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2025.10.15
ダイバーシティ経営
スポーツをテーマに考えるダイバーシティと人権
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2025.10.13文部科学教育通信掲載

はじめに

9月7日に開催された日本大学ダイバーシティシンポジウムに参画し、スポーツをテーマにダイバーシティについて考える機会をいただきました。これまで企業の中で「ダイバーシティ」といえば、ジェンダーや年齢、国籍や障害の有無など、組織の構成に関わる多様性に焦点が当てられてきました。しかし、改めてスポーツをテーマに据えてみますと、ダイバーシティに対する視点は大きく広がり、人間社会にとっての多様性の意味をより深く捉えることができると実感いたしました。

 

スポーツとダイバーシティ

ユネスコが掲げているように、スポーツは「すべての人の基本的権利」であるとされています。人は障害や性的指向、経済的格差を超えて、誰もがスポーツに参加できるべき存在です。この認識は、ダイバーシティを単なる「違いの承認」にとどめず、平等・包摂・相互理解を具体的に体験できる場としてスポーツを位置づけています。

 

テクノロジー革新と個の能力拡張

スポーツの世界では、テクノロジー革新が「公平性」とどのように関わるかという問題が常に問われてきました。ドイツの義足アスリート、マルクス・レーム選手はその象徴的な事例です。彼は走高跳で世界的な実力を示し、2014年のドイツ選手権では健常者選手を抑えて優勝しました。しかし、使用していた義足が自然な足より長く、不公平な優位性をもたらす可能性があると指摘され、欧州選手権やオリンピックへの参加は認められませんでした。レーム選手は「機械的補助」に該当すると判定され国内大会でも記録が公認されませんでした。

この議論は、義足が単なる補助具なのか、それとも競技上の「機械的利点」となるのかという難しい境界線を浮かび上がらせました。スポーツにおけるテクノロジーの進化は、人間の尊厳を守るべきか、それとも技術革新を受け入れるべきかというせめぎ合いの中で進んでいます。ここに、スポーツが持つ理念体系の独自性が表れていると思います。

 

スポーツとビジネスの対比

ビジネス界では、AIをはじめとするテクノロジー活用が急速に広がっています。企業は人間の能力をテクノロジーによって拡張することを「生産性向上」や「競争優位性の獲得」として推進しています。もちろんAIが人間の仕事を代替するリスクに対する懸念は存在します。しかし、議論の中心は「公平性」ではなく「効率性」や「成果」であり、ダイバーシティの観点から語られることは少ないのが現状です。

一方で、スポーツにおけるテクノロジー革新の議論は必ず「公平性」や「人間の尊厳」を参照します。義足、補助具、データ解析技術などの活用に対して、「競技の本質を損なわないか」「他の選手との平等な条件を崩さないか」という問いが常に投げかけられます。ここには、ユネスコ憲章やオリンピック憲章が繰り返し強調してきた理念が反映されています。

ビジネスが競争力の源泉として「差」を追求するのに対し、スポーツは「差を認めながらも公平な競争を維持するルール」を守ることを最優先します。この違いは、ダイバーシティへの向き合い方に大きな広がりを与えます。スポーツにおけるダイバーシティは「公平性を守りながら誰もが参加できる環境を整えること」を基盤としています。この思想は、ビジネスの世界には残念ながらありません。

 

ユネスコにおける「スポーツと人権」の変遷

出発点:1978年「国際体育・スポーツ憲章」

1978年、ユネスコ総会で採択された「国際体育・スポーツ憲章」は、「体育・スポーツはすべての人の基本的権利である」と初めて明文化した画期的な文書でした。そこではスポーツの普及と教育的価値が強調され、「すべての人に門戸を開くべき活動」と位置づけられました。人種や性別を超えた平等なアクセスが重視され、スポーツの人権的側面が国際的に初めて明示された点は大きな意義を持ちました。しかし当時の差別禁止の対象はまだ限定的であり、性的指向や障害者の権利といった今日的な人権課題は明示されていませんでした。

検討と深化:国際的議論の広がり

1980年代以降、ユネスコはMINEPS(体育・スポーツ担当大臣会議)やCIGEPS(政府間体育・スポーツ委員会)を通じて、スポーツと社会の関わりを議論し続けました。その過程で、教育的価値に加えて人権・平等・社会参加という観点が強調されるようになりました。また、冷戦後の1990年代には、スポーツが平和構築や国際理解の手段とみなされ、障害者や女性、若者といった排除されがちな人々の参加機会を保障することが主要課題となりました。

現代的課題への対応:2015年の大改訂

2015年、ユネスコ第38回総会で憲章が全面的に改訂され、「体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章」として再定義されました。この改訂の柱は以下の通りです。

  1. 人権の再確認:スポーツへのアクセスはすべての人の基本的人権であると明示。
  2. 差別の排除:人種、性別、年齢、障害、文化的背景、宗教、経済状況、性的指向などを理由とする差別を否定。
  3. 包摂の重視:社会的弱者や少数者がスポーツを通じて社会参加できる環境を保障。
  4. インテグリティの保護:ドーピングや暴力、腐敗、八百長からスポーツを守ることを人権尊重の一部として位置づけ。
  5. 平和と持続可能性:スポーツが健康、復興、相互理解に寄与することを強調。

この改訂によって、スポーツは「教育や健康の手段」から一歩進み、人権・多様性・公正な社会の実現を支えるグローバルな公共財として明確に位置づけられました。

 

公共財としてのスポーツ

ユネスコがスポーツを公共財としたのは、スポーツが本質的に非排除性と非競合性を持つからです。誰もが参加できる権利があり、スポーツの教育的効果や健康促進、社会的結束の価値は他者の利用によって損なわれることがありません。さらに、オリンピックやパラリンピックのようにスポーツは国境を越えて人々を結びつけ、平和や友情を育む力を持ちます。この国際的な影響力こそが、スポーツをグローバル公共財と位置づける根拠となっています。

ただし、公共財としてのスポーツを守るためには、公正さと誠実さを担保する努力が欠かせません。ドーピングや暴力、腐敗を排除し、信頼できる競技環境を保つことそのものが、社会全体に共有される資産です。また、障害者や少数者を含むすべての人が参加できる包摂性を確保することも不可欠です。

 

まとめ

ユネスコにおける「スポーツと人権」の議論は、1978年に始まった「スポーツはすべての人の権利」という基本理念から出発し、国際的な議論と時代の変化を経て、2015年には人権・平等・包摂・インテグリティ・平和を統合した包括的な枠組みへと発展しました。

スポーツを公共財とみなすユネスコの視点は、企業や社会におけるダイバーシティの議論にも新たな広がりを与えます。ビジネスが成果や効率を中心に語られる場であっても、スポーツの理念から学ぶことによって「公平性と包摂性に支えられた多様性」の価値を再認識することができるはずです。

また、現在進行中の学校部活の地域移管についても、憲章が掲げる人権・平等・包摂を基盤に、地域スポーツの発展に寄与することを期待したいと思います。