOECDの考え方が盛り込まれています。

    OECDは、目指す社会の姿を大きく2つ掲げています。21世紀は、持続可能な成長を実現することが求められます。グローバル化する社会の中で、多様な人々が安心して共生できる民主的な社会を実現することが求められます。

    子どもたちが直面するであろうチャレンジについても、4つ挙げています。
     ・技術革新に対応すること
     ・溢れる情報を取捨選択すること
     ・経済成長と地球環境の保護という二つの矛盾する目的を達成しなければならないこと
     ・豊かさの追求と、貧困や富の格差の是正を同時に考えること

    これらのチャレンジは、20世紀にはないものでした。このような新たなチャレンジに直面している子どもたちが、社会に出て困らない教育を実現することが大切だと言っています

    2000年にOECDが発表したPISAテストの報告書の序文のタイトルは、「人生の準備は万全か」です。

    『若い成人が未来の挑戦に対処するために、果たして充分な準備ができているだろうか。彼らは分析し、推論し、自分の考えを意思疎通できるだろうか。彼らは生涯を通しての学習を継続できる能力を身につけているだろうか。父母、生徒、広く国民、そして教育システムを運用する人々は、こうした疑問に対して解答を知っておく必要がある。』

    OECDが定義する21世紀を幸せに生きる力の中で、これまでの学校教育の領域についての記載は全体の9分の1、それ以外はすべて新しい領域です。教科学習以外に、技術革新への対応、創造的問題解決力、多様な人々と共生する力、自律的に生きる力などが含まれます。これまでは、受験勉強を中心とした教育(学校)の社会で通用する力を身に付けることが、教育の目的でしたが、これからは、本当の社会で通用する力を付けることが人生の準備として大切であるということです。その力を付けるためには、社会と学校が協力をして子どもたちの学習環境を作る必要があると考えます。

    日本の教育について

    日本の教育は、世界で大変高い評価を得ています。
    日本は、戦後26年でドイツを抜き世界第2の経済大国になりました。その背景には、日本の教育力があります。工業化社会を支える画一性、勤勉さ、高い情報処理能力、組織行動や従順な人々。
    これらは、すべて日本の教育が大切にしてきたものです。このような教育は、今日でも、世界で高い評価を得ています。厚い中間層を創る日本の教育は、途上国における最高の教育モデルなのです。

    ここからは、少し耳に痛いお話です。日本の教育で育った前例を踏襲する力を持つ人々は、社会を硬直化させていきます。その結果、社会も教育もガラパゴスに発展していきます。今、私たちの前には2つの選択肢があります。このままの延長線での未来を選ぶのか、パラダイムシフトを実現させるのか。未来教育会議は、成熟した社会とその社会を実現する教育モデルへのシフトを願っています。

    では、どうすれば教育のパラダイムシフトを起こすことができるのでしょうか。私たちは、国内外40カ所のスタディツアーを行い、教育の未来について真剣に考えました。その過程で明らかになったことは、社会・企業と教育が、双子であるということです。20世紀の教育は画一性を重要視しています。
    成績評価や偏差値は、数値で測れる物差しです。企業における測定可能なゴールや説明責任と似ています。学習指導要領と教科書は、全国一律のマニュアルのようなものです。教師と生徒の主従関係は、上司と部下の関係です。上司の前で、賢い部下は本心を語りません。教育は、「社会や企業が大切にしていること」を投影しています。社会と企業は、鶏と卵の関係です。

    学校に通う子どもと親の「成功」の定義も、20世紀型のままです。子どもの持つ多様な才能よりも、大学受験の成功、大企業への就職を優先してしまう親や大人たちは、今日においても20世紀の価値観を踏襲しています。
    そして、少子高齢化社会では、20世紀の教育を受けた大人が、社会創りにおいても20世紀の価値観を踏襲します。年功序列の社会である上に、人口比率においてもマイノリティである子どもたちは、日本では社会への発言権もありません。
    子どもたちが、21世紀という時代を幸せに生きる力を身につけるためには、私たち大人が21世紀の社会を創る必要があるのです。

    一つ事例をご紹介しましょう。正解がなく、変化の激しい21世紀を幸せに生きる力の要が、リフレクション(内省力)であるといわれています。自分の考えを持ち、行動し、その行動と結果を振り返り、次の行動を行うことが、とても大切だからです。

    オランダでは、4歳の子どもがリフレクションを行っていました。

    過去3ヶ月を振り返り、最も誇りに思うワークは何か?
    なぜ、そのワークを誇りに思うのか?
    一番苦労したことは何か?
    次に同様のワークに取り組むときには、何を変えるのか?
    普通の先生と子どもが、自然にこのリフレクションを行っていました。
    これが、21世紀の社会と教育の姿です。

    日本でも、新しい学力観が導入され、成績だけではなく、そこに向かう生徒の関心や意欲を大切にするという考え方が導入されました。しかし、その運用は20世紀のスタイルのままです。生徒は先生の期待に応え、先生がそれを評価するという仕組みに発展しました。先生の評価は高校受験の内申書に反映しますから、もちろん数値化しなければなりません。授業中に何回手を挙げたのかなどが評価の対象となりました。学力だけでなく、興味関心態度まで成績のために頑張る大切さを子どもに教える結果となりました。20世紀の社会のままでは、21世紀の教育は実現しないのです。

    社会が変われば、教育が変わるという意味をご理解いただけましたでしょうか。教育に直接携わっていない人たちも、21世紀の社会創りに貢献することで、教育を変えることが可能です。だから私たち1人ひとりにできることがあると思います。

     

問題解決に向けた対話の力を身につける②

文部科学教育通信No.361 2015.4.13掲載

 自分の感情を認識し、言葉で伝える。相手の感情を受け止めるためのレッスン

前回、他者の気持ちを理解するためには、まず自分の気持ちを知り、言葉で伝えることができるようになる必要があると述べました。

自分の気持ちを認識することや言葉で伝えることが得意な人とそうでない人がいます。日頃から自分の感情に意識を向けていると、「今、どんな気持ちか?」と聞かれた時に答えられるかもしれませんが、そう簡単なことではないと思います。特に感情を押し殺して生活していると、心の機微に気が付きにくいものです。

ピースフルスクールでは、子どもの頃から自分の感情を認識して言葉で伝える練習を行っていますが、これは大人である我々にも必要なトレーニングだと思います。

以下の2つの質問について、それぞれ2分ほど考えてみましょう。

  1. 最近の最も嬉しい・楽しい・わくわくした出来事を思い出してください。
    それはどのような出来事でしたか。
    その時の気持ちはどうでしたか。

  2. 最近の最も悲しい・悔しい・頭に来た出来事を思い出してください。
    それはどのような出来事でしたか。
    その時の気持ちはどうでしたか。

 

いかがでしたか。大人向けのプログラムでは必ずこのワークを行うのですが、すぐに出来事や気持ちを言語化できる人と、なかなか思い浮かばない人がいます。一週間の終わりに、このことについて少し考える時間を持つだけでも、感情を認識する力を高めることができます。

 

対立を乗り越える対話の経験

続いては、対立を乗り越える対話の練習を行いました。

対話とはどのような話し合いのことなのでしょうか。対話の図をご覧ください。

講義形式で一方的に話をしている状態は、全体に対して過去の情報を共有しているにすぎないので、現状維持にとどまります。

意見と根拠を主張し合い、自分の意見の正しさを証明するディベートは、個々に働きかけますが、そこから何かを生み出すわけではないので、こちらも現状維持にすぎません。

対話とは、内省と共感のある話し合いのことを指します。個々に働きかけ、未来を変える可能性があります。

対話がさらに進化すると、目的に向かい、無から有が生まれる話し合いができるようになります。この時、話し合いのメンバーの脳が一つになる感覚で、全員で未来を変えることができるのです。

対立を乗り越える対話は、内省と共感のある話し合いであると述べましたが、具体的には以下のように進みます。

 

  1. 意見を伝える、聞く
    ある問いに対して自分の意見を持ち、相手に意見とその根拠を伝えます。相手の意見にも耳を傾けます。

  2. 内省する
    相手の意見を聞いた今、改めてなぜ自分はその意見なのか、その意見を持つ背景にどのような体験があるのかを考えます。

  3. 共感する、学習する
    なぜ相手がそう思うのか、その意見を持つ背景にどのような体験があるのかを考えます。自分と異なる意見であっても、その意見を持つに至った過去の経験や根拠を知ることで、相手に共感することができ、自分にはない世界を知ることができます。

  4. 価値観(大切にしていること)を洗い出す
    その意見を持つに至った背景や前提に、どのような経験があるのかを考え、自分の価値観を洗い出します。

  5. 意思決定の目的を明確にする
    対話の目的、つまり意思決定の目的を明確にします。この目的を相手と共有することができると、意思決定がスムーズに進みます。

  6. 目的にあわせて、評価軸を評価する
    目的にあわせて、対話している相手と大切にしたい評価軸を明らかにします。

  7. 意思決定をする
    目的に対する最良の解決策を決めます。

           

1~7までのステップを型として身につけると、日常生活でも自然と対立を乗り越える対話ができるようになります。

今回、大人向けにワークショップでは、以下の問いについて話し合いました。

 

あなた(高校生の親として)は、以下のガイドラインに、賛成か反対どちらでしょうか。

無料通話アプリ「LINE」などによる未成年のトラブルが相次ぐ中、県立高校PTA連合会と校長会が今月、生徒のスマートフォン・携帯電話の利用自粛を促すガイドラインを下記のように設けた。 

「午後9時から翌朝6時までは、原則として使用しない」

 

今回は10名でワークを行いました。

まずは、自分の意見を持つところからスタートします。問いについて考え、「賛成・反対・わからない」に分かれます。分かれた後、同じ意見を持っている人同士で、その意見に至った根拠や事例について話します。この時、同じ「賛成」を選んだ人でも、根拠が異なることを知ります。よく会社などでの議論では、意見のみ伝えて根拠や背景について触れることはあまりありません。そのため、誤解が生じたり、「あの人はああだから」といった具合に勝手に話が広がってしまいます。

その後、「賛成・反対・わからない」の意見を持つ人がそれぞれ揃うようにグループに分かれ、改めて自分の意見とその根拠、事例について話します。

一通りメンバーの意見を聞いた後は、自分がなぜその意見を持つに至ったのかを内省します。大切にしている価値観やその意見の背景・前提にどのような経験があるのかを深く考えていきます。

その後、メンバーに内省を通してわかったことを伝えます。この過程を経ることで、異なる意見を持っている人であっても、大切にしていることが実は似ていたり、相手に共感することができます。

安心してそれぞれの思いを伝えあうことが目的の場合はここで対話を終えてもいいのですが、問題を解決し、意思決定を行うことを目指す対話では、ここからが重要な局面です。

内省の問いをお互いに話すことを通して、メンバーが大切にしたいと思っている価値観が明らかになります。

その後、意思決定の目的を明確にします。何のために話し合っているのか、何を大事にすべきなのか。メンバー全員が合意できるまで話し合います。

明らかになった目的にあわせて、どのように意思決定をするかを決めます。

ここまで話し合うと、相互理解も進み、当初の意見が通らなくとも、みんなで決めたことにコミットしようという気持ちになります。自分では思いつかなかった結果が生まれていることもあります。

このような問題解決に向けた対話を仕事や日常生活で意識して行うと、多様な意見や対立を恐れることなく合意形成できるようになります。

まずは型を身につけるところから始めてみてはいかがでしょうか。型が身に着くと、より自然と問題解決に向けた対話ができるようになると思います。

問題解決に向けた対話の力を身につける

文部科学教育通信No.360 2015.3.23掲載

ここ数年、日本全国で様々な「対話」の場が設けられ、安心して自分の気持ちや考えを話せる場、ありのままの自分でいることが許される場をつくる「対話」が普及してきました。

このように、安心してそれぞれの思いを伝えあうことが目的の場合は良いのですが、対話にはより大きな可能性-社会の様々な問題解決に直接寄与し、民主的な社会を実現できる可能性-があると考えています。

そのためには、「対立は対話を通して乗り越えられる」という価値観と対話方法を身につけることが大事です。

2013年より、日本ファシリテーション協会のメンバーと共に、大人向けのワークショップを開発しています。2014年には関東・中部・関西でパイロットプログラムを実施しました。その内容を改めて見つめ直し、より日常生活で使えるスキルを身につけることに重きを置いたプログラムを再開発いたしました。

この「問題解決に向けて対話を深めよう ~オランダの小学生のファシリテーション事例を通して~」と題したプログラムについて、2回にわたってご紹介いたします。

 

プログラムの狙い

冒頭でも示した通り、対話には問題を解決する力があると考えています。

様々なニーズを抱えた個人のいる社会において、自分の考えばかりを強く主張する、自分の意見を全く言えない、人と意見を分けられずに人格否定に走ってしまうことで相互理解が進まず、問題が根深くなるケースが頻発していることに危機感を覚え、何とかならないものかと考えてまいりました。

お互いがオープンに話し合って問題を解決していくことのできる民主的な社会を実現するためには、どうしたら良いのか。

問題が起きていても見て見ぬふりをしてやり過ごす、誰かのせいにして責任を逃れるのではなく、きちんと解決して前進するためには、何が必要なのか。

何度も議論を重ねることで、対立は対話を通して乗り越えられるという価値観と対話方法を身につけることが必要だという考えにいたりました。

大人である我々がこの力を身につけて実践することで、今起きている様々な問題を解決することにつながるのではないか。

このような思いと狙いでプログラムの開発がスタートしました。

 

プログラムの構成

価値観と対話方法を身につけることが狙いであると記しましたが、そのためにはいくつか知っておくべきことがあると考えています。

対話の方法だけを学んでも、なぜそれが必要なのか、どのように使うのかを理解しなくては、知識だけで止まってしまいます。

プログラムの構成は以下の通りです。

 

  1. 21世紀の教育とピースフルスクールプログラム

  2. ベースとなるスキルの紹介
    ‐感情と共感
    ‐小学生のファシリテーション

  3. 対立を乗り越える対話の経験

  4. 振り返り(リフレクション)

 

21世紀の教育とピースフルスクールプログラム

なぜ問題解決に向かう対話が必要なのでしょうか。

変化・複雑・相互依存の時代だと言われる21世紀において、OECDは以下の教育目標を掲げています。

 

  • 持続可能な成長を実現する社会を創る人々を育てる

  • 多様な人々が安心して共生できる民主的な社会を実現する人々を育てる

 

このように、持続可能・成長・民主的な社会という、一見相反する事柄を実現できる人間を育てる必要があるとOECDは定義しています。

そのため、子どもたちは様々なチャレンジを強いられています。

技術革新に対応すること・あふれる情報を取捨選択すること・経済成長と地球環境の保護という二つの矛盾する目的を達成しなければならないこと・豊かさの追求と、貧困や富の格差の是正を同時に考えること。

これらのことにチャレンジするために必要な力として、OECDは3つのキーコンピテンシーカテゴリーを定めています。

 カテゴリー1:相互作用的に道具を用いる
言語・シンボル・テクスト、知識や情報、技術を相互作用的に用いる能力が求められます。これらの能力が必要な理由は、技術を最新のものにし続けること、自分の目的に道具をあわせること、世界と活発な対話をすることが挙げられます。

  • カテゴリー2:異質な集団で交流する
    他人といい関係をつくる、協力する、争いを処理し解決する能力が求められます。これらの能力が必要な理由は、多元的社会の多様性に対応すること、思いやりの重要性に気づくこと、社会的資本の重要性に気づくことが挙げられます。

  • カテゴリー3:自律的に活動する
    大きな展望の中で活動する、人生計画や個人的プログラムを設計し実行する、自らの権利・利害・限界やニーズを表明する能力が求められます。これらの能力が必要な理由は、複雑な社会で自分のアイデンティティを実現し、目標を設定すること、権利を行使して責任を取ること、自分の環境を理解してその働きを知ることが挙げられます。

 

これら全ての力を大人になる前に身につける必要がありますが、学校や家庭など、一つの場所で実施することは難しいので、子どもが存在する様々な所で共通して実践することが大切であると考えます。

そのために、共通のビジョンを持ち、一貫した取り組みを行うことが必要です。

ここでもピースフルスクールプログラムが役立ちます。

このプログラムは、民主的な社会の実現に向けて、上記のコンピテンシーで定義されている力を身につけることができます。

民主的な社会とは、多様な人々が安心して幸せに共生することができる社会のことを指します。

真の民主性とは、何に基づいていると考えますか。

様々な人々が共生する社会。それぞれの人は、経験してきたことや信じていること、大切に思っていることが異なります。そのような中で、意見が異なり、対立することは当たり前のことです。

真の民主性とは、対立に基づくのです。この対立をいじめや戦争に発展させたり、見て見ぬふりをして避けては、民主的な社会とは言えません。

民主的な社会を実現するためには、自立(主体性)と共生のこころを育てることが必要だと考えます。

ピースフルスクールプログラムでは、自立(主体性)と共生のこころを育み、対立を話し合いで解決する力を身につけます。

自立(主体性)とは、自分の意見を持ち、相手にきちんと伝えること、人の意見に対して反対の意見を持つことは悪いことでないと認識すること、人と意見を分けて考えること。共生は、対立は意見が異なるために発生するものであり、あって当然のものであると認識し、話し合いで解決することが大前提となります。

子どもたちが学んでいるプログラムではありますが、これは大人にとっても必要です。

問題を解決し、民主的な社会を実現するためには、それぞれの人が自立と共生のこころを持っていなくてはならないのです。

 

感情と共感

自立と共生のこころを持ち、対立している相手と話し合いで問題を解決する際に必要となってくるのが、他者の気持ちを理解することです。

日本の教育では、これが大事なことであると子どもたちに教えていますが、この部分だけを取り出して教えても、本当に相手の気持ちを理解し、尊重できるようにはなりません。

他者の気持ちを理解するためには、まず自分の気持ちを知り、言葉で伝えることができるようになることが大切です。そして、誰かと対立した時に、怒りの気持ちをコントロールできるようになることも必要です。

次回、この力を大人である私たちが身につけるためにできることからご紹介したいと思います。

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