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未来を切り開くアントレプレナー ライフイズテック(Life is Tech!)の挑戦

文部科学教育通信 No.332 2014-1-27に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る(42)をご紹介します。

21世紀という複雑かつ難解な問題が山積する時代において、今までにない仕事を生み出し、新しいスタイルで働いている若者の姿が目立つようになりました。また、その仕事は単純なお金儲けのためだけではなく、社会における様々な問題を解決することに通じているケースが多いです。今回は、アントレプレナー(起業家)とその力について学ぶ機会としたいと思います。

 

アントレプレナー

今までにない仕事を生み出しているアントレプレナーとは、どのようなことを行っているのでしょうか。アントレプレナーを多く生み出しているアメリカで、起業に関するノウハウ本が多く出版されています。その中の一つRobert Toru Kiyosakiの著書『Rich Dad’s Before You Quit Your Job』に、以下のようなことが書かれています。

「起業とは、パラシュートが開くかどうかわからないのに、飛行機から飛び降り、下降しながらパラシュートを開くようなもの。パラシュートが開かなければ、地面に衝突し、跳ね上がる。」このように、アントレプレナーは正解だとわかってから動き出すのではなく、動き出してから出来事を振り返り、より良い方向へ走り続けるというリスクを取ります。

リスクを取って動き始めると、上手くいくこともあれば、困難な状況に陥ることもありますが、彼らは小さな成功で満足したり、壁を乗り越えるのを諦めてしまうのではなく、ビジョンを達成するために、創造的問題解決に取り組みます。

とても大変そうと思われる方もいるかもしれませんが、アントレプレナー本人は、そのことを大変だとは思っていません。夢や目標を実現することの方に夢中なため、大変さよりも、実現欲求の方が勝っているというのが、より正しい表現かもしれません。苦悩よりも、夢の方が、心の中で占める割合が多いのです。

アントレプレナーは自己マスタリー(自分が「どのようにありたいのか」、「何をつくり出したいのか」について明確なビジョンを持ちながら、ビジョンと現実との間の緊張関係を創造的な力に変えて、内発的な同期を築くプロセスのこと。)を持っています。Appleの生みの親であるスティーブ・ジョブズは、「フォルクスワーゲンのようなPCがほしい!」という強い願いを持っていました。DELLの創設者であるマイケル・デルは、「IBMに勝ちたい!」と強く願っていました。ジョブズもデルも、どちらも素晴らしいアントレプレナーですが、ジョブズにはデルのように安価なPCを大量生産することはできないですし、デルにはジョブズのような美しいデザインのPCをつくることはできません。これは、能力的にできないのではなく、自己マスタリーが異なっているためです。このように、アントレプレナーはどのような世界をつくり出したいのか、何を生み出したいのかという明確なビジョンを持ち、対象に対して多大なエネルギーを注ぎながら、自己マスタリーに忠実に生きているのです。

 

今までにない仕事を生み出すために必要な力

それでは、アントレプレナーの「今までにない仕事を生み出す力」とは具体的にどのような力を指すのでしょうか。

私は、大きく3つの力が必要だと考えています。

 ①リフレクション(内省)力

率先して行動を起こし、その結果を振り返り、ビジョンや目標に向かうより良い方法を探し続けるアントレプレナーは、学習者そのものです。

学習し続けるという行為において重要なのは、新たな知識を増やすだけでなく、自らの行動や思考を内省することです。この内省も、ただ闇雲に振り返るのではなく、ビジョンやありたい姿と比較して現状がどうなのか、何を行えば目標に違づけるのかを考えることが大切です。

 ②コラボレーション力

新しい仕事を生み出す時に、自分と似た思考、経験を持っている人とだけ関わるのではなく、様々な考え方や経験をもった多様な人々と協力することが大切です。

目標を達成するために、どのようなメンバーのいるチームをつくるべきかを考え、多様な人々から学び、自分一人では考えつかないアイデアを出せることがアントレプレナーには必要です。 

③創造的問題解決力

前述した通り、新たなことに挑戦する時、前例のないことに挑戦する時には、実現に向けたステップは、どこにも存在しません。自分で、ステップを創るしかないのです。現状と有りたい姿とのギャップを埋めるために、解決策を創造することが大切です。システム思考やクリティカル思考など、さまざまな思考法が、創造的問題解決を支援するために用意されています。

 

日本のアントレプレナー ライフイズテック(Life is Tech!)の挑戦

日本にも素晴らしいアントレプレナーはたくさんいます。その中でも、ITの分野において新たなムーブメントをつくっているのがライフイズテックです。Life is Tech!1.JPGのサムネイル画像Life is Tech!2.jpg

ライフイズテックは、ITに興味を持つ人口を増やし、日本からもジョブズやデルのようなIT業界のスターを生み出すために、「中高生のためのプログラミング・ITキャンプ」といったアプリケーションやプログラミングに触れる機会を提供しています。

創設者である水野雄介氏は、「子どもひとりひとりが持つ可能性を、最大限伸ばせる社会をつくりたい。」と願い、ライフイズテックを立ち上げました。

水野氏はライフイズテック立ち上げ前に「野球だとイチローのようなスター選手がいるが、ITの分野だと日本にはスターはいない。なぜだろう?」と考えたそうです。考えをすすめていくと、野球は子どもの頃からクラブ活動などで取り組んでいる人が多いことに対して、プログラミングやアプリケーションの作成は大学で専攻しなければ触れる機会がほぼないということに気付きました。野球のように、プログラミングやITに対しても子どもの頃から慣れ親しむことができると、子どもの可能性を広げることができると水野氏は語ります。

ライフイズテックが開催するプログラミング・ITキャンプの参加者は年々増加しています。増加の要因は、子どもの頃からプログラミングを学ぶ機会の重要さに保護者が気付きはじめたということだけでなく、キャンプに参加する子どもたちの成長が他の子どもたちを惹きつけていることも大切なポイントになっています。

キャンプに参加する子どもたちは、様々な視点でどのようなアプリを開発すると良いか考え、他の子どもや大学生のインストラクターと共に学び、時に協力し、時に競いながら学習のサイクルを回します。キャンプに参加した子どもたちは、プログラミングの技術だけでなく、課題解決力やリーダーシップを身につけることもできます。このような力を身につけた子どもたちが、新たな時代を担うアントレプレナーとなっていくのだろうと考えています。

 

全ての方がアントレプレナーになることは難しいと思いますが、どのような場所においても、アントレプレナーの持つ力を意識して活動することが21世紀を幸せにいきるために必要であると考えます。

アショカ・ユースベンチャラー活動報告会「We are the Change」

文部科学教育通信 No.326 2013-10-28に掲載されたグローバル社会の教育の役割とあり方を探る(36)をご紹介します。

 

アショカ・ジャパンの活動の一つに「社会のために行動を起こしたい」という想いを持ち、若者自らが始める活動を支援するアショカ・ユースベンチャーという取り組みがあります。ユースベンチャーの目的は、「参加する若者を将来のチェンジメーカーとして育てること」です。若者が日常で感じる「こんなことがおかしい」という気づきに対し、若者自らが起こす取組みを支援しています。この活動は、1996年に本国アメリカで始まり、今では日本を含む世界17か国に広がっています。日本での活動は2011年にスタートしました。通常のアショカ・ユースベンチャーのほかに、2011年3月の震災の後、「東北の未来のために何かしたい」と、立ち上がった若者を支援する東北地域限定の東北ユースベンチャーもあります。東北ユースベンチャーでは、2016年までに150人の東北ユースベンチャラーのネットワーク作りを計画しています。

アショカ・ユースベンチャー/東北ユースベンチャーの対象は自らがチェンジメーカーになって社会を変えたいと願う12歳〜20歳の若者です。候補者は、自分自身が具体的に取り組むアイデアを「活動プラン」にまとめ、パネル審査会で発表します。選考された若者は「アショカ/東北・ユースベンチャラー」として認定され、アショカ・ジャパンから10万円のシードマネー(活動立ち上げ資金)と社会人メンターからの活動アドバイスを受け、1年間、責任を持って活動プランを継続します。

 

●We are the Change

2012年9月から2013年8月までに合計28組、約140人の若いベンチャラ―が認定され、活動を続けています。先日、この若いチェンジメーカーが一同に会する第1回の大集会「We are the Change」が品川にて開催され、参加してまいりました。当日は、1年間の活動を終えた第1期・第2期ベンチャラ―による最終報告と第4期ベンチャラ―による中間報告が行われました。若いベンチャラ―の熱い思いがまっすぐに心に伝わる素敵なイベントでした。報告の中から印象に残ったベンチャラ―の活動をいくつかご紹介させていただきます。

◎堀池美里さん
「被爆ピアノ」のコンサート

被爆ピアノとは、1945年に広島と長崎に落とされた原子爆弾によって被爆したピアノです。堀池さんは、中学生の時に生徒会の一員として平和学習のために広島を訪れ、河本明子さんの被爆ピアノに出会いました。19歳の時、学徒動員中に被爆して亡くなった明子さんのピアノは、それから弾かれることのないまま眠っていましたが、平和を伝えるために修復され、展示やコンサートで使用されるようになりました。毎年、8月6日には原爆ドーム前でコンサートが開かれます。堀池さんは2003年のコンサートに参加し、明子さんのピアノとその音色に感動し、学校のみんなにも聞いて欲しいと思い、コンサートを企画しました。翌年、学校のホールで明子さんの物語を描いた劇とともに被爆ピアノコンサートを開催したところ、たくさんの生徒がピアノの音色と話に感動し、すばらしいコンサートになりました。 この感動を一人でも多くの人に味わってもらうために、堀池さんは学校という枠を超えて被爆ピアノコンサートを行っています。若者が「被爆」のことを知り、平和を考えるきっかけになるよう、今後もコンサートを行うだけではなく、意見や感想を共有する交流会も企画しています。

◎田畑 祐梨さん
震災の経験を伝える「語り部」活動

宮城県南三陸町の仮設住宅に住む田畑さんは、一向に進まない復興に、いら立ちを覚え、大人達に失望します。しかし、そんな大人達に頼り、何もしてこなかった自分にも怒りを感じ、自ら行動することを決めます。2013年3月11日から約半年間に日本の若者と外国の方々約2000人に対し、震災の経験を話す「語りべ」活動を行ってきました。

半年間の語りべ活動を通して、田畑さんはこれからの支援活動について考えるようになりました。東日本大震災から2年半たった今も、被害を受けた地域の人々は、漠然とした未来への不安や、なかなか進まない復興活動に対する葛藤と戦い続けています。そして、「2年半たった今、支援者が被災地にいつまで来てくれるのだろうか」と忘れ去られることを不安に思っています。そこで、田畑さんは、これからは「支援」という形ではなく、「語ること」を通して支援者と「つながる」ことを目標に、今後も活動を続けていくことにしました。田畑さんの語りべを聞いた多くの人が、「また、会いに来るね」と言って自分の故郷に帰っていきます。そのたった一言が、町の人たちの「次に来てもらえる時までに、この街を良くしておこう」という、今後も踏ん張る力になっています。田畑さんは、南三陸町の語りべ活動のほかに、遠方からでも活動に参加できる新プロジェクトを企画中です。

◎大前拓哉さん
被災地を訪れるバスツアーを企画

大前拓哉さんは、Investorという団体を作り、関西の学生を対象に東北地方を巡る「バスツアー」を運営しています。このツアーでは、観光地のほか被災地を訪れて、被災者の方々から直接体験談を聞いたり、地元の小学校で行われるスポーツ教室や運動会などを手伝って、実際の支援活動を行ないます。東北地方の「今」を知り、地元の方々と密接に触れ合える体験型のバスツアーです。ツアーを通じて参加者の学生に被災地を知ってもらい、東北を大好きになってもらおうという狙いです。

また、大前さんは、このツアーを通じて出会った気仙沼の高校生を彼が住んでいる大阪や京都に連れてきて、大阪を好きになってもらう「逆ツアー」も企画しました。実施した関西ツアーを振り返り、「関西の良さを知ってもらう楽しい旅を企画できたことはよかったが、関西にも問題はあるし、良くない所もある。良い面ばかりではなく、関西の課題も共有することで、より深い繋がりを実現できるツアーになるのでは・・・」と次のツアーに向けて、改善点を挙げていました。

 

●魚釣りを教えるのでなく、漁業全体に革命を起こす
アショカは、1981年に、ビル・ドレイトン氏により創立されたチェンジメーカーを育てる活動を行っている財団です。ビル・ドレイトン氏が、この活動を始めたきっかけは、19歳の時、2か月間インドを旅し、どうしようもない貧困を目の当たりにしたことでした。この問題を解決したいと考えましたが、その当時の彼には、何もすることができませんでした。まず、世の中を動かす仕組みを知ろうとハーバード、オックスフォード、エールの各大学に学び、大手経営コンサルタント会社のマッキンゼーで、官民両方の顧客を担当し幅広い経験を積みました。人づてに、インドで教育に取り組むグロリア・デ・ソウザという女性のことを知り、彼女の活動に資金的な支援を行うことを始めたこと(アショカフェロー第1号)が、アショカの始まりです。ビル・ドレイトン氏は、「魚釣りを教えるのではなく、漁業全体に革命を起こす」つまり、システム変革を起こす人を育て、活動を支援することを目指しています。

日本では、アショカ・ユースベンチャーの他にも、高校生や大学生を巻き込んだ多くの取り組みが行われています。それらの取り組みと、アショカの大きな違いは、「大人が取り組みに介入し、成功に導く支援をしないこと」です。若者が、自分の力で取り組み、成功や失敗の中から学び、目標を達成することで、チェンジメーカーになるための心の習慣とスキルを共に習得することがアショカ・ユースベンチャーの狙いです。アショカという文化の中で育った若者が、これからの社会にどのようなインパクトを与えてくれるのか、本当に楽しみです。

 

ソーシャルアントレプレナーシップ

昨年より青山ビジネススクールでスタートしたソーシャルアントレプレナーの授業について、受講生の細谷哲也さんが受講の感想を、青山ビジネススクールのHPで紹介してくださいました。 以下にその内容を転記いたします。

★さまざまな社会問題の解決に取り組み、ソーシャルビジネスの潮流を学ぶ           細谷哲也

ある日、深夜のTV番組をつけると、インドネシアの貧しい地域の村人たちに、彼らの生活を改善できそうな機器を紹介する一人の日本人が取り上げられていた。NPO法人コペルニクCEOの中村俊裕氏であった。電気の引かれていない地域の住民たちは比較的高価で、煙を発する灯油ランプの代替品として紹介されたソーラーバッテリーライトに大いに関心を寄せていた。他にも眼科医にかからずとも自ら度を合わせられる眼鏡などが紹介されていたが、住民たちがこれらの機器を手に取った時の非常に喜んでいる姿が実に印象的であった。途上国の貧困という社会問題解決のためのアプローチがユニークであったことが心に残り、これが伏線となってABSで昨年初めて開講された「ソーシャル・アントレプレナー」クラスを受講するきっかけとなった。

このクラスでは様々な社会問題の解決に取り組むソーシャル・アントレプレナーとその起業戦略が紹介され、いくつものケースメソッドを通じて世界のソーシャルビジネスの潮流を学ぶ。上記のコペルニクの取り組みもケースとしてクラスで取り上げられたが、コペルニクの場合は、オンラインマーケットプレイスを通じて、先進国の寄付をしたい個人や企業、技術保有者、そして、発展途上国のローカルNGOをつなぎ、途上国の人々に革新的な技術を効果的に届ける活動をするというビジネスモデルを有する。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスのグラミン銀行もそうであるが、行政の一方的な支援によらずに、これまで貧困の連鎖から抜け出せなかった人々の真の自立支援を促す新たな仕組みをつくり出した点にこのソーシャルビジネスモデルのおもしろみを感じる。

しかしながら、国内外における政治・経済・社会情勢が急激に変化する中、貧困・格差・環境問題などの社会問題はますます多様化しており、それぞれの解決方法も従来の方法では解決できなくなってきているとも言える。「ソーシャル・アントレプレナー」クラスでは、実際に日本でNPO法人を立ち上げたばかりのゲストからその取り組みを伺い、受講者がチームを組んでコンサルティングもさせていただくという貴重な機会にも恵まれた。日本の教育格差サイクルの改善という社会問題に挑むNPO法人Teach For Japanの取り組みを4回に渡るコンサルティング・ワークショップで課題分析と解決策をチームごとに発表し、最終回には実際に同NPO法人代表である松田悠介氏に対してプレゼンをさせていただいた。

こうした授業全体を通じて得た感想としては、豊富なケース紹介と質の高い情報提供や説明をインプットしていただく一方で、コンサルティング・ワークショップやケース分析の課題提出といったアウトプットする要素も十分に与えていただき、ソーシャルビジネスに関する理解が時間の経過と共に深まっていくような授業構成を組んでいただいたと感じる。

現代は重い社会問題を抱える時代であると言えるが、それはMBAで学んだ様々な経営手法やフレームワークを用いての問題解決がこれまで以上に期待されている時代であるとも言うことができる。現にソーシャルビジネスは、ハーバードビジネススクール卒業生の最も人気のある就職先にもなっていると聞く。今後は日本でもソーシャルビジネスのニーズが認知されていくにつれ、民間企業とソーシャルビジネスの経営の垣根も段々となくなっていくことであろう。「ソーシャル・アントレプレナー」クラス受講者たちが「チェンジメーカー」となって、日本の社会問題の解決をリードしていく日もそう遠くないことかもしれない。

青山ビジネススクールのソーシャルアントレプレナーシップの授業については、こちら をご覧ください。

学生起業家選手権で優秀賞受賞

 

 
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2月6日(日)、都民ホールにて開催された「平成22年度(第9回)学生企業家選手権決勝大会」(主催:東京都、(財)東京都中小企業振興公社)において、応募プラン225組の中から以下の3組が優秀賞に選出され、優秀賞受賞者には賞金50万円が贈呈されました。今後、優秀賞受賞者には、企業に向けたフォローが行われ、会社設立の際には、事業資金として100万円が提供されます。
 
 
「グルーミングペットサロン」で優秀賞を受賞したメンバーは、今年度、青山学院大学大学院(Aoyama Business School)でアントレプレナーシップの授業を受講していただいたメンバーです。講義で学んだことがビジネスプランの作成に役立ったと言っていただき、教壇に立つ者として嬉しい限りです。
 
 
【優秀賞】 3組 
  
 

エントリー事業プランの名称
 
大学名/代表者名
・MEDICONSUL
(医療機関の国際医療事業コンサルティング)
 
青山学院大学
趙 珉枝
・グルーミングペットサロン
(事業内容:高品質・低価格・高利便性を実現したペットサロンの全国展開)
 
青山学院大学大学院
筒井 宏次
・「JAPAN MANGA」
中央大学
呂 俊輝

 

学生企業化選手権についてお知りになりたい方は、こちらから
 

社会起業家の父

子どもたちが、自分の潜在的な能力を伸ばし、世の中に貢献する豊かで幸せな人生を送り続けるために、子どもたちが身につけなければならない力は何かという問いに対する答えを探しています。

社会起業家の父 ビル・ドレイトン(アショカ創設者・代表)から教えていただいた答えは、以下の通りです。ビル・ドレイトン氏の夢は、ガンジーのように社会にインパクトを与える若者をたくさん育てることです。
 

社会起業家に必要な5つの力

  • Empathy【共感する力】
  • Ethical Fiber【強い倫理観】
  • Teamwork【チームワーク】
  • Leadership 【リーダーシップ】
  • Innovative ideas to change the world【世界を変える創造的なアイディや発想】
     

個人や家族の幸せの追求、企業の利益追求、関わりのある地域や組織の利益の最大化など、これまでは、小さな枠の中で、短期的な成果を目標に、世の中への貢献を考えてこれました。しかし、世界が繋がり、変化が激しく、解決しなければならない問題がより複雑化する時代において、個人が正しく判断し行動するためには、強い倫理観と共感する力はとても大切だと思います。「何のために行うのか」、「その結果、誰にどのようなインパクトがあるのか。特に、周囲に与える負のインパクトは何か」を正しく考える力を持つリーダーがたくさん生まれることを願っています。

アショカ財団 http://www.ashoka.org/

TABLE FOR TWO

2007年に創設されたTABLE FOR TWOは、開発途上国の飢餓と先進国の肥満や生活習慣病の解消に同時に取り組む、日本発の社会貢献運動です。
世界の67億人の人口のうち、10億人が飢えに喘ぐ一方で、10億人が肥満など食に起因する生活習慣病に苦しんでいます。この深刻な食の不均衡を解消するため、2007年の秋に日本でTABLE FOR TWOが創設されました。名称の由来は、TABLE FOR TWO、直訳すると「二人の食卓」。先進国の私たちと開発途上国の子どもたちが、時間と空間を越え食事を分かち合うというコンセプで名づけられました。TABLE FOR TWOに参加することによって得られる地球人としての一体感と思いやりの心が、現在の世界にとって不可欠だと考えられています。
2008年末までの約1年間で、TABLE FOR TWOプログラムへの参加企業・団体数は100を突破しました。食堂から始まったプログラムは、一般の方にもご利用いただけるカフェへ、そしてネットスーパーやコンビニの食品へ、次々と広がっています。
TABLE FOR TWOの活動内容もプログラムの推進だけにとどまらず、講演会開催や本の出版、ブログキャンペーンなど、TABLE FOR TWOの理念や問題意識の啓蒙活動へと拡大中です。また、日本で始まった活動は海を越え、アメリカにも広がりを見せ、2008年にニューヨークで支部を開設し、2009年より活動が始まっています。

【プログラムの仕組み】
対象となる定食や食品をご購入いただくと、1食につき20円の寄付金が、TABLE FOR TWOを通じて開発途上国の子どもの学校給食になります。20円というのは、開発途上国の給食1食分の金額。つまり、先進国で1食とるごとに開発途上国に1食が贈られるという仕組みになっています。支援先はアフリカのウガンダ、ルワンダ、マラウィの3か国 で、支援国選定基準は、深刻な貧困状況が生じていること、政情が安定していること 、給食事業の管理・報告体制が整備されていること等です。
現在、その基準のもとに、東アフリカに位置する上記3か国の給食事業を支援中で、今後は、寄付金の増加に伴い、支援地域を随時拡大していく予定です。

Picture2.jpg詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧下さい。 Table for Two http://www.tablefor2.org/

2010年ABS講義概要

アントレプレナーの帽子をかぶり、アントレプレナーを疑似体験してもらうことを狙いとしています。チーム学習によるビジネステーマコンテストでは、ビジネスアイディアとその具現化のシナリオプランニングに焦点を当て、アントレプレナーとしての価値創造的思考を疑似体験します。授業では、そのために必要な理論や知識を学び、今年から、BOP(Base of Pyramid)や社会起業家の事例や理論を授業領域に含め、新しい社会ニーズと起業の可能性について考察します。
 

【アントレプレナーシップ講義スケジュール 全13回】
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【講義内容】

  • 第1回 「イントロダクション」 アントレプレナーシップを学ぶということ
アントレプレナーシップの講義では、アントレプレナーの視点で、ビジネススクールのナレッジを活用することを目指しています。そのために、アントレプレナーの情報の使い方と発想(ひらめき)&思考プロセスを身に付けてもらうことを狙いとしてます。
 
  • 第2回 「起業の始まり」 ビジネスアイディアを創造する
あなたが興味・関心を持ち、自分の力を発揮できる分野でビジネスのアイディアを考えてみましょう。あなたが選んだビジネステーマはどのような新しい価値を提供していますか。既存製品の何を変えていますか。市場のニーズはあるでしょうか。ビジネスの成功事例をいくつか学び、自分の選んだビジネステーマを評価してみましょう。
 
  • 第3回 「ビジネスプラン&ビジネスモデル」 ビジネスアイディアを具現化する
ご自分の選んだビジネステーマをクラスで共有し、環境分析を行いましょう。通常、アントレプレナーは、マクロ分析、市場分析、業界分析、競合分析、自己分析の5つの視点から環境分析を行います。あなたが新規に参入しようとしているビジネスの現状を調べ、ビジネス成功のために重要な調査項目を見つけましょう。次に、①ビジネスに参画するメンバー、②チャンスの有無、③環境状況、④リスクとリワード、という視点から、具体的なビジネスプランとビジネスモデルを描いてみましょう。
 
  • 第4回 「学習するアントレプレナー」 学習のための5つのディスプリンを活用する 
ビジネステーマコンテスト(第8回講義)に向けて、各グループごとにビジネステーマを決めましょう。まずは、各自がビジネステーマを一つ選び、概要をまとめ、その後に、全員でテーマを共有します。その中から一つのテーマに絞り込むか、複数のアイディアを統合し新たなテーマを創造します。また、学習するアントレプレナーになるために、学習のための5つのディスプリンやシステム思考を学びましょう。
 
  • 第5回 「起業をとりまく風景(資金調達を中心に)」 ゲストスピーカー:レオス・キャピタルワークス株式会社 CIO(最高運用責任者) : 藤野英人 氏
実際に起業された方をゲストスピーカーとしてお招きし、お話しいただきます。本日のゲストは、レオス・キャピタルワークス株式会社の藤野氏です。レオス・キャピタルワークス株式会社(レオス)は、2003年に設立された資産運用会社です。経営理念は「(全てはお客さまと社会のために)「資本市場を通じて社会に貢献します」です。
 
  • 第6回 「資金調達: 創業期の資金調達について学ぶ」 ゲストスピーカー:株式会社ジャフコ 伊藤毅氏、木村剛氏
本日のゲストは、株式会社ジャフコ 第三投資運用本部 産学連携投資運用部の伊藤氏と木村氏 です。株式会社ジャフコは、将来の日本を牽引していくようなチャレンジ精神旺盛な企業を、全力で応援するという使命を掲げています。第三投資運用本部では、大学発ベンチャーへの投資活動及び、産学連携投資運用部の運営に従事しています。本日は創業期の資金調達を中心にお話しいただきます。
 
  • 第7回 「ケーススタディ1:Ingvar Kamprad and IKEA」 ケーススタディにより起業を疑似体験する
本日は、 Ingvar Kamprad and IKEA というハーバードのケースを用いて起業を疑似体験していただきます。まず、各自に担当箇所のサマリーを発表ししていただき、IKEAの企業活動について学びます。内容を把握した後、IKEAの国内・国際化戦略、組織力、組織の価値観とビジョン、未来へのアクションプランについてのディスカッションを行います。
 
  • 第8回 「アントレプレナーの思考」 アントレプレナーとして戦略を考える
アントレプレナーは、調査とセールスを同時に実現する、問題を発見したら直ちに解決策を探す等、スピードと機敏さが要求されます。また、アントレプレナーは、ゴールは正確か?⇒戦略は正しいか?⇒戦略は実現可能か?という思考プロセスで考えます。うまく行かない場合は常に一つ前に遡って、どこに欠陥があるか考えます。本日は、宿題としていたビジネステーマコンテストのテーマをグループごとに発表していただきます。
 
  • 第9回 「ケーススタディ2:Frank Addante」 理論と実践を融合させる
ケーススタディ2では、起業家Frank Addanteについて学びます。Frankはなぜ起業したのか?Frankが立ち上げたそれぞれのベンチャー企業で雇った社員のタイプと企業規模の関係とその理由、Frankの行った社員に対するインセンティブなどについて学びます。
 
  • 第10回 「社会起業家」 社会起業家の事例に学ぶ
社会の課題を、起業という手段を使って解決する「社会起業家」について学びます。社会起業家の父と呼ばれるAshoka財団のビル・ドレイトン氏を始め、グラミン銀行のムハメド・ユヌス氏、教育機会の均等を目指すティーチ・フォア・アメリカ、ビルゲイツ財団についても学びます。日本でも「世界を変える社会起業家100」にも数人の日本人社会起業家が選出されています。
 
  • 第11回 「起業家と社会起業家」 起業家と社会起業家の成功要因を学ぶ
起業家と社会起業家の違いについて学びます。起業家は、どの程度の利益や報酬により実績を計るのに対し、社会起業家は、社会にどれだけの強い効果を与えたかを成功の尺度にしています。かつての資本主義社会では、消費者が主役であり、企業と個人のWin-Winのみが問題とされましたが、2008年ごろから、企業と個人のWin-Winに加えて地球の未来と人類の未来を考慮に入れる必要が出てきました。キーワードは、「自分の成功のためではなく、他社の成功のために頑張る」です。ビジネス起業家も社会起業家の視点から学ぶ時に来ています。
 
  • 第12回 「ビジネステーマコンテスト発表」:各チームの成果を発表する
各グループにビジネステーマコンテストの結果を発表していただきます。発表の結果をグループごとに評価シートに記入していただきます。評価の観点は1)ビジネスアイディア、2)ビジネステーマ、3)ビジネス上の魅力、4)発表者のパーソナリティとの関係です。
 
  • 第13回 「ビジネステーマコンテスト総括」:各チームの成果を振り返る
ビジネステーマコンテストの結果を発表します。各チームの成果とこれまでの講義をふりかえりましょう。

アントレプレナーの夢

1988年にHBSに入学した私は、アメリカ留学から日本に持ち帰るものを探していた。 ところが、家庭の電化製品は、明らかに日本製の方が優れていたし、日本経済は絶好調であり、日本型経営に世界中が注目している時だった。何も、アメリカから持ち帰るものがないのではないかという疑問を抱いたとき、カリフォルニアを中心に広がるベンチャービジネスの存在を知り魅了される。その結果、卒業後、アメリカに残り、スタンフォード・リサーチ研究所とのコラボレーションを行い、レッドウッドシティにオフィスを構えることになった。

スタンフォード・リサーチ研究所では、国防総省の資金により、さまざまな基礎技術開発が進められていた。アプリケーション開発においては多方面にわたり民間企業とのコラボレーションが行われ、基礎技術の研究においても、その技術をどう世の中に生かすのかという視点で取り組みが行われていた。そこではまるで、10年後の技術の世界が、今すでに実現しているかのような確信に満ちた言葉で語られていた。『未来を予測するためには、未来を作る人になればいい』という言葉を、技術の世界で実現している人たちがいた。

その当時、既に、HPやサン・マイクロシステムズなどのベンチャービジネスが成功し、活気に満ちていたシリコンバレーで最も魅力的なベンチャーといえばアップルだった。 PCのフォルクスワーゲンを目指したアップル。1人に1台のPCを宗教の教義のように唱えたスティーブジョブス。白いシャツとストライプのネクタイに象徴されるIBMとTシャツとジーパン姿のアップル。権威と個人主義、規律と独創性などIBMとアップルの違いは、その製品の違いだけではなく、人生観やライフスタイルの違いでもあった。

残念ながら東海岸のビジネススクールに留学した私が最初に学校から支給されたのはIBMのPCだったが、シリコンバレーに足を踏み入れた後は、周囲のアップル熱に刺激され、直ぐに、アップルのマッキントッシュを購入した。マッキントッシュの使い勝手のよさに驚いた。何も考えずに操作をしても、マシーンが期待通りに動いてくれる。本当に使う人のために作られたPCだった。

1980年代の低迷したアメリカ経済において、ベンチャービジネスは、2,000万人の雇用を創出したといわれる。そして、日本においても、1990年代に入り、ベンチャービジネスを支援する取り組みが国を挙げておこなわれるようになった。2000年に入り、若者にもベンチャーブームが巻き起こり、日本にもいよいよベンチャービジネスの時代がやってくるように思われていた矢先、ライブドアの上場停止をきっかけに、ベンチャービジネスに対する感心が薄れてしまったことはとても残念だ。

起業とは、一言で言えば、自分の夢を企業活動を通じて実現することである。1人では実現できない夢を仲間と実現すること、一人の資本では実現できない夢を資本家を集め実現することである。中でも魅力的な企業を作り上げた起業家たちは、誰もが考えないような夢を描き、それを実現し、世の中の多くの人々に夢や、力、利便性を与え、世の中を変えてしまう。日本において世の中を変えた企業の事例を探すと、ホンダ、ソニー、松下・・・とすでに、設立から50年以上も経過した企業ばかりだ。

長男は、1991年生まれの17歳である。彼らの世代には、世の中を変える夢を実現するような活躍を期待したい。
 

青山MBA特別フォーラム『ビジネススクールはキャリア形成にどのように役立つか?』

2007年10月20日に青山ビジネススクールにおいて、MBAに関する講演を行いました。

概要:
【留学の目的
私の留学の目的を整理すると、3つになります。 1つ目は、本業が衰退産業になるとき、「新規参入」する事業を選ぶ方法が知りたかったことです。当時、斜陽産業を代表する業界に、製鉄業界がありました。今は、見事に本業での競争力をつけていますが、当時は、円高による価格高騰により国際市場における価格競争力に負け、苦しい時代でした。現業における業績が芳しくない中、潤沢な資本を、次々と新規事業に投入していました。その様子をみて、資金力があれば、企業はどのような新規事業にも参入することができるのだと解りました。レストランでも、テーマパークでも、農業でもよいわけです。では、本当に、企業は、何の事業に参入しても、その事業を成功させることができるのだろうかという疑問が浮かんできました。そして、きっと、ビジネススクールでは、新規事業参入における正しい選択軸を教えてくれるに違いないと考えました。
2つ目は、「投資の意思決定」という未来に対する決断を、科学的に分析する方法を知りたいということです。経営者には、意思決定がつきものです。しかし、その当時の私には、正しい意思決定とは何なのか皆目検討がつきませんでした。どうすれば、会社に損害を被らせることなく、リスクのない、大胆な意思決定ができるのかを知りたいと思いました。

【企業価値】
企業価値という視点を学んだことも大変有意義でした。理論株価に株式総数を掛けたものが、企業の将来生み出すであろうキャッシュフローの現在価値により決まるという考え方です。そして、企業を買収する際の適正価格は、同じ会社でも買い手にとって違うという考え方に感動しました。また、それまで、無借金経営がすばらしいと私は信じていましたが、無借金企業は、借入れを起こし企業価値をさらに高める努力を放棄しているので、必ずしも良い経営ではなく、経営者が怠けていることを意味する、という話には目からうろこが落ちました。また、このような企業は、企業価値を高める力を持つ企業の買収ターゲットになり易いと言われ、思わず、実家の家業を思い出しました。

また、一方、会社を売り買いすることにすら大きな抵抗があり、会社は、従業員の雇用を確保することが、株価を上げるよりもずっと重要であると信じていた私にとっては、アメリカ的な経営にはついていけない部分もたくさんありました。しかし、世界を動かしているアメリカ経済のメカニズムを理解したことは有意義でした。

【アメリカ企業が人を大切にする意味】
また、アメリカ型経営、日本型経営という視点では、どちらにも良い点があり、弱点があるという客観的な見方ができるようになったのも、ビジネススクールのおかげです。アメリカの企業でも、良い企業は、人を大切にし、人に投資をしています。学年には、何人もIBM営業出身者がいました。彼らは、共通して優秀でした。マツダの社長になった同期生のマークフィールド氏もその1人です。友達が、「彼らは、IBM卒業生だから。」と普通に話していたのは印象的でした。「育てた彼らが、IBMをやめてしまって、IBMは平気なの?!」と考えるのは、日本人のせこさでしょうか。優秀に育てても会社を辞めてしまうのなら育てる意味がない?アメリカ人の考えはそうではないようでした。GEもそうですが、流動性は前提で、自社で育てた社員が自社で活躍しても、他社で活躍してもよいという前提で、すばらしい教育システムを自社内に持っている-そんな名門企業がたくさんあります。人を育てることで、人を大切にする米国企業のあり方にも、大いに学ぶことがあると感じました。

【多角化】
留学の目的のひとつである多角化における正しい意思決定については、明確に答えをもらうことが出来ました。それは、企業の存在意義に鑑み事業を発展させることが重要であるというものでした。

ここで、皆さんに質問です。
Q1 皆さんは、3つ星、4つ星というランキングをご存知ですか?
Q2 そのレストランガイドの名前をご存知ですか?
Q3 ミシュランというレストランガイドを作っているのは、あのフランスのタイヤ会社 ミシュランであるということをご存知の方はどのくらいいらっしゃいますか?
 
【リーダーシップ】
3つ目は、本質的な問題です。「経営」とは何をすることかを知り、自らのリーダーシップを磨くことでした。経営やリーダーシップという言葉は、概念的であり、人それぞれその解釈が違います。また、たくさんの著書も出ていますが、どの本も正しく思え、なんとなくは理解できても、実感は持てません。そこで、私なりに、経営とは何かを理解し、自らのリーダーシップを強化していきたいと考えました。

【何を学んだか】
それでは、ハーバードビジネススクールで何を学んだかについてお話をします。
1つ目は、一貫性についてです。 ハーバードの1年目は、同じクラスでの授業になります。マーケティングからスタートするクラスは、ファイナンス、IT戦略、製造管理、ジェネラルマネジメント、組織行動と企業のすべての機能についてクラスが用意されています。最初は、講義のテーマのみに集中したクラスディスカッションが、どんどん広がっていき、1年目の終わりには、マーケティングのケーススタディにもかかわらず、ファイナンスの視点、人事の視点、組織の視点、製造部門の視点と、すべての基本的な知識が統合されたディスカッションになっていきます。まさに、経営会議のように、あらゆる立場の視点が議論されるようになります。こうして、私たちは、企業経営における基本となる視点・機能を一通り学ぶことができました。さらに重要なことは、すべてのことが一貫していなければ、個別の戦略がいくらすばらしくても機能しない、結果に繋がらないということを学び、一貫性の作り方を根本から理解することができました。
 
2つ目は、意思決定をする習性です。 ケーススタディのクラスは、『コールドコール』というオープニングでスタートします。教授は、ディスカッションの口火を切る人を一人指名します。このとき、オープニングの機能が果たせないと落第ですから、ケースの準備に手抜きはできません。落第というのは、冗談ではなく、成績下位者の16名は毎年すぐには2年生にはなれず、一旦社会に出て2年間の勤務経験後に、再度2年生に復帰できるという仕組みになっています。当然、みんな必死です。また、期末試験は、必ず休みの後なので、1年間気が休まることはありません。ハーバードの2年間は、決して、楽しい思い出ばかりではありませんが、卒業して思うと、「経営者の孤独とプレッシャー」を疑似体験させてくれているのだと気づきました。確かに、このプレッシャーの中を生き抜いたことが誇りであり、卒業したことが自信に繋がったことは事実です。後に、熊平製作所で取締役になり、ケーススタディではなく、実際に資金を使う意思決定を行い、組織に対する責任を持った時、実社会における経営者のプレッシャーを知りました。そして、ビジネススクールにおけるプレッシャーは、幼稚園レベルだったのだと気づき、苦笑したものです。しかし、ビジネススクールにおけるプレッシャーと、約一千のケースの中に出てくる主人公たちの意思決定を疑似体験できたことは、冷静な判断を行う上で大変役に立ちました。

ケーススタディでは、常に、主人公の立場で考え、答えを導き出すことが求められます。1日に2つから3つのケーススタディを2年間こなすと、経営者としての判断をする習性が身につきます。経営者のプレッシャーの中で、経営判断を次々に行うビジネススクールでの2年間を経て、企業に就職したハーバードMBA卒業生の失敗は、笑い話のようですが、上司から「君の判断を聞いていないよ。」と言われることだそうです。

3番目は、ビジネススクール卒業生ならではの思考プロセスです。 マーケティングでもファイナンスでも、すべては経営環境の認識からスタートします。業界を理解し、3C(カスタマー、カンパニー、コンペティター)で自社を客観的に眺めた上で、経営判断に必要な情報が全て揃っているのかを確認し、判断を下します。また、その判断の結果として、どのようなリスクがあるのか、想定される最悪の事態は何かを考え、それらに対する対応策を考えます。また、判断を実行する上で必要な経営資源、障害となる事柄とそれに対する対処などを考えます。この思考プロセスは、2年間で習性になります。もちろん、意思決定は、実行のスタートですから、幾ら良い意思決定でも、実行レベルで間違いを犯しては、成功に至りません。そういう意味では、実行の段階が鍵を握るわけです。少なくとも、頭の中でどれだけ未来をシミュレーションすることができるか、未来の出来事にイマジネーションを広げられるかは、実行を成功させるために重要です。そういう意味では、ビジネススクール卒業生ならでの思考プロセスは、実社会で、ビジネスシーンを生き抜いていく上で、大変強い力となります。
 
さて、今でこそ当たり前になった自由競争の視点と企業価値の評価の視点は、私にとっては大変興味深いものでした。
冒頭に申し上げたとおり、私がハーバードに留学した当時は、日本の資本市場が海外に開かれる以前のことです。このため、グローバル経済と日本のビジネス社会の関係は、輸出を中心とする産業の貿易摩擦ぐらいのものでした。このため、グローバルスタンダードが何かなど私はそれまで知りませんでした。そして、初めてビジネススクールにおいて、アメリカ経済の根底にある考え方に触れ、その意味を理解する機会を得ることになりました。アメリカ経済は、あるいは、アメリカ社会はといってもよいかもしれませんが、自由競争に基づいて動いています。この自由競争の受益者は消費者であるという考え方をアメリカ人は信じています。人は、労働者として、消費者として、投資家として経済活動の利益を享受しています。自由競争は、この中でも消費者の立場に軸を置いた考え方です。自由競争は、受益者である消費者により良いものをより安く手に入れることを可能にするという考えです。

【自由競争の意味】
日本では、1994年の大店舗法の改正により、地元の中小小売業者が失業するということが問題になっていました。そして、消費者の利益と、中小小売業者の利益を、ともに確保するためのバランスを模索していました。このことに対するアメリカの考え方は、自由競争の中、顧客に選ばれない店舗は存在意義がなく、存在意義のないビジネスを存続させることは、労働者にとっても、投資家にとっても、消費者にとっても最大のメリットをもたらさないという考え方です。一方、競争力のある大店舗が出店することにより、中小小売業者も、消費者という立場で、自由競争のメリットを享受できるという考え方です。すべてアメリカ式がよいとは考えませんが、競争力のないビジネスを保護することにより、長期的には誰も利益を享受できません。せっかく保護したビジネスは、自然淘汰されていくことになります。だからこそ、経営者は、競争力や存在意義を常に強化していくことが重要だということを学びました。

なぜ、フランスのタイヤ会社がレストランガイドを作っているのかと疑問に思われませんか。ここで、企業の存在意義の話に戻ります。ミシュランの存在意義は、「移動(モビリティ)に関する進化に貢献する」ことです。旅行に行き、知らない町に行ったとき一番困ることの1つにレストラン探しがあります。だから、人のモビリティ(移動)を支援することを使命と考えるミシュランは、レストランガイドを提供しているのです。この秋には日本版も登場するようです。
 
このように、新規事業を考える時には、企業の存在意義に立ち返り、環境の変化に応じて、提供する製品やサービスを変えていけばよいのです。また、存在意義と類似した考え方に事業領域の決定があります。私の家業、熊平製作所を例にとって見ましょう。米国の同業者のディーボルトは、金融機関設備業という定義をしていました。ヨーロッパの同業者であるCHUBBは、セキュリティ業と定義をしていました。我々は、金庫製造業と定義していました。この定義の違いは、企業の成長において大きな違いを生みました。金融機関設備業と定義していたディーボルトは、金庫屋からATMのシェアNO.1へと成長し、ヨーロッパのCHUBBは、ビルのセキュリティシステム全てを提供する企業へと成長しました。我々は、提供している商品に目を向けていたために、存在意義を小さく捉え、事業領域を限定してしまう結果になっていたのでした。

会社の存在意義を明確にし、ビジョンを打ち出すことが何よりも大切であることを学んだ私は、卒業後、熊平製作所に戻り、経営ビジョン作りを行いました。金庫は、守られた空間ですが、IT化が進み、現在、多くのオフィスに見られるように、建物自体のセキュリティを階層化していくことも事業領域に加えようということになりました。セキュリティレベルを決め、セキュリティの高い空間における入室は、2人でなければ入室できないなどをデザインし、システムを設計していくことが求められます。IT化においては、PC端末あるいは、資産が情報化し、その情報を扱う社員の人たちが入室している空間をセキュリティするという、金庫とはまったく逆なことが求められるわけです。そこには、発想の転換が要求されますし、お客様の要求も多様ですので、セキュリティコンサルティングの力も求められるようになります。最近では、個人情報保護法やコンプライアンスの重要性によりニーズも高まり、ビジネススクール後に作ったビジョンの流れから生まれた事業は重要な事業のひとつに成長しています。

【リスクはなくなるか】
ビジネススクールで学べば、投資のリスクをゼロにすることができるのか?という問いについては、結論から申し上げますと、NOでした。誰もが良く知っている投資に対するリターンの考えを最初に生み出したのは、アメリカの化学会社の財務担当責任者をしていたピエール・デュポンです。今から丁度100年位前のことです。彼らは事業を進めていく中で、ある悩みにぶつかりました。それは、いくつものアイディアがある中で、どのアイディアの実現を優先させるかというものでした。そこで、生み出されたのは、投資対効果、ROIという考え方だそうです。

【バブル崩壊を予期できた】
私がビジネススクールに留学したのは、バブル絶頂期です。そのため日本企業は、ハーバードにおいても重要な研究テーマでした。イギリスの盛衰、アメリカの盛衰、そして今ピークを迎えている日本は、このまま成長し続けるのか、それとも、イギリスやアメリカと同様に、衰退するのかを何度も何度も議論しました。当時、日本企業の特性は、社員の会社に対する忠誠心、大部屋で1人ひとりが境界を作らず仕事をし、情報も流動するため組織の連携が旨く出来ること、社長も社員も給与がそれほど違わず、現場の声が経営に反映されること、改善運動が象徴する現場のIQの高さ、株式の相互持合いによるもの申さぬ株主の存在、株主を気にせず長期的視点で経営判断を行えること、等にあるとされ、ビジネススクールでは日本企業の持っていた良さを研究していました。しかし日本では、この20年間に、この良さが失われつつあります。一方、アメリカは、国を挙げて日本的経営の良さを研究し、基本に立ち返ろうとしていました。こうして、バブル絶頂の日本も、かつてのイギリスやアメリカと同様の衰退の道をたどることになりました。バブル全盛期に帰国した私が、経営環境を楽観視せず、次の手を打てたのも、この授業のおかげかもしれません。

【エンロン事件】
ビジネススクールにおいて倫理が重要なテーマになります。私がハーバードを卒業した後、エンロン事件が起きました。ハーバードの学長は世界中の全卒業生に対して次のような手紙を送りました。「世界のビジネスリーダーとして倫理のスタンダードを維持し、手本となるように」というメッセージが書かれていました。ハーバードビジネススクールのこのような姿勢には、身の引き締まる思いがしました。
 
【パジャマで登校】
ここからは、クラスメイトのお話をしましょう。 9月の始業から、日々ケーススタディの準備に追われ、プレッシャーの中で過ごしていたのですが、クラスメイトの提案により、毎週金曜日は、テーマをもって過ごそうということになりました。ある日は、ハワイのバケーションということで、真冬にもかかわらず、みんな、ウィンタージャケットの中に、アロハシャツを着て、麦藁帽子をかぶってやってきました。ある金曜日のテーマは、「今一番したいこと」でした。テニスラケットを片手にテニスウェアで教室にやってくる人、旅行かばんを持ってやってきた人など、いろいろなスタイルで登場するクラスメイトの中に、パジャマ姿で枕を抱えて登場した女性がいました。「今一番したいことは、眠ることです」といい、一同大笑いです。みんな勉強は必死でしたが、楽しむことも半端ではありませんでした。こんな切り替えができるアメリカ人を、心から尊敬しました。

【チャリティへの参加】
チャリティに参加するクラスメイトもとても印象的でした。 どんなに忙しくても、また、ほとんどの学生が学費を借り入れでまかなっているのにもかかわらず、みんな、こまめにチャリティに参加するのです。「寄付をお願いします。今回は、缶詰3個です。」些細なことでも、申し込む人、集める人、送付する人など忙しい中、手分けしてやるのです。彼らはこういいました。「私たちは、とても恵まれている。これだけすばらしい教育を受けるチャンスをもらった我々は、社会に対して還元する責任がある」と。この思想が、みんなにありました。ともすると自己中心的になる日本の成功者との懐の深さの違いを感じました。

【外国人留学生への支援】
学校は、厳しいルールで、外国人留学生の言語的なハンディは一切考慮しないということが明確なルールになっていました。これは、経営者の孤独に耐えうる強靭なリーダーを育てるためです。しかし、クラスメイトは違いました。各クラスには、クラスメイトサポーターを任命し、海外留学生や、クラスについていけない学生を常にケアしてくれました。競争社会でありながら、弱者には優しいアメリカ人に助けられた、感謝の思いで一杯です。

【天安門事件】
卒業式の朝 卒業のガウンをまとい、ハーバードヤードに集まった卒業生たちは、腕に白いリボンを付けていました。中国の天安門事件の直後でしたので、卒業生たちは、国民に対する政府の武力弾圧に抗議をするためにつけていたのです。大きな力ではないかもしれないけれど、個人の意志を主張する彼ら彼女たちの姿には最後まで教わることがありました。
   
【MBAがキャリアにどのように役立ったか?】
では、MBAはキャリアにどのように役立つのでしょうか?私の事例をお話しましょう。
私の場合のキャリアは大きく3つの流れがあります。ファミリーカンパニーで経営ビジョンおよび方針を打ち立て、熊平製作所に新たな成長の種を植えた時代、藤田田会長の下、タイラックというイギリスのチェーン店を日本で立ち上げた時代、そして、コンサルタントとして、企業の成長や改革を支援する現在です。

3つに共通なのは、企業の未来を作る、成長を支えるという目的です。しかし、業種は、「金庫・セキュリティ」、「ネクタイ・スカーフ」、「多種多様な現在のクライアント」と多様です。このように、業種にかかわらず仕事ができるのは、ほかならぬMBAのおかげです。業種業態により成功要因や求められる人材のコンピタンスは違い、企業の未来を左右する環境要因も違います。顧客セグメントの定義も違えば、競合との関係も違います。このような違いを前提に、ゼロベースで環境を眺めることができ、一貫性のあるストーリーを持ち、競争力を強化することができるのは、MBAで学んだ企業の捉え方、経営を眺める視点が役立っています。

もちろん、MBAで学んだことを実践し、失敗を通じて学んだことも全てがキャリアにおける私の武器になります。コンサルタントをする際に、常に考えることは、クライアントの立場になることです。

日本の企業は、すぐに流行を取り入れようとします。カンパニー制が流行すると、カンパニー制を導入していないと遅れているのではないか、バランススコアカード、EVAとさまざまな経営手法が流行すると、みんなが導入する。そして、このような手法を導入すれば、どの企業でも一律効果に繋がると信じています。このような判断についても、企業の置かれている環境、その手法を導入した際の効果と副作用などを考えるよう自信を持って経営者に進言できることは、とてもありがたいことだと思います。
ゴルフでも基本を学び、練習をすると強くなる。と同様に、MBAでビジネスの基本を学び、実践で学習を重ねると強くなれると考えます。

【MBAに行く価値】
私自身の経験を踏まえて、MBAに行く価値について整理をしてみたいと思います。
 
第1に、「経営の基礎」が学べます。MBAの価値は、客観的に、ゼロベースで企業の置かれている環境を把握し、未来を予測し、打つべき手を考えることが出来る力です。企業戦士として実践から学ぶと、多くの場合、判断の軸が自分の経験、特に成功体験に偏りがちです。しかし、MBAの基礎を持ち、経験を積むと、その経験は普遍的な法則になり、他の場面で応用できるのか否かも、ゼロベースで捉えることができます。ベンチャーの社長は、ビジネスを成長させる天才です。独自のマーケティングセンスを持ち、実行力でビジネスを成長に導きます。しかし、彼らの多くは、組織を作ることに関心がなく、いつまでも、“市場の変化に敏感に反応する機敏さ”という創業期の成功の法則を活用し、成長の弊害を作ります。MBAであれば、創業期、成長期、成熟期の段階に応じて、次の打つ手を考えることができます。このように、基礎力を持っていると、未経験領域に関しても、有効な手立てを考えることが可能になります。
 
第2に、「経営に必要な機能」すべてを理解できる点も、MBAの強みです。マーケティングの専門家であれ、製品や顧客に関する視点以外に、会社の置かれている財務状況、株主が求めていることを理解することは重要です。ファイナンスの専門家でも、事業の成熟度を把握し、投資戦略の方向性を想定しながら、財務戦略を構築することが求められます。経営における全ての意思決定は、一貫性を持つことが求められます。自分の責任領域が、他部門とどのような関係性にあり、何と一貫性を持つことが重要かを自ら考える力をMBAは与えてくれます。
 
第3に、「MBA的な思考プロセス」を支えるたくさんのフレームワークや視点を持つことが可能になります。5フォースや3Cをはじめ、物事を整理するフレームワークを持ち、自在に使いこなせるようになることは強みです。

第4に、「専門分野に関する最先端の知識や手法」を学ぶことができます。これは、転職のチャンスに繋がります。金融からコンサルへ、あるいは、マーケティングから経営へなど、これまでの経験にMBAの知識をプラスしてより多くのキャリアの選択肢を持つことが可能になります。
 
第5に、「ビジネススクールで出会った仲間」は、大変貴重なものです。皆、向上心が強く、学ぶ意欲が旺盛です。自己実現を目指す仲間は、貴重な財産になります。また、多様な企業で活躍しているので、お互いに貴重な情報源になることでしょう。

【日本のMBAのよさ】
では、留学と日本のMBAどちらを選択するかという視点でお話をしてみましょう。

私が留学した時代は、今ではビジネスマンの常識用語になった戦略という言葉すら日本においては存在しない時代でした。当時は、まだ、日本的経営が世界中から注目されており、アメリカでMBAをとってきましたというと、「ああ、あの短期的視点、株主ばかりに目を向け社員を大切にしないくだらない経営を学んできたのか。日本では役に立たないよ。」などと辛口のコメントを頂いたりもしました。日本のビジネス社会全体が、MBAというものを理解していませんでしたし、少なくともバブル崩壊前は、日本企業こそが正しい経営をしていると日本全体が信じていました。しかし、この18年間、企業内研修におけるMBA講座も当たり前になり、青山学院大学をはじめとする日本のビジネススクールが社会に求められる時代が来ました。

こうなってきますと、私の時代と違い、海外のビジネススクールに行く必要はありません。日本でMBAが取れる最大の魅力は、仕事を続けながら学校に通えることです。MBAに行く=会社を辞めるという決断が必要ないということです。また、仕事を続けていれば、MBAで学びながら、実際の課題に取り組めます。解決できない課題については、ビジネススクールの先生方にお知恵を頂くことも可能です。学問と実践を融合し、アクションラーニング的に学ぶことが出来ます。また、卒業後も相談に乗ってもらえる先生方がいることも強みです
 
また、海外に留学して感じたのは、米国では、米国企業の視点が中心であり、米国企業の置かれている環境が中心になるということです。その点、日本のビジネススクールでは、先生方も日本の状況に精通しており、日本企業の置かれている環境を正しく理解し、直ぐに応用できる実践情報を持てます。これは、大きなメリットです。

また、青山学院大学大学院国際マネジメント学科では、グローバル・ナレッジネットワークや、グローバル・アクションラーニングを実践しています。これは、大変魅力的です。今日において、ビジネスをドメスティックに考えることは不可能です。グーグルは、地球上のすべての情報を対象にビジネスモデルを考えており、TOYOTAは、世界1の販売台数を誇る企業にまで発展しています。ヨーロッパにおけるパリバのファンド凍結により端を発したサブプライム問題は、日本の株価や為替レートに大きな打撃を与え、フロリダのハリケーンにより、日本のオレンジジュースが値上がりするなど、私たちは、すでにグローバル経済の中に身を置いています。そして、韓国の次は、中国、そして、インドと新しい経済大国が生まれつつあります。このような時代に、MBAで、日本の論理だけで物事を考えることは不可能です。青山学院で実践しているカーネギーメロン大学をはじめとする世界10カ国のビジネススクールとの連携により、世界中のビジネスプロフェッショナルの視点を学ぶ機会を持てることは大変有意義です。

最後に、ビジネススクールに行くことが意義あるものになるか否かは、あなた次第であると思います。間違いなく学ぶ機会は与えられています。知識の豊富な先生方も揃っています。あるいは、グローバルに学ぶチャンスも用意されています。これらすべてのチャンスをどこまで貪欲に使いきるかが、勝負ではないでしょうか。

ビジネススクールで知識を学ぶだけでは不十分です。なぜなら、2007年の最先端知識は、2009年には陳腐化してしまうからです。私の教えている『アントレプレニュアーシップ』のクラスでも、昨年の最もホットな企業は、グーグルでした。今年は、リンデンラボです。来年は、どんなアントレプレナーが現れるのかわかりません。しかし、AMAZON、スターバックス、グーグル、デル、アップルなど成功しているベンチャービジネスには、成功の法則があり、成功に導く思考プロセスがあります。このような法則や思考プロセスを1つでも多く武器として自分のものにしておくことで、環境の変化においても、組織そして自らのキャリアを成功に導くことができるのではないでしょうか。

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