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多様性の尊重とMBTI

文部科学教育通信 No.302 2012-10-22に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑭をご紹介します。

グローバル社会になり、多様性を尊重することの重要性が盛んに謳われるようになりました。人々が、お互いの違いを尊重し、多様な人々が安心して存在することができる社会の実現を目指そうという掛け声です。一方で、工業化社会の教育は、画一性の優位性を教えこんできました。その結果、日本人の多くは、学校や社会が求める画一性的な物差しに合わせて、優劣をつける思考の習慣を身につけています。このような教育を受けた日本人にとって、実は、多様性を尊重するという概念を、深く理解することは、とても難しいことです。

私が、多様性の尊重の重要性を知ったのは、米国NY州の田舎町に留学していた16歳の時です。当時は、ソニー製品が脚光を浴び始めたころでしたが、田舎町では、中国と日本の区別もつかない人も多く、初めて見る黄色人種として子どもたちに石を投げられる日本人留学生もいました。その話を聞いて、差別はいけないと思いましたし、自分は、多様性を尊重する人になりたいと思いました。しかし、本当の意味で、多様性の尊重を理解できるようになるには、それから20年もかかりました。

 

グローバル時代における多様性の尊重

多様性の尊重について、日本では、2つの大きな誤解があるように思います。

「あなたは、私とはこんなに違うところがありますね。それでも、あなたの存在を認めます。」これが、多様性の尊重であると思っている多くの人々がいます。以前の私も、同様に考えていました。しかし、実は、これは、本当の意味での多様性の尊重ではありません。なぜなら、私という物差しを軸に、相手を見ているからです。多様性を尊重するためには、自分も、多様性の一部として捉え、自分と他者の違いに目を向けるのではなく、自分と他者の存在を合わせて、多様性を俯瞰して捉えることを言います。自分にとって違和感のあることは、他者からも違和感を持つことがらです。その違和感は双方向のものであり、その両者が多様性の一部なのです。

多様性を尊重するということを、他者を尊重することと考えている多くの日本人がいます。話し合いの場において、異なる意見を持っていても、その場に出さないで、他者の意見を尊重することで、調和を保とうと考える人々です。 これも、多様性の尊重としては、正しい姿ではありません。自分も主張するし、他者も主張する、そして、対話を通じて合意形成が実現できるというのが、多様性を尊重する話し合いの姿です。創造的な問題解決は、こうした対話を通してはじめて可能になるのです。南アフリカが、1991年、アパルトヘイトから民主化に移行することができたのは、そこに存在した黒人や白人のリーダーたちが、対立を超えて、お互いの存在を認め合い、南アフリカの未来についての対話を実現することができたからです。

 

MBTI

自分も多様性の一部であるという多様性を俯瞰的にとらえる力を身に着けるために、私が活用しているのはMBTI(マイヤーズ・ブリッグス・タイプ・インディケーター)という性格タイプを理解するツールです。MBTIは、スイスの精神科医カール・ユングの性格タイプ論をもとに米国人の親子キャサリン (親)とイザベル (娘)が開発した、全世界で最も利用されている質問紙方式の検査です。人間の多様性や物の見方や判断の仕方の違い、強みや動機、対人関係スタイルの違いを理解していただくのに大変有用かつ分かりやすいツールです。

以下、MBTIについて簡単にご紹介します。MBTIは、受験者の性格を測定して、診断したり、評価したりすることが目的ではありません。検査をきっかけに自分を見つめ直して、自分への理解を深めることや、人と人との違いを知って、他人と互いに尊重し合えるような人間関係を築いていくことが目的ですから、他人と比較したり、優劣をつけたりということはありません。どの性格タイプが優れているということもありません。占いのような当たり外れのあるものではなく、心理学類型にもとづく根拠のある分類方法です。日本では、2000年に導入されて以来、さまざまな分野での有益性が認められ、累計10万人以上の人がこの検査を受けています。また、イギリス、フランス、カナダ、韓国、中国など30以上の言語に翻訳され、世界50か国以上で活用されている国際規定に基づいた性格検査です。

 

MBTIは、人々の性格を、4つの指標で捉えます(『MBTIタイプ入門』(JPP,2011年)9~10頁より引用)。

(1)EI指標:どこに関心を向けることを好むのか。どこからエネルギーを得るか?

   外向(E)を指向する人の特徴

ž  ・  自分の周囲に起きていることに注意を払う

ž  ・   話すことによるコミュニケーションをより好む

ž  ・  話しながら考え、まとめる

内向(I)を指向する人の特徴

 ・   自分の内面で起きていることに注意を払う

 ・   書くことによるコミュニケーションをより好む

 ・    考えを内省することでまとめる

 (2)SN指標:どのように情報を取り入れることを好むか?

   感覚機能(S)を指向する人の特徴

 ・      現実や事実に目を向ける

 ・      事実や具体的なことに焦点があう

 ・      実際に起きていることに着目する

   直観機能(N)を指向する人の特徴

 ・      これからの可能性に目を向ける

 ・      想像をめぐらせ、独特な表現方法を用いる

 ・      データの背景パターンや意味に着目する

 (3)TF指標:どのように結論を導くことを好むか?

   思考機能(T)を指向する人の特徴

 ・      分析的観点を重視して考える

 ・      原因と結果から考える

 ・      真実における客観的基準を見出すために奮闘する

   感情機能(F)を指向する人の特徴

 ・      共感する

 ・      自分の思いが伴った価値基準から考える

 ・      結論が人々にどう影響するかを考慮する

 (4)JP指標:どのように外界と接することを好むか(生活やライフスタイルのあり方)

   判断的態度(J)を指向とする人の特徴

 ・      スケジュールにそって行動する

 ・      想定内で、整理された生活を好む

 ・      規律正しい

   知覚的態度(P)を指向とする人の特徴

 ・      状況に応じて行動する

 ・      どちらかというと柔軟な

 ・      格式ばらない

 

一番目の指標をもとに、現実社会に当てはめて考えてみましょう。ブレインストーミングの場で、たくさん意見を述べる外向タイプ(E)の人々は、発言量の少ない内向タイプ(I)の人々に対して、考えを持っていないのではないかと考えます。なぜなら、外交タイプ(E)の人々にとっては、話しながら考えることが当たり前だからです。一方、内向タイプ(I)の人々は、じっくり考えて、正しい言葉を見つけた時に初めて声に出すのが当たり前なので、外交タイプ(E)の人たちが、時に、自分の考えを話しながら変えていく様子に不信感を覚えたりします。このような実体験を、MBTIというレンズを通して眺めることにより、自己と他者の違いを俯瞰して捉えることが可能になります。自分も他者から見れば異質であるという視点を持つことができるようになります。

MBTIは、人と関わる職業において、他者を理解する上でとても有益です。例えば、学校の先生なら、MBTIのEI指標を知ることで、授業中の発言に関して、生徒には外向(E)と内向(I)の二つのタイプがあることを知ることができます。授業という限られた時間枠では、先生の質問に、即座に反応して答える外向タイプ(E)の生徒の発言が集まりやすく、じっくりと考えてから意見を言う内向(I)タイプの生徒の発言が置き去りにされがちです。先生は、このようなタイプの生徒の意見を共有する機会が持てているかに意識を向ける必要があります。MBTIを知ることは、多様性を尊重する教室創りを考えるうえで有益なツールとなるのではないでしょうか。

ワシントン州の理科学習スタンダード

文部科学教育通信 No.300 2012-9-24に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑬をご紹介します。

2012年7月に、参加した初等・中等教育関係者の集まるシステム思考の勉強会(The Systems Thinking and Dynamic Modeling Biennial Conference 2012)で、ボーイングに勤めるポール・ニュートンさんの発表を伺う機会がありました。ボーイングや、マイクロソフトの本社のあるワシントン州では、自治体、民間企業、非営利団体による教育活動が盛んで、さまざまな新しい取り組みが進められています。2010年に改訂されたワシントン州政府発行の理科学習スタンダード*1では、システム思考が必須学習項目として取り入れられ、明確なガイドラインが示されています。

 

ワシントン州の理科学習スタンダードでは、分野横断的概念と能力として、4つの学習領域が挙げられています。

(1)システム思考・・・システム思考は複雑な現象を分析・理解することを可能にします。生徒は小学校第一学年では部分と全体の関係、中学校ではシステム分析、高等学校では予期せぬ結果、フィードバックループなどを学び、システムの概念を少しずつ広く、深く学んでいきます。

(2)探求・・・探求とは、科学の根幹を成すものであり、生徒が科学的考えについての知識と理解を深め、自然界がどのように機能しているかを学ぶための活動です。生徒は、自然界に対する理解を深めるために、質問をしたり、質問に答えたり、様々な調査を行います。調査には、システム的観察、フィールドスタディ、モデル、シミュレーション作成、探査、実験等)も含まれます。

(3)応用・・・応用とは、現実世界の問題を解決するために技術を設計する能力、科学と技術の関係やそれらの社会への影響を理解する能力、科学技術分野での様々な職業を認識する能力を含みます。これらの能力は、生活上の課題を解決するために学校で学んだことを応用して、社会問題を理解・解決したり、コミュニティ、州、国家の繁栄に貢献するために必要とされます。 

(4)物理学、地理・宇宙科学、生命科学・・・科学分野を9つの大きな領域に分けて学習します。9つの領域とは、「力と運動」「物質:特性と変化」「エネルギー:移転、変化、保有」、「地球と宇宙」「地球システム、構造、過程」「地球の歴史」「生き物の構造と機能」「生態系」「生物進化論」です。 

 

システム思考のガイドライン

 

第1の学習領域として挙げられているシステム思考では、幼稚園の年長から、高校生になるまでの間に、どのように順を追って学習を深めていくのかを見てみましょう。

●Grades K-1*2

テーマ:「部分」と「全体」の関係

概要: 

K-1の学年では、生徒は「部分」と「全体」の関係に注目します。「全体」を構成する様々なタイプの物体の部分の名前を覚えます。生徒は、簡単に分解したり、元に戻したりすることのできる物体(動植物を含む)と、分解してもう一度組み立てようとすると、元の形には戻らない物体があることを学びます。「部分」と「全体」の関係をよく知ることは、全ての理科学習の土台であり、自然環境や与えられた環境下でどのようにシステムが機能しているかを理解するための重要な基礎となります。

●Grades 2-3

テーマ:システムを構成する「部分」の役割

概要: 

K-1学年では生徒は「部分」と「全体」の関係を学びました。2-3学年では、生徒は物体、植物、動物を構成する「部分」がシステムとしてどのように結びつき、機能しているかを学びます。「全体」と「部分」は異なる特性を持ち、一つでも「部分」を取り除いてしまうと「全体」が以前と同じようには機能しなくなります。また、同じ「部分」が、異なるシステムの中では違った役割を果たします。生徒は、システムとは「全体」を構成する相互作用を持つ「部分」の集まりであることを学びます。物体、植物、動物は単なる「部分」の集まり以上のものであることを理解することは、全ての自然環境や人為的環境を調査する上で価値を持つ深い見識です。

●Grade 4-5

テーマ:複雑なシステム

概要: 

Grade 2-3では、生徒は物体、植物、動物を構成する「部分」がどのように結びつき、機能しているかをシステムとして考えることを学びました。4-5学年では、生徒は、システムには小さなサブシステムがあり、サブシステムは大きなシステムの部分になっていることを学びます。前の学年で学んだシステムと「部分」についての考え方がシステムとサブシステムについても応用できます。また、生徒はインプットとアウトプットについて学び、インプットが変わった場合にシステムがどう変わるかを予測します。システムの階層についての概念は生徒が機械的なシステム(都市など)と自然システム(エコステムなど)の間の関係を理解する架け橋になります。

●Grade 6-8 (中学生)

テーマ:インプット、アウトプット、境界、フロー

概要:

Grade 4-5では、インプットやアウトプットと少し複雑なシステムについて学びました。6-8学年ではシステム思考を使ってより複雑な状況を単純化したり、分析したりします。この学年で生徒が学ぶシステムの概念は、システムの境界を選択すること、物質のフローやシステムのエネルギーを計測して、オープンかクローズかのシステムを決定すること、システム思考を科学、技術や複雑な社会問題に適用することなどです。これらの見識と能力は、生徒が科学の領域間の関係や科学と技術と社会の間の関係を理解するために役立ちます。

●Grade 9-12 (高校生)

テーマ:予測とフィードバック

概要:

Grade 6-8では、生徒は複雑な状況をシステムとして捉えることにより、状況を単純化し、分析することを学びました。Grade 9-12では、生徒はより精緻なシステムモデルを構築し、フィードバックの概念を学びます。生徒は与えられた状況に対してシステム分析が役に立つかどうかを決定し、役に立つ場合は、システム、サブシステム、システムの境界、フロー、フィードバックを説明できるようにします。次の段階では、変化を予測するダイナミックモデルとしてシステムを用います。また、最も高機能なシステムモデルを用いても、実世界がどのように動くかを正確に予測することは不可能であることを学びます。このシステムに対する深い理解とシステム分析を使う能力は科学的探究心と技術デザインの両方にとって欠かすことのできないツールです。

 

 

システム思考は、変化、複雑性、相互依存に基づく新しい時代に生きる未来の成人にとって必須の力です。21世紀を生きる力の教育を学校で実施するために創られた米国の非営利団体パートナーシップフォー21でも、「学習能力とイノベーションのスキル」の学習領域において、クリティカル思考とならんでシステム思考の重要性を挙げています。

 

OECDが、2003年に発表したキーコンピタンシー(生きる力の定義)では、自律的に生きるために、システム思考力を育む重要性を述べています。複雑な社会で自分のアイデンティティを実現し、目標を設定して意思決定を行っていくためには、システム(構造、文化、出来事、実践行動、法律や規則、社会習慣等)を俯瞰する力、パターンを認識する力が不可欠です。

 

日本の未来の成人にも、システム思考を育む機会を提供していきたいと思います。(2968字)

 

*1ワシントン州の理科学習スタンダードhttp://www.k12.wa.us/Science/pubdocs/WAScienceStandards.pdfからご覧いただけます。

*2  KとはKindergarten(幼稚園の年長学年)のこと。アメリカの学校教育ではK学年を義務教育と定め、小学校と同じ校舎で学ばせることが多い。通常、小学校:K~Grade 5、中学校:Grade 6~8、高等学校:Grade 9~12を指します。

システムダイナミックスの父 フォレスター教授

文部科学教育通信 No.298 2012-8-27に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑫をご紹介します。

 

MITスローン経営学大学院の名誉教授およびシニア講師を務めるフォレスター教授は、アメリカの情報工学の先駆者であり、システムダイナミックスの生みの親でもあります。1956年にスローン大学院でシステムダイナミックスの研究を始め、子どものK-12 Education(初等・中等教育)にシステムダイナミックスとコンピューターモデリングを導入する方法を開発してきました。研究が進むにつれわかったことは、幼少期からシステムダイナミックスに触れてこそ、子どもたちは、システムダイナミックスの本当のパワーを活用できるということでした。そこで、彼は、1991年にCreative Learning Exchangeを創設し、初等・中等教育におけるシステムダイナミックスの活用と学習者中心の学習を奨励・支援し続けています。この団体が主催しているシステム思考・システムモデリングの会議は、今年で10回目を迎え、教育関係者に多くの影響を与え続けています。

今回は、7月に開催された会議でご一緒した、フォレスター教授の「初等・中等教育の未来」に関する見解をご紹介します。米国の教育事情に基づき述べられている点もありますが、工業化社会の教育システムを持つ日本においても、共通点が多いと感じます。

 

フォレスター教授が語る初等・中等教育(K-12 Education)の未来*

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今日の学校は工業化社会の黎明期のニーズに合わせて設計されたものです。工業化社会には、画一化した製品を大量生産する工場システムにおいて力を発揮できる人材を輩出する学校が必要でした。時代は変わり、今日の学生は問題解決能力、チームワーク、コミュニケーション能力、生涯学習などの様々な幅広いスキルを身に付ける必要性が出てきました。私たちの目的は、社会・経済・物理的システムがどのように機能し、自分たちの行動をどのように改善していったらいいか、ということを学生や社会人に深く理解してもらうことにあります。

 

システムダイナミックス教育は従来の初等・中等教育には存在しなかった考えですが、私はこの分野のパイオニアとして、20年以上にわたり研究を行ってきました。システムダイナミックス教育は、今や実証する段階を過ぎて、できるだけ多くの学校に導入するべき段階にきています。学校への導入は、長い期間を要し、決して容易な取組みではありませんが、子どもたちが未来の挑戦に対して立ち向かっていくために、学校が行わなければならない教育の一つです。

 

多くの人が現在の初等・中等教育に対して失望しています。米国のナショナルアカデミックエンジニアリング発行の記事によれば、「米国の公立学校に対して6500億ドルもの追加投資が行われたが、高校卒業レベルの学生の「科学」の標準テストの点数は更に下降している」そうです。しかし、なぜ成績が更に下降したかという質問に答えられる人はいるでしょうか。これは、企業診断の場合によく見受けられる現象ですが、問題を解決しようとして行うそのことが、実際には問題の原因になっており、現状を改善しようすればするほどさらに状況が悪くなっていく、というものです。

 

科学と数学に集中的に重点を置き、「どの子も置き去りにしない」というスローガンに基づく取組みが教育を間違った方向に導いています。学校全体でのテストの平均点を上げるためには、すべての子どもたちが同じような成果を出すことが望まれますが、当然のことながらそれは不可能なことです。学校やクラスに対して生徒のテストの平均点を上げるようにとのプレッシャーがかけられ、勉強の得意な生徒たちの能力を伸ばす支援を犠牲にして、勉強の苦手な子どもたちの支援にかなり多くの労力が割かれています。更に不幸なことには、テストの点数を上げるのは、先生の地位の向上や学校の経済的発展のためであり、生徒に学ぶ喜びや楽しさを与えたり、個人の成長を促したりするためではない、ということです。

 

多くの批評家たちが我々の社会にイノベーションが欠如していることを嘆き、算数と科学の学習がイノベーションにつながると結論付けています。しかし、現在の学校に対する様々なプレッシャーがイノベーションを抑制する結果になっています。イノベーションは、新しい手法を導入し、成功を何度も繰り返すことで生まれるものです。イノベーションとは、従来にはない考えを試すということです。失敗を恥ずかしいと思うのではなく、学習経験としてとらえ、従来の枠組みの外にあるものに時間を投じてみることです。イノベーションの精神とは、何年もの間、他人とは違っていられる勇気を持ち、平凡と不可能の間に横たわるイノベーション可能な領域を見つけられるよういろいろと試みてみることです。現在の初等・中等教育にはどこにもイノベーションを育む土壌が見当たりません。それどころか、従来の学校はイノベーションにつながる傾向を阻害し、教師も生徒もその状況に順応させられてしまっています。

 

過去30年に亘り行われてきたシステムダイナミックスの初等・中等教育における実験的な取組みが、草の根レベルで勢いづいてきました。システムダイナミックスは人間の関心事のほとんどすべての領域に亘り、時間とともに物事がどのように変化していくかという事を問題にしています。システムダイナミックスはコンピューター・シミュレーションモデルを使って一つのシステムの構造や方策がどのような行動を生み出しているかを明らかにします。複雑なシステムのシミュレーションも小学生の理解の範囲内であることが証明されています。

システムダイナミックスは多くの分野や職業で広く、しかし、浅く広まっています。私自身はシステムダイナミックスを未来の初等・中等教育の基礎になるものと考えていますし、これが私たちのもっとも重要なフロンティア業務です。このシステムダイナミックス教育に取り組む先生たちの会議を2年に1回、開催し、毎回100~200名の先生が参加します。

 

学校の改革は長期に亘る時間がかかりますが、短期的な取組みは大抵の場合、うまくいかないことが実証されています。しかし、今始めないことには根本的な変革はいつになっても行われません。より多くの方々がこの教育的取組みに参加してくださることを望みます。

 

終わりに

システム思考教育は、着実に社会に広がりをみせています。アメリカ国内では、地域レベルで、コミュニティと行政、学校関係者が、共通の教育ビジョンを掲げ、21世紀の教育改革に取り組むプロセスが、複数展開されています。システム思考は、複雑な問題解決に必要な思考法であり、21世紀の教育に不可欠な能力として、教育改革に盛り込まれています。

 

システム思考教育の学校教育への導入は、世界中に広がりを見せています。今年の会議には、中国南京からも8名の教育関係者が出席し、南京におけるシステム思考教育の実践例を紹介してくれました。南京では、9年前から南京ノーマル大学(南京師範大学)と連携して100万ドルの予算で教材開発を行い、高等学校においてシステム思考教育を始めているそうです。会議では、その推進責任者、開発責任者、そして、高校の先生方が、その成果を報告してくださいました。

 

今回の会議に参加して、日本におけるグローバル人材育成の一つのテーマとして、システム思考教育は、外すことができない領域であると確信しました。

 

*出典:Comments on Future of K-12 Education, Jay W. Forrester, Jan. 5, 2011

システム思考・システムモデリングの会議

文部科学教育通信 No.297 2012-8-13に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑪をご紹介します。

米国マサチューセッツ州で7月に開催されたシステム・シンキング・ダイナミック・モデリング・カンファレンス(Systems Thinking and Dynamic Modeling Biennial Conference)に参加しました。この会議は、システムダイナミックスの生みの親であるMITのジェイ・フォレスター教授、学習する組織(FIFTH DISCIPLINE)の著者ピーター・センゲ先生たち、ウォーターズ財団のウォーターズ氏が中心となって始めた、学校の先生たちのためのシステム思考・システムダイナミックスの勉強会です。1996年夏にスタートし、隔年開催されています。
私は、2010年に始めてこの会に参加し、今年が2回目の参加となります。2年ぶりに、カンファレンスに参加して明らかになったのは、地域や学校単位で、システム思考教育の展開が進んでいるということです。2年前は、ともすると一部の意識の高い先生や特別な学校による取り組みとして捉えられていたシステム思考や21世紀の教育がより大きな動きとなり、社会全体に広がり始めているという実感を持ちました。

システム思考による小学生の問題解決

2年前のベストプラクティスとして紹介されたアリゾナ州のツーソンにおける教育実践の事例です。ツーソンでは、約20年前から学校教育に、システム思考やシステムダイナミックスが取り入れられています。今年は、3人の小学一年生がシステム思考を活用して問題解決を行う例が紹介されました。子供たちが校庭で遊んでいる時に、ふと発した意地悪な言葉が相手の心を傷つけ、傷ついた相手がさらにひどいことを言ってケンカになり、お互いの関係がどんどん悪化していく様子をシステム思考の自己強化型ループを用いて説明していました。この悪循環のループをどこかで断ち切らない限り、この構造はずっと続いていくことを、子どもたちは理解していました。この映像はhttp://www.watersfoundation.org/webed/mod9/mod9-3-1.html でご覧戴けます。
小学1年生の子どもたちが、友達との言い合いの構造をシステムとして捉え、問題を解決するために、その構造にどのように働きかけるのかを話し合っている様子には、子どもの潜在的な力の大きさを感じます。これまで一般的には広まっていなかったシステム思考は、将来、複雑な社会において問題解決をしなければならない子どもたちに不可欠な力です。子どもが学ぶためには、まず、大人がシステム思考の実践者になる必要があります。

3人の校長が語るシステム思考・システムダイナミックス教育の現場への導入

●イノベーションアカデミーチャータースクールの事例
イノベーションアカデミーチャータースクールは、1996年に創立した生徒数800名の比較的新しい学校です。システム思考教育は、創立期から始めているということでした。現在、8割近い教師が、システム思考教育に関わっているそうです。会議には、イノベーションアカデミーの数学の先生が参加されていて、質疑応答の時間に、彼女の体験談を紹介してくれました。最初の数年間は低空飛行、4年目にアハ体験があり、システム思考の価値を実感して以来、積極的に数学教育にシステム思考を取り入得ることが可能になったというお話です。導入に躊躇していた先生たちに、勇気を与えるスピーチでした。

●アリゾナ州ツーソンでの事例
アメリカの学校教育におけるシステム思考導入においては、最も長い経験を持つキャシー・シェップ校長の体験談も大変興味深いものでした。彼女は、この20年間に、3つの学校に、システム思考教育を導入・展開した経験を持ちます。最初の学校では、5年間で、システム思考教育を導入、展開、定着させました。ところが、2つ目の学校での導入は、容易ではありませんでした。組合も強く、先生同士の関係も悪く、保護者からの支援も得られない状況だったそうです。この学校で最初に行わなければならなかったのは、先生との信頼関係の構築、先生同士の恊働体制の構築、保護者やコミュニティの支援の獲得だったそうです。そこで、大変役に立ったのは、システム思考の中にある「推論のはしご」です。意見の相違の背景に、どのような経験や判断があるのかを共有し、お互いの考えや立場を理解することに時間をかけたそうです。この時の苦労は、すべて、3番目に赴任した学校での展開に生かされました。3番目の学校では、最初の3年間は、土壌作りに費やしたそうです。具体的には、初年度は、1学年に絞って小さなチームで取り組みをはじめ、一年ごとに学年を増やし、3年目に、大きく離陸させるという戦略です。
大変興味深いのは、2004年にスタートした取り組みは、2007年に全校展開になり、それから3年後の2010年には、システム思考の実践者として、生徒が先生のレベルを超えたというお話でした。最初の6年間は、先生がリードしますが、その後は、生徒の中にもリーダーが現れ、生徒の実践力は急激に増すというのです。この段階で、保護者やコミュニティの支援も一気に拡大していきます。

●ウィンストンセーラムパブリックスクールの事例
バッド・ハリソン校長は、システム思考教育の導入に取り組み始めて今年で3年目です。パネラーの一人でもあるウォーターズ財団のトレイシー・ベンソン氏の支援を受け、着実に推進を進めています。
ハリソン校長は、ノースカロライナ州のフォーシス地域全体での導入の企画推進も担当しています。初級プログラムを地域の25人の校長と校長の選抜した先生に受講してもらうところから始めました。最終的に導入を決めたのは、25校中7校でした。導入を決定した学校では、夏休みに研修を実施、新学期からの導入がスタートします。ところが、最初は、なかなか先生たちの実践は進みません。そんな先生たちをサポートしたのがトレイシーです。トレイシーは、10月から3ヶ月おきに各学校を訪問し、先生たちの支援を行いました。その結果、システム思考教育は着実に進んでいます。幸運なことに、校長先生の中には、システム思考教育の効果を確信し、ブログやツイッター等で積極的に発信する先生もいるそうです。
大変興味深かったのは、ハリソン校長の言葉です。「抵抗する人たちを強制的に新しい取り組みに巻き込むことはやめました。扉は常にオープンにして、いつでも歓迎するという招待状を送る方が、私も疲れませんし効果もあります。」このような姿勢で推進するからこそ、推進がスムーズに行くのかもしれません。

●システム思考教育を支援するトレイシー
最後のパネラーは、トレイシーです。さまざまな学校で、システム思考教育を導入する先生たちが実践を通じて成長することを支援するのが、トレイシーの役割です。彼女の支援を受けた先生たちは、システム思考の学習者として、また、学内での協働者として、システム思考教育を継続的に発展させている様子が分かります。1年目は、システム思考教育を始めること、実践を通して自信を持つ事に主眼がおかれていますが、2年目は、ガイドラインに基づいて、システム思考教育についての自己分析を行い、あるべき姿を目指す事となります。トレイシーは導入における様々な障害を一つのプロセスとして捉えていました。

 

パネルディスカッションを通して、成功事例には、行政と学校の良好な関係、校長と先生の信頼関係、先生同士の恊働体制、保護者やコミュニティと学校の良いコミュニケーションなどが欠かせないという普遍的な法則が明らかになりました。システム思考は、複雑な時代の問題解決に不可欠な力と言われています。日本の子どもたちにも届けたい教育の一つです。

キャリア教育最前線 ビジネスモデル「ユー」

文部科学教育通信 No.296 2012-7-23に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑩をご紹介します。

皆さんは、ビジネスモデルという言葉をご存知でしょうか。同じ商品を販売するビジネスでも、その仕組みや構造を変えることにより、新しいビジネスに生まれ変わります。この考え方で、誰でも、手軽にビジネスアイディアを創造するために生まれたフレームワークが、ビジネスモデルキャンバスです。2010年に、Business Model Generationという本が出版され、今年2月、日本でも、その翻訳本がビジネスモデル・ジェネレーションビジネスモデル設計書(アレックス・オスターワルダー著、小山龍介翻訳)として出版されました。

 

江戸時代、ビジネスモデルという言葉はありませんでしたが、日本には、新しいビジネスモデルを創造した人がいました。それが現在の三越となる越後屋です。それまで、反物は、富裕層を中心に訪問販売で売られていました。店主は、お客様の家族構成を熟知しており、家族の皆さんに似合う反物を仕入れて販売していました。もちろん、信用売りですから後払いです。ところが、三井高利氏は、「現銀安売無掛値(かけねなし)」の看板を掲げて、反物を店舗に並べ、大衆向けに反物を切り売りしました。もちろん、現金商売です。同じ反物の販売なのですが、モデルを変えることにより、ビジネスは大成功、後の三越に発展します。顧客は、富裕層から庶民へ。販売単位は、一反から切り売りへ。販売チャネルは、訪問販売から店頭販売へ。信用売りから現金商売へ。ビジネスを構成する要素を、変えることにより、着物を売るビジネスを全く新しいビジネスに塗り替えました。起業家をたくさん生んでいるアメリカで、ビジネスモデルの理論が最初に適用されたのは、1901年、ジレットがカミソリ本体を安く売り、替え刃で収益を上げるというビジネスを立ち上げてからです。 このことは、日本人は、起業家に向かないというまことしやかな説が、単なる言い訳でしかないことを証明してくれます。

 

さて、ここからが本題です。そのビジネスモデルが、更に進化し、ビジネスモデルに当てはめて「自分の価値」を、戦略的に考えようという発想で生まれたのが、Business Model You( ビジネスモデル「ユー」) Tim Clark著 です。

 

不確実で不安定な時代に、二十一世紀の子どもたちが幸福な人生を送るためには、これまで以上に、己を知ることが重要です。大きな会社に就職すれば、一生安泰という時代は終わりました。会社や上司が、丁寧に、社員を育てることも、困難な時代になりました。このような時代におけるキャリア開発を念頭に考えられたのが、ビジネスモデル「ユー」です。自分のキャリアを、就職や就社という定義で考えるだけではなく、職業を、自分自身を体現する機会と考えます。自分は、人生を通して、誰にどのような価値を提供することで、社会に貢献したいのか。自分が、大切にしている価値観は何か。そのために、今持っている力は何か。今後、高めて行かなければならない力は何か。その力を得るために、どのような学習や経験が必要なのか。このような視点で、キャリアを選び、成長を積み重ねて行く事により、ビジネスモデル「ユー」を高めて行きます。

 

モチベーションという言葉をよく耳にします。自分の得意な事、自分の好きな事を通して、世の中に貢献することができる時、人のモチベーションは最大化します。しかし、その答えは、学校も、先生も、親ですら、教えてあげることはできません。自分を知ることが、モチベーションを最大化する方法なのです。

 

 ビジネスモデル「ユー」では、自己認知力を高めるために、さまざまな、質問のフレームワークが用意されています。その一部をご紹介しましょう。

●What Sort of Person Are You?
あなたが「どんな人であるか」を知るとても良いエクササイズがあります。

1.260余りの単語のリストからあなたの特徴を表すのにしっくりくる単語を12個ほど選びます。単語は、「アカデミック」「真面目」「受容的」「正確」「目標志向型」「臆病」「野心家」「心配性」「好奇心旺盛」「客観的」など多岐に亘っています。

2.選んだ単語の根拠を自分で書きいれます。例えばあなたが、「ゆるぎない、着実」という単語が自分に当てはまると思ったら、その根拠として「私はいつも最後までプロジェクトを遂行し、めったに脱線することはない」と書きます。

3.次に他の人(友人、同僚、上司、両親等)があなたどう見ているかを知るために、同じエクササイズを依頼します。相手が「クリエイティブ」という単語を選んだら、どうしてそう思うのか、「クリエイティブ」が私にあてはまると相手が思う根拠を聞いてみます。

4.このエクササイズを3~4人の相手に対して繰り返すことにより、共通の単語が浮かび上がってきます。他の人の見方は、自己認識と一致している時もありますが、思いもかけないあなたの「強み」が浮かび上がってくることもあります。

 

●Life Line Discovery

満足できる仕事を手に入れるために重要な要素が3つあります。1)興味、2)スキル(能力)、3)個性です。ライフライン(自分史)を書くことであなたにとって大事な3つの要素が発見できます。

 

最適な仕事.png

引用: Business Model You, P98 Career “Sweet Spot”

 

1.  自分史を描いてみましょう。横軸を時間軸(過去→現在)として、これまでのあなたの人生で起こったHigh(良い出来事)やLow (悪い出来事)を15~20個書き入れます。ここでいう出来事とは、仕事、プライベートに関わりなく、あなたの人生で重要かつ具体的で、強い感情と結びついている出来事です(例:引越、入学、就職、結婚、旅行、病気等)。出来事を書き入れたら、それを線で結びます。

ダーシーの自分史.png

引用: Business Model You, P101 Darcy’s Life Line

 

2.  描いた自分史から、Highの出来事に着目し、どんな仕事の時に自分がワクワクしたのかを見つけ出します。その出来事にどんな活動やアクション(取り組んだこと、対処したこと)が含まれていましたか。

3.  その活動やアクションは「会計の仕事」「情報処理」「買い物」「秘書的仕事」「インタビュー」など、仕事上で用いることのできる能力とどの程度結びついていますか。リストをチェックをして、どんな仕事の内容が多かったか、チェック印の多い順に10個を選び出してみましょう。

4.  今まであまりやったことがなくても好きな仕事、もっとやってみたい仕事をリストの中から5つ選び出します。

5.  チェック印の多い10個の仕事と好きな5個の仕事の中からさらに3~4個の仕事を絞り込み、あなたが「関心」と「能力」の両方を持つ仕事を見つけ出します。

 

「私は他人とどう違うのか?」という違いに目を向け、自分が何者かを考えさせることが、キャリア教育の第1歩であると思います。このようなフレームワークを用いて、子どもたちが自分について考えたり、学業以外の多様な活動に参加する機会を与えることが重要です。また、子どもたちに自由に議論させることで、自他の違いに気づかせる機会も必要です。

 

キャリア開発は、生涯を通じたプロセスです。ビジネスモデル「ユー」は、自己の存在理由を見つけ、自己成長と革新に導く生涯学習型のモデルです。自己を生かし続けるために、とても有益なモデルだと思います。現在、著者のTim Clark氏(筑波大学国際経営コース・教授)と共に、大学生や若者向けのビジネスモデル「ユー」活用方法を開発中です。

次世代の青年が世界で生き抜く力

文部科学教育通信 No.295 2012-7-9に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑨をご紹介します。

 

5月31日に日本ギャップイヤー推進機構協会(JGAP)主催のセミナーで「次世代の青年が世界で生き抜くための教育力」をテーマに講演を行いました。大学生や社会人、教育関係者の方々100名程度の方々にご参加いただきました。今回は、講演会でお話しした内容をご紹介したいと思います。

 

講演の初めはこれまでの大学に期待されてきたことをお話しさせていただきました。

これまでの大学への期待

2010年7月に、慶応大学でリアル熟議が行われ、参加致しました。「大学は、もういらない?~私たちと大学はいかにあるべきか~」をテーマに、大学生、高校生、経営者、企業人事担当者などにより討議が行われました。「受験」「大学生活」「就活」の3つのグループに分かれて話し合いが持たれ、私はそのうちの「大学生活」のグループに参加しました。

そこで明らかになった学生の声とは、「大学は、優良企業に就職するための資格を取得し、人生におけるモラトリアム期間を過ごす場所」であり、「大講堂の授業には、意義を感じていないが、さまざまな活動に参加して、授業以外のところで十分充実感を味わっているので、特に問題だと感じていない」ということでした。これは、これまでの高等教育に対する学生の期待であり、その前提には、卒業後は、終身雇用を前提に大企業に就職することが、幸福を保障するという社会がありました。

 

これからの大学への期待

今後、同様の安定した社会は続かないであろうという認識の下、高等教育に対して新たな期待が広がっています。学生や親は、複雑で変化の激しいグローバル社会において、幸せな人生を生きる力を身に着ける教育を求めています。企業や社会も、持続可能な社会の発展を実現する人材を求めています。

2010年3月に、ハーバード大学のファウスト学長が、来日し、レセプションが開かれました。学生の質問に答えて、ハーバード大学の使命は、意義のある人生を生きるための「道具」を提供することとおっしゃっていたのが印象的です。

新しい時代が求める教育とは何かを、より具体的にご紹介しましょう。

 

脱工業化社会

一つ目のキーワードは、「脱工業化社会」です。日本の教育は、運動会をはじめとする団体行動を訓練し、先生の話を聞く素直な子を育て、工業化時代に、効率と画一性に貢献する人材を育ててきました。日本人の情報処理能力の高さは、日本製品の品質向上に寄与しました。しかし、脱工業化社会においては、新たな力が必要になります。組織は、フラット化し、上司の指示に従う人材ではなく、自ら考え、行動する力が求められます。生産性に加えて、創造性がより重要になります。発想する力を持つ人材が求められます。

 

「変化」「複雑」「相互依存」

今、世界中の教育が変わろうとしています。その大きな流れを作ったのは、2002年に発表されたOECDのキーコンピタンシーです。OECDは、これからの時代を、変化、複雑、相互依存という3つのキーワードで表し、求められる力をキーコンピタンシーとして定義しました。残念ながら、これまでの教育では、その力を身に着けることができません。

 

●変化&スピード

業務のIT化により、単純な情報伝達や情報処理は、すべてコンピューターにとって代わられるようになります。書類を届ける仕事や、会議の日程調整など、かつて人が行っていた仕事は、IT化されてしまいました。その結果、人には、より高度な情報処理能力が求められます。インターネット、ツイッター、フェイスブックと次々に生まれる新しい技術を使いこなせなければなりません。そして、この技術革新をけん引するイノベーションを起こすことが求められています。

 

●複雑

専門化がますます進む一方で、問題を解決するために、専門性を超えた知の融合が求められています。ハーバードビジネススクールでも、最近では、発展途上国の医療問題などに取り組んでいます。しかし、この領域において問題解決に取り組むためには、ビジネススクールの専門性のみならず、発展途上国の開発を専門とするケネディースクールや、メディカルスクールの力が必要になります。専門性を極めるとともに、知を融合させるコミュニケーション力、創造的問題解決力が求められるようになっています。

 

●相互依存

持続可能な経済成長も、環境問題の解決も、日本の力だけでは解決できません。地球を一つのシステムととらえて問題解決にあたるシステム思考や、国境を越えたリーダーシップが求められるようになっています。ブリックスに続く、ネクストイレブン(N-11)、一日2ドル以下で暮らす地球の半数にあたる30億人の人々も、今日では、経済活動に参画する時代になりました。文化、宗教、生活習慣、言葉の異なる人々と働くことが当たり前の世の中になってきています。

 

リーダーシップ

●リスクをとる
知り合いのベンチャーキャピタリストは、ここ数年、革新的な技術を日本企業に紹介してこられましたが、会議にたくさんの人が参加し、何度も打ち合わせを繰り返した後で、最後に、実績がないという理由から契約に進まないそうです。仕方なく隣の韓国に同じ技術を持っていくと、「まだ誰もやっていないのですね。」と、技術の新規性が意思決定の理由になります。リスクをとるリーダーがこれからは求められます。

 

●大きな目標を実現する
大きな目標を実現するために、創造的に問題を解決する必要があります。

だれもが、不可能であることを実現するのですから、これまでの発想の延長線に答えはないからです。大きな目標には、大きな壁があります。小さな目標を達成することで満足するのではなく、大きな壁を乗り越えて創造的に問題解決を行う能力を備えたリーダーが求められます。

 

●不確実な時代のリーダー
不確実な時代の手本として、2008年10月に、ハーバードビジネススクール100周年で聴いたGEのイメルト会長のメッセージを紹介します。

「911、リーマンショックと次々に予想外の出来事が起き、頭を抱えました。32万人の社員の前に、『私はどうすればよいかわからない』と言うわけにはいきません。そこで、『決断して、行動して、間違ったら、軌道修正すればよい』と決心しました。毎晩今日行ったことを反省しますが、翌朝には、自信満々の自分になります」

不確実な時代は、決断し、行動し、失敗を認める勇気を持ち、日々自分を振り返り、反省はするものの、決して自信を失わないポジティブなリーダーを求めています。

 

アントレプレナーシップ

閉塞感を打破するために、アントレプレナーの出現が不可欠です。

スティーブジョブスのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチに感動された方も多いと思います。スピーチの最後に、彼が卒業生に伝えたのが、ステイハングリー、ステイフーリッシュという言葉です。これは、まさにアントレプレナーの心得であり、日本にも、かつては、本田宗一郎氏、盛田昭夫氏、井深大氏のようにステイフーリッシュ、ステイハングリーを体現した先輩たちがいます。日本人は、アントレプレナーに向かないという人もいますが、それは間違いです。時代は、アントレプレナーを求めています。

このような心得を持った人材がこれからの時代には必要です。

 

高等教育に取り組む皆さんと一緒に、新しい時代が求める若者、不確実な時代においても、幸福に生きる力を持つ若者を育てて生きたいと思います。

TEDxUTokyo

文部科学教育通信 No.294 2012-6-25に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑧をご紹介します。

 

先日、東京大学でTEDxUTokyoが開催されました。テーマは、「10年後の未来を創るイノベーションを共に描く」です。講演者は、18名、そのうち東大の現役学生2名がオーディションで選抜され、スピーカーとして登壇しました。会場には、500名近くの聴衆が集まりました。

TEDxUTokyoについてご説明する前にTEDやTEDx(テデックス)について説明しておきたいと思います。

●TED (テッド)とは?
TEDとは、価値のあるアイディアを世に広めることを目的とするアメリカの非営利団体です。1984年に設立され、技術・エンターテインメント、デザインなど様々な分野から講演者を招き、会議を行っています。2006年からTEDカンファレンスと呼ばれるプレゼンテーションの動画を世界に無料配信して注目を集めています。文化・芸術・科学・ITなどの最先端を行く「いま世界を変えようとしている人たち」が次々と登場し、エネルギーと驚きに満ちた渾身のプレゼンを披露しています。日本でもNHKがTEDを取り上げ、プレゼンと英語を学ぶ語学教養番組「スーパープレゼンテーション」として4月から放送を開始し、話題を呼んでいます。

 

●TEDx (テデックス)とは?
TEDxはTEDの精神をもとに創設され、世界各地で個別にイベントを開催しているコミュニティです。米国で開催されるTEDカンファレンスはオンラインで見られるものの、すべての人が招待制のカンファレンスに参加することは困難です。そこで生まれたのがTEDxです。TEDxのイベントは各地のスピーカーによる講演とTED Talksのビデオの上映によって構成されています。参加者がディスカッションを通してアイディアを共有し、横のつながりを広げていく場でもあります。世界中でTEDのコンセプトは広まりつつあり、現在60カ国以上にわたる都市でTEDxイベントが実施されています。TEDxSiliconValley, TEDxWomenなどそれぞれの地域やトピックに即したプログラムが開かれており、TEDxCaltech、TEDxYale、TEDxCambridgeなど世界の有名大学とのコラボレーションも実現され始めています。

日本においても、TEDxTokyoが、4年前にスタートし、これまで石井裕(MIT教授)、茂木健一郎氏など国内外から著名なスピーカーを集め大きな成功を収めています。講演時間は一人、およそ3分~18分で、短時間に、アイディアのエッセンスを集約して紹介しています。

 

●TEDxUTokyoとは?

TEDxUTokyoは、日本初の大学を軸にした大規模なTEDxです。協賛金集めから企画運営まですべて学生が中心に行いました。

 

ビジョンとして、次のような問題点と解決策を掲げています。

 

 

1.  日本の大学の非効率性
大学とは、様々な学問分野において次世代を担う若者から第一線の教授までが共有する場だが、学際的な人的交流がなく、大学の学術の学生を巻き込んだ社会(産業、官僚、文化)との連携が弱い。

解決策:広範な学問分野と社会を人的に繋ぐ継続的なコミュニティを学生の力でつくることにより、大学が次世代イノベーションを生み出すプラットフォームになる。

2.  日本の将来性への不安
日本の経済的な衰退と国際社会における地位低下。日本の若者が日本に悲観的になり海外のみに希望を求める結果、次世代の日本の発展に繋がらない。失われた20年を経験した今、日本は明治維新、戦後以来の第3の奇跡が必要。

解決策:多方面の専門家が日本の将来に向けたそれぞれのビジョンを共有することで、日本の再生に向けた希望を持ち、行動を起こす。

3.  東京大学の知の国際性の欠如
解決策:インターネットによる国際発信により、東京大学の知をグローバル化する。

 

 

TEDxUTokyoは、次代を担う人々のVisionを共有することで、10年後の未来を創るイノベーションを共に描くことを目標としています。

 

TEDxUTokyoでスピーカーとしてお話しされた方々のなかから大学生2人のスピーチと特に印象に残った浄土真宗本願寺派の僧侶 松本圭介さんのスピーチをご紹介します。

 

●東京大学 工学系研究科マテリアル工学専攻課程2年 長尾圭さん 「何のための能力か?」

 徳島で生まれ、5歳より米国に渡った長尾さん。彼の価値観形成に大きく寄与したのは米国の「褒める教育」と彼の少し変わった母の教え「できることでなく、やりたいことをやりなさい」

です。長尾さんは、能力はあるがビジョンがない、そんな多くの優秀な学生と出会い、日本の教育には大きな欠陥があるのではないか、と何か違和感を感じてきました。

最初に何らかの目標があって、それに対して必要な能力を身に付ける、というのが自然な流れであるはずなのに、多くの学生は受験、就職という流れの中で、行きたいところに入るのではなく、自分の能力を基準にその延長線上に目標を設定してしまい、いつのまにか自分には夢(ビジョン)があったことを忘れてしまうプロセスを説明しています。大半の人が追い求めているのは自分の夢やビジョンではなく、他人が考えた夢やビジョンである、ということに気付いてほしい、というメッセージを伝えています。

 

●東京大学 教育学部4年 佐々木敦斗さん  「どうにかするぞ-『生の記録』を残す-」

岩手県盛岡市出身。東日本大震災で父方の実家がある宮古市が大きな被害を受け、震災直後から復興活動にコミットメントしてきました。 一般社団法人SAVE IWATEの東京支部を設立し、代表として、東京から復興支援活動を行っています。復興支援活動を行いながら、東北を本当に「どうにかする」とはどういうことなのかを考えました。

震災の「風化」が進む中、人々は東日本大震災とどう向き合っていけばいいのか。彼自身が一番嫌なことは50年後、「東日本大震災は1万人以上の人が亡くなった、とても大きな地震だったんだよ」と、そこに生きた『人』の記録が切り捨てられて語られていくことです。震災の写真を見たり、悲惨な出来事としてとらえるだけでは、10年後も同じ感覚で震災を捉えていくことはできません。被災地で生きる『人』の生の記録を残し、災害の悲惨さを語り継いでいくことで、10年後も震災の光景を人々の心に浮かべることができます。「どうにかするぞ」そうやって前を向く東北の人々の姿を皆さんの心に記録してくださいと訴えかけます。

 

●浄土真宗本願寺派僧侶 松本圭介さん(東京大学卒業生)  「お寺、私の帰る場所」

松本さんは、浄土真宗本願寺派の僧侶、仏教が好きで、元気のない日本のお寺を変えるためにお坊さんになりました。
葬式や法事などあまり明るいイメージがないお寺ですが、元来お寺は人々が気軽に集えるコミュニティの中心でした。 江戸時代、お寺は文化の発信地であり、私たちの生活とより密接に関わっていました。お寺の原点はカフェにあるとして、神谷町光明寺の境内でお寺カフェ「神谷町オープンテラス」やお寺の音楽会「誰そ彼(たそがれ)」を開催し、お寺を再び「心の通うコミュニティ」の中心にしようと取り組んでいます。

お寺ほど心と心が通い合えるコミュニティを作るのに適した場所はありません。10年後、誰もが「私には帰る場所があるから」として、安心してイノベーションに取り組める社会になるよう、「お寺から日本を元気にする」をビジョンに掲げ、現在は住職塾の開講に向けて準備を進めています。
 

TEDxUTokyoに参加した若者たちがTEDというプラットフォームを通じて、「10年後の未来を創るイノベーション」を共に描き、様々な知識やアイディア、ビジョンを共有することで、新たな知が芽生えます。TEDは、若者自身の力による21世紀の新しい学習プラットフォームといえます。

ハーバードビジネススクール(HBS)の教育改革

文部科学教育通信 No.293 2012-6-11に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑦をご紹介します。

今年、ハーバードビジネススクール(HBS)が新しく生まれ変わりました。ニティン・ノーリア新学長のリーダーシップにより進められた教育改革について、ご紹介したいと思います。以下、ノーリア新学長から卒業生に送られたレターを抜粋してご紹介します。

 

HBS教育改革の5つの柱

ニティン・ノーリア新学長は、任命を受けてから学長就任までの期間に、HBSのファカルティメンバー、学生、大学スタッフ、卒業生に対してHBSが直面している「チャンスと課題」についてインタビューを行ない、大学の改革に必要な優先順位を明らかにしました。HBSの教育改革の柱となる「5つのI」はその話し合いから生まれたものです。

 

HBS教育改革.pngのサムネール画像

 

1. innovation(変革)

20111月、HBSのファカルティメンバーは、必須カリキュラムに新プログラム Field Immersion Experiences in Leadership Development (リーダーシップ開発のためのフィールドスタディ)を取り入れることを採択しました。MBAの2年生に対し、キャンパスを離れてフィールドスタディを提供して、学んだことを実践する機会、コミュニティやビジネスリーダーと直接関わる機会を与えるというのが、プログラムの狙いです。フィールドスタディから得られる学びは、基本となる10のケースメソッドと連動しています。例えば、FIELD2の「商品開発」は技術・営業管理やマーケティングの授業で学ぶ内容と、FILED3の「金融市場シミュレーション」は金融の授業で学ぶ内容と一致しています。フィールドスタディ方式とケース方式が互いに補完しあい、補強しあえる関係になることを狙いとして改革を行なっています。

 

二つ目の変革は選択カリキュラムの年間カレンダーを2学期制から4学期制をしたことで、学生と教授側により大きな選択の自由が与えられたことです。これにより、第2学年次には、フィールドスタディや独立プロジェクトに参加を希望する学生が増えています。同様に、ファカルティメンバーもケーススタディとフィールドスタディを結合した新コースの流れと内容を実践して、改良を行なっている最中です。

 

この教育改革の結果、以前よりも勉強に時間を割く学生が増え、学生の授業の準備具合やクラスワークでの取り組み内容に明らかな改善が見られている、という報告が教師の側からも寄せられています。

 

 

2. intellectual ambition (知的野心)

ここ数年、社会企業、ヘルスケア、リーダーシップ、アントレプレナーシップの分野でのHBS全体の取り組みの成功を土台に、ファカルティメンバーによる学科を超えた協力が行われています。カリキュラムの見直しや、企業幹部対象の新しい教育プログラムの開発、卒業生とのネットワーク再構築、時代に即した重要なテーマについての討論や対話が行われています。

 

この取り組みの結果生まれた一つのイニシアチブが、ビジネスと環境をテーマにしたものです。初期の話し合いは調査テーマを発掘することでしたが、今や20人以上のファカルティメンバーが集まり、毎月ワークショップを開催して、ビジネスと環境の両方の産業に関わる利益と問題について話し合っています。2011年3月には、「21世紀の都市に投資する」というテーマで卒業生を対象にしたカンフェレンスが行われ、130名の卒業生が参加し、12以上もの新しいケースが誕生しました。

 

このような学科を超えた取り組みも重要ではありますが、引き続き一人ひとりの教授の成功を支援していきます。教授自身が海外でのフィールドスタディに取り組めるような基盤を整え、興味と関心を持つ研究分野の追求やリサーチを支援する投資を拡大していきたいと思います。

 

3.  internationalization (国際化)

150に上るFIELDプロジェクトを実行するためには、世界中のグローバル組織の協力、チームを編成する20人のファカルティメンバー、40人のスタッフの力が必要です。それゆえに、FIELDの導入の影響は学生だけではなく、HBS全体を広く国際化するものと捉えています。

 

また、従来のグローバルリサーチセンターの設置に加えて、企業幹部向け教育プログラムを提供するハーバードセンターの設置を進めています。2010年には、ハーバード上海センターがオープンし、現地企業の幹部を対象に10週間の講座を開設しましたが、出席者は現地だけではなく世界中から集まっています。2012年3月には、インドのムンバイに2番目のハーバードセンターを開設、2015年までには、ヨーロッパに第3のハーバードセンターを開設予定です。各地でプログラムを担当するHBSのファカルティメンバーは、現地に即したテーマの新しいビジネスケースを作成することで、HBSのケースがより豊かになります。また、現地でキーとなる新興企業との関係を結ぶことにより、常に最新の主要な経営実践方法に触れることができます。

 

4. inclusion (インクルージョン)

昨年、HBSでの様々な活動を支援するために「文化とコミュニティ・イニシアチブ」を立上げました。狙いは、HBSに関わる全ての人が、成功し、自分にとってベストの仕事をするために支援されていると感じられるようなHBS文化を醸成するための機会と必要なステップを発見することです。現在、ファカルティメンバーに対して行なった個別インタビュー結果を分析している最中ですが、来年はこの調査結果を分析し、HBS文化醸成のために必要な行動を開始します。

 

また、Women's Student Association (WSA) の長年の研究対象である「なぜ、女子学生は男子学生に比べて学年の成績優秀者に選ばれる比率が少ないのか」「なぜ、女子学生は男子学生よりもMBAで学んだことに満足していないのか」などを取り上げた結果として、この2年間で学生の達成と満足のギャップはかなり小さくなっています。このような問題をまず話し合う機会を持つことが対策を見つけるための最初の一歩であると思います。

 

5. integration (融合)

The Harvard Innovation Lab (i-lab)は、HBSが行なう活動の中で最も地域との関わりのある場所です。 i-labはハーバード大学の財産であると同時に地域コミュニティと共同のプログラムの実践の場です。継続中のプロジェクトや準備段階のベンチャー、コミュニティ向けサービス、ワークショップ、授業、講義や様々なイベントを提供する多目的スペースになっています。ハーバード大学全体での活動場所として、また新しいことが起こる場所として活用され始めています。ハーバードにある大学院全てから生徒が集う授業やチーム学習主体のプロジェクトなどに、i-labを利用して授業を行う教授が増えてきています。

 

グローバル化するビジネスの世界で、ビジネススクールにおいても、教育変革が求められる時代です。

ウェンディ・コップ

文部科学教育通信 No.292 2012-5-28に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑥をご紹介します。

 

昨年のシリーズで、皆様にご紹介した教育NPO “ティーチ・フォー・アメリカ(TFA)”の創立者ウェンディ・コップ氏がこのほど、初来日しました。教育から社会を変える3つのイベントが開催され、合わせて1000人を超える人々が参加しました。東京大学で開催された学生対象の講演会では、TFAが全米で支持される理由や日本での新しいキャリアのあり方などをテーマにパネルディスカッションが行われました。六本木アカデミーヒルズで行われた来日記念セミナーでは、TFAの活動から、アイディアを形にするウェンディの実現力を学びました。日米文化教育交流会議(カルコン)主催のンシンポジウムではグローバル社会における社会起業家を通した教育改革をテーマに討論が行われました。

私が、TFAのことをはじめて知ったのは、母校ハーバードビジネススクールの100周年記念行事に参加した2008年のことです。「アメリカの公教育改革における社会起業家の役割」というセッションで、ウェンディ・コップ氏の話を伺う機会がありました。それまでは、TFAのことも社会起業家の存在も知らなかったので、大きな衝撃を受けました。そもそも、なぜビジネススクールで公教育の改革がテーマに挙げられているのだろうという好奇心から参加したのですが、ウェンディの話を聞いてすぐに謎が解けました。まず彼らのアプローチは、従来の教育改革のアプローチとは全く異なっていました。教育課題の解決をビジョンに掲げ、そのビジョンを達成するために創造的に課題解決に取り組むウェンディの思考と行動は、夢を実現するために果敢に挑戦する起業家の姿と重なって見えました。

 

●教育改革を社会起業家の視点で行う

ウェンディが、TFAを立ち上げたのは、彼女がプリンストン大学を卒業して間もなくのことでした。起業家のスティーブ・ジョブスは、「フォルクスワーゲンのようなPCがほしい」という願いからアップルを立ち上げました。一方でウェンディは、「いつか、すべての子どもたちに、すばらしい教育の機会が与えられる日が来るために」という願いから、教育という社会問題を解決することを志し、TFAを立ち上げました。二人に共通しているのは、起業時に誰もが不可能だと言っていたビジョンを実現したいと考え、果敢に挑戦したことです。その点でスティーブもウェンディも、実は同じ起業家だったのです。唯一異なるのはウェンディのビジョンがビジネスではなく、教育という社会問題の解決にあったということです。そう考えるとウェンディが、「社会起業家」と呼ばれるのもうなずけます。

 

●ティーチ・フォー・オール

TFAを参考とする教育モデルが世界に拡がり、現在、「ティーチ・フォー・オール」として世界23ヶ国にその取り組みが広がっています。ティーチ・フォー・ジャパン(TFJ)は、その23カ国目の加盟国として2012年1月より正式に発足しました。来日後、ウェンディが向かったのはティーチ・フォー・チャイナのある中国です。ウェンディは、過去を振り返り、こう話してくれました。「教育の問題は、国特有の問題であり、TFAでの経験は活かせないのではないかと思っていた。ところが、この5年間の経験から、そうでないことが分かった。 国により制度や仕組み、歴史的な背景等は異なるけれども、その課題を捉えると、多くの場合、共通のパターンや傾向が見られる。したがって、世界中のティーチ・フォー・オールのメンバーが、相互学習を重ねることで、パワーアップすることが可能である。」この話を聞きながら、私は学習する組織として高い評価を得ている米国のGE(ゼネラル・エレクトリック社)のことを思い出しました。学習する組織の考え方をGEに取り入れたジャック・ウェルチ氏は、バウンダリーレス(boundaryless)を目標に掲げました。変化の激しい時代に、すべての領域でベストプラクティスを自社開発することは不可能だが、世界中の人々や企業が考えたベストプラクティスを、スピーディに自社のものにすることができれば、最強の組織になれると彼は考えました。このような、組織の学習力こそが企業力を決めるというジャック・ウェルチ氏の考え方は、まさにTFAおよびティーチ・フォー・オールの成功法則に共通しています。

 

●ティーチング・アズ・リーダーシップ

TFAの教師が教える生徒は、他の教師が教える生徒の1.2倍~1.3倍成績が伸びることが知られています。その指導力を支えるのが、TFAの持つ組織の強みです。ウェンディは、有能な教師たちはどのような取り組みを行っているのかを徹底的に調べ、その学びをティーチング・アズ・リーダーシップとして普遍的に概念化しました。ティーチング・アズ・リーダーシップは、教師のために作られた行動規範であり、すべてのTFAメンバーの活動に反映されています。その意味では、TFAの文化といってもよいと思います。

(1)大きな目標を掲げる

(2)目的を持って計画する

(3)効果的に行動する

(4)生徒と、その家族および影響を与える人々を大きな目標に向かって本気で取り組ませる

(5)効果を追求し続ける

(6)弛まぬ努力をする

 

●トランスフォメーショナル・ティーチャー(生徒の人生を変える教師)

最近のTFAのキーワードは、トランスフォメーショナル・ティーチャーです。ティーチング・アズ・リーダーシップは、有能な教師の定義として有効なものですが、ウェンディたちの学習意欲は、そこに留まるものではありません。トランスフォメーショナル・ティーチャーとは、生徒を変容させる教師、生徒の人生を変えてしまう教師です。学力を向上させるだけでは、十分ではないと、ウェンディたちは考えています。生徒の学力を向上させることができる教師に共通の特性をティーチング・アズ・リーダーシップとして定義したのと同様に、トランスフォメーショナル・ティーチャーに共通の特性を見出したいと考えます。学習する組織ならではの発想です。一人の人が出来ることは、その成功要因を明らかにすることにより、組織のナレッジとなります。それは、採用や育成に活用され、トランスフォメーショナル・ティーチャーが、拡大再生産されます。

 

●3つの学び

TFAは、今では全米43地域に9300名の教師を派遣する組織に成長しました。22年のTFAの活動からの学びを、ウェンディは、3つのキーワードで紹介してくれました。

Solvable・・・   教育問題は、解決することができる。

Leadership・・教育問題の解決を推進するには、リーダーシップの力が不可欠である。

Shareable・・・ 問題解決から得られたナレッジは、固有のものではなく、広く適用可能である。

 

TFAで教員を経験した人は総計2万4000名にのぼり、様々な形で教育格差の是正に大きく貢献しています。中には教育長や政治家、企業の幹部として社会に影響力を持つ人材になっている人も多い、という事実を考えるとウェンディの言葉は大変説得力を持ちます。

TFAが教育課題の解決に果敢に取り組んできた歴史について詳しくお知りになりたい方は、ウェンディ・コップ著、松本裕訳、『世界を変える教室』 ~ティーチ・フォー・アメリカの革命~(英治出版、2012年)を是非お読みください。

「生きる力」とOECDのキーコンピテンシー

文部科学教育通信 No.291 2012-5-14に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑤をご紹介します。

PISAの前提として定義されたOECDのキーコンピテンシーは、世界のOECD加盟国の教育改革に、大きな影響を与えています。日本においても、「生きる力」に反映されており、2002年および、2011年改訂の学習指導要領に盛り込まれています。

OECDが、キーコンピテンシーの定義に取り組んだ背景には、社会の変化があります。これまでの学校教育では、子どもたちが将来、幸せに、意義ある人生を生きるために必要な力を身につけることができないという課題認識に基づき、キーコンピテンシーは、策定されました。

 

●変化、複雑性、相互依存

子どもたちが生きる時代は、これまでと何が違うのでしょうか。子どもたちは、絶え間なく続く技術革新に対応することが求められます。溢れる情報を取捨選択しなければなりません。経済成長と地球環境の保護という2つの矛盾する目的を達成しなければなりません。豊かさの追求と、貧困や富の格差の是正を同時に考えなければなりません。目的を達成するための取り組みは、より複雑になっており、特定のスキルを身に付けただけでは、問題解決に十分な力を持つことができません。このような時代認識に基づき、OECDのキーコンピテンシーは策定されました。

時代背景を表す言葉は、変化、複雑性、相互依存の3つです。技術が、急速に継続的に変化する世界においては、技術に関する学習はプロセスの一時点でのマスターだけでなく、変化に対する高い適用力が求められます。社会がどんどん複雑化、細分化してきており、個人的な関係においても、多様な人々との交流がますます求められてきています。また、グローバライゼーションは、新しい形態の相互依存性を作り出しています。経済競争や、環境破壊に繋がる様々な活動は、個人の住む地域や国家の枠を超えて広がってきており、グローバライゼーションによる相互依存性は、今後ますます高まることが予測されます。 

OECDは、このような時代背景を前提として、子どもたちが、将来直面する問題に対処するために必要な力を身につける教育を目指し、1997年に、キーコンピテンシーの検討を始めます。

 

●目的と方針

OECDは、キーコンピテンシーを策定するにあたり、目的と方針を明確にしています。究極の目的は、民主的な社会の実現と、持続可能な成長の維持です。その上で、キーコンピテンシーの妥当性を検証する指針を、3つに絞りました。方針の1つ目は、キーコンピテンシーが、個人と社会の両者にとって価値ある結果をもたらすものであること。2つ目は、特定の状況において求められるコンピテンシーではなく、あらゆる場面において普遍的に重要なコンピテンシーであること。3番目に、特定の専門家だけではなく、全ての個人にとって重要なコンピテンシーであることです。

OECDは、個人と社会、それぞれにとって価値ある結果とは何かも明確に定義しています。個人の成功の定義は4つです。①望ましい就職の機会と所得を得られること、②健康と安全が維持出来ること、③政治への参画が認められること、④人間関係やコミュニティが存在すること、の4つが重要であるとされています。同様に、社会の成功も、4つに絞り込んでいます。①経済的生産性が維持されていること、②民主的プロセスが存在すること、③社会的なまとまりや構成が成立し人権が守られていること、④)環境が守られていることの4つが挙げられています。このような成功を実現するために必要な力として、キーコンピテンシーの検討を行いました。

このような思考プロセスを経て、キーコンピテンシーの定義が、2002年に発表されています。

 

●3つのキーコンピテンシー

第1のカテゴリーは、相互作用的にツールを用いる力です。言語的スキルや数学的なスキルを土台としたコミュニケーション力は、このカテゴリーに含まれます。さらに子供たちは、創造的に問題解決を行うために適切な情報処理能力と思考力が求められます。そのために、①分かっていないことを認知する力、②適切な情報源を特定しアクセスする力、③その情報の質、適切さ、価値を評価する力、④知識と情報を整理する力を鍛える必要があります。技術革新に適応するのみでなく、技術革新を生み出す力も、このカテゴリーに含まれます。

第2のカテゴリーは、異質な集団で交流する力です。和を重んじる日本人にとって、得意な領域と思われがちですが、その内容を読み進めて行くと、日本人も発想の転換が求められることがわかります。人が自分にとって良いと感じる環境を作り出すためには、他者の価値観、信念、文化や歴史を尊敬し、評価するだけではなく、それらを取り入れて成長することが求められます。そのためには、共感力を持ち、自己及び他者の情動やモチベーションに効果的に対処する力が求められます。また、協力する能力としては、①自分のアイディアを出し、他者のアイディアに耳を傾ける力、②討議の力関係を理解し、基本方針に従う力、③戦略的、あるいは持続可能な協力関係を構築する力、④交渉する力、⑤異なる意見を受け入れ、その上で意思決定する力の、5つの力が求められます。このカテゴリーには、争いを処理し、解決する能力も含まれ、①異なる立場があることを認識し、現状の課題と危惧されている利害の全ての面から争いの原因と理由を分析する力、②合意できる領域とできない領域を認識する力、③問題を再構築する力、④要求と目標の優先順位を決める力、の4つの力が求められます。

第3のカテゴリーは、自律的に活動する力です。変化、複雑性、相互依存に象徴される新しい時代において、個人は、より広い視点を持ち、より広い文脈の中で、自己の行動や意思決定を捉えなければなりません。自分の行動の直接的・間接的な結果を認識する必要があります。変化する環境において、人生の意義や目的を明確にし、計画性とストーリーのある人生を生きる力が求められます。また、自らの権利、利害や、限界を知り、社会的な責任を果たすと同時に、自己を守る力をもつことが求められます。変化、複雑性、相互依存を前提とした社会において、幸福な人生を生きるために、システム思考を持つことが不可欠であることが解ります。

OECDは、3つのカテゴリーを包括する力として、内省力およびメタ認知力が不可欠であると述べています。自らの経験を内省し、学びを抽象的概念化する力や、思考について考える力が、自律的学習者には不可欠だからです。

 

子どもたちが、幸せで、意義のある人生を「生きる力」を習得するために、私たち教育に関わる者には、OECDが述べている時代の変化や、子どもたちが新たに習得しなければならない力について、より多くの人々が知る機会を提供する責任があります。また、子どもたちに要求するキーコンピテンシーを、我々自身が、率先し、その実践者となることを目指す必要があります。新しい時代の「理解」の定義は、理解しているだけでは十分ではなく、実践出来ていることを指します。実社会を生きる力を身につける教育において、教育に関わる大人の「理解」の質が変わらなければなりません。

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