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ホラクラシー経営と教育改革

2017.09.25 文部科学教育通信掲載

先日、ホラクラシー経営の勉強会を実施しました。ホラクラシー経営には様々な形態がありますが、共通しているのは管理をしない非管理組織を目指していることです。従来の組織は、管理型、ヒエラルキー型が一般的です。経営責任者がいて、役員、本部長、部長等々と、階層が続きます。階層には権限と責任が結びついていて、部下は上長から管理される仕組みの中で役割を果たします。報酬は、階層に紐付き、上長の評価により決まります。ホラクラシー経営には、このような概念がなく、人々は、組織に属していますが、管理されず自立的に行動し責任を全うします。

 

社長も選挙できめる会社

今回の勉強会では、日本で、ホラクラシー経営の最先端を歩んでいるダイヤモンドメディア社の武井社長をお迎えして行いました。武井さんのホラクラシー経営では、毎年、社長も選挙で決める仕組みになっており、社員の給与も社員が自分たちで決めます。権限等の規定もなく、使っていい経費の上限額もありません。ヒエラルキー組織で育った経営者や会社員からすると、とても信じられない経営のあり方です。

 

ホラクラシー経営が実現できる背景には、テクノロジーの存在があります。究極の民主的な企業組織を実現する前提には、情報の透明性があります。企業活動がどれだけ社会に貢献するよいサービスや製品を提供していたとしても、収入を得て、その収入を分配するという機能が有る限り、そこに民主的な意思決定を行ううえでの難しさが残ります。その意思決定を協働で行い、誰もが納得感を持つためには、社員がお金周りの情報もすべて共有し、自分の判断がどのような結果につながるのかを理解することができる環境を整える必要があります。ダイヤモンドメディア社では、10年の歳月をかけて、様々な試行錯誤を繰り返し、この環境と経営スタイルを確立していきました。

 

自立と共生が鍵を握る

私が、武井さんの経営に興味を持った理由は3つありました。

一つ目は、武井さんのお話を以前伺い、ホラクラシー経営という前例のない組織創りを、コンセプトも含めて、ゼロから組み立て創造しているところに魅了されたからです。組織のあり方を創造する過程では、トライ&エラーがあり、その過程で武井さんが学び続けた結果が、今日の姿です。これは、まさに、「学習する組織」のお手本だと思いました。たとえば、民主的な社会なので合議制が前提です。しかし、みんなの意見を尊重するというやり方では、永遠に議論が終わらないという経験を繰り返す中で、最良の意思決定が議論の目的であり、だれの意見も受け入れること自体が議論の目的ではないという結論に至ったそうです。システムを活用し、最良の意思決定に必要は判断材料としてのデータを全員が共有することで、判断軸が共通言語化され、みんなで議論をしても、かなりスピーディに合理的な判断に到達するようになったそうです。武井さんのお話を伺っていると、まさに、デザイン思考の発想で、組織創りに挑戦されていると感じます。一般人なら、うまくいかなければ「やっぱりだめか」とあきらめてしまうようなことでも、武井さんにとっては、次の実験のための材料でしかないという感覚です。最初から正解を提示する従来型の問題解決の発想ではなく、仮説を検証し完成に近づくプロトタイプ型の発展の仕方は、まさに、デザイン思考そのものです。同時に、このアプローチは、学習する組織型のスタイルとも言えます。常に、現状に満足せず、チームで学習し、理想の姿に近づくことは、そこに参加する一人ひとりが主体的に考え、行動しているから可能なのです。一人でも組織にぶら下がっている人がいるとホラクラシー組織は実現しないという点も、学習する組織と共通している点です。

二つ目は、働き方改革の観点から、ホラクラシーが未来の会社と個人の姿を現していると感じたからです。先日、スタンフォード大学を訪問した知人からこんな話を聞きました。優秀な学生たちに、「皆さんのように優秀な学生は、卒業したらやはりグーグルのような会社に就職するのでしょうね」と話したところ、「とんでもない。スローでたいくつな会社になんか就職しないよ」という反応が返ってきたそうです。自分の能力に自身があり、大きな価値を生み出す力を持つ優秀な若者は、自らの力を存分に発揮できる難しいプロジェクトを探し、仕事を通しての知的な挑戦を楽しみます。また、1年中だらだらと働くことも望んでおらず、年に数ヶ月は自由な時間を過ごすといったスタイルが当たり前のようなのです。このように、優秀な若者の中は、組織に帰属せず、プロジェクトベースで仕事を請け負うという人たちも増えていますが、企業に属している若者も、従来型のヒエラルキー組織に魅力を感じない傾向は、世界共通のトレンドです。高齢化社会の日本にいると、このような若者の感性が、社会に反映され難いのですが、日本の若者も、同様の感覚を持ち始めているように感じます。

三番目は、教育改革の観点からも共通点があると感じるからです。私は、日本の教育が変わる事を願って、未来教育会議、ピースフルスクール、21世紀学び研究所と3つの取り組みにチャレンジしています。未来教育会議では、社会の未来、未来の人、未来の教育の3点で教育ビジョンを誰もが共有する社会が実現し、先生も親も地域社会もみんなで、21世紀にふさわしい学びを子どもたちが得る環境を創っていくことを願い、様々な活動に取り組んでいます。ピースフルスクールでは、幼稚園や小学校でのシチズンシップ教育を促進し、子どもたちが自らの力で社会を創る体験を通して学ぶ環境を先生や保護者と一緒に作ることに挑戦しています。21世紀学び研究所では、21世紀の学び方を大人が実践し、時代の変化に併せて、企業や社会のあり方が変わることを目的に活動しています。

 

3つの取り組みに共通なことは、主体性と共生の2つが欠かせないということです。この概念は、視察に訪問したデンマークやオランダ、ドイツでは社会の常識ですが、日本では常識ではないと感じます。国と国民、上司と部下、先生と生徒、親と子と、どこに行ってもヒエラルキー概念が前提にあり、上位下達、指示命令を中心に物事が進みます。そこには、ビジョンは存在せず、受身に従う個人や集団が存在します。ホラクラシー組織は、究極のデモクラシーを企業組織で体現するのですから、主体性と共生が前提となります。武井さんのお話を伺いながら、シチズンシップ教育ピースフルスクールは、実は、ホラクラシー教育でもあると気づきました。

アフター・インターネット時代

武井さんのお話を伺った後の質疑応答では、目標を設定しないで、業績には悪い影響はでないのか、管理しないで怠ける人が出ないのかなどの質問があがります。小学生の頃から、人は管理しないと怠けるという管理者の論理、同時に、先生がいない時は騒いでも良い(?)という考えという受身の論理を持ち、大人になっていった我々にとって、管理しない、されないという環境を想像するだけで、危険な匂いがするというのが正直な感覚のようです。しかし、その考えは、ビフォアー・インターネット(BI)の発想で、究極の民主化に向かうアフター・インターネット(AI)の世界の常識とは異なるのではないでしょうか。自律的学習者を育む教育改革が急がれる理由もここにあります。

 

 

 

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