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自分を知ることにどんな価値があるのか

2022.09.26文部科学教育通信掲載

人生を生きる上で、基礎となる学力を身に着け、人間としての成長を遂げるために通う学校で、今日においても、「自分を知る」ことの重要性が、生徒や保護者、社会に伝わっていないことが残念です。

生徒の仕分け

生徒は、学校における重要なことを、「成績や内申書に関係するもの」とそれ以外で分けています。このため、中学校や高校になると、音楽等 人生を豊かなものにするはずの教科が多くの生徒から軽視されてしまいます。「自分を知る」ことについては、おそらく、その人生における重要性を理解している生徒は皆無ではないかと危機感を覚えます。

就職活動のため

そう思ったきっかけは、大学生から、就職のために行う自己理解の捉え方を教えてもらった経験です。大学生からは、自己分析は、エントリーシートを書くために行うもので、エントリーシートを書き終えたら一切やらないと言われました。私が驚いたら、彼らの方がもっと驚いて、「なにかやる理由があるんですか」と言われました。彼らからすると、受験勉強が終わったのに、なぜ、勉強するのですかという感覚だったのではないかと思います。

自己理解がすべて

大人の能力開発を支援する仕事をしていると、あらゆる場面で、自己理解ができていないことが阻害要因になっていると感じます。

リーダーシップ

リーダーシップには、一つのスタイルはありません。しかし、一つの法則があります。それは、自分らしさを土台に、自らのリーダーシップスタイルを構築していかなければならないということです。

リーダーシップは、受けて主導で、その良し悪しが判断されます。リーダーシップを発揮して、誰かに、ビジョンを語った時に、その相手が、喜んで、自らの意思で、そのビジョンに向かう姿になっていれば、リーダーシップが発揮できている、もしそうでなければ、発揮できていないという判定です。

このため、自分の意図がどうだったのかではなく、他者がどう受け止めたのかを理解するために、他者からのフィードバックを得ながら、自らのリーダーシップを高めていくのが常識です。この際に、使われるのが、ジョハリーの窓と呼ばれるフレームワークです。特にリーダーシップの発揮において盲点となるのが、相手が知っていて、自分が知らないことです。

例えば、相手の話を聴いているつもりでも、パソコンから目を話していなければ、相手は、話を聴いていないと思うというように、人間には、自分には気づけないことがあります。こういう癖を見つけて、改善していきます。そして、「相手も自分も知っている」領域を大きくしていくことで、効果的にリーダーシップを発揮することを目指します。

また、リーダーシップには、ブレない軸が欠かせません。自分はどんな人間なのか、何を大事にしているのか、自分にとって譲れないものはなにかを、明確にできていなければ、本当の意味でリーダーになることはできません。

また、最近のトレンドは、全員がリーダーシップを発揮する組織が強いと言われるように、誰もが、自分の強みや得意領域でリーダーシップを発揮することが期待されています。自分を知り、活かすだけではなく、その力をチームに還元することが期待されるようになりました。このため、リーダーになりたい特別な人だけではなく、誰もが、自分を知ることが、強いチームづくりの源泉になります。

多様性の尊重

多様性の尊重に対しても誤解があります。世の中の多くの人は、「私は、(私と違う)あなたを尊重します」という姿勢で多様性を尊重しています。しかし、この考えは、自分を基準に、違いを捉え尊重すると言っています。これは、本当の意味で、多様性を尊重しているとは言いえません。自分も多様性の一部であり、相手も多様性の一部であるというのが、正解です。そのためには、自らがどのような多様性なのかを、明らかにする必要があります。

また、ジェンダーや世代、国籍などの属性はとてもわかり易い多様性ですが、突き詰めれば、一人ひとりが違うというのが多様性の本質であると思います。男女の特性に違いがあるかもしれませんが、男性は皆同じで、女性は皆同じということはありません。同じ家に生まれた兄弟でも、同じ人間ではありません。

一人ひとりが違うという視点にたてば、誰もが、自分を知ることの大切さに気づくことができます。自分の取説は、自分にしかわからない、その自分とともに、最も長く一緒に生きて行くのは自分だから、自分を知らないよりも、知っている方が、よりよい人生の選択もできるのではないか そう思えるのではないでしょうか。

信頼関係の構築

信頼関係の構築においても、他者理解の前に、自己理解があります。なぜなら、他者理解の前提には、一人ひとりの持つ「偏見」があるからです。誰もが、自分の経験を通して、形成されたものの見方があります。こういう人がいい人だ。こういう人は嫌いだ。誰もが、人間であれば、このような「偏見」を持っています。

例えば、物事を継続してやり続けることが大事と親に教わり、自らもそのようにしてきた人が、次々と興味関心が変化する人に対して、ネガティブな感情を抱いてしまう、というように、自分が大事にしていることを軽視しているように見える人に対して、好感が持てなかったり、信頼できなかったりというのはよくあることです。

しかし、これでは、多様性の時代に、自分とは異なる人に対して信頼を寄せることができず、良好な人間関係を構築することができません。

自分を知り、自分がどのような「偏見」を持っているかを認めた上で、評価判断を保留にして、自分に見えていない相手の良さを知ろうとする姿勢を持つことが大切です。

多様性を包摂する時代に、信頼関係を構築するためには、「他者理解」の前に、「自己理解」を行うことが大切です。

アメリカ留学と自己理解

そういう私自身も、日本の教育を受け、典型的な日本人として育っていたので、「自己理解」を迫られたのは、アメリカの大学院に留学する時でした。そこで始めて、自分と向き合うことを迫られ、とても苦労した覚えがあります。2,3ページのエッセイを書くのに、半年位時間を要しました。幸い、素晴らしい指導者にめぐり逢いましたが、書いても、書いても、ボツになります。しかし、最後に出来上がったエッセイを眺めて、なるほど、自分を知っている人のエッセイはこうなるのかと納得した記憶があります。

大学院が知りたかったことはとてもシンプルで、私がどこからやってきて、今どこに立っていて、これからどこに行こうとしているのか。そのために、この大学で学ぶことがどのような意味や価値をもつのか。過去については、これまでの生き方をエピソードとともに語る必要があります。このため、エッセイを書くことで、これまでの人生の棚卸しと、これからの人生の北極星について真面目に考えることができました。

久しぶりに、今年、息子が留学をするためにエッセイを書く様子を見ながら、30年前のことを思い出しました。

ウェルビーイングと自己理解

教育の究極のゴールは、社会と個人のウェルビーイングであると言われるようになりました。社会のウェルビーイングは、みんなで共に創り上げることが大切ですが、個人のウェルビーイングについては、個人が責任です。そのためにも、自己理解の大切さを、誰もが認識する社会を実現したいです。

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