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学習する組織だけが生き残る

2017.6.17 文部科学教育通信掲載

2008年に出版した本「チーム・ダーウィン 学習する組織だけが生き残る」に込めた思いは今も変わらない。優秀な人材の宝庫である大企業がなぜ課題解決に向かわないのか、その原因が教育にあるのではないかという仮説を持ち教育の世界に入った。大人が変わらない限り教育は変わらないというのが、その結論だった。今回は、今も変わらないチーム・ダーウィンを執筆した当時の思いを共有したい。

【2008年当時の思い】

企業変革は90%失敗する

学習する組織におけるラーニングとは、ありたい姿と現状のギャップを明らかにし、そのギャップを埋めることをいう。企業変革への取り組みは、まず、ありたい姿を描くことから始まる。たとえば、企業が市場の変化に直面したとき、どうするか。市場のニーズや競合の動きを正しく分析し、進むべき方向性や戦略が構築されると、その実現は組織に委ねられる。ところが、新しい取り組みは、100%といっていいほど従来とは異なる思考や行動様式を組織に要求する。そのため、多くの企業はこの変化に適応できず、変革への取り組みは暗礁に乗り上げる。一方、学習する組織は、変化の要請に応えることができる。ありたい姿を実現するために変化に適応することを、学習する組織では〈学習〉と定義しているからだ。学習する組織の特性を備えている企業だけが、企業変革を成功に導くことができる。

欧米において、企業変革が盛んに行われるようなったのは1980年代である。その背景には、技術革新や熾烈なグローバル競争といった経営環境の変化があった。多くの企業は、競争優位性を維持するために、企業変革への取り組みを開始する。だが、その成功率は10%と言われており、90%の企業の取り組みは失敗する。こうした状況で、〈学習する組織〉の考え方を導入し、企業変革を成功に導いた代表例がGEである。

ウェルチが放った爆弾

GEの企業変革は、ジャック・ウェルチがCEOに就任した1981年にスタートした。当時のGEは、40万人の従業員を抱え、売上272億ドル、利益16億ドル、ROE18%の優良企業だった。だが、ウェルチは、現状に甘んじなかった。なかでも、GEの看板である家電製品事業は、グローバル競争の波にさらされ、競争力を持続することが困難な状況にあった。

そこで、ウェルチは、「各事業において、その業界でナンバーワンかナンンバーツーの企業にならなければ撤退する」というビジョンを打ち出し、事業再編をスタートさせた。まず、200以上の事業の売却を進めた。GEの看板とされていた家電製品事業の売却は大きな反発を呼び、ウェルチは、中性子爆弾にたとえられ、ニュートロン・ジャックと呼ばれるようになった。

このころからウェルチは、官僚的な社員の思考や行動様式を排除し、GEを柔軟かつスピーディに変化に適応できる組織に変えようと決意する。そして、さまざまな取り組みが開始された。戦略計画策定プロセスを簡素化し、戦略計画スタッフを半分に削減し、ワークアウトやベストプラクティスなどの新しいツールを導入した。また、人材育成についても、クロトンビルのリーダーシップ開発研究所で、学習する組織のリーダー育成が始まった。

リーダーを量産するリーダー

知的創造社会(進化・学習する組織)が求めるリーダーは、「一人ひとりに内在する動機の源泉を活かし」「参加意欲や学習能力を高め」「共有ビジョンを軸に強い連携を築き」「共有ビジョンを達成する組織を作る」人である。一人のカリスマ的なリーダーあるいは一人の偉大な戦略家の号令だけで動く組織を作ることではない。

クロトンビルのリーダーシップ開発研究所長を務めたミシガン大学のノエル・M・ティシー教授は、成長する企業には、リーダーが次々と生み出される仕組みがあると言い、この仕組みを、リーダーシップ・エンジンと名づけた。

ウェルチは、そのカリスマ的なリーダーシップによって評価されることも多いが、むしろ、リーダーシップ開発研究所を核に、次々と有能なリーダーを生み出すリーダーシップ・エンジンを 作り上げたことに注目したい。ウェルチの〈ナンバーワン・ナンンバーツー戦略〉は功を奏し、1998年にGEは、売上1,000億ドル、利益92億ドル、ROE25%の企業へと成長した。時価総額は、CEO就任当初の約8.5倍となった。

 

大きな壁を前にして

日本における企業変革への取り組みは、1990年代にスタートする。当時の企業変革は、リストラを連想させる言葉として、ネガティブに捉えられていた。また、リーダーについても、カリスマ的な存在という定義づけが主流であったため、多くの人々が自分はリーダーではないと考えていた。リーダーシップとは後天的に育てられるものではないという固定観念も根強かった。とはいえ、90年代の日本は、ようやくMBAの講座が企業研修の一貫として普及しはじめた時期で、企業変革が思うように進まなかったのも仕方のない話かもしれない。

人が変わらなければ会社も変わらない

2000年、私は、GEのリーダーシップ開発プログラムの開発チームに参画したアレックス・グリムシャウ氏と出会い、「学習する組織」の考え方を学んで、長年にわたる謎が解けた。企業変革を成功させるには、変化を受け入れる企業風土を作る必要がある。すなわち、「学習する組織」を確立する必要があるのだ。そのためには、リーダー自らが、学習者であることが求められる。リーダーには、ビジョンを持ち、未来と現状のギャップを埋めるために、自ら学習者となって行動することが求められる。

ウェルチは、自らが学習者であり、組織にも学習者であることを求めた。そして、学習する企業文化を構築する第一歩として、まず150人を選抜し、一年間かけて学習するリーダーを作り上げた。ロールモデルとなるリーダーが存在しなければ、学習を企業文化にすることが不可能であることを、ウェルチは身をもって理解していたからだ。

「学習する組織」が地球を変える

2008年4月13日にオマーンで開かれた第三回「〈組織学習協会(SoL)〉の世界フォーラム」に参加する機会があった。今回のテーマは、「文化の亀裂を学習で乗り越える」である。グローバルに存在するキャズムを解決するために、組織学習をどう生かすかについて、活発な議論がなされた。

このように、組織学習は、もはや企業の存続のためだけでなく、地球の存続のために、営利団体、非営利団体、政府機関、教育機関、コミュニティなど多様な組織が、対話(ダイアローグ)により相互理解を深め、システム思考を生かし、問題解決を促すことを狙いとしている。組織学習の手法を、社会的なキャズムに応用して成功した代表例が、1992年のモン・フルール・シナリオである。モン・フルール・シナリオは、南アフリカの対立する立場のリーダーたちが、ロイヤル・ダッチ・シェルのシナリオライティング手法を活用し作成したシナリオで、南アフリカの流血なき民主化への道筋を作ったといわれている。

モン・フルールの成功は、キャズムに直面している多くの人々に勇気を与え、世界中の対立や紛争の解決や、地球の存続という複雑な問題に対しても、多くの人々が組織学習の手法を活用しはじめている。

【2017年現在の思い】

夢は、日本が学習する国になること。学校も、企業も、社会も、時代の要請に基づき柔軟に変できる国、多様な人たちが恊働して善い未来を創る国、短期・中期・長期の視点で判断し、変化の中で不遇な状況に陥る人を互助する国となること。そのために、微力ながら活動を続けます。

 

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