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大学への期待 10年前のリアル熟議から

2020.10.26 文部科学教育通信掲載

大学は、もういらない?

今から10年前、慶応義塾大学で、リアル熟議に参加した。リアル熟議とは、官だけでなく、

市民、NPO、企業等多様な当事者が共助の精神で支え合う「新しい公共」の実現のために、文科省が始めた取り組みです。当時、日本中で、教育をテーマに様々な熟議が展開されていたことを記憶しています。

私が参加した熟議は、慶応義塾大学日吉キャンパス来往舎で開催され、大学生、高校生、経営者、企業人事担当者等が参加し、大学入試制度、大学内の学習・研究・活動、就職と進学等について、議論が行われました。鈴木寛文部科学副大臣、「熟議」に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会の金子郁容座長、田村哲夫副座長も参加され、文部科学省からも10名の出席者がいたと記憶しています。

熟議のテーマは、「大学は、もういらない?~私たちと大学はいかにあるべきか~」と刺激的です。私は、当時、ティーチフォージャパンというNPO活動に参加しており、大学生ボランティアと協働することも多く、息子も大学生だったので、大学入試制度、大学内の学習・研究・活動、就職と進学の3つのテーマの中から、大学内の学習・研究・活動をテーマに選び、ディスカッションに参加しました。グループには、優秀な大学生や高校生と共に、私たちのような大学や大学生に関心のある社会人が参加していました。

教授と学生のWin Win

受験戦争を勝ち抜いてきたエリート大学生の正直な声に、衝撃を受けました。

  • 僕らは、〇〇大学卒の学歴に授業料と4年間を投資にしているだけで、教育を受けに大学に行っているのではない。
  • 教授は教師というよりは研究者で、執筆した教科書を読んでいるだけという授業も多く、ほとんどの学生はただノートをとるために講義に出ている。
  • 就活で出会う社会人は、大学時代に遊んでいた自慢話ばかりで、そもそも、大学教育に意味があるのか、だれも分かっていない気がする。

大学の学生にとっての存在理由は、優良企業に就職するための資格取得であり、大学生活は、彼らにとってのモラトリウムであることが解りました。

高度経済成長期に確立した幸せな人生を生きるための方程式は、受験戦争を勝ち抜き高学歴を取得すれば、大企業に就職することができ、豊かな人生が保証されるというものです。当時は、まだ、大企業に就職し、定年まで働き続けるという考えが主流でしたし、企業では、24時間働くことも期待されていましたから、大学時代が、人生最後のモラトリウムという考えにも共感を覚えます。この状況は、大学教員にとっても好都合で、教育に力を注ぐ必要はなく、講義以外の時間は、研究に没頭することができました。しかし、この高度経済成長期に形成されたWin-Winの構造は、過去のものと云えます。

ライフシフト

「ライフシフト」の提唱者でロンドン・ビジネススクールの教授リンダ・グラットン氏は、人生100年時代には80歳まで働くことになるといった試算を紹介しています。

これまでは、人生を、「勉強」「仕事」「リタイヤ」という一方通行の三つのステージで区切る生き方が主流でしたが、人生100年時代には、「探索」、「創造」、「同時進行」、「移行」の四つステージを組み合わせていくことが人生を幸せにするのではないかと提案しています。

  • 「探索」のステージ:長い人生を豊かに生きるために、旅に出て充電したり、自分をもっと理解したりする時期
  • 「創造」のステージ:起業など、自らの仕事を自分で創造する時期
  • 複数のことを「同時進行」のステージ:仕事の量を少し抑えて、子育てや地域活動や、芸術活動等に時間を費やす時期
  • 「移行」のステージ:仕事を変えたり、変身を遂げるための準備期間

 「ライフシフト」は、私たちに様々な選択を突きつけます。また、受験戦争に勝ち抜いたこと、優良企業に就職したことは、一時期の成功を保証しても、生涯を通しての人生の成功を保証することはないでしょう。変化する時代の中で、世の中に貢献し続けるためには、生涯を通して学び続ける習慣も、とても大切なものになります。この時代の変化に合わせて、大学への期待も変わります。

大学の使命とは

システム思考では、今、起きている現実は、大きな氷山に支えられていると考えます。氷山モデルは、過去からの経緯、現実を支えている構造、人々のものの見方や社会通念の3つの要素で構成されています。その中でも、人々のものの見方や社会通念が、現実を創り上げる上で大きな影響を与えていると云われています。

現在、受験制度の見直しが進められています。受験制度が変われば、高校生の学習スタイルも変わり、大学への期待も変化することになります。しかし、もし、当事者である受験生とその親、大学生が通う大学の教職員、就職先である企業、塾産業が、高度経済成長期に形成されたものの見方に固執するのであれば、受験制度を変革しても、理想の姿を実現することは難しいです。

リアル熟議に参加した2010年には、ハーバード大学のファウスト元学長が来日し、私も、歓迎パーティに参加し、お話を伺う機会を得ました。その際に、ある卒業生が、「大学は、学歴以外に何を提供しているのか」という問いかけをしました。その問いに対して、ファウスト氏が、「大学が提供するのは、表面的なブランドではなく、リベラルアーツの過程で将来人間として有意義な人生を生きるためのツール(道具)を提供することだ」と明言されたことがとても印象的でした。大学での学びを通して、ツール(道具)を手にいれるためには、教員も、学生も、真剣勝負で臨まなければなりません。

大学が使命を果たすためには、アドミッション(入学)、カリキュラム(教育)、ディプロマ(卒業資格)の3つのポリシーの一貫性を見直す必要があります。受験制度の見直しは、それだけでは意味がなく、カリキュラムとディプロマの3つのポリシーの見直しを進めることが大切です。カリキュラムの充実においては、ファカルティデベロップメントも重要な役割を果たします。小・中・高の教育改革が進み、アクティブラーニングに慣れ親しんだ大学生には、ワンウェイで講義を聞き、ノートを取る大学の授業に耐えることはできないでしょう。コロナ禍で進んだオンラインの活用をさらに推し進めるのであれば、インプットだけの講義は、オンデマンドで聴くことができますから、反転授業を取り入れ、講義の時間を対話やディスカッションに活用することも可能です。学生の学習体験をどう充実させていけるかは、これからの大学の大きなテーマです。

クワトロヘリックス(大学・研究機関、市民、企業、行政の連携)

大学には、もう一つ重要な期待があります。それは、社会の知識創造のプラットフォームとしての役割です。ドイツやデンマークを訪れ、クワトロヘリックスという考えを学びました。クワトロ・ヘリックスとは、様々な異なるステイクホルダーが問題解決に関わりながら、共にイノベーションを起こしていくというもので、国家戦略に基づく地域開発、都市開発の基盤となる考え方です。クワトロヘリックスにおいて、大学・研究機関は、知的創造のプラットホームとしての役割を果たします。

有意義な人生を生きるためのツール(道具)を提供する大学、社会の知的創造のプラットフォームの役割を果たす大学が増えることを期待したいと思います。

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