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人一生の育ちプロジェクト

文部教育科学通信 2108.01.29掲載

未来教育会議では、現在、人一生の育ちプロジェクトに取り組んでいます。世の中は分断されており、私たちは生まれてから、家庭、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、企業、社会、塾や教室等々と、様々な場所で育つ機会を得ています。しかし、「私」の一生の育ちを全体としてプロデュースしてくれる他人はいません。人生100年時代に、人一生の育ちを自分事として考えてみよう。そんな思いでプロジェクトがスタートしました。

 

人一生の育ちを考える理由

  • 私たちは、どれだけ人の育ちについて知っているだろうか。親は、子どもの教育を考え、学校を選んではいるが、子どもの発達や、人間の成長についてあまりにも無知である。

 

  • 人生100年時代になり、死ぬまで学び続けることが、「現状を維持する」ために必要な時代に、成人は、子ども時代のような好奇心や学ぶ力を維持できているだろうか。

 

  • VUCAワールドにAIと共に生きる我々は、テクノロジーと共創するために必要な意識のレベルと、パラダイムシフトを起こす思考力を備えているだろうか。

 

  • 自分を活かす人生の目的を見つけ、その目的を通して社会に貢献するために、学び続ける力がこれまで以上に重要になることを私たちは認識する必要があるのではないか。生きることは学ぶことであると言い切っても間違っていないのではないか。

 

  • 自律的に学び続ける人が幸せになる時代だからこそ、子どもには、幼児のころから良質な学び体験をたくさんさせてあげて、自分を知り、育て、学ぶ喜びと楽しさを体一杯に感じさせてあげることが、なによりも大きな宝物になるのではないか。

 

  • 自分という人生で最も高価な「所有物」を大切にすること、活かすことができる成人をたくさん増やす環境を創ることができれば、それが最もパワフルな教育なのではないか。

 

  • 良質な学び体験を子どもの頃から積み重ねていくことで、VUCAワールドに必要なグロースマインドを育むことができるのではなだろうか。

 

育ちについての誤解

育ちについて専門家のお話を伺う中で、社会の中には、たくさんの誤解があることに気づきます。その一部をご紹介します。

 

主体性を育むことが大切ということは、誰でも認めることですが、幼児期に子どもたちが遊びを選ぶことが、主体性の形成に大きな影響を持っているという認識を持つ親はあまり多くないのではないでしょうか。秋田喜代美先生の講演で、行動の主体である主体性の感覚の重要性という言葉を教えていただきました。幼児期の遊びが、自己決定力、自己効力感を育むという認識を持ち親として子どもに関わればよかったと反省しています。

 

人間の知能は、IQだけでは語れないというのも大事な学びです。1970年代には世界中の教育学者の通説となったマルチプルインテリジェンスでは、IQ(言語、数学・理論)以外にも、身体、空間、対人、内省、音楽、自然の6つの知能が並列に並びます。人のインテリジェンスは、その組み合わせでできています。オランダの幼稚園にいくと、インテリジェンスごとに遊びのコーナーが用意されていて、子どもはコーナーを選ぶことで、自分のインテリジェンスを見出すことができます。オランダの幼稚園では、計画を立てて遊ぶので、毎日何を選んでいるかを先生も知ることができます。先生は、子どもが自ら選ばない遊びを試してみるように促すことも容易です。

 

学力

学力についても大きな誤解があります。学力の遅れは通常小学校高学年で顕在化します。しかし、遅れは乳幼児期から始まっている場合が多いです。言語活動や社会的・情緒的発達の遅れが、学力の遅れにつながっているからです。貧困による教育格差の問題を解決するためには、本来、小学校や中学校で学習支援に取り組むよりも、乳幼児期からの発達を支援する方が、本人も苦労なく育つことができるという認識を持つ国々では、乳幼児の発達に国家予算がしっかりと配分されていて、すばらしいと思いました。

 

多様性

オランダでは小学校6年生で小学校卒業試験に不合格の場合、落第することがあります。小学生なのに、そんなに厳しくしなくてもと思ってしまいますが、実は、中学生になる方が、その子の人生を考えるともっと厳しいという認識を持つ必要があります。なぜなら、小学校の遅れを抱えたまま、中学生になっても、その遅れを取り戻すことは難しく、中学校での学びを手に入れることができず、結果的に、義務教育が求める発達の水準に到達しないまま、成人になってしまうことになるからです。ダイバーシティの時代に、子どものインテリジェンスと発達のスピードが多様であるということを、すべての大人たちが認識し、子どもたちの発達を見守る社会を創りたいです。

 

子どもの尊厳と発達

女・子どもという表現がありますが、私たちの社会は、子どもの尊厳をあまりにも軽視しています。子どもは、生まれたときから完全な人間であるという認識を持ち、子どもを不完全なものとして扱わないことがとても大事です。同時に、子どもだからと過保護にすることも間違いです。自分で考え、自分で決めて、自分で行動し、結果に責任を持ち、経験を通して学ぶという一連の経験学習サイクルを通して、自律的に学習できる人を育てる関わりを増やしていくことが大切です。大人に感覚のずれがあるために、主体性や自律心を育めないばかりか、日本では、子どもたちの自己肯定感や自己効力感を育むことに失敗しています。

 

自分の心

学校教育は発達において大切な役割を果たす一方、一番大きな欠陥は、自分(の心)を大切にする力を育めていないことです。自分の気持ちを認知し、人に伝えることや感情をコントロールすること、他者の気持ちを理解して共感するという人間の根幹ともいえる力を育むことが軽視され、感情停止状態で、先生や親の期待に答える訓練を繰り返し成人になります。そのため、学力や知識を多く習得していても、それを自分らしく活かすことが困難な状態になります。そんな中で、就職活動の時だけ、自分らしさを表現することを求め、入社後は、我慢を求めるという矛盾した要求をしています。

 

コミュニケーション力

先日、ある企業の研修でIT技術者の人たちが、「コミュニケーションってなに? いらなくない!」という話をしていました。OECDのキーコンピテンシーは、義務教育の間に、誰もが多様性の中で対立を乗り越え、合意形成を行い、共創する力を育む必要があると定義しています。それが個人と社会が成功(幸せ)を手に入れるために必要だからです。どんな職業に就く人にも必要な力です。IT技術者の若者たちの話しを聞きながらそのことを、私たちは、子どもたちに伝えられていないことをとても残念に思いました。学力を向上させるための塾はありますが、コミュニケーション力を育む塾はなく、学校教育がしっかりと引き受けていかなければならないことだと思います。

 

思考力

オランダのピースフルスクールというシチズンシップ教育で、幼児、小学生、中高生の発達に関わっています。この教育プログラムを受けた小学生とオランダで話をした時に、人間の質感として、自分が小学生に負けたという敗北感が、この教育を日本に広めようと考えたきっかけです。実際に、子どもたちに展開してみると、日本の幼児も小学生も、大人顔負けの落ち着きを持ち、自分の気持ちや考えを述べることができます。幼児が、誰かに自分の気持ちや考えを伝えたいという欲求を持っていること、同時に、自分の考えを持っていることに気づきます。思考力を磨くためには、対話が必要です。先生や親の求める回答ではなく、自分の気持ちや考えを述べる訓練を小さいころから行うことがいかに大切かを実感しています。

人一生の育ちを自分ごととして考える対話イベントを、3月26日、27日に開催される東京国際教育際で実施する予定です。ご参加お待ちしています。

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