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ブルーミング実践コミュニティ

2020.12.28文部科学教育通信掲載

ブルーミングとは、花が咲いている状態のこと。人が夢を叶えている状態を、花にたとえて、ブルーミングと名付けることにしました。そして、年明けから、ブルーミング実践コミュニティを立ち上げることになりました。

実践と相互学習

参加者は、ブルーイングの手法を学び、自組織で実践し、その結果をコミュニティに共有する使命を持ちます。コミュニティは、お互いの実践事例を通して、学びを深める、リアルなアクションラーニングの場です。組織開発やリーダーシップ開発では、知識のインプットは、学びの2割位に当たり、実践を通して試行錯誤する中で得る学びが、学びに占める割合は8割ぐらいではないかと思います。この割合は、人によって異なるかもしれませんが、知識のインプットだけでは、学びを手に入れることができないというのは誰にとっても真実です。このため、アクションと共に欠かせないのがリフレクションです。

経験の意味付け

経験をどのように捉えるのかは、個人のものの見方により決まります。多面的に状況を捉える上で、知識のインプットが役立ちます。例えば、「リーダーシップは他者に与える影響力のことで、その評価は受けて主導であり、自分が意図を持ち、相手に働きかけ、相手がその通りに主体的に反応してくれたら、リーダーシップを発揮したと云える」という知識があれば、意図を持ち、相手に働きかけ、相手の反応に注意を払い、その結果を前提に、自分の言動ヲ振り返ることができます。リフレクションでは、結果の振り返りだけでなく、そのために、自分がどのような働きかけをしたのか、その前提にどのような仮説を持っていたのかを振り返ります。知識があることで、リフレクションの的を的確に絞り込むことができます。

多様性の価値

実践学習において、経験を振り返るリフレクションは、欠かせません。しかし、誰もが、起きた出来事のすべてを俯瞰的に捉えることはできず、経験を振り返るリフレクションでは、多様な経験を持つメンバーの存在が欠かせません。他人のレンズ・ものの見方を借りることで新しい学びを手に入れることが可能になります。例えば、アクションの前提となる仮説は、過去の経験に基づく知恵で、当人にとっては、空気のように当たり前のことになっている場合が多く、自分では気づくことができないことも多いです。そんな時に、「どうして、このアクションを選んだのですか」と誰かが質問を投げかけてくれることで初めて、「自分が何を前提にしていたのか」と、過去の経験に、その答えを探し始めることができます。

チームダイナミックス

チームダイナミックスとは、個人がチームに与える影響、チームが個人に与える影響のことです。どのチームにも、特有のチームダイナミックスがあり、指導者は、そのダイナミックスに責任を持たなければなりません。一人ひとりが、その個性を最大限発揮し、全員がリーダーシップを発揮するチームにすることができると、学びが最大化します。誰かが遠慮して本当のことを言えない状況の中では、潜在的な学びが失われてしまいます。同時に、テーマが同じでも、メンバーの実践学習の様子が異なり、また、チームダイナミックスもチーム特有のものなので、ワークショップは決して予定調和で終わることがない所が、講師にとっても魅力です。ワークショップは、いつも、驚きの連続で、飽きることはありません。

コミュニティで学ぶこと

コミュニティで学ぶことは、以下の通りです。1か月に一つのテーマを掲げ、その実践を通して学びを深めて生きます。

  • 動機の源を知る
  • なりたい自分を見つける
  • 対話と傾聴のスキルを身に付ける
  • 経験から学ぶリフレクションの質を高める
  • 自己変容のスキルを磨く
  • ブルーミングを支援する人になる
  • ブルーミングに相応しい環境を創る
  • 学習する自律型組織を創る
  • 組織開発に取り組む

主体性を育むということ

ブルーミングは、花が咲いている状態のことです。そのためには、「自分が何者なのか」を知り、「なりたい自分を見つける」必要があります。生きていれば、小さい単位では、常に、私たちは、この問いに答えているのですが、人生やキャリアという単位になると、簡単に明快な答えを手に入れることができません。

デンマークやオランダを訪れると、幼児期から、「自分が何者なのか」と「なりたい自分を見つける」ために、大人が、子どもに対してブルーミングを自然に行っていることが解ります。例えば、オランダでは、幼稚園の遊びのスペースが、マルチプルインテリジェンス仕様になっていて、言語、算数、音楽、絵画等のコーナーが用意されています。勿論、お庭遊びや植物のコーナーもあります。そして、子どもたちは、毎日、どこで遊ぶのかを選びます。私が訪問した園では、子どもたちは、コーナーが絵かれているタペストリーに、自分の名前のついたカードを置き、「自分の計画を表明してから遊ぶ」というのが日課であると教わりました。先生は、その記録を持ち、子どもたちの特性を把握したり、時には違うコーナーで遊ぶことを提案します。この小さい積み重ねが、「自分が何者なのか」を知る大切なプロセスなのです。

就活と自分探し

日本では、残念ながら、幼児期から、その子の特性を見るという習慣がなく、学力、偏差値、部活の選択が、子どもを捉える視点となります。しかし、人間の個性の複雑性を、この3つの視点で把握することは不可能です。そして、就活生になると、いきなり、自分が何者なのかを説明するために、様々なアセスメントを実施し、自己認識を深める実践が始まります。しかし、就活対策で行う自分探しのゴールは、就活の成功であり、自分を知り尽くすことではありません。学生の話を聴いても、「自分は何者か」に対する答えを見出せていないと感じます。

学校教育にもブルーミング

VUCA時代に入り、安定と幸福の象徴であった大企業に異変が見られます。高い偏差値と学歴を手に入れた人たちだけが、手に入れられた幸福と成功は、大学卒業後に就職する企業選択に繋がっていました。だから、学力や偏差値で子どもを評価することが、正しく合理的な幸福の追求方法でした。しかし、この方程式が通用しなくなった今日、もし、親や学校や塾が、このもの差しで、子どもたちの教育に当たっているとしたら、とても恐ろしい間違いを犯していることになります。

こう話すと、インターネットの時代になり暗記はいらないと、高学歴者の多くが気軽に語ります。しかし、これも大きな間違いです。インターネットの時代だからこそ、検索能力と、検索結果を読み解く力を磨く必要があり、そのためには、前提となる知識が欠かせません。世界中の大学の研究成果を手に入れることはできても、それを理解できるかどうかは、土台となる知識の質と量により変わります。興味を持って、探求し、学んだことを実社会に活かしていく学び方と共に土台となる基礎学力をしっかりと身に付けることが、本当に大切な時代です。

いつの日か、ブルーミングが学校教育の当たり前になることを願って、まずは、社会でブルーミングの実装を試みたいと思います。

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