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東大自治擁護連盟結成趣意書

以下の文章は故熊平肇が東大時代に設立した反共団体の一つである東大自治擁護連盟の結成趣意書です。終戦直後の東大の学生運動のひとつの姿を表していますので、ご紹介したいと思います。

 

東大自治擁護連盟結成趣意書

 

 吾等が純正なる学生自治の擁護を志し、本連盟を結成せざるを得ぬ所以のものは、昨今の華やかな学生運動の裡に、吾等の「自治」に関する理念と全く背馳する多くのものを発見するが故である。吾等は経済的窮迫に曝され、一日の油断が明日の脱落を誘致せずには置かないという絶大の苦難の中に在る事を身を以て知っている。

 吾等は苦難の加わるにつれて愈々学問への情熱の滅却すべからざる事を、喜びと誇りとを以て確認し、之に励まされて東奔西走の労多き日夜を送り迎えつつあるが、此の間に於て個人の微力と学生生活維持の方途の余りに狭隘なるを嘆ぜざるを得ない。然し乍ら、吾等は試練を前にして、卑屈退嬰的、乃至は、独善偏狭な態度に堕する事を欲しない。飽くまで純正な世界観を持し、この苦難の裡に人間の品位と尊厳とを発揚せん事を衷心より念願するものである。

 吾等の欲する「自治」とは、苦難に勇敢に立ち向かう学友兄姉が、自他を問わず、凡ゆる人間の尊厳と幸福のために祈り、謙虚にして純正な世界観と友愛とにより広く結ばれて、高次の団結を顕現し、夫々自らの足で立ち、臆するところなく自らの心を語り、自主自律的に推進するところの真実の学生運動である。斯くしてのみ始めて、現下の苦難は克服され、大学の民主的組織及び機構の中に、豊かな生命と香高い個性を持つところの果実を結実せしめ得るであろう事を、吾等は固く信じ且つ強く要望するものである。又斯くしてのみ、身を切るばかりの此の苦難は、吾等の内面性の純化向上の契機となり、祖国再興と平和樹立の遠大な展望と希望とを吾等に与えるものとしての歴史的意義を持つであろう。

 翻って、現実を見るに如何。学生運動の埒を遥か逸脱し、学外政治の泥仕合の太鼓に踊る華やかな諸運動の裡に、現下の苦難と四つに組んで力闘し、本来自治活動の主流たるべき真実な学友諸兄姉の姿の寥寥たる事実を吾等は不可解なりと断ぜざるを得ない。生来の政治的感覚を鼻にかけるようなことがあっても、誠実に友愛の念を溢えて御奮闘下さる諸兄姉に対しては、吾等は深甚なる感謝と絶大なる期待を捧げるものであるが、一部の者が、単に所属の党や国体の機械的人間と化し、外部の指命指導を仰いで、人格的努力と自己批判とを回避し、偏狭、独善、排他的態度で事に臨み、本務たる学業を従とし、手段を択ばぬ自治組織の独占を主目的に暗躍する醜状は、吾等をして彼等の無反省と人格的自損行為とを第一に悲しませ、次いでは本学自治運動の前途に対し深き憂慮と苦悶とを抱かしむるものである。

 公式的先入観と一律的闘争第一主義に導かれる運動を吾等が、怠惰の故に黙認せんか、苦難の堆積し、事態の紛糾する間に、一部の蠢動を「全体の健全な運動なり」とすり換え、広く内外の人々をして、本学には新たな形のファショ化運動を策するもの以外に人なしと慨嘆せしめるであろう事日を睹るより明らかである。

 授業料値上反対不払同盟運動に於て然り、三倍値上のもたらす深刻な影響は、今更乏しき嚢中を探り、売払て可なるものを周囲に物色するまでもなく、過ぎし三年の模索苦闘の跡を顧み、吾等の健やかな人間的成長を最後の望みとして懸命に働く故郷の父母の顔を想い浮かべるときに、吾等の胸に渦巻く、苦悶の嵐よりして余りにも明白である。

 問題は単なる再三再四の署名運動と一連の決議分の可決を以て、吾等の団結は強固なりとなし、吾等の態度は充分誠実であるとなす安易な態度の裡にある。更に拳を挙げ机を叩き予め、予定された組織運動によって闘争第一主義を盛った無内容の決議文案を繰り返し強引通過せしめるに至っては、此れが、真理探究を目指す大学生の大会なりや、疑わしむるものがある。政府の文教政策の当否は暫く置き、賛成の考えられない値上げ案の如きは、感情と理性とを峻別し、否定でなく之を肯定せんとする努力に於いてこそ始めて我々の誠実さを示し得るものではなかろうか。貴重な紙の浪費以上の何物でもない無意義な署名運動を止め、大会にも出席する余裕すらなき困窮に在る学友のために醵金運動を起こし此処に於いて単なる利害の一致による付和雷同的運動を、痛烈な人格的自己批判によって、学問により結ばれたより高次の団結に転化し、署名に代え醵金の額を以て吾等の友愛と誠実と団結のバロメータとなすべきではなかろうか。東実の第一組合を守るための資金カンパ以上に吾ら学徒にとり直接的な意義深き民族文化擁護運動たることを信じて疑わない。

 空虚な署名と無内容の乱発決議文を唯一の楯に、内閣に国会に飛廻る従来の運動に対してはその労が如何に大なるとも、吾等はそこに新たな意義を見出し得ない。何故なれば、偏狭な闘争第一主義は自他の人間の尊厳に対する敬と愛とを欠き、毅然たる平和交渉を不可能にし、凡てを徒労に帰せしめずには置かないから、その場合に、吾等は、強固と称する団結の忽ち離散し、値上決定の悲哀以外の何物も、吾等の手に将又胸に、残らないから。

 其の意味で、吾等は「ピースを喫み散らし華やかな政治運動に浮かれ踊る者には十倍の値上げを、真実困窮している学生には全額免除を。」といったアチ的スローガンをも敢えて掲げたい衝動を覚える。値上反対の胸の叫びを吐露したい気持ちと、無定見無責任な政治運動の渦中に巻き込まれる恐怖躊躇の気持ちと。この両者の二律背反苦悶を減じこの矛盾を良心と人格の力で解かんと努力する時、吾等の前に自治擁護への道の開かれないでは居らぬ事を、学友諸兄姉は必ずや承認されるであろう。

 吾等は政治運動に応えるに政治運動を起こさんとするものでなく、「反動」の名を甘受しても、ややもすれば外部に分散しがちな吾々の心を引き緊めて、内面に、―自己自身に集中せしめんがためのアンチテーゼに立たんと欲するものである艱難と悲惨とを共々に肩に荷って歩み通すだけの精神的自信を獲ち得たいという切なる願いに基づくものである。

 冗漫に流れたが、以上は本会結成の趣意であり、最後に敬愛する学友諸兄姉の御賛同と御参加を切望してやまない。

 

※編者注 読者の便利を慮り、一部表記を現代仮名遣いに改めた。

道州制

熊平肇の 日本の政治再生への道 道州制は こちらから

父は、20年も前から、日本の再生は、道州制により実現すると主張してきました。財界人である父が、なぜこのような主張に至ったのかをご理解いただくために、少しだけ背景説明をします。

父は、大学生時代、東大政治経済研究会、東大自治擁護連盟を設立し活動していました。当時、父がこの学生団体を設立した目的は2つでした。一つは、当時盛んであった共産党運動の中にあるマルキシズムの持つ暴力革命への反対、二つ目は、その後予測される経済システムの自由主義経済への移行です。卒業後も活動を継続するために、学生運動民主化同盟(現在の土曜会)を設立しました。初代筆頭は、橋本 恕氏(元中国大使)、2代目は、矢崎新二氏(元会計検査院長)です。東大、早稲田、慶応、その他の大学の学生たちが参画したこの団体は、父が社会人になった後も継続し今日に至っています。 

東大を卒業するに当り、就職の選択に迫られた父は、番町会の長崎英造氏にアドバイスをもらいに行きます。その際に、長崎氏は、「企業をやれ。そのためには、企業の仕組みが解らなくてはだめだ。大企業ではなく、少し規模の小さい企業に就職しなさい。」とアドバイスをしてくださったそうです。そこで、父は、従業員1000人規模の上場会社日平産業(株)に入社します。20代の父は、学生時代の活動歴が買われ、労働組合の委員長に選出されます。日平産業(株)の労働組合と経営者の対決は、当時の新聞紙上を賑わせました。団体交渉の末で、死の商人と言われた当時の社長に団体交渉の場で辞表を書かせるという労働組合の勝利は、労働者に勇気を与えました。(その当時の話は昭和20年代の労働組合のあり方、戦略戦術の記録小説として描かれています。小説『渦の道標』著者峰村雅夫 水兵社)

その後、父は、実家の熊平製作所の経営に当たることとなり、東京から広島に移ります。そこでも、経営のみならず、地元の経営陣と共に、地元の発展に寄与する活動を行います。原爆の被害に遭った広島では、東洋工業(株)の社長松田重次郎氏(故)(マツダの創業者)を筆頭に、地元の財界人が、学校作りや地域経済の発展に寄与するが恒例となっていました。 

前置きが長くなりましたが、父が、「道州制」の必要性を確信したのは、広島で地方行政に関わったからです。それまでの国家的視点からの政治、経済政策に対する視点と、地方行政の課題が融合した結果が、「道州制」という結論だったのです。 

父は、広島市の教育委員長を務め、日教組と争った経験を持ちます。1999年の世羅高校校長の自殺事件が起きる以前から、広島県は日教組の牙城でした。経済同友会の代表幹事を務めた後に、広島ロータリークラブに委員会を設置し、将来の広島の姿を皆で描きました。委員長は西川ゴム工業(株)の西川公平氏(故)でした。そのシナリオを実行するため、以前から親交の深かった広島県知事と広島市長に依頼し、実行委員会を発足させました。委員長に、広島市長荒木武氏(故)、副委員長は、広島県副知事 田中稔氏でした。委員会には、中国経済連合会 会長の松谷健一郎氏(故)、広島県商工会議所連合会の会頭の橋口收氏(故)、中国新聞社社長の山本朗氏(故)が、名乗りを上げてくださいました。この時の経験から、「道州制」の必要性を真剣に考えるようになったようです。 

新しい時代の幕開けの今、日本が生き残るためには、政治が変わる必要があり、そのためには、「道州制」は、大変有効な道筋であると思います。幼いころから、父の話を聴かされてきた私は、現在、教育を変えることに情熱を注いでいます。子どもたちが幸せになるための教育を実現するためにも、「道州制」に大いに期待したいところです。

 

プロフィール【熊平 肇】

昭和25年                東京大学法学部卒業

昭和59年~平成5年     株式会社熊平製作所代表取締役 社長 

昭和57年~昭和60年    広島県教育委員会委員長

昭和60年~平成6年      日本経営者団体連盟常任理事

昭和61年~平成元年     日本放送協会経営委員会委員

平成元年~平成7年      中国地域ニュービジネス協議会会長

平成5年~平成7年       財団法人全国法人会総連合副会長 

平成元年~現在           財団法人クマヒラセキュリティ財団会長(H22年12月より一般財団)

平成8年~現在            社団法人中国地域ニュービジネス協議会顧問       

 

 

 

     

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