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脱工業化社会と教育

日本教育大学大学院 第2回研究大会(2009年11月28日)で講演を致しました。 以下に概要を記します。

【概要】
「2020年に、社会に出る子供たちは、どのような時代に生き、どのような貢献が期待されるのでしょうか。そのために、私たち大人は、何を子供たちに教える必要がありますか。そのために、私たちに何ができますか」皆さんとともに、その答えを見つけ、建学の精神である「教育の次代を創る」に貢献したいという思いから、本テーマを選びました。

2000年に発表されたOECDの「生徒の知識と技術の測定(PISA)」の報告書の序文に、Prepared for Life (人生の準備は万全か)というタイトルで次のように書かれていました。「若い成人が未来の挑戦に対処すべく、はたして十分に準備されているだろうか。彼らは分析し、推論し、自分の考えを意思疎通できるであろうか。彼らは生涯を通じての学習を継続できる能力を身につけているだろうか。父母、生徒、広く国民、そして教育のシステムを運用する人々は、こうした疑問に対して解答を知っておく必要がある」

日本教育大学院大学の学長に就任するまで、私は、企業や組織人を対象とした成人の教育に約15年係わってきました。その結果、いわゆる優等生に共通の2つの課題があることが明らかになりました。一つは、「あなたはどうしたいのか」と聞くと、硬直してしまうことです。小さい時から、親や先生や社会の求めるレールを走る子供たちには、次々とチャレンジが与えられます。良い成績をとる、良い学校に合格する、一流企業に就職するなど、自分がどうしたいのかを考える必要もなくチャレンジテーマが与えられ、そして、それに答えると褒められるのです。その結果、自分は、どうしたいのかという問いかけをすることなく大人になるのでしょうか。二つ目は、正解が一つでない問題に答えられないことです。勉強における問題を解くプロセスは、設問が与えられ、効率的に問題を解き、一つの正解に到達するプロセスです。ところが、正解が一つでない問題の多くは、問いが用意されているわけではありません。自分で、問いを立て、答えを見出さなければなりません。

私は、本学に来るまでOECDの序文の存在を知りませんでした。この序文を読み、先に述べた2つの課題と共通点があることに気付きました。多くの企業は、すでに、前例のない問題解決の力を必要とし、自分の意思でそこに立つリーダーを求めるようになりました。未来の挑戦は、もうすでに始まっているのです。

日本の教育は、工業化社会における日本の経済成長に大きく寄与してきました。工業化社会の幕開けは、1908年にスタートしたT型フォードの大量生産への取り組みです。工業化社会に求められるのは生産性です。日本の学校が教える組織行動は、画一性、効率やスピードによる生産性の向上を支えました。また、質の高い日本人の情報処理能力は、モノづくりの現場における品質管理に大きく寄与しました。

私は、高校の時、NY州の田舎町にあるイサカハイスクールに1年間留学しました。クラスルームはなく、自分の机もありません。履修するクラスは自分で選択します。卒業旅行、キャンプ、運動会など全員参加の行事はありません。このような教育は、集団行動を学ぶには、あまり良い結果をもたらしません。その一例をご紹介しましょう。1989年、100人のハーバードビジネススクールの学生を連れて日本に帰国しました。成功している日本企業を見学しインタビューをするためです。企業訪問の合間に休憩時間を設けましたが、休憩が終わり、歩き始めて10分もたたないうちに、学生が、お手洗いに行きたいというのです。こんなことが、数回続きました。「休憩時間にお手洗いをすませる」日本人にとって当たり前の集団行動を知らないアメリカ人たちは、自分が集団行動に迷惑をかけているという概念すらないようでした。

このように、日本の教育の素晴らしいところはたくさんあります。しかし、脱工業化社会という新しい時代において、新たに求められることがあるはずです。本日の講演内容を日本の教育の未来を考えるきっかけにしていただけたらと思います。これまでの教育では、「生きる準備が万全」と言えない新しい時代とは、どのような時代なのでしょうか。

1989年ベルリンの壁が崩壊し、冷戦時代が終焉します。そして、地球全体が、自由資本主義に基づく経済活動の渦に巻き込まれることになります。国際関係に使われていたインターナショナルという言葉は、ソ連が崩壊した1992年以降、グローバルという言葉に変わります。かつて、グローバル競争の脅威とは、欧米企業が、日本を指す言葉でした。しかし、今日では、日本企業も、欧米や新興国によるグローバル競争の脅威にさらされるようになりました。経済のグローバル化は、実態経済よりも、IT化に支えられた金融経済においてより大きな発展を遂げました。

コンピュータや情報通信分野における技術革新のスピードは、ドッグイヤーと言われています。犬の1年は、人間の7年に相当するのですから、我々は、猛スピードで、技術革新のスピードについていかなければなりません。さらに、インターネットビジネスは、デルのように、購買者が自分のスペックに合わせて購入する商品の仕様を決めることを可能にしました。消費者は、わがままになる一方です。

グローバル競争、技術革新、顧客ニーズの多様化により、競争優位性を維持することがますます大きなチャレンジになってきています。さらに、環境問題や貧困問題などの社会問題も加わり、まさに、OECDの序文にある通り、未来の挑戦が山積している状況です。その結果、個人は、これまでのように良い学校、良い会社という社会の決めたレールに乗るのではなく、自らの意思で、人生を選択するべき、という流れになっています。

ワールドワイドウェッブにより、それ以前の情報量の5000年分の情報が、1年間に生み出されていることを皆さんはご存知でしたか。情報の溢れる時代においては、情報を取捨選択する能力がより重要になります。また、情報を価値に転換する力が求められます。

すでに起きている新しい時代のうねりとして、2つ事例をあげておきます。一つは、社会起業家の流れ、そして、もうひとつは商業主義を超えた新しい経済活動の出現です。

最初の事例は、バングラディシュのグラミン銀行の創立者で、2006年にノーベル平和賞を受賞されたムハメド・ユヌス氏のお話です。ユヌス氏は、経済学者です。「なぜ、経済学を教えているのに、道には貧しい人たちがいるのか」という矛盾を解決するために、彼は、教室の外へ出ます。そして、貧しい人たちの生活が変わらないのは、働く意欲がないからではなく、原材料を買う7ドルのお金がないからだということを知ります。そして、施しではない、自立を促す仕組みとしてマイクロクレジットという新しい金融システムを作り上げます。今日では、世界中に、マイクロクレジットは広がっています。

2つ目の事例は、「邪悪(商業主義)にならない」を信念に持ち、検索の進化を追求するグーグルです。それまでの検索は、テレビコマーシャル同様に、検索結果のランクをお金で買うことができました。しかし、これは、商業主義的発想。「検索結果は、情報の提供者ではなく、情報の検索者にとって最良であるべき」であるという信念を守り、創業から約10年で、2兆円規模のビジネスを作り上げました。日本からも、グラミン銀行やグーグルのように社会的インパクトを与えるイノベーションを実現してくれる若者が出現してくれることを願っています。

日本の人口は、2050年に、約9200万人にまで縮小すると予測されています。もし、工業化社会的なモノづくりに興味・関心を持っているのであれば、これからは、活躍の機会は中国やインドなどの新興国により多くあるでしょう。その場合には、英語や中国語などの第2言語を使いこなせる力が求められます。また、多様性の中で、他者および自分を生かす力も問われるでしょう。

グローバルに目を向けると、環境問題、人口問題、エネルギー問題などの社会問題の解決が大きなテーマです。これらの問題は、一人の専門家で解決することはできません。政治、経済、医療、教育など、多様な専門性を融合させ、問題解決を行う必要があります。社会問題の解決に取り組みたいのであれば、リーダーシップや対話力など、専門性に加えて、チームに貢献する力が求められるでしょう。

倫理観の重要性にも触れておきたいと思います。自由競争社会において、競争優位性や成長のために、あるいは存続のため、リーダーは、あらゆる選択肢の中から、決断することを求められます。その時に、重要になるのが倫理観であり、社会貢献や存在意義の明確化です。これまでお話してきたことは、教育の多様化や自由化、あるいは、個人主義の奨励のように聞こえるかもしれませんが、選択の自由が広がった分、学校における人の道の教育はより重要なものになっていくのではないかと思います。

新しい教育がなぜ求められるのかをお話させていただきました。最後に、一つだけ、確信を持ちお伝えできることがあります。それは、変化の激しい時代において生き延びるためには、「学び続けることのできる人」でなければならないということです。

皆さんも、ぜひ、目の前にいる子どもたちが社会に出る5年後、10年後の時代に思いを巡らしてください。そして、チャンスがあれば、少しでも、人生を生きる準備を万全にするための学習を提供してもらいたいと思います。

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