skip to Main Content

エンパシー(共感力)教育

文部科学教育通信 No.317 2013-6-10に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る27をご紹介します。

近年、米国や欧州の教育界では、エンパシー(共感力)という言葉が注目されています。エンパシーとは、他人の気持ちを感じたり、考えを理解する能力です。現代社会でもっとも必要とされる資質の一つです。今回はこのエンパシー教育が様々な分野で重要視されている例をいくつかご紹介したいと思います。

●ビジネスリーダーとエンパシー
皆さんは、グローバルリーダーにとって重要な資質は何だと思いますか。スイス・IMD(ヨーロッパのトップランキングに位置付けられるビジネススクール)のドミニク・テュルパン学長は、好奇心が旺盛で、世界から学ぼうとする謙虚さがあり、他国の文化に対する高いエンパシーと他者への尊重とシンパシー(思いやり)を持つ人こそがグローバルリーダーとして最もふさわしい、と話されています。

リーダーシップに求められる力は時代とともに変わります。私がハーバードビジネススクールで学んだ1980年代後半には、まだ、リー・アイアコッカ氏のようなカリスマ的なリーダー像が主流でした。リーダーという言葉には、人々をけん引する力強い人というイメージがあり、一方、共感という言葉には力強さと無縁の響きを感じる方もいらっしゃると思います。しかし、今日、引退する時に、会社への期待値が下がり、株価の下がるカリスマ的経営者は優れたリーダーではないと言われています。リーダーシップ教育で、世界的に有名な組織センター・フォー・クリエイティブ・リーダーシップは、グローバル時代において、リーダーシップに重要な力は、エンパシー、つまり、多様性を尊重し、協働するチームを作る力であると述べています。

●創造性とエンパシー
世界中で、今、創造性を育む教育が盛んに行われています。U理論やデザイン思考など、さまざまな理論と方法論が開発されていますが、そこでも、鍵を握るのがエンパシーです。創造の目的は、社会や人のためになる何かを生み出すことです。そのためには、社会や人の求めていることを本当に理解しなければなりません。その理解には、エンパシーが欠かせないという訳です。インドでは、鍵のついていない冷蔵庫は売れないことを知らないで市場参入に失敗した日本の家電メーカーの話を聞いたことがあります。世界に暮らす人々を理解し、共感する力は、イノベーションのみならず、身近な商品開発にも、不可欠な力になっています。

●シチズンシップ教育とエンパシー
オランダのシチズンシップ教育「ピースフルスクール」は、学校を、子ども達のコミュニティと捉えて、民主的な社会の担い手になる実践練習を行うプログラムです。4月にその開発者、レオ・パオ氏と、カロリン・フェルフーフ氏に来日していただき、ワークショップと講演会を開きました。シチズンシップ教育の土台は、社会的・情緒的な発達です。そこには、自尊心や自分と繋がる力とともに、他者を理解し、共感する力が含まれています。多様な人々が安心して暮らせる社会の担い手になるためにも、エンパシーは欠かせない力なのです。

講演会の質疑応答で、いじめの問題が話題になりました。その際に、校長先生経験者のカロリンさんが、「いじめの傍観者がいる時、そこにはコミュニティは存在しません」と話されたのがとても印象的でした。子ども達のエンパシーを引き出すことができなければ、いじめの問題は解決しないことがわかりました。

日本社会においても、今後ますますエンパシーは重要になってくると思います。震災復興、格差問題、少子高齢化問題など、多様なステイクホルダーが存在する複雑な問題を解決する上でも、エンパシーは欠かせません。エンパシーがなければ、マイノリティの人々が安心して暮らせる民主的な社会を作ることができないからです。

●社会起業家とエンパシー
最近、社会問題の解決に取り組む社会起業家が、世界的に注目を集めています。その生みの親といわれているアショカ財団の創設者 ビル・ドレイトン氏は、社会起業家に必要な資質の一つにエンパシーを挙げています。

アショカ財団は、若者が日常で感じた違和感を解決するために、若者自らが活動を始めることを支援しています。この取り組みは、アショカ・ユースベンチャーと呼ばれ、1996年に本国アメリカで始まり、日本では2011年にスタートしました。「社会のために行動を起こしたい」という想いとアイディアを持つ12歳〜20歳の若者からプランを募り、選考された若者を「アショカ・ユースベンチャラー」として認定し、資金面・運営面の両方から1年間支援する仕組みです。ユースベンチャーは、「誰もが社会を変えるチェンジメーカーになれる」という、アショカ財団のビジョンを実現するための重要な取り組みです。この活動を通して若者はチェンジメーカーになるために最も必要な3つのスキル:エンパシー、チームワーク、リーダーシップを学びます。

アショカジャパンでは、今年から、ユースベンチャーの活動に加えて、エンパシーの大切さを世の中に広める活動を始めます。そのスタートとして、赤ちゃんからエンパシーを学ぶ教育プログラムを開発したメアリー・ゴードンが来日し、講演会やセミナーを開催する予定です。

メアリー・ゴードンの開発したルーツ・オブ・エンパシー(共感力育成プログラム)という活動を紹介しましょう。彼女がトロントの公立学校で教鞭をとっていた時、いじめと暴力の問題が発生しました。メアリーは、いじめの原因は共感できない子どもが急増していることにあると考え、事態をよく観察して分析し、斬新なアイディアを考えました。

それは、8カ月の間、毎月1回、1歳未満の乳幼児とお母さんを緑のブランケットを持って学校に来させることでした。教室では緑のブランケットに座った赤ちゃんが先生となり、子どもたちは、赤ちゃんが何を言おうとしているのか、そして何を感じているのかを観察し、理解しなければなりません。初回は、親に連れてこられた赤ちゃんとの顔合わせ。それからの8か月の間、子供達はこの赤ちゃんのめまぐるしい生育ぶりを見守ることになります。社会的偏見や固定観念のフィルターにさらされていない純粋無垢な感情の塊である赤ちゃんを通して、子供達は相手の気持ちや感情を探り、同化する能力を育んでいきます。最初は戸惑っていた子供達も、月日が経つにつれて、赤ちゃんが何を考えているのか、何が言いたいのかわかるようになりました。そして、赤ちゃんと一緒に過ごすというこの体験によって、いじめが著しく減少するという結果が出ました

メアリーが取り組んだのは、最初は幼稚園の二つのクラスでしたが、いまやカナダ全体の2000校以上で行われています。さらに、彼女のプログラムはオーストラリアやニュージーランドでも採用されはじめ、世界的な広がりを始めています。教室の子どもたちだけに止まらず、社会全体や教育システムを発展的に変えています。メアリーの編み出したこのシンプルで効果のあるプログラムで、子どもたちは共感することを学びます。そして、世界の責任ある市民として育っていくのです。
出典: How to raise changemakers (社会起業家の育て方) Diamond Harvard Business Review 2008年1月号、2007年度「五井平和賞」 ビル・ドレイトン氏受賞記念講演「市民が起こす大きなうねり」

ピースフルスクールとシチズンシップ教育

文部科学教育通信 No.315 2013-5-13に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る26をご紹介します。

国連児童基金(ユニセフ)が発表した先進国の子どもの幸福度ランキングで、オランダは再び、29カ国中のトップに選ばれました。

2011年にオランダの教育の秘密を探るために学校視察を行った際に紹介された「ピースフルスクール*1」に、私がすっかり魅了され、日本に導入したいと思った話は、以前にも書きました。この度、プログラムを日本に導入する準備がほぼ整いましたので、皆様へのご紹介を兼ねて、開発家のレオ・パウ氏、実践者のカロリン・フェルフーフ氏、オランダ教育専門家のリヒテルズ直子氏をお招きしてワークショップ(4月12-13日)及び講演会(4月16日)を開催いたしました。日本の教育問題、いじめ問題に関心をお持ちの学校の先生、教育委員会の方々、会社員、コンサルタント、学生、主婦など様々な立場の方々、総計130名の方々にご参加いただきました。ワークショップでは、オランダのシチズンシップ教育、開発の背景、プログラムの全体像の紹介のほか、カロリン氏により実際のレッスンの一部が披露され、参加者はプログラムを体験することができました。「大変、有意義な時間だった」、「ぜひ日本にも取り入れたい」という声が多数寄せられています。

本日は、ワークショップの中から、オランダでピースフルスクールが開発された背景とシチズンシップ教育の意義について、ご紹介させていただきたいと思います。

 

●プログラム開発の背景

レオ・パウ氏がピースフルスクールの開発に取り組み始めた1999年頃のオランダでは、子どもたちの規律のなさや、様々な問題行動が表面化し、それらの問題にどのように取り組めばよいか、教師自身が途方にくれている状況でした。大都市部の荒れた地区の学校では、教師のなり手を見つけることが困難で、青少年の犯罪や暴力的な行動も増えていました。人々は子どもたちの心にいったい何が起こっているのだろうと不安を感じるようになりました。

この背景には、オランダ社会の変化があります。1960年代以後、オランダ社会が繁栄し、福祉制度が大きく発達し、社会全体が豊かになるにつれ、個人主義が浸透してきました。人々は、お互いを強く必要とせず、自分の生き方を自分で決めることができるようになり、個人に対する教会や宗教の影響が縮小してきました。安い労働者としてモロッコやトルコからの移民が流入した結果、オランダに住む人々の構成が変わり、社会は多元化し、人々は共生するというよりも、隣にいてもお互いに相手に無関心に生きるようになりました。変化のもう一つの結果として、自分が欲しいものを手に入れ、規則に縛られることを望まない自己主張の強い市民が出現し、子どもたちの教育に大きな影響を与えるようになりました。家庭でも、学校でも、子どもたちの個人的な幸福や個別の発達に対して焦点が向けられるようになり、個人主義化した社会において、子どもたちの教育の責任が学校と保護者に重くのしかかるようになりました。

社会変容の結果、子どもたちは大切にされるようになり、自分が欲するものを何でも持つことができるようになったのですが、それに伴う負の部分も多く出現しました。与えられる自由が大きければ大きいほど、その自由をどう取り扱うかについての責任が求められます。子どもたちは、自制心を持ち、責任のある方法で行動することを学ばなくてはならないのですが、それを、いったい、どこで、誰から学べばよいのでしょうか。

 

●学校という共同体

こうした問題に対する解決策を求めて、合衆国に飛んだレオ・パウ氏は、一つのヒントを得ました。合衆国での研究によれば、子どもたちが、ある場所において自分の存在が重要なのだと感じられる時、問題は起こりにくくなるということがわかりました。もし子どもたちが、自分は、学校で歓迎される存在であり、一つの学校という共同体に属していると感じられるような学校に通っている場合、子どもたちの問題行動がずっと起きにくくなると言われています。

私たちは皆、誰かから必要とされる存在でありたいと思っています。自分がそこにいることで、世界はより良い場所になるのだという感覚を持ちたいとものですが、そういう観点から見てみると、今の学校は生徒にとってそのような場所になっていません。学校が、社会的結合性が多く生み出せる1つの共同体になれば、生徒たちの問題はより少なくなっていくはずです。

学校が生徒にとってそのような場所になれるよう、学校全体を変容させるための一つの完成度の高いプログラムが「ピースフルスクール」です。忙しい先生でも実践できるよう、段階を踏んで約2年間で学校を変容させることを狙いとした、一つの系統だったシチズンシップ教育プログラムです。

 

●ピースフルスクールが目指す民主的なシチズンシップ

「ピースフルスクール」はオランダのシチズンシップ教育の一貫として開発されていますが、そもそもシチズンシップ教育とは何でしょうか?

ユトレヒト大学の教授のミシャ・デ・ウィンター教授によれば、シチズンシップ教育には3つの段階があります。シチズンとして、①個人的な責任を負うこと、②参加的行動をとること、③社会的正義を守ること、の3段階です。①個人的な責任をとるとは、法や秩序を守るシチズンになることです。②参加的行動をとるとは、自分が一部となって共同体に参加することです。③社会的正義を守るとは、社会・政治・経済の現状に批判的になって変革のために努力することです。フードバンク*2の活動を例にとれば、①のシチズンはフードバンクに食糧を持っていく人、②はフードバンクの活動に参加する人、③はなぜフードバンクが必要なのかと考える人です。①単に個人の責任を果たすことは独裁政権下でもできることです。②もし社会全体のシステムが間違っていた場合には、参加すれば参加するほどシステムが悪い方向に強化されていってしまいます。民主的なシチズンシップを行うためには、そこに社会的正義が必要です。③社会的正義に照らして考えるとは批判的に、クリエイティブに、現存のシステムを外から客観的に見て、より良い社会への変革アイディアを生み出していく必要があります。オランダのシチズンシップ教育はこの③を目指しています。

シチズンシップ教育において最も大切なことは、どのような社会を実現する人を育てたいのか、ということです。シチズンとは何か?ということを考えた時、オランダでは、市民とは主権者・参政権を持つ人々であり、自由と責任の両方を持ちます。オランダ市民であることは、ヨーロッパ市民や世界市民であることと、同義であり、矛盾がなく、そのような市民を育てるためにシチズンシップ教育が行われています。残念ながら、日本では日本国民であることと、アジアや世界の市民であることが一致しているという実感を持つ人はあまりいないのではないでしょうか。

教育を行う一つの目的は、民主的なシチズンを育てることにあります。OECDの言葉を借りていえば、「教育とは単に個人の知識やスキルを増大することで個人をエンパワー(力を与える)のではなく、健全なライフスタイルとアクティブなシチズンになるための習慣や価値観、態度を向上させることで、個人をエンパワーする(力を与える)ものです」 

シチズンシップ教育は、これからの学校教育に重要な比重を占めてくると思います。 

*1 オランダで最も成功しているシチズンシップ教育のプログラムならびにその実践校のことで、10年以上の実績を持ち、全小学校のおよそ10%に当たる、約600校を超える学校で実践されています。

*2 包装の傷みなどで、品質に問題がないにもかかわらず市場で流通出来なくなった食品を、企業から寄附を受け生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体

 

ソーシャルアントレプレナーシップ

昨年より青山ビジネススクールでスタートしたソーシャルアントレプレナーの授業について、受講生の細谷哲也さんが受講の感想を、青山ビジネススクールのHPで紹介してくださいました。 以下にその内容を転記いたします。

★さまざまな社会問題の解決に取り組み、ソーシャルビジネスの潮流を学ぶ           細谷哲也

ある日、深夜のTV番組をつけると、インドネシアの貧しい地域の村人たちに、彼らの生活を改善できそうな機器を紹介する一人の日本人が取り上げられていた。NPO法人コペルニクCEOの中村俊裕氏であった。電気の引かれていない地域の住民たちは比較的高価で、煙を発する灯油ランプの代替品として紹介されたソーラーバッテリーライトに大いに関心を寄せていた。他にも眼科医にかからずとも自ら度を合わせられる眼鏡などが紹介されていたが、住民たちがこれらの機器を手に取った時の非常に喜んでいる姿が実に印象的であった。途上国の貧困という社会問題解決のためのアプローチがユニークであったことが心に残り、これが伏線となってABSで昨年初めて開講された「ソーシャル・アントレプレナー」クラスを受講するきっかけとなった。

このクラスでは様々な社会問題の解決に取り組むソーシャル・アントレプレナーとその起業戦略が紹介され、いくつものケースメソッドを通じて世界のソーシャルビジネスの潮流を学ぶ。上記のコペルニクの取り組みもケースとしてクラスで取り上げられたが、コペルニクの場合は、オンラインマーケットプレイスを通じて、先進国の寄付をしたい個人や企業、技術保有者、そして、発展途上国のローカルNGOをつなぎ、途上国の人々に革新的な技術を効果的に届ける活動をするというビジネスモデルを有する。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスのグラミン銀行もそうであるが、行政の一方的な支援によらずに、これまで貧困の連鎖から抜け出せなかった人々の真の自立支援を促す新たな仕組みをつくり出した点にこのソーシャルビジネスモデルのおもしろみを感じる。

しかしながら、国内外における政治・経済・社会情勢が急激に変化する中、貧困・格差・環境問題などの社会問題はますます多様化しており、それぞれの解決方法も従来の方法では解決できなくなってきているとも言える。「ソーシャル・アントレプレナー」クラスでは、実際に日本でNPO法人を立ち上げたばかりのゲストからその取り組みを伺い、受講者がチームを組んでコンサルティングもさせていただくという貴重な機会にも恵まれた。日本の教育格差サイクルの改善という社会問題に挑むNPO法人Teach For Japanの取り組みを4回に渡るコンサルティング・ワークショップで課題分析と解決策をチームごとに発表し、最終回には実際に同NPO法人代表である松田悠介氏に対してプレゼンをさせていただいた。

こうした授業全体を通じて得た感想としては、豊富なケース紹介と質の高い情報提供や説明をインプットしていただく一方で、コンサルティング・ワークショップやケース分析の課題提出といったアウトプットする要素も十分に与えていただき、ソーシャルビジネスに関する理解が時間の経過と共に深まっていくような授業構成を組んでいただいたと感じる。

現代は重い社会問題を抱える時代であると言えるが、それはMBAで学んだ様々な経営手法やフレームワークを用いての問題解決がこれまで以上に期待されている時代であるとも言うことができる。現にソーシャルビジネスは、ハーバードビジネススクール卒業生の最も人気のある就職先にもなっていると聞く。今後は日本でもソーシャルビジネスのニーズが認知されていくにつれ、民間企業とソーシャルビジネスの経営の垣根も段々となくなっていくことであろう。「ソーシャル・アントレプレナー」クラス受講者たちが「チェンジメーカー」となって、日本の社会問題の解決をリードしていく日もそう遠くないことかもしれない。

青山ビジネススクールのソーシャルアントレプレナーシップの授業については、こちら をご覧ください。

キャリア開発最前線

文部科学教育通信 No.313 2013-4-8に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る25をご紹介します。

今、学校に通う子どもたちが成人する頃に、今ある仕事の6割はなくなっているというダイナミックな予測が、海外ではなされています。グローバル競争の時代、企業は持続的な成長を実現するために、絶え間ない進化を続けています。経済の変動、技術革新、少子・高齢化の進行、顧客ニーズの変化など企業を取り巻く様々な環境の変化に対し、職場環境も変化を続けています。スリム化や効率化により組織のフラット化が進んでおり、仕事のスピード、意思決定のプロセス、昇進昇格の機会など、様々な形で人の働き方に影響が出ています。激動の時代に、自分のキャリアを守り、フラット化する組織の中で、自己成長し続けることは困難なことです。その現実を直視し、自己のキャリア開発にどう取り組むかを教えているのが、ノベーションズ社*1の開発した「タレントディべロップメント」プログラムです。

「タレントディベロップメント」には、キャリア開発のためのたくさんのヒントと使いやすいフレームワークが盛り込まれています。その中で、最も重要な教えは、キャリア開発のイニシアティブは、自分にあり、自分でその機会を創造していかなければいけないという考え方です。上司や会社が何かをしてくれるのを待つという考え方ではなく、自ら、道を切り開いていくという考え方です。フレームワークを用いてそのいくつかをご紹介しましょう。

 

● 【フレームワーク1】貢献の4ステージ®

1960年頃、ハーバード・ビジネス・スクールのダルトン教授とトンプソン教授は2000人の技師を対象に組織への貢献度調査を行い、この結果を元に「貢献の4ステージ®」というフレームワークを開発しました。二人は、技師の貢献度が35歳頃までは上昇するのにそれ以降は退職まで徐々に下降すること、同じように貢献度が高くても、若い世代と中堅世代と後年世代では全く違った行動や役割を果たしていることを発見しました。対象者の行動を時間軸に沿って捉えると、4つの異なるステージがあり、このステージをきちんと「移行」することで、いつまでも貢献者であり続けられることがわかりました。(出典:「Novations:Strategies for Career Management, Gene Dalton, Paul Thompson, Novations Group 1993)

ステージ1: 指示監督下での貢献

新入社員を想像してください。上司や先輩の指示監督の下、責任のある仕事を遂行するステージです。転職や部署を移動した直後、自立できるまでの学習期間もこれに当たります。

ステージ2: 自立的な貢献

上司や先輩の指示監督を必要とせず、自立的に仕事ができる状態です。上司や先輩も安心して仕事が任せられる状態と判断し、当人も、1人で職務を全うすることに不安はありません。もちろん、全ての仕事がこの状態にあるとは限らず、ある仕事ではステージ2でも、別の仕事では、ステージ1の場合があります。

ステージ3: 他の人を通しての貢献

有能な一個人から他者を活用して成果を出すステージに「移行」します。部下や後輩だけでなく、同僚や他部署の人たちや顧客や提携先など組織の壁を越えた人たちとの協働が求められるステージです。有能な個人から、他者を通して成果を出す人へと「移行」するには、職務遂行能力だけでなく、対人関係能力、交渉力、リーダーシップなど多くの力を必要とします。

ステージ4: 戦略的な貢献

第4のステージは、経営者目線で物事を捉え、戦略的なレベルで組織にインパクトを出すことができる状態です。第3のステージに求められる力に加え、視野の広さ、戦略立案力、中・長期的な視点などが求められます。

変化の激しい時代には、あなたの価値は地位ではなく貢献度で決まります。このため、キャリア開発において重要なことは、常に貢献者でいられるように貢献の『仕方』を変えていくことです。

 

●【フレームワーク2】キャリア・ベスト

キャリア開発において、キャリアベストと呼ばれる仕事を手に入れることが重要です。キャリア・ベスト(Career Best)とは、能力(Talent)、情熱(Passion)、組織のニーズ(Organization)

の3つの要素が全て揃った仕事のことです。自分の能力に適していて、情熱が注げる仕事であり、組織にとっても重要な仕事のことを指します。組織のニーズに該当しなくても、自分の情熱を捧げられて、能力が発揮できれば十分、と考える人もいるかもしれませんが、どれだけ頑張っても、周囲に評価されず、感謝されることのない仕事から、本当の意味での達成感を得られることはありません。能力、情熱、組織のニーズの3つが揃った時、人は良い仕事をしているという実感を持ち、やりがいを感じ、より真剣に仕事に取り組むことになり、その結果、自己成長を遂げます。

しかし、組織や上司が常にこのような状態を用意してくれることを期待するのは現実的ではなく、プログラムでは、自らがこのような環境を手に入れるために計画的に行動することを教えます。

 

●【フレームワーク3】キャリア志向

仕事に対する個人の動機・価値観を説明するのに、キャリア志向という考え方を用います。キャリア志向とは生まれ持った志向ではなく、仕事の経験により確立していく志向です。職業体験を通して、自分なりの心地よさを見出していくもので、人生の節目などにおいて変化していくものと考えられます。プログラムでは、次の5つの志向に分類しています。

◎上昇志向(アドバンスメント)・・・影響力、インパクト、上昇を求める

◎安定志向(セキュリティ)・・・認知、安定した仕事、尊敬、組織からの忠誠を求める

◎自由志向(フリーダム)・・・自分の仕事を行う上で、最大限の自由裁量を得ることを求める

◎バランス志向(バランス)・・・仕事、人間関係と自己開発の有意義なバランスを求める。
夢中になりすぎる仕事や興味が持てない仕事は避ける

◎挑戦志向(チャレンジ)・・・興奮、冒険そして『先端を行く』機会を求める

 

キャリア志向は、人の有能さを表すものではありません。研修プログラムは、それぞれのキャリア志向の強みとともに潜在的な落とし穴にも目を向けるよう教えます。例えば、上昇志向の人は、大きな仕事に対して責任を持つことやリーダーシップを発揮することを厭わず、結果を出すために最善を尽くす一方で、自己中心的になり、孤立してしまう可能性があります。バランス志向の人は、仕事にエネルギーを注がないわけではなく、仕事以外のことに費やす時間を捻出するために、計画的に仕事を組み立て、効率的に仕事をこなします。安定志向の人は、リスクを取る挑戦的な仕事を好まない代わりに、組織に対する忠誠心が高く、企業理念を体現するよき先輩役を担うことができます。それぞれの良いところを活かし、弱点を克服することにより、自らの個性を最大化することができます。

誰もが同じ志向であることを求めるのではなく、多様な志向が存在することを理解し、尊重することで、個人のやりがいと組織の成果を結びつけるという考え方は、これからのキャリア開発において大変興味深いものです。

学校教育を終え、企業に入っても、人は成長し続けることを求められます。変化の激しい時代に、組織に貢献できない人は求められなくなるという厳しい時代でもあります。植木仁氏が、「サラリーマンほど気楽な商売はない・・」と歌った時代は、はるか遠い昔のことです。 自律的学習力、主体的に道を切り開く力を、大学を卒業するまでに身に付けておくために、学校に何ができるのかを考えていく必要があります。(2996字)

 

*1 現在、「タレントディベロップメント」は、ノベーションズ社の買収先のコーン・フェリー社(グローバルな大手のエグゼクティブ・サーチ会社)が所有するプログラムとなっています。この記事はプログラムの内容を参考に書いております。

教師のタイムマネジメント

文部科学教育通信 No.312 2013-3-25に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る24をご紹介します。

ティーチフォージャパンは「すべての子どもたちが、環境や経済的事情に左右されることなく、必要な教育を受けられる社会、一人ひとりの可能性が最大限に活かされる社会の実現」をビジョンとして活動を行っています。4月から各地の小・中学校に16名のフェロー(教員)を2年間にわたり派遣予定です。このフェローを対象にティーチフォージャパンが行う研修はティーチフォーオールの全26加盟国の研修から良いものを採択して行われます。研修内容には、ビジネス界の知見を利用した内容もありますが、今回はその中で取り上げられている教師のタイムマネジメントについてご紹介します。

 

● 80-20の法則

成果や結果の8割は、その要素や要因の2割に基づくという一般法則をご存知ですか。「80:20の法則」「80-20ルール」とも言われ、経済学者のパレートが発見した経験に基づく法則であり、仕事や経済で良く使われています。「全所得の8割は、人口の2割の富裕層が持つ」(パレートの法則)、「故障の8割は、全部品の2割に起因する」(パレート原則)、「文章で使われる単語の8割は、全単語数の2割に当たる頻出単語である」(ジップの法則)、「売り上げの8割は、全顧客の2割に依存している」、「蟻の群れのうち、真面目に働いているのが80%、働かないのが20%」など、さまざまな現象・場面に見られます。仕事の成果の8割は、費やした時間全体の2割によって生み出されるのだとしたら、努力の平均水準を上げるのではなく、努力を1点に集中する方が効果的とも言えます。仕事をリスト化し、成果を生み出す20%の仕事は何かを見つけるという考え方が「多忙な」日本の教師に必要なスキルです。

 

● 仕事に優先順位をつける

優先順位をつける目的は、自分の仕事の中で「80-20の法則」に当てはまるものを見つけ、教室で優先的に行うことを特定することです。あなたが優先順位づけを行う際の基準は、これまで行ってきた仕事にどんな影響を与えてきたでしょうか。

私たちは、通常、1)緊急の仕事、2)自分が得意な仕事、3)好きな仕事、4)一番気にかかる仕事、に時間を使うものですが、実際に最も重要なのはどの仕事でしょうか。

ティーチフォージャパンでは、以下のような4つの優先順位づけのフレームワークをご紹介しています。

 

【フレームワーク1】5つのD

教師の職務は多岐にわたり、限られた時間の中で全ての仕事を完璧に行うことは不可能です。5つのDを使うことにより、仕事の優先順位を明らかにしましょう。

・Do (最優先課題)・・・今、すべき仕事、あなたのエネルギーと注意を最も必要としている仕事

・Delegate (委譲可能)・・・他の人に任せることができる、または誰かに手伝ってもらえる仕事

・Downgrade (下方修正)・・・する必要があるが、完璧にこなさなくてもよい仕事

・Delay (延期可能)・・・する必要があるが、今すぐにしなくてもよい仕事

・Drop (放棄)・・・する必要がない仕事

 

【フレームワーク2】時間管理のマトリックス

スティーブン・コヴィー氏は、著書「七つの習慣」で時間管理のマトリックスを述べています。全ての仕事は、重要度と緊急度に応じて以下の4つの領域に分けることができます。

緊急度 重要度.png

 

①重要かつ緊急な仕事:締め切りが近付いている仕事や宿題、クレームの処理、病気や事故など、つまり「危機」。
②緊急でないが重要な仕事:健康維持、人間関係づくり、自己啓発、勉強、準備や計画。多くの活動がこの領域にある人は健康で生活のバランスがとれているといえます。ちゃんと準備と計画を行っているので危機は比較的少ないと言えます。
③緊急だが重要でない仕事:多くの電話や横やり、突然の来訪や要求。緊急なので、相手にとっては重要かもしれませんが、自分にとってはそれほど重要でない仕事。「ノー」と言えない人はこの領域に時間を取られてしまいます。
④緊急でもなく重要でもない仕事:暇つぶし、些細なこと、テレビ、ゲームなど。多くの活動が③と④の領域にある人は無責任で他人に依存した状態になりがちです。これらの領域の活動に多くの時間を使うことをやめ、②の活動にもっと多くの時間を注ぐようにしましょう。

 

【フレームワーク3】 エネルギーとインパクトのマトリックス

仕事を注ぐエネルギーとインパクト(影響力)の観点から次の4領域に分けて考えます。

エネルギー インパクト.png

あまりエネルギーがいらないのに、インパクト(影響力)の高い仕事に力を注ぎましょう。逆に、エネルギーが必要な割にインパクト(影響力)の少ない仕事は避けましょう。

 

【フレームワーク4】

仕事を以下の3つに分類してみましょう。

1.      重要な仕事:絶対に必要な仕事、比較的早期に達成可能。

2.      可能な仕事:緊急性はないが長期で目標達成が可能な仕事

3.      できればやりたい仕事:改善につながる仕事、行うことによって、物事が簡単に、早く、良くなるが今すぐには必要でない仕事

 

● 優先順位を見直す

フレームワークを当てはめたら、もう一度、以下の観点から見直してみることが大切です。

・そもそも正しく仕事を分類していると言えますか?

・あなたが現在自分の仕事として行っていることは本当にあなたが適任でしょうか?

・優先順位づけを行った結果、効果の高い上位2割の仕事に時間とエネルギーを注いでいると言えますか?

 

● 優先順位を実行に移す

1)優先順位の高い仕事を「聖域」として扱い、その仕事に取り組んでいる時間は邪魔されないように時間を確保しましょう。

2)仕事とミッション(教師としての自分の使命)を結びつける次のような質問を自分に問いかけ、答えを書いてみましょう。

s   ミッションという観点から考えた時に今週、真っ先に私が取り組まなければならない最も重要な仕事は何だろうか?

s   その仕事を成し遂げるためにどのように時間を使ったらよいだろうか?

s   子どもたちの学習のために、この仕事は今すぐにやる必要があるだろうか?

s   もしそうだとしたら、そのために時間をどう使っていったらいいのだろうか?

3)タイムマネジメントのための時間をとりましょう。定期的に、フレームワークを使って優先順位の観点から前の週の仕事を振り返り、翌週の計画を立てましょう。

 

● タイムマネジメントを継続するヒント

タイムマネジメントを継続するためには、時間を取って毎週計画したことと、実際に実行に移したことを比較することが大切です。予期しない出来事が起きた時のために、自分の時間の2割を空けておきましょう。また、口頭や電話で済むことは手短に済まし、過剰にメールに頼ることは避けましょう。

新しい仕事が入ってきたら、その仕事が1)あなたの優先順位の観点からどの程度大事か、2)その仕事の時間の流れはどうなると予測できるか、3)現状のやり方よりも簡単な方法で仕事を行うことができないか、をまず考えてみましょう。

タイムマネジメントを徹底し、児童・生徒と向き合う時間や授業準備の時間をどれだけ捻出できるかが、教員としての成功のカギを握ります。教員にはタイムマネジメントの達人になって欲しいと思います。

スタンフォード大学から生まれたオンライン授業「コーセラ」

文部科学教育通信 No.311 2013-3-11に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る23をご紹介します。

スタンフォード大学から生まれたオンライン授業「コーセラ」が話題を呼んでいます。一流大学の講義を世界中どこからでも無料で受けられるという信じられない時代が到来しました。

米国スタンフォード大学のアンドリュー・ング、ダフニー・コラー両教授が立ち上げたこのオンライン授業には、同大学をはじめ、ミシガン大学、プリンストン大学、ペンシルバニア大学など米国の一流大学33校が参加しています。登録者数は250万人以上に上り、新たに東大を含む(2013年秋参加予定)29大学が参加を表明しています。

「コーセラ」の最大の特徴は、正規の学生が受けている大学の講義と同じ内容をオンラインにて無料で受講できる点です。講義は1週間単位で構成され、受講生は毎週、講義のポイントをまとめた動画と読み物で自主学習し、課題レポートを提出する、という流れになっています。

現在、開講されているのは、生物学、コンピューター、経済・財政学、音楽・映像学、医学や栄養学などの20領域、222講座にわたります。講座の例をあげると、「役に立つ遺伝子学」「グローバル課題解決のためのクリティカル・シンキング」「どうして心理学が必要か?」「世界の音楽を聴く」「肥満の経済学」など大人でももう一度勉強したいと思わせるような魅力的なテーマもたくさんあります。

 

このオンライン授業を始めるきっかけになったのが、スタンフォード大学の3つの人気授業です。一般公開したところ、それぞれ10万人以上が登録したそうです。例えば アンドリュー・ング准教授の人気授業「機械学習」は毎年400人以上が受講する授業ですが、同じことをスタンフォードの教室で教えようとすると250年教え続けなければなりません。そこで、クオリティの高い授業を可能な限り多くの人に届けることを可能にするために考えられたのが、オンライン学習「コーセラ」の始まりです。

190万人の学生が学ぶ「コーセラ」ですが、素晴らしいのは受講生の数ではなく、そこで学ぶ学生たちだと、コラー教授は言います。コラー教授のスピーチでは、「コーセラ」で学ぶ3人の事例があげられました。インドの村に住むアカシュは、スタンフォードの様なクオリティの授業に接する機会もお金もありません。二人の子どもを持つシングルマザーのジェニーは能力を磨き、大学に戻りたいと考えています。ライアンは、免疫不全の娘がいて家に雑菌を持ち込むリスクを回避するため、外出できません。最近ライアンから連絡があり、お嬢さんの病状がずっとよくなり、「コーセラ」で受けた授業をもとに仕事を得ることができるようになったそうです。

 

「コーセラ」は、受講生が自分のペースで無理なく学習が継続できるよう、講義用コンテンツにも工夫がこらされています。コンテンツを最初からオンライン向けにデザインすることで、1時間単位の授業をばらして、1つのコンセプトが8分~12分で分割して説明されています。学生はそれぞれの背景知識に応じて違う順序で教材を見ていくことができます。この方式を取ることで、全員に一律同じものを押し付ける従来のモデルをこわし、個人に合ったカリキュラムを組めるようになりました。また、学習内容を本当に理解したかどうかを確かめるために、学生に数分ごとに質問が投げかけられ、質問に答えられないと次に進めない仕組みになっています。

学習のためには、学生が出した答えが正しいか間違っているかを伝えるフィードバックが重要ですが、テクノロジーの進歩によって、様々なタイプの宿題の採点が可能です。選択肢式の問題だけではなく、数式や微分の問題、経営の授業での金融モデルや科学や工学の授業での物理モデル、複雑なプログラミング問題も採点できます。

人文、社会科学、経営学などの批判的思考力を見るような課題には、テクノロジーによる採点が適さないことから、学生同士の相互採点システムが採用されています。過去の経験から、学生による相互採点は教師による採点と非常に高い相関関係を示す効果的な採点方法だということがわかりました。この相互採点システムは学生に採点の体験から学ぶ機会を与える効果的な戦略です。

ネットワークを通じて、受講生同士が積極的にコミュニケーションをとれることが「コーセラ」の魅力の一つです。オンラインコミュニティでの学生同士の交流は実際の教室でのつながりよりも広くて深いものになっています。実際に毎週集まる地域限定での学習グループから他の文化圏の人との交流を望むユニバーサルな多文化の学習グループまでコミュニティは様々です。Q&Aフォーラムを通じて、わからないことや意見を求めれば、同じ授業を受講している他の学生から答えが返ってきます。世界中の学生の誰かが受講しているはずなので、およそ22分程度で返答が返ってくるのだそうです。

 

興味深いのは、このオンライン学習システムから、教師側が、人間の学習に関する様々なデータを得ていることです。何万と言う学生によるあらゆるクリック、宿題の提出、投稿データは、人間の学習に関する良い研究材料です。これらのデータを使って「効果的な優れた学習戦略とそうでないものは何か」という質問に対する根本的な答えを見つけることができます。これは生物学に革命をもたらしたのと同じ変化です。

例えば、アンドリュー・ング准教授の「機械学習」のオンライン講義では、ある課題に対し2000人の学生が同じ間違いをしたことから、この間違いを分析し原因を突き止めることにしました。現在では、この間違いに対して専用のフィードバックが用意され、学生を正解に導くことが可能となっています。これは、100人教室の授業で2人が間違ったのでは、見逃されていた問題かもしれません。

 

学習効果という点では、集団講義よりも個別学習が最も効果的です。学生全員に教師を割り当てることは不可能ですが、コンピューターやスマートフォンを提供することはできます。コンピューターは同じビデオを5回繰り返すことも同じ問題を繰り返し採点するのも厭いません。オンライン学習では、実際、習得度ベースの学習が実現され、個別学習と呼んでもいいほど効果の高い学習になっています。どこまで学習効果を高めることができるかが今後の挑戦となります。

コラー教授はまとめとして最高の教育を世界中の人に無償で提供できた時に起こることを、3つ述べています。

①   教育が基本的人権として確立されます・・・やる気と能力を持った世界中の誰もが自分や家族やコミュニティにより良い生活をもたらすために、必要なスキルを手にできる権利です。

②  生涯学習が可能になります・・・多くの人が高校や大学を卒業した時に学びをやめてしまうのは残念なことです。素晴らしい学習コンテンツが提供されることで、望む時にはいつでも新しいことを学び、視野を広げ、生活を変えることができます。

③  新たなイノベーションの波が生まれます・・・才能を持った人がどこにいるかわかりません。明日のアインシュタインや明日のスティーブ・ジョブズはアフリカの僻地の村にいるかもしれません。その人たちに教育を提供できたなら、彼らは次の大いなるアイデアを生み出し、全ての人のため、世界をより良い場所に変えてくれることでしょう。

 

5月には、米ハーバード大学とMITが協力してオンライン教育プログラムを拡充し、共同事業[edeX]を立ち上げる予定です。一流大学によるオンライン授業への進出はもはや一時的な流れではなくなっています。

*コーセラに興味をお持ちの方は動画 TED Talks ダフニー・コラー 「オンライン教育が教えてくれること」をご覧ください。

心の教育と学校

文部科学教育通信 No.310 2013-2-25に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る22をご紹介します。

心の教育の重要性は誰もが認識しています。いじめのない学校や、道徳心を育む学校創りを目指さない学校はありません。一方で、いじめは深刻化する一方であり、道徳心は希薄になる傾向にあることを、危惧する声は絶えません。そこで、心の教育とは何かについて、少し違う視点から捉えてみたいと思います。

 

感情による思考の支配

ハーバード教育大学院で行われている教育の未来についての勉強会で学んだ脳科学と教育の融合は、心の教育における大きなヒントになります。米国では、脳科学者と心理学者と学校の先生が協力して「子どもにとって効果的な学習とは何か?」ということを模索し続けており、ハーバード教育大学院にもMBE(Mind, Brain & Education)という新たな領域が登場しました。研究の結果明らかになった事は、感情が私達の思考や判断を支配しているという事実です。

私たちは、生活をする上で様々な決定を下しますが、その際に指針となるのが過去の経験です。自分のとった行動の結果を、その時に味わった感情から「知恵」と「愚行」に区分して知識として脳の中に蓄え、次に決定を下す際の指針にします。また、行動の結果を予測した時に起きる感情も決定を下す際の指針となります。脳の前頭前皮質に損傷を受けた患者が合理的に判断できなくなってしまうのは、思考を支配する感情という指針を失ってしまうからです。患者は過去の経験から学ぶことができないだけではなく、新しい経験から学んでいくこともできなくなり、間違った意思決定を行いがちです。このように論理的思考から感情が切り離されてしまうと、思考したり、決定したり、学習したりする能力が欠落してしまうのです。

 

いじめにおける「知恵」と「愚行」

先日、NHKで、ハーバード大学のサンデル教授と、日本の中学生がいじめについて話し合う授業を視聴しました。そこで、明らかになったことは、誰もがいじめはよくない、と考えているということでした。一方、多くの生徒は、いじめを止める行動にでないという意思表明をしていました。その背景には、いじめを止めようとすると、自分がいじめの対象になる可能性があること。先生に「チクル」ことは望ましくない行動であることが挙げられます。このことを、脳科学の発見に照らして考えると、いじめに対処することは、「愚行」であると生徒たちが感じているということです。そして、もちろんこの認識は、生徒の過去の経験、つまり、失敗体験に基づいています。

知人の高校の先生が生徒たちに、「なぜいじめに対処しないのか」と尋ねたところ、生徒たちからは、対処した結果どうなったかという失敗体験が次々と出されたそうです。いじめを先生に伝えた時の先生や学校の対応はさまざまです。全校生徒を集めてお説教をする校長先生や、いじめている子を呼び出してお説教をする先生、学級全体にいじめをやめようと話をする先生、どの先生方も、いじめを無くそうと一生懸命です。ところが、先生が介入したことにより、その後、いじめは更に悪化し、いじめを報告した生徒もいじめに巻き込まれたり、周囲から恨まれたりするというのが一般的な顛末です。良かれと思って対処しても自分も周りも報われない、というのが、子どもたちの共通認識なのです。

いじめに対処することが「愚行」という子ども達の認識は、驚いたことに日本だけのものではないようです。1990年代に、いじめや学級崩壊が問題になったオランダでも、子どもたちのいじめに先生が介入すると、かえっていじめが悪化してしまうという現象が繰り返されました。そこで、オランダでは、教育の方向転換を図り、先生が介入する代わりに、子ども達自身でいじめに対処する方法を「ピースフルスクール」プログラムを使って教えることにしました。過去に何度かご紹介していますが、「ピースフルスクール」は、オランダで最も使用されているシチズンシップ教育プログラムです。いじめやコンフリクトの解決を発端として、学校やクラスを民主的な共同体に変えていくことを狙いとしています。

「いじめが悪い」というのは誰もが知っている事実ですが、今の学校や教室では、いじめを制止する力を誰も持っていない、という認識のもとに、新たにいじめ対策を見直す必要があるのではないかと思います。

 

生きる力は学校では「愚行」?

いじめ以外にも、学校教育における「愚行」について、もう一つ気がかりな事があります。それは、「生きる力」に関連する心の習慣についてです。生徒のために良かれと思って行っている学校教育が果たして「生きる力」の育成に役立っているでしょうか。以下に挙げたリストは、学校教育において慣習とされている事柄です。生徒の立場になってこのリストをご覧下さい。

○目的とゴールなしに授業を受ける

○正解しか発言してはいけない

→主体性にどのような影響を与えるでしょうか?

○批判的ではなく素直に、(先生や大人の)話を聞く

○先生が決めたことに、生徒は従う

→クリティカルな思考にどのような影響を与えるでしょうか?

○授業(学習)の準備は、先生が行う

○問題(問い、必要な情報、正解)を用意するのは先生である

→社会に出てからの問題解決力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

○学習の中心は、既知の事実に限定される

○正解はすでに用意されている。自分で考える必要はない

→未来を切り開く力、創造する力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

○勉強や考えることは、一人で行った方が能率的である

○異なる意見は、場を混乱させ、効率を低下させる

→みんなで考える力に、どのような影響を与えるのでしょうか?

 

人間形成の場としての学校

日本で最高峰とされる大学で、ある大学生が私に言った言葉です。「高校を卒業するまで、私はとても優秀な生徒でした。先生の言う事をしっかりと聞き真面目に勉強しました。そして希望の大学に入りました。でも、今、私は先生や学校教育に裏切られた気がしています。大学に入ると突然、放任で、社会に出ると自己責任です。こうなるのなら、もっと前に準備をさせてほしかったです。」この話を聞きながら、オランダに教育視察に行った時の事を思い出しました。

2011年にオランダに教育視察に行き、小学生が3か月の学習を振り返り、「誇りに思うこと、その理由、苦労したこと、次はどこをもっと上手にやりたいか」について自然に語っている姿や、生徒が喧嘩の調停を行っている様子を見た時に、この年齢でもリフレクションや調停ができるという事実に衝撃を受けました。そして、私達大人が、子どもへの期待を低く持つことにより、子どもは、幼稚化するのだということを認識しました。同時に、オランダでは、小学生が自然に行っている多様性の尊重や対話による問題解決を、日本では、大人でもできていないことを認めざるを得ませんでした。

学校とは、リヒテルズ直子氏の言葉を借りていえば、*「個々の子どもが自分の能力を発見し、それを最大限に延ばして、将来、社会の中で自分の居場所を見出し、その場での活動を通じて、この社会の一層の発展に積極的に関われるようにするための人間形成の場」であるべきだと思います。

生徒が、生きる力を育み、大人になるための人間形成を行う学校において、子ども達の体験が、何を感情に刻み込んでいるのかを見極める必要があります。

いくつかの学校では、心の教育を見直す動きが始まっていますが、知識偏重型の心の教育では生徒の心に届く教育にならないのではないでしょうか。

 

*引用:「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」(リヒテルズ直子著、平凡社、2006年)

システムシンカーズカフェ

文部科学教育通信 No.309 2013-2-11に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る21をご紹介します。

昨年12月から、月1回のペースでシステムシンカーズカフェというワークショップを実施しています。1月22日に行われた第2回のテーマは、教育です。教育に強い関心を持つ社会人、学校関係者が20名集まり、システム思考を活用した対話を通して、教育の課題認識を深めました。

 

なぜシステムシンカーズカフェを始めたのか

システム思考を活用した対話の場をスタートさせた背景には、子ども達にシステム思考を身に付けて欲しいという強い願いがあります。このシリーズでも、システム思考については、これまで4回に亘ってご紹介させていただきましたが、システム思考は、21世紀を生きる子どもたちに必須の思考法です。

 

システム思考のメリット

システム思考で考えることのメリットは、たくさんありますが、カフェでは、代表的な3つの力をご紹介しました。

● 問題解決力
環境問題をはじめとする複雑な社会問題の解決に、システム思考は不可欠です。2008年に起きた金融危機は、グローバル化した金融システムの一部に起きた信用不安が、世界経済に連鎖を及ぼした代表的な例です。環境問題においても、経済発展が進む中国やインドにおける自動車の普及は自動車産業の成長の機会である一方、地球環境に深刻な影響を及ぼしています。

● ソーシャルチェンジやイノベーションを起こす力
社会起業家の父と言われるアショカ財団の創立者であるビル・ドレイトン氏は、チェンジメーカーを育てることを使命とし、活動をしています。彼は、社会システムを変えることを提唱しています。「魚を与えるのではなく、魚釣りを教えよ」という諺は、誰もが知っていますが、ビル・ドレイトン氏が提唱するチェンジメーカーとは、釣りを教える人ではなく、漁業システムを変える人を指します。
金融システムを変えたムハマド・ユヌス氏の事例をご紹介しましょう。バングラディッシュでマイクロクレジットと呼ばれる少額のお金を貸すグラミン銀行を始めたユヌス氏は、経済学者として貧困問題を解決したいと考えていました。調査の結果、明らかになったのは、貧困から抜け出せない人々の実態です。7ドルのお金がないために、竹細工を創る材料を買うことができず、貧困から抜け出せない多くの人々がいました。彼は銀行にお金を貸すように依頼しますが、銀行は契約書も読めない人々に、たった7ドルを貸し付けてもビジネスにならないと言い、ユヌスさんの要求を断ります。そこで、ユヌス氏は、システムを変えることを決意します。お金を貸し付ける目的は、自立の実現です。貸し付ける相手は、働く意欲のある女性たちで、契約書を交わさない代わりに、女性たちに仲間を作って相互支援を行うことを約束させ、銀行にも指導に入ってもらいます。ユヌス氏が作った新たな金融システムは、現在、世界中の貧困問題の解決に生かされています。契約書もないのに、返済率が97%という事実には、従来の銀行システムに身を置く人たちには信じられないかもしれません。このようなシステムチェンジを起こす人々が、今、世界中に増えています。これまでの延長線では解決できない問題を解決するためにシステム思考は必須です。

● リフレクション力
昨年6月に参加した「学校教育にシステム思考を導入する研究会」で紹介されたのは、小学一年生の行ったリフレクションの例です。3人の男の子たちが、僕たちはなぜケンカをするのかというテーマで、システム思考を活用しリフレクションを行っている映像を見せてもらいました。彼らは、時系列で何が起きたのかを振り返り、そこにはどのような要素があるのかを考えました。その結果、一つの自己強化ループを発見しました。悪い言葉を相手に言うと、相手は嫌な気持ちになる、嫌な気持ちになると、相手はさらに悪い言葉を返してくる、この連鎖が繰り返され、怒りが爆発すると、喧嘩になるというシステムを発見しました。次は、解決策です。どこに介入すれば、このループを断ち切ることができるのかを考えた末に、明らかになったのは、ポジティブな自己強化ループの存在です。良い言葉を相手に伝えると、相手は気持ちが良くなる、気持ちが良くなると、相手もまた、良い言葉を返してくるというシステムです。こうして、システム思考を活用しリフレクションを行うことで、自己の言動をメタ認知する習慣を身に付けることができます。

 

システム思考を活用した実際の対話の例システムシンカーズカフェ.jpg

【ステップ1】

最初にテーマ設定を行います。4~5人のグループを作り、テーマを決めてもらいます。テーマは、「なぜ○○○なのか」という表現で設定します。今回、4つのグループが設定したテーマは、以下の通りです。

1.なぜ当事者は気づいているのに、偏差値教育から脱却できないのか。

2.なぜ一斉授業形態はなくならないのか。

3.なぜ教師のモチベーションは下がってしまうのか。

4.なぜ教員の地位が低下して(し続けて)いるのか。

 

【ステップ2】

各グループは、ステップ1で決めたテーマに基づいて時系列に何が変化したのかを洗い出します。教員をテーマにしたチームでは、変化したこととして、次のような意見が出されました。報告書などの雑務の増加、通塾する子ども達の増加、教育NPOの増加、インターネットの普及による知識の希少価値の低下、教育課題が社会問題になることによる学校への圧力の増加、教育委員会による管理の強化、ゆとり教育からの揺り戻しによる授業時間数の増加、教員批判の増加、共働き家庭の増加、親の労働時間の増加、兄弟数の減少、教育格差の拡大、社会不安の増加などです。多様な人々が集まることにより、このように多数の意見が出て、広範囲にテーマを捉えることができます。(写真挿入)

 

【ステップ3】

時系列で変化する要素の中から、重要と思われるものを洗い出し、丸い円の周囲にポストイットを使い、張り付けていきます。次に、要素の中から原因と結果という関係性を見つけ、モールを使い、つなぎ合わせて行きます。

 

【ステップ4】

原因と結果を結びつけた要素が、それぞれどのような関係になっているかを見出す作業を行います。4つのテーマを統合してわかったことは次のような連鎖関係です。親の多忙や共働き家族の増加は、子どもに掛ける時間の減少を生み、家庭教育の質に低下につながります。家庭教育の質が低下すると、社会の学校教育への期待が高まります。学校教育への期待が高まり、その期待に学校が答えられないと、社会の教育への不満が高まり、教育批判が増加します。教育への批判が高まると、教員の不安感が高まり、教員の変化対応力は低下します。モチベーションの低下にもつながります。メディアは、良い先生や学校の心温まるストーリーを報道することが少なく、いじめや体罰事件の報道や教員批判は、教員希望者の減少につながり、学校教育の質の低下は止まりそうにありません。このようにシステムを描いてみると、企業における社員の働き方や、学校批判を繰り広げるマスメディアも、教育の質の低下の要因の一部を担っていることがわかります。

 

参加者からは、「教育における課題が俯瞰して捉えられるようになった」という声が寄せられています。システムシンカーズカフェは、今後も月1回のペースで続けて行きます。今後も、教育をテーマにした対話を続けていきたいと思います。

サウジアラビアの教育

文部科学教育通信 No.308 2013-1-28に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑳をご紹介します。

2012年の暮れに、日本貿易振興機構(ジェトロ)が主催するサウジアラビア視察団に参加しました。団長は、昭和女子大学長の坂東真理子先生です。

サウジアラビアは、アラビア半島に位置する敬虔なイスラム教徒の国です。1932年に、アブドゥルアズィーズにより建国された君主制の国家で、国土は、日本の約6倍、その95%が砂漠です。人口は、約2900万人で、その66%が、29歳以下という若年層の比率が極端に高い国です。1938年に、油田が発見され、今日では、世界最大級の石油大国になっています。日本は、石油の約33%(2011年)をサウジアラビアから輸入しています。

 

サウジアラビアの教育の歴史

サウジアラビアの近代教育の歴史は新しく、教育制度が確立されたのは1953年で、当時の生徒数は全国でわずか3万人程度でした。女子教育が始まったのは1960年です。1960年当時、初等中等教育の就学率は、男子で22%、女子はわずか2%に過ぎませんでしたが、現在では、8割近くまで向上しました。高等教育では、1957年に初の総合大学であるキング・サウード大学が設立されています。現在では、国立大学が6校あり、約65万人の学生が学んでいます。最近では、有力王族が経営する私立大学が増加しています。

教育の基本理念をイスラム教の教義に置いていることが特徴で、サウジアラビア建国の歴史などの愛国心教育に重きが置かれています。そのため、数学、物理などの理数系科目の教育水準が低く、国際的水準に到達していないという課題もあります。

 

新たな教育改革への取り組み

2005年に発表された「国王のビジョン」が掲げる2大改革は、教育改革と、産業多様化による雇用機会の創出です。教育投資は、急増する若年人口の教育ニーズに答えるための重要な取り組みです。宗教に偏重した教育制度を改革し、教育の充実を図るために、この数年間 国家予算の25%を教育分野に配分しています。巨額な予算は、新規学校の建設、既存の学校の修繕、IT機器など教育インフラの充実、教師の育成に投じられます。予算報告によれば、2008年には、新規に2074校の学校が建設され、建設中の学校が4532校ありました。韓国のLGは、拡大する学校市場のためにエアコン工場を建設したそうです。

 

海外留学の奨励と奨学金制度

国際的なレベルで活躍できるサウジアラビア人学生を養成するために2005年に海外の大学に派遣する奨学金制度が創立され、これまでに世界24カ国に約45000人の学生が派遣されています。日本にも、この制度を活用し、248名の学生が留学しました。授業料および、住居手当が全額支給されるほか、月額奨励金と呼ばれるおこづかいまで支給されるというとても恵まれたプログラムです。

 

視察訪問先

首都リヤドでは3日間に亘り、3つの大学(アル・ファイサル大学、プリンセス・ヌーラ女子大学、プリンス・スルタン大学)と幼~高校生対象のリヤドスクール、Arts and Skills Instituteというデザイナー専門学校等を見学しました。印象に残った視察先の中から、いくつかをご紹介したいと思います。

 

女性とアバヤ

訪問先のご紹介をする前に、敬虔なイスラム教徒の国サウジアラビアの視察について触れておきます。

女性は、外出する際に、アバヤという黒い洋服とスカーフを着用するのが決まりです。親族以外の男性と対話を持つ事も原則ありません。訪問した女子部の校舎内では、アバヤを脱ぐことが許されます。もちろん、女子部の教師は、全員女性です。保護者会も、男子生徒には父親、女子生徒には母親が出席するという徹底ぶりです。このような規律に従い、私たちも、サウジアラビア訪問中は、アバヤを身にまとい、女子部の見学のみが許されました。頂戴した学校案内にも、女性の姿はなく、男子生徒の様子のみが紹介されているので、慣れないと少し違和感があります。

 

●リヤドスクール

リヤドスクールは、王族を含む多くのサウジ人の子弟が学ぶ幼・小・中・高一貫の私立名門校で、現在の理事長はサルマーン皇太子です。

2015年までに国内トップ5スクールになる事を目指し、オーストラリア人の校長を中心に、教育プログラムの充実が図られています。世界有数のコンサルティングファームであるボストンコンサルティンググループに教育効果を高めるためのコンサルティングを依頼し、スポーツ教育強化策のためにサッカーチーム、レアルマドリードと契約するなど、スケールの大きさに圧倒されました。

2013年には、小学生を含む全学生に、iPadを支給し、ITシステムを活用した教育を行う準備が始められています。国家の要請によるイスラム教育が、カリキュラムに占める割合は2割(イスラム教、アラビア語、国の歴史)で、残りの8割は、学校の独自性が尊重されています。

リヤドスクールには、男女の生徒が通っていますが、女性視察団は、女子校舎を見学しました。校長室でお会いした小学生から、直接話を聞く機会がありました。校長先生の質問に従い、将来の夢、この学校の好きなところ、改善したいところなどを、流暢な英語で話してくれました。生徒は、小学校4年生と5年生ですが、将来の夢は、外科医、作家、弁護士、学校の先生と、とても現実的でした。みんな、学校が大好きという点は、共通していました。一人の生徒が、放課後に、学校に残り何か活動をしたいと改善提案をしました。すると、校長先生が、「具体的には何時まで残りたいのか お友達も同じ考えか」と尋ねます。そして最後に、「お友達の考えをリサーチして、どういうトーンだったのか、校長先生に教えてください」と伝えました。イスラム教徒は、日本同様に目上の人を大切にすると聞いていますが、生徒の意見を尊重する校長先生の姿に、近代教育の姿を垣間みる事が出来ました。

 

●女性教育

サウジアラビアは、イスラム教国の中でも、厳しい戒律を持つ国で、アバヤや黒いスカーフの着用が徹底しています。女性は車を運転することができず、常に、男性が送り迎えをするなど、日本人女性が話を聞くと、とても不自由な生活を強いられている様子を想像するかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

1960年代にスタートした女子教育は確実に無を結んでいます。例えば、法学部を卒業した女性は、これまで法廷に立つことが許されませんでしたが、今年から、一定の経験を積むことを前提に法廷に立つ事が許されるようになりました。女性に教育の機会が与えられ、プロフェッショナルとして活躍する環境が次々と整備されていくサウジの女性は、黒いスカーフの与える印象とは正反対に、むしろ、日本女性よりも、何倍も元気で生き生きとしているというのがプリンス・スルタン大学視察後の感想です。

 

●エリート養成教育

リヤドスクールで話題になった国家エリート養成プログラム『モヒバ』に参加している学生と、その後、偶然出会う機会がありました。小学4年生で試験を受け、理数系の優秀な学生が選抜され、『モヒバ』に参加します。環境問題を始めとする国家レベルの問題解決に必要な教育を受け、問題解決に必要な論理的思考をトレーニングしているそうです。彼女は、高校生ですが、ブラウン大学のe-ラーニングを受講する機会も与えられており、その中で、将来のキャリアを選択していくと話していました。

アバヤを身に纏い、流暢な英語で、理路整然と話す女子高生の様子には圧倒されました。アブドッラー国王のビジョンは、女性のエリート教育も視野に入れており、彼女の姿はその成果を証明するものでした。

世界の若い教育改革者たちの集まり

文部科学教育通信 No.307 2013-1-14に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る⑲をご紹介します。

2012年11月12日から15日にかけてチリのサンチアゴで開かれたティーチ・フォー・オールの年次総会2012に参加してまいりました。ティーチ・フォー・オールは、世界26カ国の教育団体のグローバルなネットワークで、今年で5周年を迎えます。アメリカ、イギリス、チリ、インド、中国などの国々が加盟しており、有望な未来のリーダーを教師として派遣することで、教育格差を解消するための活動をしています。

総会では、ティーチ・フォー・オールの活動に関わる関係者が約200名、世界中から集まり、各国での教育改革の状況を共有し、それぞれの組織が抱える重要な問題を一緒になって考えました。チリの教育大臣ヘラルド・バイエル・ブルゴス氏の講演や、OECD事務総長 アンドレア・シュライヒャー氏のテレビ会議での参加など、グローバルな教育改革についても、世界の事情を共有する意見交換が行われました。

ティーチ・フォー・オールは、アメリカで1989年に、「いつか、すべての子どもたちが素晴らしい教育機会を持てるように・・・」というビジョンを実現するために、ウェンディ・コップが創立したティーチ・フォー・アメリカが起源です。その後、マッキンゼー社に勤務していたブレッド・ウィグドーツ氏が、イギリスの教育課題を解決するために、2002年にティーチ・ファーストをロンドンに立ち上げました。ティーチ・ファーストの成功事例が世界で話題となり、ブラッドの元には、世界中から、自分の国の教育課題を解決したいという問い合わせが来るようになりました。そこで、世界の教育改革に取り組む仲間を支援するために、2007年に、ティーチ・フォー・オールが設立されました。日本も、今年から、26番目のメンバーとしてこの活動に参加しています。

 

ティーチ・ファースト

 ここからは、ティーチ・フォー・オールの仲間の一つ、英国のティーチ・ファーストの例をご紹介しましょう。

低所得者層のイギリスの子どもたちは裕福な家庭の子どもたちに比べて教育上、平等な機会に恵まれていません。低所得者の住むコミュニティで育った子どもたちは、学業成績が低いまま、良い就業機会に恵まれず、犯罪に巻き込まれたり、麻薬の常習者となって健康を損なうなど、生活全般にわたって悪循環状態に陥りがちです。このような状態は本来あってはならず、ティーチ・ファーストは「すべての子どもたちの教育的成功は社会・経済的状況により制限されるべきではない」というビジョンを掲げています。

ティーチ・ファーストの参加者は、イギリスで最も貧困な家庭の生徒の割合が高い学校で2年間、教壇に立ちます。2年間が終わると、参加者の半数以上がその後も継続して低所得者層のコミュニティで教壇に立つことを選びます。残りの半数は政府、一般企業や自ら始めた社会起業などでティーチ・ファーストのビジョンを実現します。

ティーチ・ファーストは、毎年拡大を続け2003年には163人の参加者が、2012年には997名まで増加しています。2012年現在、ティーチ・ファースト大使として教師を経験した若者の数は累計2000人以上にのぼります。2012年に、ティーチ・ファーストは、タイムズ紙のTop 100 Graduate Employers(大学卒業生の就職先100社)の中で4位になり、2013年は英国で1位の大学生の就職先になります。

総会に参加し、どの国にも、教育課題があるということが分かりました。教育課題の特性は、国により異なります。学校が不足しているという国から、学校はあるけれども、教員の質が低く、教育効果を挙げられていないという国、経済格差による教育格差が明確な国などです。また、旧態依然とした教育を受け続けている子ども達の未来に生きる力に危機感を覚え、改革に乗り出した仲間達もいます。

 

世界の仲間からのメッセージ

以下は、教育改革に取り組む世界の仲間からのメッセージです。皆さんの共感するメッセージはありますか。

○   ほかの子どもたちと同じように低所得者層の生徒も学ぶスキルと意欲を持っている。実際、彼らは学びたいのだ。どんなに彼らが学びたがっているかを理解することは重要である。(ドイツ)

○   すべての生徒は育った背景や生活環境に関わりなく、信じられないほどの様々な驚くべきことを学ぶ力を秘めている。ただ、私たちがあまり期待しないと、生徒たちも自分が出来るとは思わないだけである。 (オーストラリア)

○   すべての子どもたちは学びたがっている。子ども達が秘めているこのような態度を引き出すことが先生としての我々の仕事である。 (オーストラリア) 

○   すべての子どもたちに合うやり方などない。一人ひとり個別に対応するだけだ。(レバノン)

○ 教育改革はどこかで始めなければならない。それは教室からである。(ペルー)

○   教えることと学ぶことには切っても切れない関係がある。先生は常に学ぶ気持ちがないといけない。(オーストラリア)

○   イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである。(イギリス)

○ 教育の上で、今まで子どもにベストなことを望まない親に出会ったことはない。(アメリカ)

○   子どもを褒めてあげると親がどんなにか驚くのを何度も目にしてきた。親なら当然知っているだろうというような簡単なことを褒めてあげても、親は涙を流して喜ぶのである。(ペルー)

○   子どもの事を気にかけない親はいない。ただ、どうしたら子どもをサポートしてあげられるかがわからないだけである。 (オーストラリア) 

 

日本の教育課題は、他の国の課題とは異なります。

チリでは、「日本の教育は素晴らしいと聞いていますが、何が教育課題なのですか?」と多くの人から尋ねられました。確かに、子どもたちには、義務教育の機会が与えられており、大学進学率も、5割を超えています。統計的には、教育課題を説明することが他の国に比べて容易ではありません。

経済格差による教育格差は日本にも存在します。日本においても155万人(7人に1人)が就学援助の対象となっています。この他にも、既存の教育システムの制度疲労の問題があります。いじめや不登校、学ぶ意欲の低下、生きる意欲や未来に夢を持つ子どもの減少、21世紀を生きる力を習得できない教育システム、ダブルスクールを前提とした教育システムなど、学校システムの目的の見直しが必要です。

表面的な大学進学率は、リメディアル(大学入学時の補習教育)の必要な生徒の数を反映していません。大学がまるで高校のようになっているという現実は、新卒社会人が社会の求める人材としてのレベルに到達できていない事実としても表れています。

世界の教育課題に触れ、日本の教育課題の複雑性こそが課題なのだということを、改めて認識しました。そのため、教育関係者においても、課題認識において統一感がなく、対応策も、多様化しているのでしょう。

世界の仲間からのメッセージで、

「イギリスではすべての両親は、子どもたちが学校に行くことを喜んでいる。しかし学校に行くことで何かを失っていることを知ったら、両親は怒るだろう。そしてそれは当然のことである」という言葉に共感を覚えました。学校に行くことで失うものの代表例は、主体性、創造性、間違っているか否かを気にせず自由に発言する力などです。主体性や創造性を伸ばす学校教育を行う事は、これからの学校の在り方を考える上での大きなテーマになると思います。

Back To Top