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大人の共感する心

2017.7.10 文部科学教育通信掲載

今年も、品川女子学院でリーダーシップ講座が始まりました。今年は、国連の持続可能開発目標(SDGs)とリーダーシップを組み合わせたプログラムを実施します。2015年にスタートしたSDGsのゴールは、2030年です。現在、高校生の皆さんも、社会人としてそのゴールの達成に寄与することを願っています。残念ながら、SDGsは日本の高校生にはまだ知られていないのが現状ですが、このクラスを通して、世界とともに社会問題を解決する意識を持っていただければと思います。

SDGsの理念は、「誰も置き去りにしない」というものです。環境のみならず、貧困も大きなテーマです。また、途上国だけを対象とした目標ではなく、先進国の課題にも目を向けています。日本においても、子どもの貧困が最近盛んに議論されるようになりました。SDGsの目標達成とともに、日本でも、子どもの貧困がなくなることを願っています。

社会起業家という言葉の生みの親といわれているアショカの創立者ビルドレイトンは、大学生のときにインドに行き、言葉にできない貧困の存在を知ったことが、今日の活動の原点だといいます。大学生の自分には到底解決できない大きな問題であると認識したビルは、その後、ハーバード大学を卒業し、マッキンゼーに勤め、力を蓄えます。そして、アショカを立ち上げ、現在では、3000人を超える世界の社会起業家をネットワークし、社会起業家の問題解決を支援しています。世界のネットワークがあることにより、同じ課題に対しても、様々な課題解決のアプローチが共有され、相互に学びあうことが可能となります。そのネットワークを活かしアショカは、世界中の社会問題の解決を促進することができます。

歴史に学ぶビルは、社会課題を俯瞰し、未来を予言します。1980年代には誰もがチェンジメーカーになれる時代を予言し、今日は、新たな市民セクターが生まれる時代だといいます。これまで、私たちが普通であると考えていた営利・非営利や、政府・非政府という考え方から、SDGsが示すような善い未来を創るために存在するか、社会課題を生み出し続ける存在であり続けるのかに組織も2分されていくといいます。すでに、ユニリーバのように、事業の成長と、10億人の貧困問題の解決を同時に実現する事業計画を持つ会社が生まれており、まさに、新たな市民セクターのモデルを示しています。

品川女子学院でのリーダーシップ講座には、生徒の皆さんが、チェンジメーカーであり、新たに生まれつつある市民セクターに参画する人であって欲しいという願いを込めています。

ビルドレイトンは、チェンジメーカーになくてはならないのが、共感力といいます。自分とは異なる人が置かれている状況を自分事のように感じることができ、真の課題を捉えることができなければ、よいチェンジを起こすことができないからです。高校生は、感受性が高く、大人よりも共感力も高いと感じます。リーダーシップに必要なことは様々ありますが、本プログラムではその根っことなる共感力に意識を向けて欲しいと思います。

日本の子どもの貧困の原因のひとつが、私たち大人の共感力欠如だと考えています。

日本の子どもたちの6人に1人が貧困といわれていますが、その子達のほとんどが、学校に行っています。インドやアフリカなどの話を聞くと、貧しい子どもたちが学校に来ないことが課題だといいます。教育に対する知識が親にもなく、その必要性をまったく感じないというのです。アフリカでは、給食を食べることを目的に学校に来てもらう取り組みがあるといいます。あるインドの社会起業家は、鉄道の駅のホームで授業を始めたという話も聞きました。子どもたちが学校に来てくれないので、子どもたちが集まる場所で授業をやろうと考えたそうです。しかし、日本の場合、貧しい子どもたちも学校に行くのです。ところが、貧しい子どもたちの多くは、学校の授業についていくことができず、落ちこぼれていきます。ベネッセ教育研究所の調査によると、15%の子どもは授業が難しく理解できないといいます。教室には、塾に通う子どもたちもいて、13.4%の子どもたちは、授業が簡単すぎると感じているそうです。そんな中で、小学校の6年間を過ごし、学力が不足しているまま中学生にはり、3年間の中学生活を終えると、多くの場合、彼らは定時制高校に行き、義務教育ではない高校を中退するというのが一般的なルートのようです。このような事実を私が知ったのは、今から、6年前です。ラーニングフォーオールというNPO活動を通して、子どもたちの現実を知りました。ラーニングフォーオールは、困難な状況にある中学生の学力向上の支援を行っていますが、子どもたちの多くは、小学校の勉強をやり直さなければならない状況です。同時に、小学校6年間の生活の中で、勉強に対する苦手意識を確立しており、勉強に向かう心を育むところから始めなければなりません。この現実を始めて見たときに、私たち大人はなんて残酷なことをしているのかと思いました。大人を信じて、学校に6年間通い、その結果、自己肯定感も自己効力感も持てない状態に追い込んでいるのです。子どもの貧困対策として放課後に勉強を教えることを国も押し進めていますが、一方、彼らは、学校では落ちこぼれとして処理されているのです。原点に戻って、学校の授業が、一人ひとりの学力の向上、自己肯定感や自己効力感の向上につながるものにできないでないものでしょうか。「お前は、役に立たない」と毎日会社で言われ続けて、6年間、大人は耐えられるのでしょうか。子どもだって我慢しているのです。そこに大人が甘えていてはいけないと思います。そして何よりも悲しいのは、こうした子どもたちが自立する力を持たないまま成人することです。彼らが社会保障の対象になると批判の目が当人に向けられます。勉強しなかったのだからしかたないと、すべてを自己責任かのように扱われることはとても悲しいことです。もっと、子どもたちの現実を知り、彼らの立場を理解することができれば、問題解決のアプローチも変わるのではないかと思います。SDGsが日本で広まると同時に、大人の共感する力が高まっていくことを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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